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《ガイアアシュラム》イサーンの国で、インターン? [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
タイの東北部、ラオスとの国境をはさんですぐ南側。
この地域は、イサーン(またはイーサーン)地方と呼ばれています。タイ国内でも大きな都市といえる、ウドンタニ(ウドーンターニー)があり、ラオス国境最寄り、メコン川のほとりにあるちいさな町がノンカーイ(ノンカイ)。
私にとって、タイは何度も訪れたこともある最愛の国(日本にいた頃はね!)。
だけど、まさかタイの東北部を訪れることになるとは(思ってなかったね!)。
ペルーでジャングルのメディスンと繋がる神聖体験一ヶ月このシリーズをへて、南オーストラリアにもどってきた。不思議そうで不思議そうでないマジックがこの手から出てきたあと(こんな感じで)、また東海岸へ行くという夢。いつもはキャンパーバンで行っていたけど、今回はお急ぎな感じで飛行機でコフスハーバーまでひとっとび。。。
長い話が、そこで、ノンカーイにあるマットミーというゲストハウス兼ヨガコミュニティを唐突に紹介され、インターンに受け入れが決まったことを受け、六月にタイへ
《ゴールドコーストから、バンコクまで。バンコクから、深夜特急でノンカーイまでのお話はこの記事をご覧ください》
早朝に到着したノンカーイの第一印象は、とてものどかな田園。ここに半年以上もいるなんとはツユともしらず、トゥクトゥクのおじさんにジェスチャー説明してたどりついたのが、マットミーゲストハウス。
タイの美しい原色のお花にあふれた大きなガーデンカフェは、メコン川沿いにある。大きなダイニングテーブルや、ハンモックや、木の下のちいさなカップルシートなど、環境となじんだ素敵なカフェで、何人かの人たちが朝食をしたり、おしゃべりをしたり、ジャーナルをつけていたりしているのをみて、ここがガイアアシュラムへの「扉」なんだと思うと嬉しくなった。
カフェのキッチンと併設されたレセプションに行くと、赤毛の白人男性がいた。
「こんにちは。」と英語で言う。彼の返事は、オーストラリア英語だった。
彼の雰囲気がとても気になった。レセプションにはいるけれど、「あなたは何をしている人?」と訊くと、「出家していた山寺から数週間前に俗世にもどってきたところ」。そして、「君はもうすぐ阿羅漢のいるあの山寺にいくだろう」と言った...
私を乗せた乗り合い車は、20分くらい走ってガイアアシュラムに着いた。
(後日確認:オムのお父さん)
そこは緑がうっそうとしたジャングルにしか見えなかった。当時タイ北部のパーマカルチャープロジェクト(2017年現在)で有名な、三つのうちのひとつであるはずなのに、「?」。サラ(シャラ)と呼ばれる間がある(勉強やヨガができるところ)一階があって、その二階は、蚊帳つきでごろ寝できる壁のない建てもので、25以上の布団は敷ける。その少し先には、アウトドアキッチン。建て物はそれだけしか見えない。周りはタイ特有の原色に彩られた緑濃いジャングル。(後に、オムとトムの二階建ての家、泳げるため池、建ちかけのルキナの家を次々と発見。広大な敷地!)
そこに、中国人の女性がいた。
その向こうに見えたのは、水牛。
インターンの四名は、顔を見合わせる・・・
ベトナムからはMinh(ミン)。母親。大量消費型社会から共有型ギフト社会へ移行するひとたちの社会ネットワーク作りをしている。インターンの中では最年少。笑顔でみんなをつなげる存在。使用言語は英語、ベトナム語。
フィリピンからはLuz(ルース)。旅人。体力も知力もあってなんでもできる姐さん。とにかくまっすぐに情熱的。ほんとになんでもできて、何ができないかが見つけられないくらい。最年長。英語、フィリピン語、スペイン語。
ペルーからはMonica(モニカ)。ヨギー。主に子どもたちの精神面でのサポートにヨガと遊びを取り入れている。リーダー的存在。フランス語、スペイン語、英語。
オーストラリアからは日本人の私。気功と瞑想とカウンセリング担当で参加。日本語、英語と、中国語とスペイン語ちょっとずつ。
みんな、自分の得意とすることを提示し、持ち寄って、個のインターンのメニューを企画、実施して、ガイアアシュラムと成長していくという三ヶ月の共同生活であった。のだが?
すでにガイアアシュラムにいたもう一人の住人(学ぶ人)は、最年少のYang(ヤンヤン)。
中国福建省のお茶の会社で働いていたが、いろんなことに目覚めて自然農法を学ぶために、一人でガイアアシュラムに住んでいた。英語を学びたてで、ジャングルに住むのもはじめてで、なんでも挑戦する、いとおしい存在。
みんなが面接した、ガイアアシュラムのオーナー夫婦の、オランダ人トムとタイ人オムスニサ(オム)はいなかった。
事情を知っていたのはヤンヤン。彼らはトムの故郷であるオランダへ帰省中だが、もうすぐ帰ってくると。彼女の説明によると、タイが雨季に入ると彼らはオランダに帰るらしく、ガイアは数ヶ月間留守にするだけでジャングルになってしまうという。うなずけますが。
毎日37度超え、湿度100パーセント。
雨が降ってなければ、汗がふってくる。
確か一週間くらいで二人が帰ってきたと思う。
何が始まるかと思えば、インターンではなかった(ご想像通り)。
ジャングルの開墾、コンポストベイつくり、フードフォレスト作り、キッチンの改造、シャラの大掃除、青空シャワー作りに、コンポストトイレ作り、、、その仕事が大胆に与えられたのでした。二ヵ月後に開催される、『ディープエコロジー』と『パーマカルチャーコース』のために、世界各国から訪れる約30名の受け入れを整える必要があり、その態勢を万全にするという。
で、私たち四人の「インターンの目的」は、このワークグループのリーダー(ファシリテーター)として1ヶ月の大所帯を切り盛りするのが彼らが考えていたこと。らしい。
最初の二週間。
私たち4人は何が起こっているのかをわかるために、とにかく目の前に対応していくと、あれよという間にジャングルワーカーのできあがり。必要経費を払った上で困惑しながら労働提供をせざるを得ない状況は、まさに政府の言葉を信じて突然船で海外へ渡った第一世代移民のような状況。私たちは毎日このことについてどうすべきか正直に、オープンに話した。私たちの誰もが学生や新卒でなく、いろんな仕事をしてきて、こういう経験(いやもっとブラックな経験だってあるさ)はあるが無責任では投げることはできない。しかし常識的に何かが合致していないことは一目瞭然で。。。
与えられた経験を生かしたいという気持ちがありつつ、それでも倫理的に筋が通っていないということで、結局、私たちは最初の「休日」に、ガイアアシュラムを出てマットミーゲストハウスにもどって息抜き。みんな、ほんとにぜーぜーしてた(笑)。シャワーでメルトダウン、マンゴラッシーで昇天(笑)。
マットミーゲストハウスのガーデンカフェで、すごくいい経験をもらっていることをみんなで確認した。赤毛のジェームズも、マットミーのオーナーのジュリアンも参加して、みんなで話した。隠し事なんてひとつもなかった。大きなプロジェクトがタイの東北部でキックオフしようとしていた。ガイアアシュラムのことはみんな知ってた。誰も敷かれたレールを歩きにきたわけじゃない。ジャングルを覆っていたルキナの木々は伐られたが、これは雨季に育つネイティブで、すべてが木材となるために育ちオムの父親の手によって家となっていった。私たちは土地を耕し、コンポストをいれ、果樹と野菜を植えてまくった。いくつものパーマカルチャーガーデンと、フードフォレストを整えた。トイレも建てはじめた。みんなでご飯をつくって、食べて、シャワーは池で、その後ゴロ寝した。
私たちが到着した前もあとも、ドイツ、ロシア、イギリス、トルコなどからガイアアシュラムのプロジェクトを聞いた人たちが個人で訪れていたけ。だけど、あまりの原生ぶりに、誰も長期で留まることなく去っていった。その彼らの一人ひとりの持ってきた力が、青空シャワーを完成させ、コンポストトイレエリアを整え、キッチンがキッチンとして機能していく様子を見て、有機的としか言いようのないコミュニティの成り立ちかたをみせてもらえたような気がした。濃すぎる三週間でいろんなことを学んだことは間違いない。
でも、もう一日たりともあの環境では働きたくないと感じていた。
「搾取」という共有感情が芽生えそうな直前にいたことも確かで。
ガイアアシュラムにもどってすぐミーティングを開いた。
オムは、私たちの想いを聴き、こちらの意識と姿勢と提供する労働力に対しての、受け入れ態勢と対応のなさにその場で即謝罪し、インターンを解散させた。早かった。インターンとして私たちが払った必要経費は返金することを約束。私たちの労働に対して慰謝料的なものを支払う話も出たけれど、私たち全員合意で拒否。あまりの対応の早さをみて、誰でも同じかな、ガイア側もいろいろあっていろいろと認識していたけれど、行動になっていなかったのかな、と察した。どの立場が善い悪いなく、正直な環境を整えて話すことが最善策だということを確かめられた。オムとトムの家の二階のバルコニーで、そよぐ熱波を頬に受けながら、ここでも、四人四風の(リーダー、バランス役、ムードメーカー、論理的思考)役割エネルギーがばっちりだったのを今も覚えてる・・・。
ここで、インターンはあっという間に解消!で、
もう、ガイアアシュラムを離れて結構です、と。
ちゃんちゃん!
じゃねーよーで(笑)
人生の喜びある経験は、どこにあるかわかりません
モニカ、ルース、ミン、ヤンヤンと私の五人は、ここからオムとガイアアシュラムと真新しい関係性を築くことになるのです。
なにせ、ひと月後に30名超が都市部からこのジャングルへやってくる事実は変わらない。
もう秒読み状態なのに、コンポストトイレも青空シャワーも滞在場所も確保できていない。
一方で私たちは、すでにタイでの滞在時間を確保してあり(インターンのため)、帰国や出国の必要がないところにいたので、オムとガイアアシュラムをバックアップするために残ることにした。いや、アドベンチャーに参加するというか?
オムのお父さんはルキナの木でどんどん住居をつくっていき、キッチンヘルプとして地元の女性が二人雇われ、そして私たちはできることをやろうと、できる範囲でしたいことを有機的に行っていった。私は、離れのルキナの家をモニカとレンタルし、そこでリトリートをしながら瞑想と精神的サポートとカウンセリングをすることを提案した。みんな、個人的に新しいアイデアを提案して、残ることにした。確か、オムがガイアアシュラムの受け入れをオープンにしたので、男性が何人も到着し、とんとんとんとシャワーも家も完成していった。そこに、トルコ人のぺテックが登場。タイではたくさんのプロジェクトを行ってきた科学者。ワークショップの裏方はこれでそろった!
これは、まるで意識した意識がマグネットのように寄りあつまり、技術や知識や経験などが組み合わさってチームとなり、それが(全体として)あるがままに調和し、つまりそのままで完成されている、ということに気づかされる経験だった。
ご縁とは、創造主の采配
オムは、私たちの意見を前向きに取り入れ、ワークショップという大きな目的実践のために備えた。オランダ帰りのオムとトム二人だけでは、しかも第一子を妊娠していたオムには、大きすぎる仕事だったようなのは明らかで…。いろんな立場と意識の人間が、暮らしをつくっていくこと(人間育成、食物確保、ハコ作り、調理、トイレ、コンポスト、リサイクル、掃除…、そして朝ヨガから日々の勉強会と非暴力コミュニケーション練習会から夜の瞑想まで)を、みんなで実行企画して経験をさせてもらい、これこそが人間がつくるロー(Raw)な「プロジェクト」なのかと感じました。目的があったからこそできた。
もぅ、お掃除時間でさえもこんな感じ(楽しすぎてエクスタティック)。
そんなかんな、ガイアアシュラムは一ヶ月の滞在型ワークショップを迎え、一人の女性が途中で去ることを決断したことも含め、トラブルなく成功に収まりました。
参加者の中には、私たち4名が長くチームで働いているか、ガイアから雇われているスタッフだろうと思っていた人がいたようで、最終日にただのボランティアだったことを告げると驚いている人が多かったことがなんだか新鮮だった-特にヤンヤンはすべての勉強会に参加しながら企画側(裏方)も勉強していたので、一体何者なのって感じで!
都市部から暮らしのシフトをしようと決めた人たちが、そうと決めたものの、オフグリッドで住むとはどういうことか、買い物したりケータイで過ごす時間がないところで、どのように新しい生き方を、手と足と体と心をつかって、模索していくのか、こういうことを大人数の舞台でサポートできた経験に、心から本当にあり難く感じます。
私はタイに行く前、オーストラリアのオフグリッドの森でキャンパーバンに住み、ケータイもパソコンもなく、有機野菜を育てて、主に物々交換で生きていましたが、それは己の生き方、生き方をつくる価値観、価値観を形成する信念体系を見つめる作業、心を癒す作業、ご先祖様とのつながりを思い出す作業、自然の一部であることを感じなおす作業、旧い自分を脱ぎ去る作業などと、自分ひとり(のことだと信じていたこと)に集中(せざるを得ず)して、個レベルで行ってい(るだけと思ってい)ました。しかしこのガイアアシュラムでの経験は、私という個人の健全さにもう一度目覚めて生きなおすことは、ガイアを含めて自分の人生の目的にも沿い、コミュニティや地球や人類全体の健全な成長とも沿うものであり、私にも存在位置があったということを実感で教えてくれたようです。オムとトムも含めて、インターンのみんなそれぞれが貴重な個人の体験を持ちよって、この全体の経験ができたのだなと思うと、人生の奇跡的で有機的なご縁にさらに深い神秘を感じます。
ワークショップが開催されている間に、こうしてつかの間の休息…
さて、このワークショップが終わったとき、後から参加した裏方ぺテックと、ヨーロッパからの4名(2カップル)とタイ人女性はガイアアシュラムに残り、さらにガイアアシュラムの基盤づくりをすすめました。このうちドイツ人の友人とは今も繋がっています。手作り商品のマーケットへの出品やブランディングがはじまり、マッドブリックの建物(『マリアのフェアリーハウス』)が建ち、定期的なパーマカルチャーワークショップが開催されたりと、今のガイアアシュラムの礎を固めていった様子を、ニュースレターが教えてくれています。
こうして、人生に一度だけの貴重な経験をさせてもらった私たちは、みんな笑顔でガイアアシュラムを去りました。
今では、ヤンヤンが看板をつくっているとき、いつもいろんな話をしていたことが思い出です。
その後・・・
ミンは、ベトナムに帰って、ホーチミン近くでプロジェクトを開始。
モニカは、タイ国内の次のプロジェクトで子どもたちのサポートに。
ルースは、タイ国内を旅行しつづけ、後に私の瞑想の滞在先に合流。
ヤンヤンは、数年後に私の住むオーストラリアに3ヶ月の間滞在し、
パーマカルチャープロジェクトへ滞在して学び、私が住んでいた南オーストラリアのエコビレッジでウーフィンをした後、中国の田舎へ移住し、森で自給自足をしているとのこと。
私は、マットミーゲストハウスに一旦もどり、不思議なご縁でそれからもタイに滞在しました。
私の人生のマーカーポイントとなった忘れられないガイアアシュラム。オムやみんなとの出会い。
これからも、ガイアアシュラムが滞在者とともにすばらしい発展と成長を遂げていきますように!
本日も、語尾に統一性のない私のベストな日本語にお付き合いいただき、まことにありがとう御座いますた!
この地域は、イサーン(またはイーサーン)地方と呼ばれています。タイ国内でも大きな都市といえる、ウドンタニ(ウドーンターニー)があり、ラオス国境最寄り、メコン川のほとりにあるちいさな町がノンカーイ(ノンカイ)。
私にとって、タイは何度も訪れたこともある最愛の国(日本にいた頃はね!)。
だけど、まさかタイの東北部を訪れることになるとは(思ってなかったね!)。
ペルーでジャングルのメディスンと繋がる神聖体験一ヶ月このシリーズをへて、南オーストラリアにもどってきた。不思議そうで不思議そうでないマジックがこの手から出てきたあと(こんな感じで)、また東海岸へ行くという夢。いつもはキャンパーバンで行っていたけど、今回はお急ぎな感じで飛行機でコフスハーバーまでひとっとび。。。
長い話が、そこで、ノンカーイにあるマットミーというゲストハウス兼ヨガコミュニティを唐突に紹介され、インターンに受け入れが決まったことを受け、六月にタイへ
《ゴールドコーストから、バンコクまで。バンコクから、深夜特急でノンカーイまでのお話はこの記事をご覧ください》
早朝に到着したノンカーイの第一印象は、とてものどかな田園。ここに半年以上もいるなんとはツユともしらず、トゥクトゥクのおじさんにジェスチャー説明してたどりついたのが、マットミーゲストハウス。
タイの美しい原色のお花にあふれた大きなガーデンカフェは、メコン川沿いにある。大きなダイニングテーブルや、ハンモックや、木の下のちいさなカップルシートなど、環境となじんだ素敵なカフェで、何人かの人たちが朝食をしたり、おしゃべりをしたり、ジャーナルをつけていたりしているのをみて、ここがガイアアシュラムへの「扉」なんだと思うと嬉しくなった。
カフェのキッチンと併設されたレセプションに行くと、赤毛の白人男性がいた。
「こんにちは。」と英語で言う。彼の返事は、オーストラリア英語だった。
彼の雰囲気がとても気になった。レセプションにはいるけれど、「あなたは何をしている人?」と訊くと、「出家していた山寺から数週間前に俗世にもどってきたところ」。そして、「君はもうすぐ阿羅漢のいるあの山寺にいくだろう」と言った...
私を乗せた乗り合い車は、20分くらい走ってガイアアシュラムに着いた。
(後日確認:オムのお父さん)
そこは緑がうっそうとしたジャングルにしか見えなかった。当時タイ北部のパーマカルチャープロジェクト(2017年現在)で有名な、三つのうちのひとつであるはずなのに、「?」。サラ(シャラ)と呼ばれる間がある(勉強やヨガができるところ)一階があって、その二階は、蚊帳つきでごろ寝できる壁のない建てもので、25以上の布団は敷ける。その少し先には、アウトドアキッチン。建て物はそれだけしか見えない。周りはタイ特有の原色に彩られた緑濃いジャングル。(後に、オムとトムの二階建ての家、泳げるため池、建ちかけのルキナの家を次々と発見。広大な敷地!)
そこに、中国人の女性がいた。
その向こうに見えたのは、水牛。
インターンの四名は、顔を見合わせる・・・
ベトナムからはMinh(ミン)。母親。大量消費型社会から共有型ギフト社会へ移行するひとたちの社会ネットワーク作りをしている。インターンの中では最年少。笑顔でみんなをつなげる存在。使用言語は英語、ベトナム語。
フィリピンからはLuz(ルース)。旅人。体力も知力もあってなんでもできる姐さん。とにかくまっすぐに情熱的。ほんとになんでもできて、何ができないかが見つけられないくらい。最年長。英語、フィリピン語、スペイン語。
ペルーからはMonica(モニカ)。ヨギー。主に子どもたちの精神面でのサポートにヨガと遊びを取り入れている。リーダー的存在。フランス語、スペイン語、英語。
オーストラリアからは日本人の私。気功と瞑想とカウンセリング担当で参加。日本語、英語と、中国語とスペイン語ちょっとずつ。
みんな、自分の得意とすることを提示し、持ち寄って、個のインターンのメニューを企画、実施して、ガイアアシュラムと成長していくという三ヶ月の共同生活であった。のだが?
すでにガイアアシュラムにいたもう一人の住人(学ぶ人)は、最年少のYang(ヤンヤン)。
中国福建省のお茶の会社で働いていたが、いろんなことに目覚めて自然農法を学ぶために、一人でガイアアシュラムに住んでいた。英語を学びたてで、ジャングルに住むのもはじめてで、なんでも挑戦する、いとおしい存在。
みんなが面接した、ガイアアシュラムのオーナー夫婦の、オランダ人トムとタイ人オムスニサ(オム)はいなかった。
今度は5人で顔を見合わせる(笑)
だれか英語で説明して?(爆)
事情を知っていたのはヤンヤン。彼らはトムの故郷であるオランダへ帰省中だが、もうすぐ帰ってくると。彼女の説明によると、タイが雨季に入ると彼らはオランダに帰るらしく、ガイアは数ヶ月間留守にするだけでジャングルになってしまうという。うなずけますが。
毎日37度超え、湿度100パーセント。
雨が降ってなければ、汗がふってくる。
確か一週間くらいで二人が帰ってきたと思う。
何が始まるかと思えば、インターンではなかった(ご想像通り)。
ジャングルの開墾、コンポストベイつくり、フードフォレスト作り、キッチンの改造、シャラの大掃除、青空シャワー作りに、コンポストトイレ作り、、、その仕事が大胆に与えられたのでした。二ヵ月後に開催される、『ディープエコロジー』と『パーマカルチャーコース』のために、世界各国から訪れる約30名の受け入れを整える必要があり、その態勢を万全にするという。
で、私たち四人の「インターンの目的」は、このワークグループのリーダー(ファシリテーター)として1ヶ月の大所帯を切り盛りするのが彼らが考えていたこと。らしい。
最初の二週間。
私たち4人は何が起こっているのかをわかるために、とにかく目の前に対応していくと、あれよという間にジャングルワーカーのできあがり。必要経費を払った上で困惑しながら労働提供をせざるを得ない状況は、まさに政府の言葉を信じて突然船で海外へ渡った第一世代移民のような状況。私たちは毎日このことについてどうすべきか正直に、オープンに話した。私たちの誰もが学生や新卒でなく、いろんな仕事をしてきて、こういう経験(いやもっとブラックな経験だってあるさ)はあるが無責任では投げることはできない。しかし常識的に何かが合致していないことは一目瞭然で。。。
与えられた経験を生かしたいという気持ちがありつつ、それでも倫理的に筋が通っていないということで、結局、私たちは最初の「休日」に、ガイアアシュラムを出てマットミーゲストハウスにもどって息抜き。みんな、ほんとにぜーぜーしてた(笑)。シャワーでメルトダウン、マンゴラッシーで昇天(笑)。
マットミーゲストハウスのガーデンカフェで、すごくいい経験をもらっていることをみんなで確認した。赤毛のジェームズも、マットミーのオーナーのジュリアンも参加して、みんなで話した。隠し事なんてひとつもなかった。大きなプロジェクトがタイの東北部でキックオフしようとしていた。ガイアアシュラムのことはみんな知ってた。誰も敷かれたレールを歩きにきたわけじゃない。ジャングルを覆っていたルキナの木々は伐られたが、これは雨季に育つネイティブで、すべてが木材となるために育ちオムの父親の手によって家となっていった。私たちは土地を耕し、コンポストをいれ、果樹と野菜を植えてまくった。いくつものパーマカルチャーガーデンと、フードフォレストを整えた。トイレも建てはじめた。みんなでご飯をつくって、食べて、シャワーは池で、その後ゴロ寝した。
私たちが到着した前もあとも、ドイツ、ロシア、イギリス、トルコなどからガイアアシュラムのプロジェクトを聞いた人たちが個人で訪れていたけ。だけど、あまりの原生ぶりに、誰も長期で留まることなく去っていった。その彼らの一人ひとりの持ってきた力が、青空シャワーを完成させ、コンポストトイレエリアを整え、キッチンがキッチンとして機能していく様子を見て、有機的としか言いようのないコミュニティの成り立ちかたをみせてもらえたような気がした。濃すぎる三週間でいろんなことを学んだことは間違いない。
でも、もう一日たりともあの環境では働きたくないと感じていた。
「搾取」という共有感情が芽生えそうな直前にいたことも確かで。
ガイアアシュラムにもどってすぐミーティングを開いた。
オムは、私たちの想いを聴き、こちらの意識と姿勢と提供する労働力に対しての、受け入れ態勢と対応のなさにその場で即謝罪し、インターンを解散させた。早かった。インターンとして私たちが払った必要経費は返金することを約束。私たちの労働に対して慰謝料的なものを支払う話も出たけれど、私たち全員合意で拒否。あまりの対応の早さをみて、誰でも同じかな、ガイア側もいろいろあっていろいろと認識していたけれど、行動になっていなかったのかな、と察した。どの立場が善い悪いなく、正直な環境を整えて話すことが最善策だということを確かめられた。オムとトムの家の二階のバルコニーで、そよぐ熱波を頬に受けながら、ここでも、四人四風の(リーダー、バランス役、ムードメーカー、論理的思考)役割エネルギーがばっちりだったのを今も覚えてる・・・。
ここで、インターンはあっという間に解消!で、
もう、ガイアアシュラムを離れて結構です、と。
ちゃんちゃん!
じゃねーよーで(笑)
人生の喜びある経験は、どこにあるかわかりません
モニカ、ルース、ミン、ヤンヤンと私の五人は、ここからオムとガイアアシュラムと真新しい関係性を築くことになるのです。
なにせ、ひと月後に30名超が都市部からこのジャングルへやってくる事実は変わらない。
もう秒読み状態なのに、コンポストトイレも青空シャワーも滞在場所も確保できていない。
一方で私たちは、すでにタイでの滞在時間を確保してあり(インターンのため)、帰国や出国の必要がないところにいたので、オムとガイアアシュラムをバックアップするために残ることにした。いや、アドベンチャーに参加するというか?
オムのお父さんはルキナの木でどんどん住居をつくっていき、キッチンヘルプとして地元の女性が二人雇われ、そして私たちはできることをやろうと、できる範囲でしたいことを有機的に行っていった。私は、離れのルキナの家をモニカとレンタルし、そこでリトリートをしながら瞑想と精神的サポートとカウンセリングをすることを提案した。みんな、個人的に新しいアイデアを提案して、残ることにした。確か、オムがガイアアシュラムの受け入れをオープンにしたので、男性が何人も到着し、とんとんとんとシャワーも家も完成していった。そこに、トルコ人のぺテックが登場。タイではたくさんのプロジェクトを行ってきた科学者。ワークショップの裏方はこれでそろった!
これは、まるで意識した意識がマグネットのように寄りあつまり、技術や知識や経験などが組み合わさってチームとなり、それが(全体として)あるがままに調和し、つまりそのままで完成されている、ということに気づかされる経験だった。
ご縁とは、創造主の采配
創造主は意識の主。手放しで、サレンダー
オムは、私たちの意見を前向きに取り入れ、ワークショップという大きな目的実践のために備えた。オランダ帰りのオムとトム二人だけでは、しかも第一子を妊娠していたオムには、大きすぎる仕事だったようなのは明らかで…。いろんな立場と意識の人間が、暮らしをつくっていくこと(人間育成、食物確保、ハコ作り、調理、トイレ、コンポスト、リサイクル、掃除…、そして朝ヨガから日々の勉強会と非暴力コミュニケーション練習会から夜の瞑想まで)を、みんなで実行企画して経験をさせてもらい、これこそが人間がつくるロー(Raw)な「プロジェクト」なのかと感じました。目的があったからこそできた。
もぅ、お掃除時間でさえもこんな感じ(楽しすぎてエクスタティック)。
そんなかんな、ガイアアシュラムは一ヶ月の滞在型ワークショップを迎え、一人の女性が途中で去ることを決断したことも含め、トラブルなく成功に収まりました。
参加者の中には、私たち4名が長くチームで働いているか、ガイアから雇われているスタッフだろうと思っていた人がいたようで、最終日にただのボランティアだったことを告げると驚いている人が多かったことがなんだか新鮮だった-特にヤンヤンはすべての勉強会に参加しながら企画側(裏方)も勉強していたので、一体何者なのって感じで!
都市部から暮らしのシフトをしようと決めた人たちが、そうと決めたものの、オフグリッドで住むとはどういうことか、買い物したりケータイで過ごす時間がないところで、どのように新しい生き方を、手と足と体と心をつかって、模索していくのか、こういうことを大人数の舞台でサポートできた経験に、心から本当にあり難く感じます。
私はタイに行く前、オーストラリアのオフグリッドの森でキャンパーバンに住み、ケータイもパソコンもなく、有機野菜を育てて、主に物々交換で生きていましたが、それは己の生き方、生き方をつくる価値観、価値観を形成する信念体系を見つめる作業、心を癒す作業、ご先祖様とのつながりを思い出す作業、自然の一部であることを感じなおす作業、旧い自分を脱ぎ去る作業などと、自分ひとり(のことだと信じていたこと)に集中(せざるを得ず)して、個レベルで行ってい(るだけと思ってい)ました。しかしこのガイアアシュラムでの経験は、私という個人の健全さにもう一度目覚めて生きなおすことは、ガイアを含めて自分の人生の目的にも沿い、コミュニティや地球や人類全体の健全な成長とも沿うものであり、私にも存在位置があったということを実感で教えてくれたようです。オムとトムも含めて、インターンのみんなそれぞれが貴重な個人の体験を持ちよって、この全体の経験ができたのだなと思うと、人生の奇跡的で有機的なご縁にさらに深い神秘を感じます。
ワークショップが開催されている間に、こうしてつかの間の休息…
さて、このワークショップが終わったとき、後から参加した裏方ぺテックと、ヨーロッパからの4名(2カップル)とタイ人女性はガイアアシュラムに残り、さらにガイアアシュラムの基盤づくりをすすめました。このうちドイツ人の友人とは今も繋がっています。手作り商品のマーケットへの出品やブランディングがはじまり、マッドブリックの建物(『マリアのフェアリーハウス』)が建ち、定期的なパーマカルチャーワークショップが開催されたりと、今のガイアアシュラムの礎を固めていった様子を、ニュースレターが教えてくれています。
こうして、人生に一度だけの貴重な経験をさせてもらった私たちは、みんな笑顔でガイアアシュラムを去りました。
今では、ヤンヤンが看板をつくっているとき、いつもいろんな話をしていたことが思い出です。
その後・・・
ミンは、ベトナムに帰って、ホーチミン近くでプロジェクトを開始。
モニカは、タイ国内の次のプロジェクトで子どもたちのサポートに。
ルースは、タイ国内を旅行しつづけ、後に私の瞑想の滞在先に合流。
ヤンヤンは、数年後に私の住むオーストラリアに3ヶ月の間滞在し、
パーマカルチャープロジェクトへ滞在して学び、私が住んでいた南オーストラリアのエコビレッジでウーフィンをした後、中国の田舎へ移住し、森で自給自足をしているとのこと。
私は、マットミーゲストハウスに一旦もどり、不思議なご縁でそれからもタイに滞在しました。
私の人生のマーカーポイントとなった忘れられないガイアアシュラム。オムやみんなとの出会い。
これからも、ガイアアシュラムが滞在者とともにすばらしい発展と成長を遂げていきますように!
本日も、語尾に統一性のない私のベストな日本語にお付き合いいただき、まことにありがとう御座いますた!
タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
タイトルはタイなのに、いきなりペルーからのスタート
(タイでの出家につながるはなしの前振りがながすぎだってはなし)
二千十ウン年の10月、アヤワスカの精霊女神にであってしまってから、私の摩訶不思議体験は不思議なくさらに深まりまりました。
ペルーを去る前、聖なる谷のシャーマンと私と旦那は、バスとタクシーのりかえてクスコから数時間離れた名もなき村にいました。そこは、きっとそう遠くない昔にネイティブの人たちが暮らしていたような雰囲気でした。ほぼ廃墟となっていた姿が、なにか大きなことが起こったことを示唆していました。訪れる人などいないのでしょう。タクシーを降りた後、シャーマンは運転手にしばらく待つように伝え、数人の子どもと数匹の子ネコが通りを横切っていくのをみながら、ひとつの店(よろずや)を見つけました。シャーマンは、お菓子や、ろうそくや、ちいさなものを両手に収まるほど買い、家の主のような人は大きな紙に包んで渡してくれました。
そこからしばらく歩くと、コンクリートの廃墟の下に階段があって、そこを下りていくと小さなドアが。
ノックをし重いドアをあけると、そこ座っていたのは、「魔女」でした。
ほんものの魔女に会ったのは初めてのこと。
シャーマンは、アヤワスカの儀式で受け取ったお告げにしたがってやってきたといいました。魔女は年齢不詳で、そこにいて、いないような、いるけれどすぐ姿を消えてしまいそうで、それは身を隠すためなのか、きっといつも異なる場所にいるような雰囲気でした。私たちは挨拶し、テーブルを囲んで座り、シャーマンが買った紙袋を差し出すと、魔女は包み紙を大きくひろげ、その上に神なる(コカの)葉とコーンの種、そしてテーブルの下からあらゆる「神器」を加えて、ぼそぼそと作業をはじめました。通訳はシャーマンです。私も旦那もスペイン語がわかるのですが、それはスペイン語と何か他のことばのミックスに聞こえました。
【聖なる葉はマーケットにいけば手に入るけど、クランデーロが選ぶこれは上モノ・・・】
彼女は、世の摩訶不思議を読みはじめました。
そして、私にはお役目があると告げたのです。
元旦那も私も、シャーマン自身も、それぞれが驚くべきタイムラインの可能性を示唆され(それは、7年後の今三人ともにあてはまっています)帰路はほぼ無言。廃墟を去ってタクシーにもどり、そしてバスに乗りかえ、クスコにもどりました。そこで、シャーマンは、私がリマに飛ぶ前にもういちど聖なる谷(Sacred Vally)の彼の家、パチャママ・ワシ(母なる地球の家)に行かなければならないから、早朝に出発するからと言い、クスコの家に帰っていきました。
私とシャーマンは、翌早朝、アヤワスカ神殿のある聖なる谷(彼の家)に向かう車に乗っていました。
【パチャママ・ワシの神殿-シャーマンのお父様(同じくシャーマンが)建てられた家族の家であり、使用人たちの家もある、壮大なテンプル】
数週間ともに過ごして親しくなった、畑で働くお手伝いさん一家と、家で働く女性二人が、私がもどってきたことを喜んで迎えてくれました。もう会うことはないだろうと思って、出発前にスペイン語の手紙とともに、私が持っていた冬物の暖かい小物をサプライズで残しておいたので、そのことをとても喜んでくれているようでした。
間もなく私は聖なる水場にいくように促されました。それはアヤワスカやパワープラントの儀式ではなく、山からおりてくる聖水をつかっての儀式。そこはとても静かで女性的でやわらかく、たくさんの花びらやキャンドルが供えられていました。儀式の準備は終わっており、私は瞑想をしたあとにそこに一人で入るように促され、シャーマンは、「これは聖なる女性性にまつわる儀式で、何が何かは導かれるから」と言って私を残して去っていきました。
【アプ(目のある山)から流れてくる聖水が、パチャママワシに流れ込みます】
そこで私と一緒に過ごしたのは、石でした。この石は、文字通りただの石ではなく*パワーストーンと呼ばれる石。私とともに儀式を行った石は、『聖なる(目覚めた)女性性』を象徴する石で、その石の片われである『聖なる(目覚めた)男性性』を象徴する石は聖なる谷に残り、この片方をオーストラリアのとある場所に配置し、パワーストーンのスピリットを通して大いなる意志のなすべきことがなされるようにアシストする、というミッションを与えられていたようなのです。パワーストーンのツインレイ。私の存在を清め、聖なる女性性を思い出す儀式もそのためだったのです。
シャーマンは、あの魔女はホワイトシャーマンが信頼する魔女なのだと言っていました。メディスンによって開かれる領域で受け取られる量子的メッセージが、数珠繋ぎになって三次元で姿をつくりだそうとしていることに、私もうすうすと気づき始めていました。シャーマニズムでいう三っつの世界の領域が同時に開くとき、そしてドリームタイムへのトンネルが確立されるとき、私たちは個を超越して、スピリット界と共働できるのだと。これは、この文明がはじまった初期に暮らしたていた部族が、当たり前のように使っていた上層界とつながるツールであり、地球次元の大調和を保って自然界(多次元領域界)と共存して生きる方法でもあり、そして、今も脈々と続いている…
お役目をいただいたことを在り難いとだけ感じていました。私はただチューンインすることだけに徹するだけでいい。その方法は、私オリジナルの方法を見つけて日々磨いていくしかない。だけど、「心をひらいて明け渡す(Surrender)ことに集中してさえすれば導かれるだろう」という安心感は遥かに大きくありました。
⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ⋰⋱♱⋰⋱✮⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ
ウルルの大地に戻ってからの日常生活では、不思議体験がふつうに続きました。たとえばものすごい火事場のくそ力(言葉ごめんなさい)が出てきて物を破壊したり、壊れた電化製品 に触ったとたん故障が直ったり、ありえないところから突然火を発火させてしまうというようなものでした。メッセージをより深く聴くためにパワーストーンとの会話をつづけ、そのパワーストーンが配置されるべき場所が水の要素の強い場所だということを受け取りました。
そして、とある(南半球)真夏の、とある地点で、私はパワーストーンを片手にひとりで儀式を行いました。後でわかったことは、その場所はレイラインでいうところの富士山、バリのアグン山、フィリピンのボホール、*ウルルとつながっている場所でした。
12月頃から、ドリームタイムがまた開きだしました。
夜の夢で、お告げが来るアレです、
「タイへ」
と。
学生時代からタイは大好きな国のひとつですが、また突拍子もないお告げがきちゃったと思いました。それから間もなく、どういう経緯か詳しく覚えていないのですが、タイにあるガイア・アシュラムで世界から4名のインターンの募集しているという情報が耳に届きました。へー、です。・(点)と・(点)の接点がまだ見えなく、そのときは流しました。
年が明けて1月。以前住んでいた東海岸にあるオフグリッドの森に飛びました。当時の旦那はその後、キャンパーバンで到着しました。フットワーク軽いように見えますが、すべて神、いや夢のお告げです
ある日、森のなかの村を散歩していたら、知り合いの画家のヴィレジャー(村民さん)とばったり遭遇。彼は、その日だけ村にもどってきただけで、またすぐ出て行くところだと言うのです。そして唐突に、タイのノンカーイにあるバックパッカー兼コミュニティのはなしをしはじめたのです。そこはヨガコミュニティと合体したバックパッカーであり、メコン川沿いにあると。。。そのはなしだけをして、彼は去っていきました。。。
翌月2月。またタイのガイアアシュラムでのティーチャー・インターンシップ話が届きました。今回は、募集要項など一式が書かれた情報サイトでした。これはシンクロニシティというしかない。私たちの「自宅」(キャンパーバン)はその時ツイード・シャイアーにあるコミュニティに移動していましたが、そう遠くはない所に図書館があるし、やろうと思えばできないことはない。大いなる流れに沿って、インターンに応募することにしました。
【「自宅」】
世界中から選抜4人っていうのもありえなく面白い(宇宙のゲーム)設定ですが、どいうやら何もないところから、自分でインターンシップの骨組みと内容を決め、セルフエデュケートできるプランをデザインして提出し、そこにミッションステイトメントのようなものを加えることが最初の選考だったように記憶しています。こういうときにものすごいがんばっちゃうもともとスポ根なので(汗)、やってみました。覚えておられるかわかりませんが、2013年から2018年まで、意図的にケータイもパソコンも(クレジットカードも)所有していなく、車の免許もなかったので、旦那さんに車で図書館に連れて行ってもらって、図書館パソコン使って缶詰で書類を作成し、
一通り書類一式を完成させて送ったら、
一時選考通ってしまいました。
二次の面接も、最終面接も、通ってしまいました。
晴れて選ばれたのは、フィリピン、ベトナム、ペルーそして日本人の四人の女性。そこにボランティアできていた愛しき中国出身の-今では心友の五人で、その際はアシュラムというよりはタイのジャングルに乗り込んだのでした(笑)
ということで、私は、旦那さんに(何度目かの別れを告げ←ほんとに自由人でゴメンナサイ)、ガイア・アシュラムを目指して、バンコクからノンカーイへの心の旅路は(いったりもどったりで)こちらから。
《予告編》
【ガイアアシュラムで数ヶ月過ごしたコアメンバーと、タイ反対側北部でパーマカルチャー神的存在のベンと。おかしくサバイバルなジャングル開拓日記は、次の記事にて】
参照)
*パワーストーン
ファーストネイションの部族たちからこのパワーストーンの威力については聞いていて、この数年後にとても重要なメッセージをもつ多くの石たちが同席する場で火の儀式をしたのですが。。。同じスペースに存在したときの経験をここで短く説明するなれば、それはエメラルドタブレットのようなイメージで(私が知っていることは何もなく、ただなにかとても重要で且つシンプルな宇宙のアルケミーがこめられている、という程度の理解)、宇宙太古の叡智を地球次元への浸透させるような、ある意味ポータルのようであり、ひとつひとつの石にスピリットが生きているエンティティであり、チャネリング可能なコミュニケーションストーンであるように感じました。私が、(天から)依頼を受けてパワーストーンを与えられない限り、触ったりコミュニケーションすることは「危険」だと直感で感じ、それらの目の前で自然と畏敬の念を感じました。その感覚はウルルを巡礼したとき、それが日暮れ後に発した波動とほぼ同じくしたものと感じられました。
ファーストネイション
こちらでも縄文ルネサンスのような動きがここ数年非常に強くあります。アボリジニという言葉自体の語源に疑問があり、私たちは土着の部族の方たちのことを、総称してファーストネイションと呼んでいます。
*ウルル
こちらも同じく、過去記事でも一度ご紹介しましたが、ファーストネイションを尊敬する人たちの間では、エアーズロックはほとんど(絶対というほど)使われず、ウルルと呼ばれています。
めっちゃ極端な例ですが、たとえば富士山が「はじめて」発見されたのが最近で、発見者はマイクさんなので、それにちなんで「マイク山」と命名しますといわれても、ずっと日本に住んでる日本人にとっては、富士山はフジサンで、「マイクサン」ではない。やがて、日本にやってきた人と移住したが多数を占め、みんなこれはマイク山だといって、教科書もツアーパンフレットや看板、そこらじゅうにマイク山と書いてある。マイク山5合目?マイク山後来光?富士山の精霊、浅間さま、木花咲弥姫命が泣く...。ありがたいことに富士山にはそれは起こりません。ファーストネイションにとって富士山的存在のウルルが、他の名前で呼ばれていることは、土着の精神が土足で踏みにじられることを象徴しているようです。
(タイでの出家につながるはなしの前振りがながすぎだってはなし)
二千十ウン年の10月、アヤワスカの精霊女神にであってしまってから、私の摩訶不思議体験は不思議なくさらに深まりまりました。
ペルーを去る前、聖なる谷のシャーマンと私と旦那は、バスとタクシーのりかえてクスコから数時間離れた名もなき村にいました。そこは、きっとそう遠くない昔にネイティブの人たちが暮らしていたような雰囲気でした。ほぼ廃墟となっていた姿が、なにか大きなことが起こったことを示唆していました。訪れる人などいないのでしょう。タクシーを降りた後、シャーマンは運転手にしばらく待つように伝え、数人の子どもと数匹の子ネコが通りを横切っていくのをみながら、ひとつの店(よろずや)を見つけました。シャーマンは、お菓子や、ろうそくや、ちいさなものを両手に収まるほど買い、家の主のような人は大きな紙に包んで渡してくれました。
そこからしばらく歩くと、コンクリートの廃墟の下に階段があって、そこを下りていくと小さなドアが。
ノックをし重いドアをあけると、そこ座っていたのは、「魔女」でした。
ほんものの魔女に会ったのは初めてのこと。
シャーマンは、アヤワスカの儀式で受け取ったお告げにしたがってやってきたといいました。魔女は年齢不詳で、そこにいて、いないような、いるけれどすぐ姿を消えてしまいそうで、それは身を隠すためなのか、きっといつも異なる場所にいるような雰囲気でした。私たちは挨拶し、テーブルを囲んで座り、シャーマンが買った紙袋を差し出すと、魔女は包み紙を大きくひろげ、その上に神なる(コカの)葉とコーンの種、そしてテーブルの下からあらゆる「神器」を加えて、ぼそぼそと作業をはじめました。通訳はシャーマンです。私も旦那もスペイン語がわかるのですが、それはスペイン語と何か他のことばのミックスに聞こえました。
【聖なる葉はマーケットにいけば手に入るけど、クランデーロが選ぶこれは上モノ・・・】
彼女は、世の摩訶不思議を読みはじめました。
そして、私にはお役目があると告げたのです。
元旦那も私も、シャーマン自身も、それぞれが驚くべきタイムラインの可能性を示唆され(それは、7年後の今三人ともにあてはまっています)帰路はほぼ無言。廃墟を去ってタクシーにもどり、そしてバスに乗りかえ、クスコにもどりました。そこで、シャーマンは、私がリマに飛ぶ前にもういちど聖なる谷(Sacred Vally)の彼の家、パチャママ・ワシ(母なる地球の家)に行かなければならないから、早朝に出発するからと言い、クスコの家に帰っていきました。
私とシャーマンは、翌早朝、アヤワスカ神殿のある聖なる谷(彼の家)に向かう車に乗っていました。
【パチャママ・ワシの神殿-シャーマンのお父様(同じくシャーマンが)建てられた家族の家であり、使用人たちの家もある、壮大なテンプル】
数週間ともに過ごして親しくなった、畑で働くお手伝いさん一家と、家で働く女性二人が、私がもどってきたことを喜んで迎えてくれました。もう会うことはないだろうと思って、出発前にスペイン語の手紙とともに、私が持っていた冬物の暖かい小物をサプライズで残しておいたので、そのことをとても喜んでくれているようでした。
間もなく私は聖なる水場にいくように促されました。それはアヤワスカやパワープラントの儀式ではなく、山からおりてくる聖水をつかっての儀式。そこはとても静かで女性的でやわらかく、たくさんの花びらやキャンドルが供えられていました。儀式の準備は終わっており、私は瞑想をしたあとにそこに一人で入るように促され、シャーマンは、「これは聖なる女性性にまつわる儀式で、何が何かは導かれるから」と言って私を残して去っていきました。
【アプ(目のある山)から流れてくる聖水が、パチャママワシに流れ込みます】
そこで私と一緒に過ごしたのは、石でした。この石は、文字通りただの石ではなく*パワーストーンと呼ばれる石。私とともに儀式を行った石は、『聖なる(目覚めた)女性性』を象徴する石で、その石の片われである『聖なる(目覚めた)男性性』を象徴する石は聖なる谷に残り、この片方をオーストラリアのとある場所に配置し、パワーストーンのスピリットを通して大いなる意志のなすべきことがなされるようにアシストする、というミッションを与えられていたようなのです。パワーストーンのツインレイ。私の存在を清め、聖なる女性性を思い出す儀式もそのためだったのです。
シャーマンは、あの魔女はホワイトシャーマンが信頼する魔女なのだと言っていました。メディスンによって開かれる領域で受け取られる量子的メッセージが、数珠繋ぎになって三次元で姿をつくりだそうとしていることに、私もうすうすと気づき始めていました。シャーマニズムでいう三っつの世界の領域が同時に開くとき、そしてドリームタイムへのトンネルが確立されるとき、私たちは個を超越して、スピリット界と共働できるのだと。これは、この文明がはじまった初期に暮らしたていた部族が、当たり前のように使っていた上層界とつながるツールであり、地球次元の大調和を保って自然界(多次元領域界)と共存して生きる方法でもあり、そして、今も脈々と続いている…
お役目をいただいたことを在り難いとだけ感じていました。私はただチューンインすることだけに徹するだけでいい。その方法は、私オリジナルの方法を見つけて日々磨いていくしかない。だけど、「心をひらいて明け渡す(Surrender)ことに集中してさえすれば導かれるだろう」という安心感は遥かに大きくありました。
⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ⋰⋱♱⋰⋱✮⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ
ウルルの大地に戻ってからの日常生活では、不思議体験がふつうに続きました。たとえばものすごい火事場のくそ力(言葉ごめんなさい)が出てきて物を破壊したり、壊れた電化製品 に触ったとたん故障が直ったり、ありえないところから突然火を発火させてしまうというようなものでした。メッセージをより深く聴くためにパワーストーンとの会話をつづけ、そのパワーストーンが配置されるべき場所が水の要素の強い場所だということを受け取りました。
そして、とある(南半球)真夏の、とある地点で、私はパワーストーンを片手にひとりで儀式を行いました。後でわかったことは、その場所はレイラインでいうところの富士山、バリのアグン山、フィリピンのボホール、*ウルルとつながっている場所でした。
12月頃から、ドリームタイムがまた開きだしました。
夜の夢で、お告げが来るアレです、
「タイへ」
と。
学生時代からタイは大好きな国のひとつですが、また突拍子もないお告げがきちゃったと思いました。それから間もなく、どういう経緯か詳しく覚えていないのですが、タイにあるガイア・アシュラムで世界から4名のインターンの募集しているという情報が耳に届きました。へー、です。・(点)と・(点)の接点がまだ見えなく、そのときは流しました。
年が明けて1月。以前住んでいた東海岸にあるオフグリッドの森に飛びました。当時の旦那はその後、キャンパーバンで到着しました。フットワーク軽いように見えますが、すべて神、いや夢のお告げです
ある日、森のなかの村を散歩していたら、知り合いの画家のヴィレジャー(村民さん)とばったり遭遇。彼は、その日だけ村にもどってきただけで、またすぐ出て行くところだと言うのです。そして唐突に、タイのノンカーイにあるバックパッカー兼コミュニティのはなしをしはじめたのです。そこはヨガコミュニティと合体したバックパッカーであり、メコン川沿いにあると。。。そのはなしだけをして、彼は去っていきました。。。
翌月2月。またタイのガイアアシュラムでのティーチャー・インターンシップ話が届きました。今回は、募集要項など一式が書かれた情報サイトでした。これはシンクロニシティというしかない。私たちの「自宅」(キャンパーバン)はその時ツイード・シャイアーにあるコミュニティに移動していましたが、そう遠くはない所に図書館があるし、やろうと思えばできないことはない。大いなる流れに沿って、インターンに応募することにしました。
【「自宅」】
世界中から選抜4人っていうのもありえなく面白い(宇宙のゲーム)設定ですが、どいうやら何もないところから、自分でインターンシップの骨組みと内容を決め、セルフエデュケートできるプランをデザインして提出し、そこにミッションステイトメントのようなものを加えることが最初の選考だったように記憶しています。こういうときにものすごいがんばっちゃうもともとスポ根なので(汗)、やってみました。覚えておられるかわかりませんが、2013年から2018年まで、意図的にケータイもパソコンも(クレジットカードも)所有していなく、車の免許もなかったので、旦那さんに車で図書館に連れて行ってもらって、図書館パソコン使って缶詰で書類を作成し、
一通り書類一式を完成させて送ったら、
一時選考通ってしまいました。
二次の面接も、最終面接も、通ってしまいました。
晴れて選ばれたのは、フィリピン、ベトナム、ペルーそして日本人の四人の女性。そこにボランティアできていた愛しき中国出身の-今では心友の五人で、その際はアシュラムというよりはタイのジャングルに乗り込んだのでした(笑)
こういうのって、「私がした」のではなく、もう「運命に描かれている」といった方がよさそうですよ。
ということで、私は、旦那さんに(何度目かの別れを告げ←ほんとに自由人でゴメンナサイ)、ガイア・アシュラムを目指して、バンコクからノンカーイへの心の旅路は(いったりもどったりで)こちらから。
《予告編》
【ガイアアシュラムで数ヶ月過ごしたコアメンバーと、タイ反対側北部でパーマカルチャー神的存在のベンと。おかしくサバイバルなジャングル開拓日記は、次の記事にて】
参照)
*パワーストーン
ファーストネイションの部族たちからこのパワーストーンの威力については聞いていて、この数年後にとても重要なメッセージをもつ多くの石たちが同席する場で火の儀式をしたのですが。。。同じスペースに存在したときの経験をここで短く説明するなれば、それはエメラルドタブレットのようなイメージで(私が知っていることは何もなく、ただなにかとても重要で且つシンプルな宇宙のアルケミーがこめられている、という程度の理解)、宇宙太古の叡智を地球次元への浸透させるような、ある意味ポータルのようであり、ひとつひとつの石にスピリットが生きているエンティティであり、チャネリング可能なコミュニケーションストーンであるように感じました。私が、(天から)依頼を受けてパワーストーンを与えられない限り、触ったりコミュニケーションすることは「危険」だと直感で感じ、それらの目の前で自然と畏敬の念を感じました。その感覚はウルルを巡礼したとき、それが日暮れ後に発した波動とほぼ同じくしたものと感じられました。
ファーストネイション
こちらでも縄文ルネサンスのような動きがここ数年非常に強くあります。アボリジニという言葉自体の語源に疑問があり、私たちは土着の部族の方たちのことを、総称してファーストネイションと呼んでいます。
*ウルル
こちらも同じく、過去記事でも一度ご紹介しましたが、ファーストネイションを尊敬する人たちの間では、エアーズロックはほとんど(絶対というほど)使われず、ウルルと呼ばれています。
めっちゃ極端な例ですが、たとえば富士山が「はじめて」発見されたのが最近で、発見者はマイクさんなので、それにちなんで「マイク山」と命名しますといわれても、ずっと日本に住んでる日本人にとっては、富士山はフジサンで、「マイクサン」ではない。やがて、日本にやってきた人と移住したが多数を占め、みんなこれはマイク山だといって、教科書もツアーパンフレットや看板、そこらじゅうにマイク山と書いてある。マイク山5合目?マイク山後来光?富士山の精霊、浅間さま、木花咲弥姫命が泣く...。ありがたいことに富士山にはそれは起こりません。ファーストネイションにとって富士山的存在のウルルが、他の名前で呼ばれていることは、土着の精神が土足で踏みにじられることを象徴しているようです。
瞑想水断食とその効果2【マスタークレンズ、コーヒーエネマ編】 [断食]
2020年11月に書いていたデトックスの話、下書きからの本日は2023年の10月!ブログの使い方もままならず、古代日本語でおかしいですが、とりあえず
...前記事の続きです(汗)
2020年8月に準備期間に入り、9月に水断食をひと月した後(回復期を経てから)、10月1日の誕生日に火のお炊き上げをはじめ、(これも同月下旬から3年続けて333日ほど昼夜行いました!事後報告)、その間マスタークレンズ(=レモネードクレンズ)を33日間行い、その間もコーヒーエネマを続けました。
あくまでも今日からさかのぼって3年前の写真ね…
(オーストラリアでヘアカットは自分でですよ、わいるど)
今さら気づいたけど、3多いね?
※コーヒーエネマについては、賛否両論ありますが、よかったら動画などで検索してみてください。
下記に詳しく説明しますが、コーヒーエネマの起源は戦時中のヨーロッパであったそうです。まっとうな治療法ですので、ご興味のある方はしっかり調べていただければと思います。
また、腸洗浄というデトックス法は、ヨギックの世界ではその遥か以前から存在し、特定のアーサナを維持して神への統一心技体で行われていたようです。私が行った方法は、朝起きて、一度おトイレで自然な腸の動きがあった後に、ヨガをし、コーヒーが腸に入っている間はチャンティングや祝詞を唱えるなどし、エネマにより腸が空っぽになった後には、シャワーの後にほぼ必ず海に禊にはいっていました。あ、お勧めしませんね(笑)。地元の腸洗浄クリニックの方も、ナチュロパスの友だちも、そんなんカゲキすぎって叫んでた!
私よりも年長で、40日間の断食を長年している親友(レバノンのおじちゃん)が、何年か前に「断食が空ける前に、一度でもいいからエネマするといいよ」、と言っていたので、水断食が終わる直前に、オーガニックのカモミールティーを使ってエネマをしてみるかという気持ちにはなっていました。
うーーーん、はじめてのエネマ、、、するのかどうなのか、、、。
断食中に車の運転できないどころか、家から海まで歩くのはほぼ無理(指一本もあがらない)なのはわかっていたので、「断食始めてからエネマキット買うのは無理かと思うよね」などと、同じ敷地のメインハウスに住んでるピーターに話したら、ピーターが新品のエネマキットを(まさかの)もっていて!!ということで、ちゃんちゃんと、はじめてのエネマに至りました。
これがなかなかとってもいい感じで!()、数日後、再度オーガニックの緑茶でエネマをしてみました。さらに数日後、スッキリ大根レシピをいただいて、ほんとうにスッキリしていました(前記事をご参考までに)。
それから。。。
10月に33日間のレモンクレンズにはいって(お炊き上げのためエネルギーが必要だったので)、それがあけてからもコーヒーエネマを継続し、結局オン&オフで126日ほど続けました。はい、内臓器官の浄化、アップグレード
コーヒーエネマとは?その効果
エネマとは、浣腸のコトですね
コーヒーエネマは、20世紀から続く洗浄法で、ゲルソン博士によって始められた「ゲルソン療法」というガンの治療法のうちのひとつです。 これによって肝臓の代謝機能を復活させ、各内臓の治療能力を高めることを目的としているようです。1リットルほどのオーガニックエネマコーヒーを浣腸することで オーガニックではないコーヒーには通常大量の農薬が使われていますので使用不可 )、胆嚢と肝臓から毒素がデトックスされ、一定時間ホールドしたあとに排泄すると、胆嚢、胆管、肝臓、十二指腸、小腸、大腸、直腸、結腸、小腸をお掃除すると言われています。洗浄することで、肝臓が活性化し、胆汁の分泌が促進され、血液の浄化が期待されることで、ガンや慢性疲労や鬱、消化器系の不調など様々な治療の一環として利用されています。程度によって一日数度、週一日から六ヶ月続けて行うことで、消化・吸収・排泄の機能を正常化することができると言われています。
さて、このコーヒーエネマ、これ、胎内激動の感動体験。
明らかに感じる浄化効果とさらに強くなった消化・吸収・排泄機能!人間の身体は小宇宙なので、この感覚は、人生を消化・吸収・排泄する能力が強くなったのとイコールです
消化するためにエネルギーが使われないので長々と寝る必要がないため、まず睡眠時間が激減(断食中は、朝三時にぱっちりお目覚めしていました)、ドリームタイムの質が変わり、短い時間で深い眠りが実感でき、目覚めは毎朝爽快。エネルギーが溢れ、朝に数時間ほどワークアウトしたあとに庭仕事や家事、ヒーリングなど日常生活をし、夕方にまたワークアウトするという感じで、高エネルギーが一日維持しています。20代の頃の目覚めがフラッシュバックしました
私はコーヒーは飲みませんが、コーヒーのカフェインが影響するのでは、と私も最初思ったのですが、下から飲むカフェインは、胆管を拡張するために有効で、特にカフェインハイではないようです。
要は、身体の中心・重心が、ガット(丹田・ハラ)にがっちり収まった、ということです
エネマと断食による食生活の変化
ガットに導かれるまま自宅の[発酵ファミリー]にサワークラウト、ビーツカバス(ロシアの発酵飲料)、リンゴ酵母が更に加わりました。もちろん酵母をつくりからのオーガニック天然酵母パンと味噌作りは続いており、現在はケフィアグレインのヴィーガンヨーグルトを発明中デス
酵母菌類の摂取が増え、引き続き有機の庭で作る野菜がメインの食事になっています。固形食の摂取は、今までの一日二食から、午前11時以降から日が沈むまで一度だけになり、不要な食欲が落ち去り、体内環境・胎内時計がアップデートされた感じです。
目に見える変化と目に見えない変化
洋服サイズはワンサイズ落ちました、が増減はいつものこと。断食期のぞいてヨガやワークアウトを毎日していれば筋肉量は明らか増え、しないと減るだけ。2年前から出てきた頬の赤ポチポチ(ロザシア、日本語ではシュサ!)は若干減ったようです。よくある断食やエネマの「好転反応」というのは、もうほとんどありません。見た目の変化を期待して断食はしていないけれど、より健康になり心身精神意思力がどんどんと明るく強くなっていくのは嬉しいかぎりです。
エネマと断食をするにあたって
20年以上前にテレビを捨ててから、私は誰かに教えられたから勧められたからといって、なにかをすることはどんどんと減りました(逆にメディアが言うことには超懐疑的)。たとえ、人間存在の真実に関連しそうな話を聞いても、そのときは自分のライブラリーに一旦保存し、必要なときに取り出すという具合。瞑想をはじめたときもそう、オーストラリアに移住したときもそう、タイで尼僧見習い出家したときもそう、ペルーに飛んだときもそう(アヤワスカ記事のシリーズどうぞ)。それと同じで、コーヒーエネマも、マスタークレンズも、インスピレーションでおりてきたものです。これまで一度もしたことはなくても、啓示がおりてきたら、英日で情報をある程度集めて(ばいりんがるやトライリンガルでいると、使用言語によりどの情報がどの言語でどう操作されてるのかがよくわかりますね)、道徳的、精神的、身体的、感情的、衛生的、社会的に準備し、すべてにおいて自己責任で行います。援助や必要なものが驚くほどスムーズに揃うとき、天からゴーサインがおりてきていると判断し、行っています。
エネマと断食の 真の(霊的)目的?
毎朝のご先祖供養、祝詞の暗誦を交えての暮らし(海での水業、瞑想や、デトックスなど)は、あらゆる霊的能力を目覚めさせて、強化させてくれるものだというのは古代から知られています。ご先祖代々と見えない者たちの存在があるからこそ、そして何か大いなる意思があるからこそ、私もできているのだと強く感じています。が、いや実のところ、あちら側から動かされて一緒に働かせてもらっている、という方が正しいでしょうか。
(実際、断食が来るという啓示がおりてくると、マインドは正直あっちゃー(勘弁して~)と感じ、魂の直感側は、やったね!(従うしかないから)という感じなのです)
断食や瞑想は、個人の存在を通して個人的な目的で行っているようであり、しかし個の存在を通してだからこそ、実は集合意識の浄化のために行われているようでもあります。実際、瞑想も断食も初心者であろうとも経験者であろうとも簡単なものではありません(長年続けていても、相対の法で、チャレンジな部分はいつも存在します)。
ただ、導かれる法へ水のように溶け込んでいくという感触はより強くあります。霊界のご先祖様とともに経験している感覚ついては(異次元意識界同時存在)、九月の水断食の経験を通してよりクリアになりました。このような長期に渡っての綱渡りのような集中的デトックスが連続かつ安全に実践できるのは、天の采配でしかないのでは、と感じます。させていただけることに、ただただ有り難い、ただ在り難い!
継続は 膨大な 力なり
健康になりたいと思うのならば、やはり決心をすることが最初にあり、そして一歩を踏み出すことです。最初から百歩先が見えているわけはないし、私も一歩前と、あとは漠然とした背景ヴィジョンがあるだけです。だけど、最初の一歩がなければ、何も始まらないし、また、次の一歩がなければ百歩目へとつづく道もできてきません。
観つめてうかがう(ヴィッパーサナ)作業を続けることは、マインドのノイズと欲望をやがて静めてゆき、不動な意思力の存在を思い出させてくれ、真(心・信・神)のマスターすなわち【大宇宙への忠実な従事者】として目覚める道へと導いてくれると信じています。マインドが支離滅裂に暴走しないどころか、毎朝起きると同時に、マインドが「今日も目覚めた、ありがたい!と、嬉しそうにワクワク待機しているのが感じられます。
【宇宙大生命からの直感(インスピレーション)を司る心】は、さらに透き通ってチューナー合ったような感触で、その想いを叶える使命に向けて、丹田が【羅針盤】のような存在になったようです。行くべき方向が直感でわかり << 考える前に >> すでに体が既にそちらの方向へ舵をきっている感覚…
変容するデトックスの目的
この断食までは、個人的な(身体、神経、骨格)癒やしの道のりで、断食せざるを得ない状況で断食をしてきました(食べるという選択肢がなくなるという意味)。その上で、食べ物一切だけでなく、オーガニックといわれようとも基礎化粧品一般、シャンプー、石鹸、デオドラントや、プラスチック製品、シンセティックな身の回り品などを一切避けてきました。飽食鈍感の時代。お腹がすけばすぐ食べられて、情報でもモノでも欲しいものはとりあえずですぐ手に入る。品質も価値もない、モノがあるだけ。そしていつも満腹という幻想にのまれる。では、心が本当にほしいものはどうすれば感じられるだろう?魂が欲しているものは一体なに?この世に生まれてきた理由とは?どうして今この時代に地球に立っているのか?私は誰なのか??という答えは、食べても答えられないし、ネットにもない。。。
そして、私の場合に答えを導いてくれるのが、自然と瞑想状態を維持してくれるデトックスと断食なのでした。
一つ一つの貴重な経験は、ただの経験で終わるだけでなく、私の食を変え、生活習慣、生き方、夢、人生の風景を変え、心、身体、胎内、精神、マインドが澄んで強い愛(書きながら、愛って宇宙最大のミステリーですよ)を抱きしめられるようになりました。
毎日の生き方を見直す作業の連続、よりよく生きるうえでの手探りの工夫が、毎日を彩ります。生命力に満ちる有機土壌と有機野菜を家でつくり育て、地球と人間の体を愛し、人体に有害なまたは危害を与えるものを避ける暮らしを選び、魂へとつながる心身を強める作業を続けることが、大自然との大調和へとつながると信じています。地球の楽園建設のために、コミュニティ(里・村・大地)に己の存在を循環し暮らしていくには、まず「わたし」というメンバーのチューンアップが必要なのだと感じています。
私という存在が、「宇宙全体の善」に貢献する【ツール】になれているということは、私をより霊的人間として強くしてくれています。生きる行為、生きる意味、生きる喜び、生きる目的とが努力なくひとつになって満たされた状態として存在し、他の場所に自分の存在意義や存在意義の承諾を探すような作業の必要が、今はまったくと言っていいほどありません(今ここにいることへの疑問の余地がほぼないという状態)。この後、家に神棚と仏壇をつくり、太古神道の祝詞、カタカムナ、お経、Revocation(魂のコントラクト修了の詞)を唱えることは日課となりました。
人類みな健やかで幸せであれますよう
母なる地球に大調和が訪れますように
追記)
この記事を公開した 2023年、断食やコロンクレンズなどの激しい(!)デトックス欲はなくなり、2023年は断食をしない一年となりそうです。
地球の太陽神経叢ウルルを中心にしたこの大陸は、数百のファーストネイションの部族が、この次元を含む多次元層から、日常の多種なる儀式を通してドリームタイムを編みこみ、この世の不思議を維持しているといわれます(日本の古神道やマヤやトルテックなど、このシビライぜーションで早期に発生した文化もその機能を同じくするでしょう)。断食や腸洗浄は、眠ると同時に私たちが【死】に、個が魂へと還るドリームタイムのトンネルを浄化するといわれます。それは簡単にどういうことかというと、ひとびとが一般的に「わたし」と呼んでいる存在と、魂のコミュニケーションが、クリアに統合し正統化されていく可能性が高まるということともいえるでしょう。
2020年から私がブログを書かなくなった理由は、書きたい欲が明らかに消えたことと、お炊き上げ中にCovid劇が展開はじめ、世界中に激震を走らせた際に、地球、世界、国、社会、個人、潜在意識に大転換期を迎え、どちらかというと私も「ピュアな血と遺伝子で己を護り生き残る」ということに集中していました。
ま、これはショーでしょー。これも詳しい話は小出しでいきます。
日本語はほとんど使わないので、デスマスも文法もちょっとあやしいですが、書きたいというよりも、不思議に突然「書かなければならない。」という衝動があり、これからもブログ続けていく(予定です)ので、今後ともどうぞよろしくお願いします!
...前記事の続きです(汗)
2020年8月に準備期間に入り、9月に水断食をひと月した後(回復期を経てから)、10月1日の誕生日に火のお炊き上げをはじめ、(これも同月下旬から3年続けて333日ほど昼夜行いました!事後報告)、その間マスタークレンズ(=レモネードクレンズ)を33日間行い、その間もコーヒーエネマを続けました。
あくまでも今日からさかのぼって3年前の写真ね…
(オーストラリアでヘアカットは自分でですよ、わいるど)
今さら気づいたけど、3多いね?
※コーヒーエネマについては、賛否両論ありますが、よかったら動画などで検索してみてください。
下記に詳しく説明しますが、コーヒーエネマの起源は戦時中のヨーロッパであったそうです。まっとうな治療法ですので、ご興味のある方はしっかり調べていただければと思います。
また、腸洗浄というデトックス法は、ヨギックの世界ではその遥か以前から存在し、特定のアーサナを維持して神への統一心技体で行われていたようです。私が行った方法は、朝起きて、一度おトイレで自然な腸の動きがあった後に、ヨガをし、コーヒーが腸に入っている間はチャンティングや祝詞を唱えるなどし、エネマにより腸が空っぽになった後には、シャワーの後にほぼ必ず海に禊にはいっていました。あ、お勧めしませんね(笑)。地元の腸洗浄クリニックの方も、ナチュロパスの友だちも、そんなんカゲキすぎって叫んでた!
私よりも年長で、40日間の断食を長年している親友(レバノンのおじちゃん)が、何年か前に「断食が空ける前に、一度でもいいからエネマするといいよ」、と言っていたので、水断食が終わる直前に、オーガニックのカモミールティーを使ってエネマをしてみるかという気持ちにはなっていました。
うーーーん、はじめてのエネマ、、、するのかどうなのか、、、。
断食中に車の運転できないどころか、家から海まで歩くのはほぼ無理(指一本もあがらない)なのはわかっていたので、「断食始めてからエネマキット買うのは無理かと思うよね」などと、同じ敷地のメインハウスに住んでるピーターに話したら、ピーターが新品のエネマキットを(まさかの)もっていて!!ということで、ちゃんちゃんと、はじめてのエネマに至りました。
これがなかなかとってもいい感じで!()、数日後、再度オーガニックの緑茶でエネマをしてみました。さらに数日後、スッキリ大根レシピをいただいて、ほんとうにスッキリしていました(前記事をご参考までに)。
それから。。。
10月に33日間のレモンクレンズにはいって(お炊き上げのためエネルギーが必要だったので)、それがあけてからもコーヒーエネマを継続し、結局オン&オフで126日ほど続けました。はい、内臓器官の浄化、アップグレード
※ちなみにアメリカで人気のレモンクレンズは二度としない。エネルギー摂取の目的で、クラリティ(明晰さ)も高い、が、(メープルシロップがレシピの半量でも)体重増!
コーヒーエネマとは?その効果
エネマとは、浣腸のコトですね
コーヒーエネマは、20世紀から続く洗浄法で、ゲルソン博士によって始められた「ゲルソン療法」というガンの治療法のうちのひとつです。 これによって肝臓の代謝機能を復活させ、各内臓の治療能力を高めることを目的としているようです。1リットルほどのオーガニックエネマコーヒーを浣腸することで オーガニックではないコーヒーには通常大量の農薬が使われていますので使用不可 )、胆嚢と肝臓から毒素がデトックスされ、一定時間ホールドしたあとに排泄すると、胆嚢、胆管、肝臓、十二指腸、小腸、大腸、直腸、結腸、小腸をお掃除すると言われています。洗浄することで、肝臓が活性化し、胆汁の分泌が促進され、血液の浄化が期待されることで、ガンや慢性疲労や鬱、消化器系の不調など様々な治療の一環として利用されています。程度によって一日数度、週一日から六ヶ月続けて行うことで、消化・吸収・排泄の機能を正常化することができると言われています。
さて、このコーヒーエネマ、これ、胎内激動の感動体験。
明らかに感じる浄化効果とさらに強くなった消化・吸収・排泄機能!人間の身体は小宇宙なので、この感覚は、人生を消化・吸収・排泄する能力が強くなったのとイコールです
消化するためにエネルギーが使われないので長々と寝る必要がないため、まず睡眠時間が激減(断食中は、朝三時にぱっちりお目覚めしていました)、ドリームタイムの質が変わり、短い時間で深い眠りが実感でき、目覚めは毎朝爽快。エネルギーが溢れ、朝に数時間ほどワークアウトしたあとに庭仕事や家事、ヒーリングなど日常生活をし、夕方にまたワークアウトするという感じで、高エネルギーが一日維持しています。20代の頃の目覚めがフラッシュバックしました
私はコーヒーは飲みませんが、コーヒーのカフェインが影響するのでは、と私も最初思ったのですが、下から飲むカフェインは、胆管を拡張するために有効で、特にカフェインハイではないようです。
要は、身体の中心・重心が、ガット(丹田・ハラ)にがっちり収まった、ということです
エネマと断食による食生活の変化
ガットに導かれるまま自宅の[発酵ファミリー]にサワークラウト、ビーツカバス(ロシアの発酵飲料)、リンゴ酵母が更に加わりました。もちろん酵母をつくりからのオーガニック天然酵母パンと味噌作りは続いており、現在はケフィアグレインのヴィーガンヨーグルトを発明中デス
酵母菌類の摂取が増え、引き続き有機の庭で作る野菜がメインの食事になっています。固形食の摂取は、今までの一日二食から、午前11時以降から日が沈むまで一度だけになり、不要な食欲が落ち去り、体内環境・胎内時計がアップデートされた感じです。
注)2022年、オーガニックのビーガンから、フルータリアンに(自分か友だちが育てる時季のオーガニックフルーツオンリー)。2023年現在は、またサトビック完全有機菜食にもどっています)
目に見える変化と目に見えない変化
洋服サイズはワンサイズ落ちました、が増減はいつものこと。断食期のぞいてヨガやワークアウトを毎日していれば筋肉量は明らか増え、しないと減るだけ。2年前から出てきた頬の赤ポチポチ(ロザシア、日本語ではシュサ!)は若干減ったようです。よくある断食やエネマの「好転反応」というのは、もうほとんどありません。見た目の変化を期待して断食はしていないけれど、より健康になり心身精神意思力がどんどんと明るく強くなっていくのは嬉しいかぎりです。
エネマと断食をするにあたって
20年以上前にテレビを捨ててから、私は誰かに教えられたから勧められたからといって、なにかをすることはどんどんと減りました(逆にメディアが言うことには超懐疑的)。たとえ、人間存在の真実に関連しそうな話を聞いても、そのときは自分のライブラリーに一旦保存し、必要なときに取り出すという具合。瞑想をはじめたときもそう、オーストラリアに移住したときもそう、タイで尼僧見習い出家したときもそう、ペルーに飛んだときもそう(アヤワスカ記事のシリーズどうぞ)。それと同じで、コーヒーエネマも、マスタークレンズも、インスピレーションでおりてきたものです。これまで一度もしたことはなくても、啓示がおりてきたら、英日で情報をある程度集めて(ばいりんがるやトライリンガルでいると、使用言語によりどの情報がどの言語でどう操作されてるのかがよくわかりますね)、道徳的、精神的、身体的、感情的、衛生的、社会的に準備し、すべてにおいて自己責任で行います。援助や必要なものが驚くほどスムーズに揃うとき、天からゴーサインがおりてきていると判断し、行っています。
エネマと断食の 真の(霊的)目的?
毎朝のご先祖供養、祝詞の暗誦を交えての暮らし(海での水業、瞑想や、デトックスなど)は、あらゆる霊的能力を目覚めさせて、強化させてくれるものだというのは古代から知られています。ご先祖代々と見えない者たちの存在があるからこそ、そして何か大いなる意思があるからこそ、私もできているのだと強く感じています。が、いや実のところ、あちら側から動かされて一緒に働かせてもらっている、という方が正しいでしょうか。
(実際、断食が来るという啓示がおりてくると、マインドは正直あっちゃー(勘弁して~)と感じ、魂の直感側は、やったね!(従うしかないから)という感じなのです)
断食や瞑想は、個人の存在を通して個人的な目的で行っているようであり、しかし個の存在を通してだからこそ、実は集合意識の浄化のために行われているようでもあります。実際、瞑想も断食も初心者であろうとも経験者であろうとも簡単なものではありません(長年続けていても、相対の法で、チャレンジな部分はいつも存在します)。
ただ、導かれる法へ水のように溶け込んでいくという感触はより強くあります。霊界のご先祖様とともに経験している感覚ついては(異次元意識界同時存在)、九月の水断食の経験を通してよりクリアになりました。このような長期に渡っての綱渡りのような集中的デトックスが連続かつ安全に実践できるのは、天の采配でしかないのでは、と感じます。させていただけることに、ただただ有り難い、ただ在り難い!
継続は 膨大な 力なり
健康になりたいと思うのならば、やはり決心をすることが最初にあり、そして一歩を踏み出すことです。最初から百歩先が見えているわけはないし、私も一歩前と、あとは漠然とした背景ヴィジョンがあるだけです。だけど、最初の一歩がなければ、何も始まらないし、また、次の一歩がなければ百歩目へとつづく道もできてきません。
観つめてうかがう(ヴィッパーサナ)作業を続けることは、マインドのノイズと欲望をやがて静めてゆき、不動な意思力の存在を思い出させてくれ、真(心・信・神)のマスターすなわち【大宇宙への忠実な従事者】として目覚める道へと導いてくれると信じています。マインドが支離滅裂に暴走しないどころか、毎朝起きると同時に、マインドが「今日も目覚めた、ありがたい!と、嬉しそうにワクワク待機しているのが感じられます。
【宇宙大生命からの直感(インスピレーション)を司る心】は、さらに透き通ってチューナー合ったような感触で、その想いを叶える使命に向けて、丹田が【羅針盤】のような存在になったようです。行くべき方向が直感でわかり << 考える前に >> すでに体が既にそちらの方向へ舵をきっている感覚…
変容するデトックスの目的
この断食までは、個人的な(身体、神経、骨格)癒やしの道のりで、断食せざるを得ない状況で断食をしてきました(食べるという選択肢がなくなるという意味)。その上で、食べ物一切だけでなく、オーガニックといわれようとも基礎化粧品一般、シャンプー、石鹸、デオドラントや、プラスチック製品、シンセティックな身の回り品などを一切避けてきました。飽食鈍感の時代。お腹がすけばすぐ食べられて、情報でもモノでも欲しいものはとりあえずですぐ手に入る。品質も価値もない、モノがあるだけ。そしていつも満腹という幻想にのまれる。では、心が本当にほしいものはどうすれば感じられるだろう?魂が欲しているものは一体なに?この世に生まれてきた理由とは?どうして今この時代に地球に立っているのか?私は誰なのか??という答えは、食べても答えられないし、ネットにもない。。。
そして、私の場合に答えを導いてくれるのが、自然と瞑想状態を維持してくれるデトックスと断食なのでした。
一つ一つの貴重な経験は、ただの経験で終わるだけでなく、私の食を変え、生活習慣、生き方、夢、人生の風景を変え、心、身体、胎内、精神、マインドが澄んで強い愛(書きながら、愛って宇宙最大のミステリーですよ)を抱きしめられるようになりました。
毎日の生き方を見直す作業の連続、よりよく生きるうえでの手探りの工夫が、毎日を彩ります。生命力に満ちる有機土壌と有機野菜を家でつくり育て、地球と人間の体を愛し、人体に有害なまたは危害を与えるものを避ける暮らしを選び、魂へとつながる心身を強める作業を続けることが、大自然との大調和へとつながると信じています。地球の楽園建設のために、コミュニティ(里・村・大地)に己の存在を循環し暮らしていくには、まず「わたし」というメンバーのチューンアップが必要なのだと感じています。
私という存在が、「宇宙全体の善」に貢献する【ツール】になれているということは、私をより霊的人間として強くしてくれています。生きる行為、生きる意味、生きる喜び、生きる目的とが努力なくひとつになって満たされた状態として存在し、他の場所に自分の存在意義や存在意義の承諾を探すような作業の必要が、今はまったくと言っていいほどありません(今ここにいることへの疑問の余地がほぼないという状態)。この後、家に神棚と仏壇をつくり、太古神道の祝詞、カタカムナ、お経、Revocation(魂のコントラクト修了の詞)を唱えることは日課となりました。
人類みな健やかで幸せであれますよう
母なる地球に大調和が訪れますように
追記)
この記事を公開した 2023年、断食やコロンクレンズなどの激しい(!)デトックス欲はなくなり、2023年は断食をしない一年となりそうです。
地球の太陽神経叢ウルルを中心にしたこの大陸は、数百のファーストネイションの部族が、この次元を含む多次元層から、日常の多種なる儀式を通してドリームタイムを編みこみ、この世の不思議を維持しているといわれます(日本の古神道やマヤやトルテックなど、このシビライぜーションで早期に発生した文化もその機能を同じくするでしょう)。断食や腸洗浄は、眠ると同時に私たちが【死】に、個が魂へと還るドリームタイムのトンネルを浄化するといわれます。それは簡単にどういうことかというと、ひとびとが一般的に「わたし」と呼んでいる存在と、魂のコミュニケーションが、クリアに統合し正統化されていく可能性が高まるということともいえるでしょう。
2020年から私がブログを書かなくなった理由は、書きたい欲が明らかに消えたことと、お炊き上げ中にCovid劇が展開はじめ、世界中に激震を走らせた際に、地球、世界、国、社会、個人、潜在意識に大転換期を迎え、どちらかというと私も「ピュアな血と遺伝子で己を護り生き残る」ということに集中していました。
ま、これはショーでしょー。これも詳しい話は小出しでいきます。
日本語はほとんど使わないので、デスマスも文法もちょっとあやしいですが、書きたいというよりも、不思議に突然「書かなければならない。」という衝動があり、これからもブログ続けていく(予定です)ので、今後ともどうぞよろしくお願いします!
瞑想・水断食とその効果 2(2020年)《準備期5日ー水断食10日間ー回復期18日》 [断食]
こんにちは!
いきなり、断食後の写真から
はい、またやっておりました…。水断食。
フィルターで浄化した雨水を、クリスタル(シュンガイトとクォーツ)と故郷京都の備長炭とEMセラミックスとガンズ(読めてるかな!)を入れたジャーに移し変え、そのジャーの下敷きには、故郷京都から紫シルクの風呂敷と、アナハタ(ハートチャクラ)の緑のフラワーライフを置いて、飲むごとに感謝と愛の波動を転写したものを飲む。。。ひたすら飲む。。。一日3リットル近く飲みました・・・
【お部屋の一角に設けた、水神様の神殿】
今回の瞑想断食は、一言でいうと、「おなか減った、お腹ぺこぺこ...」(笑)
霊性向上を目的とした瞑想水断食のわりには、肉体の生存レベルのものすごい食欲
≪準備期間≫
固形食をやめ、絞りたてジュース・ファスティングの準備期間は5日とりました。
今住んでいる小さな家は、有機菜園に囲まれた小さな小さなお家。家にはベッドルームと、トイレとシャワーのみ。小さな棚と小さな洋服かけ、それと部屋の一角には神棚と仏壇があります。家具はダブルベッドとソファがあったのですが、どうしても床で寝たいことと、ソファは不要だということで、この準備期間中に、ソファとベッドフレームを部屋から撤去しました。布団で寝るという日本の文化は、実は身体の叡智が謙虚さを思い出すということで、精神修行にもとてもよいのです。
一緒に生活しているピーターは元大工さん。今住んでる家も何百軒も建ててきたということで、ほんとになんでも(ピラミッドも!)作れるし、家にワークショップもあり。なので、こういう机が欲しい、とデザインを出したら、二日でちゃちゃっと理想の机を作ってくれました
≪本断食(水一本断食)≫
水一本の水断食は、計10日間。
水断食がはじまる前(準備期間)からとってもお腹減ってたのですが、水断食3日目頃のキトーシスを過ぎても空腹はおさまらず、一週間経っても消えるどころか食べたい気持ちがずぅ~っと強かったです。「すごいなぁ、人間の欲とは。もう身体は食べなくても生きていられるのに、空腹というものは一向に姿を消すことがない」。食欲をみつめ、対峙し、自己と話し合い、仏陀の断食に思いを馳せ、水の要素、土の要素、火の要素、気の要素とコミュニケーションをとりながら、瞑想を繰り替えした10日間でした。
今回がけっこう手ごたえがあったともいえる理由は、躊躇なしの水一本にしたからです。会話、アイコンタクトやインターネットなしの断食瞑想を、洞窟にこもらないで、森にもいかず、有機菜園(家の回りはすべてサラダ!)に囲まれ、オーストラリアのビーチ沿いの片田舎でやれてしまったことが不思議です。
断食で、水以外のものをいれるといれないのと、効果がだんぜん違います!!水だけ飲んでいると、マインドが飢餓感からくる危機感を持ちます。「死んじゃう!」みたいな。でも、一週間や十日を水だけで暮らしても、人は死なないんです。これからいろんなことが起こる時代に、自己災害対策ではありませんが、12日を水だけで過ごせるという実績を経験で保持しているのは、とっても俗世的でしょ(爆)。
精神性の向上をするたとえば仏陀やキリストといった人たちは、その領域をまっすぐにつっきっていって、特に仏陀は荒行はしないでいいと諭しました。私もそれは本当に受け入れないといけない一面で、だからこそ長期間の断食はしないようにしています(今のところ・・・)。誰とも会話をせず、アイコンタクトもしないことで、精神的なセイフティーネットがなかったので、ちょっとすさまじかったですね(苦笑)。でも、やりがいはありました。
≪本断食(水一本断食)≫
水断食が一週間すぎたある日の夢で、「水断食を終える」(ヤッターーー!)というお達しがあったので、それから数日後にスッキリ大根を採りました。スッキリ大根はすんごい!!有機大根が比較的に簡単に手に入る日本にいたなら、日常から取り入れたいくらいの超すっきりレシピで、断食しない方にもお勧めです!
【スッキリ大根(前)↓↓】
【スッキリ大根(後)!!!】
さて水断食は15日だったので、回復期間は15日ほどもちたいところ。と、考えながらこの記事を書き始めたのは、回復期が1週間ほど過ぎた頃です。
うーん、ところが、なかなか通常食に戻れなかったのですよ...。
どういうことかというと、お腹がすいているのかいっぱいなのか、食べたいのか食べたくないのか、なんかよくわからない状態だったのですね。新しく踏み出した新しい体と心と精神と思考。元(の食餌や生き方)に戻ることも、戻る(胎内や心の)場所も内にも外にもない。自分の中心(核)にあるアンカリングできるスペースが確立できていなかったので、マインドが困惑のエネルギーとタイアップしていたのかと感じました。ありがたいことに、このエネルギーを穏やかに観察しながら、食べたり食べなかったりしつつ、瞑想を続けていました。
マインドの領域をぐるぐるしながら、回復期である(南半球の)春分の日にも、もう一度24時間ジュース断食をするようにとの啓示。その数日後にまたもう一度半断食をするようにとの啓示。冒険するよりは、慎重にしていました。回復期は、断食期の飢餓モードが一斉解放されるので、油断をすると食べ過ぎたりバランスを失うということはよく知られるところですので、回復期は、実は断食期間中よりもチャレンジです。最も難しい回復期に再断食するってどんな精神力っ、て自分で自分でわろておりながら…、回復期間は15日を越えてきました。
断食を準備しはじめてからひと月を超えた十月一日の誕生日。
以前一緒に住んでいた、山渓谷近くの友だちの家で、火の儀式を夜通しでさせてもらった数日、前後にものすごいドリームタイムを経験して、あぁ、この領域を見ること(が魂の契約)になってたんだなとわかり、穏やかに「終わり」の啓示も受け取って、断食を終えました… ホッ
※特にこの記事では触れていませんが、回復期では絶対有機食品を(できれば自家栽培モノ)お勧めします。
私の食餌は、いつも絶対有機新鮮で有機作物以外を採ること(必要)がなく、カフェイン、アルコール、パッケージ食品、できあいのものから基本的にフリーです。日常そもそも家の有機菜園と、友だちの有機果樹園、ファームで採れたものをいただいています。もちろん、オーガニックココナッツやオーガニックバナナなど、他州から手に入れて、パッケージされて届くものも避けられず多くありますが、エシカル(道徳的に)な経営、パッケージングはバイオディグレイダブルを使っているところを、優先して選んでいます。
===============================
≪断食の効果≫
断食の効果は、目的によってことなるのですが、まず身体的なもので言うと体重が落ちる、お腹がぺったんこになる、肌がきれいになる(ワントーン明るくなる)、白髪が減る、腰痛が緩和する、胃もたれや便秘が解消するなどと多岐にわたり、40日の断食瞑想をすると《軌跡が起こる》ともいわれていますー誰にもお勧めはしませんが。ネットを検索すればたくさんの方法や、実践された方の感想、考察や効果が載っていますので、ご興味のある方にはぜひご参考にされればよいと思います。
私が現在行っている断食の目的は、霊性を高めながら、エネルギーの浄化をするためといえるでしょう。身体的な効果は、精神統一や空腹感を超越する不動の精神性を強めることによる、オマケみたいなもので、もはや体重やウエストラインを測ったり、前後を見比べるという作業はしておらず、ひたすら内なる旅路を深めています。この二つの目に見えないものとのつながりを深めたり、見えない(或いは向こう側の)世界にいる八百万(やおよろず)の生き物や霊たちとつながって生きていきたい思いは強いです。
(2019年4月に行った水断食の記事に、水断食基本のやり方や効果を書いていますので、くわしいことは前記事こちらからどうぞ。)
≪今回の断食開始までの流れ≫
今回の断食の【提案】は、実は4月ごろから心の方に徐々で受け止めはじめていました。ただ、頭のほうが、「水断食するならジャングル(森)の中だろう」とか、「瞑想断食することが徳を積むとか、功徳とか、そういう意識(コンセプト)のあまり理解されない西洋諸国の片田舎で、どうやって協力を得てできるかね」などといろいろと思案する期間があり、断食の合図がきたらどのように展開できるかななどと考えてはいました。
そんな8月末頃。
直感で食べたくなくなって、食が細くなってきた三日目。冬の夜空でテントをはって寝た夜に、「あ、キタ」。きちゃいました。そして、断食が展開していく模様が、天から啓示され、ちゃくちゃくと準備がはじまりました。さぁこの記事の文頭に戻って、準備期から再スタート~(笑えない)
この時点で、デトックスにむかって一直線。何ものもこの流れの邪魔することはできず、何の障害もこの決断を変えることはできません。
【断食明けて最初に飲んだのは、オーガニックブラックベリージュースを絞った水割り】
そして、まさかこれが二ヵ月後の(2020年)11月もまだ続いていくなんて、つゆ知らず。。。
次の記事に続くょ
いきなり、断食後の写真から
はい、またやっておりました…。水断食。
フィルターで浄化した雨水を、クリスタル(シュンガイトとクォーツ)と故郷京都の備長炭とEMセラミックスとガンズ(読めてるかな!)を入れたジャーに移し変え、そのジャーの下敷きには、故郷京都から紫シルクの風呂敷と、アナハタ(ハートチャクラ)の緑のフラワーライフを置いて、飲むごとに感謝と愛の波動を転写したものを飲む。。。ひたすら飲む。。。一日3リットル近く飲みました・・・
【お部屋の一角に設けた、水神様の神殿】
今回の瞑想断食は、一言でいうと、「おなか減った、お腹ぺこぺこ...」(笑)
霊性向上を目的とした瞑想水断食のわりには、肉体の生存レベルのものすごい食欲
≪準備期間≫
固形食をやめ、絞りたてジュース・ファスティングの準備期間は5日とりました。
今住んでいる小さな家は、有機菜園に囲まれた小さな小さなお家。家にはベッドルームと、トイレとシャワーのみ。小さな棚と小さな洋服かけ、それと部屋の一角には神棚と仏壇があります。家具はダブルベッドとソファがあったのですが、どうしても床で寝たいことと、ソファは不要だということで、この準備期間中に、ソファとベッドフレームを部屋から撤去しました。布団で寝るという日本の文化は、実は身体の叡智が謙虚さを思い出すということで、精神修行にもとてもよいのです。
一緒に生活しているピーターは元大工さん。今住んでる家も何百軒も建ててきたということで、ほんとになんでも(ピラミッドも!)作れるし、家にワークショップもあり。なので、こういう机が欲しい、とデザインを出したら、二日でちゃちゃっと理想の机を作ってくれました
≪本断食(水一本断食)≫
水一本の水断食は、計10日間。
水断食がはじまる前(準備期間)からとってもお腹減ってたのですが、水断食3日目頃のキトーシスを過ぎても空腹はおさまらず、一週間経っても消えるどころか食べたい気持ちがずぅ~っと強かったです。「すごいなぁ、人間の欲とは。もう身体は食べなくても生きていられるのに、空腹というものは一向に姿を消すことがない」。食欲をみつめ、対峙し、自己と話し合い、仏陀の断食に思いを馳せ、水の要素、土の要素、火の要素、気の要素とコミュニケーションをとりながら、瞑想を繰り替えした10日間でした。
今回がけっこう手ごたえがあったともいえる理由は、躊躇なしの水一本にしたからです。会話、アイコンタクトやインターネットなしの断食瞑想を、洞窟にこもらないで、森にもいかず、有機菜園(家の回りはすべてサラダ!)に囲まれ、オーストラリアのビーチ沿いの片田舎でやれてしまったことが不思議です。
断食で、水以外のものをいれるといれないのと、効果がだんぜん違います!!水だけ飲んでいると、マインドが飢餓感からくる危機感を持ちます。「死んじゃう!」みたいな。でも、一週間や十日を水だけで暮らしても、人は死なないんです。これからいろんなことが起こる時代に、自己災害対策ではありませんが、12日を水だけで過ごせるという実績を経験で保持しているのは、とっても俗世的でしょ(爆)。
精神性の向上をするたとえば仏陀やキリストといった人たちは、その領域をまっすぐにつっきっていって、特に仏陀は荒行はしないでいいと諭しました。私もそれは本当に受け入れないといけない一面で、だからこそ長期間の断食はしないようにしています(今のところ・・・)。誰とも会話をせず、アイコンタクトもしないことで、精神的なセイフティーネットがなかったので、ちょっとすさまじかったですね(苦笑)。でも、やりがいはありました。
≪本断食(水一本断食)≫
水断食が一週間すぎたある日の夢で、「水断食を終える」(ヤッターーー!)というお達しがあったので、それから数日後にスッキリ大根を採りました。スッキリ大根はすんごい!!有機大根が比較的に簡単に手に入る日本にいたなら、日常から取り入れたいくらいの超すっきりレシピで、断食しない方にもお勧めです!
【スッキリ大根(前)↓↓】
【スッキリ大根(後)!!!】
さて水断食は15日だったので、回復期間は15日ほどもちたいところ。と、考えながらこの記事を書き始めたのは、回復期が1週間ほど過ぎた頃です。
うーん、ところが、なかなか通常食に戻れなかったのですよ...。
どういうことかというと、お腹がすいているのかいっぱいなのか、食べたいのか食べたくないのか、なんかよくわからない状態だったのですね。新しく踏み出した新しい体と心と精神と思考。元(の食餌や生き方)に戻ることも、戻る(胎内や心の)場所も内にも外にもない。自分の中心(核)にあるアンカリングできるスペースが確立できていなかったので、マインドが困惑のエネルギーとタイアップしていたのかと感じました。ありがたいことに、このエネルギーを穏やかに観察しながら、食べたり食べなかったりしつつ、瞑想を続けていました。
マインドの領域をぐるぐるしながら、回復期である(南半球の)春分の日にも、もう一度24時間ジュース断食をするようにとの啓示。その数日後にまたもう一度半断食をするようにとの啓示。冒険するよりは、慎重にしていました。回復期は、断食期の飢餓モードが一斉解放されるので、油断をすると食べ過ぎたりバランスを失うということはよく知られるところですので、回復期は、実は断食期間中よりもチャレンジです。最も難しい回復期に再断食するってどんな精神力っ、て自分で自分でわろておりながら…、回復期間は15日を越えてきました。
断食を準備しはじめてからひと月を超えた十月一日の誕生日。
以前一緒に住んでいた、山渓谷近くの友だちの家で、火の儀式を夜通しでさせてもらった数日、前後にものすごいドリームタイムを経験して、あぁ、この領域を見ること(が魂の契約)になってたんだなとわかり、穏やかに「終わり」の啓示も受け取って、断食を終えました… ホッ
※特にこの記事では触れていませんが、回復期では絶対有機食品を(できれば自家栽培モノ)お勧めします。
私の食餌は、いつも絶対有機新鮮で有機作物以外を採ること(必要)がなく、カフェイン、アルコール、パッケージ食品、できあいのものから基本的にフリーです。日常そもそも家の有機菜園と、友だちの有機果樹園、ファームで採れたものをいただいています。もちろん、オーガニックココナッツやオーガニックバナナなど、他州から手に入れて、パッケージされて届くものも避けられず多くありますが、エシカル(道徳的に)な経営、パッケージングはバイオディグレイダブルを使っているところを、優先して選んでいます。
===============================
≪断食の効果≫
断食の効果は、目的によってことなるのですが、まず身体的なもので言うと体重が落ちる、お腹がぺったんこになる、肌がきれいになる(ワントーン明るくなる)、白髪が減る、腰痛が緩和する、胃もたれや便秘が解消するなどと多岐にわたり、40日の断食瞑想をすると《軌跡が起こる》ともいわれていますー誰にもお勧めはしませんが。ネットを検索すればたくさんの方法や、実践された方の感想、考察や効果が載っていますので、ご興味のある方にはぜひご参考にされればよいと思います。
私が現在行っている断食の目的は、霊性を高めながら、エネルギーの浄化をするためといえるでしょう。身体的な効果は、精神統一や空腹感を超越する不動の精神性を強めることによる、オマケみたいなもので、もはや体重やウエストラインを測ったり、前後を見比べるという作業はしておらず、ひたすら内なる旅路を深めています。この二つの目に見えないものとのつながりを深めたり、見えない(或いは向こう側の)世界にいる八百万(やおよろず)の生き物や霊たちとつながって生きていきたい思いは強いです。
(2019年4月に行った水断食の記事に、水断食基本のやり方や効果を書いていますので、くわしいことは前記事こちらからどうぞ。)
≪今回の断食開始までの流れ≫
今回の断食の【提案】は、実は4月ごろから心の方に徐々で受け止めはじめていました。ただ、頭のほうが、「水断食するならジャングル(森)の中だろう」とか、「瞑想断食することが徳を積むとか、功徳とか、そういう意識(コンセプト)のあまり理解されない西洋諸国の片田舎で、どうやって協力を得てできるかね」などといろいろと思案する期間があり、断食の合図がきたらどのように展開できるかななどと考えてはいました。
そんな8月末頃。
直感で食べたくなくなって、食が細くなってきた三日目。冬の夜空でテントをはって寝た夜に、「あ、キタ」。きちゃいました。そして、断食が展開していく模様が、天から啓示され、ちゃくちゃくと準備がはじまりました。さぁこの記事の文頭に戻って、準備期から再スタート~(笑えない)
この時点で、デトックスにむかって一直線。何ものもこの流れの邪魔することはできず、何の障害もこの決断を変えることはできません。
【断食明けて最初に飲んだのは、オーガニックブラックベリージュースを絞った水割り】
そして、まさかこれが二ヵ月後の(2020年)11月もまだ続いていくなんて、つゆ知らず。。。
次の記事に続くょ
タイでの出家のはなし(2):修行するって、どういうこと?ヴィッパーサナって、なに? [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
お話はずっとさかのぼり、2007年は6月のことです、元ヤクザさんから、瞑想を教えてもらうことになりました。
今日は、私にとって今生最初のヴィッパーサナ瞑想の先生のお話を、ちょっと。
・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚
この時期は、タイでの出家の話(1):ソウルメイトの超婚、の巻の続きとなります
・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚
その時に働いていた新橋のある政府系組織の元同僚(今もずっと仲良しのお友だち)が、
「新宿歌舞伎町で瞑想を教えているてーらわーだの和尚さんがいるから行かない?
びっぱーさなを教えてくれるらしい」というのです。
はじめて聞いて、発音すらできませんでしたね
と、いうところから、今に続く私の本気・瞑想ジャーニーははじまりました。
そのころはまだ悪夢に悩まされていた頃。継母への憎しみ嫌悪感と、父ともう一生会えないことの悲しみ(そして、思考は現実化し、本当に会えませんでした)、人生の終わらない怒りをどうしようもできない時期だったので、初心者の私は特にこの件に関しまして(←今はなきこの仕事感覚)瞑想を行うことにしました。仕事帰りに、電車を乗り換えて歌舞伎町へ。雑居ビルの7階とかでしたか。ドアを開けると大きな和室が。そこにはオレンジ色の袈裟を着たお坊さんが座っていました。不思議な超異空間。
教えて頂いたことを家で毎日実践しましたが、始めた頃は、憎い相手をゆるす、自分に危害を加えた相手の幸せを祈ることが、本当に難しかったのを覚えています。悪夢の継母が殺人的に怖かったので、この人の幸せを祈ることと、悪夢が止まることの関係性など、ほんとにまったく理解できませんでした。
もう一人の元同僚(彼女も今も仲良くさせてもらっています)と週末も新宿に出かけては和尚の瞑想会に参加するなどして、瞑想のキホンのキホンを教えて頂きました。重複しますが、テーラワーダが上座部仏教だということも、ヴィッパーサナが『止観の瞑想』であることも、慈悲の瞑想も、もちろん日本仏教とのつながりも、つながる点や線など、まーーったくなく、すべてが真新しい概念と経験でした。
藤川和尚は私と同郷、京都出身。もともとは地上げ屋さんと呼ばれるヤクザさんです。
国内でかなりやり手にお仕事をされていましたが、ご縁でタイも地上げることになり、バンコクへ飛んだそうです。これはご本人から聞いたことですが、「俺様にできないことはない」超傲慢ぶりだったそうです(笑)。ある日タイ人の部下から、「そんな社長にもできないことありますぇ」といわれ、「そんなもんあるわけないわぃ」と豪語した後、なんやそれと聞き返すと、「タイのお坊さんとして出家すること」、だと。
それがちょうど雨安居(ウアンゴ)と呼ばれる、2500年前の仏陀時代から続く伝統的な雨季の厳しい三ヶ月(通常無言)の修行の直前で、「そんなんできるわぃ。」といってしまったが最後。本当に洋服を脱いで、袈裟に着替えて、出家しちゃっのだそうです。
洗ったこともないトイレ掃除からはじまり、決して怒ることのないお坊さんたちと過ごす三ヶ月間。これまでの悪行ぶりを本当に申し訳なく、なんてことをしてしまったんだとはじめて後悔し、ほかの比丘(びく)の本物の優しさに触れ、日々懺悔を繰り返し、心と体をすっかりきれいにすることに集中したそうです。情けなかったそうです。厳しい三ヶ月の修行を終えたときには、俗世に戻る選択はもうなかったそうです。そのまま、上座部仏教の比丘として得度された後、肉体が地球に還るまでずっと比丘の暮らしを通されました。
藤川チンナワンソ 清弘和尚の本は、記事下部にリンクをはっておきますね↓↓↓
〈こちら、京都大原三千院のお地蔵さんどす〉
私はというと、日本のお寺で育ったのにどうして瞑想をしていないのだろう…とか、日本の仏教はどうしてタイとぜんぜん違うのだろう...とか、黄色い袈裟を着て托鉢している東南アジアの質素なお坊さんからすると、日本の坊主はよく言えば「社交的」で「世俗的」っていうか、拭えないお金のにおいと、払おうとしてもそもそもない純粋さ…。そんな疑問がふわふわとあっても、あんまり気にもならなかった東京派遣OLです。
そんな、まだ知らない多くの魂の疑問を意識の中で顕在化させてくれたのが、今思うと藤川和尚だったと思います。そういったあやふやな疑問が思考の中をゆるゆるする中で、「ゆるす」ことができるはずの「慈悲の瞑想」を信じてみて、自分のマインドをヒプノセラピーをしていたのだと思います。
さて、タイでお坊さんとして出家する、得度するということは(この二つは詳しく言うと異なることですが、それは後ほど)、すごく簡単に言うと、所持品、仕事、人生の何もかもを手放して修行山寺に入るということです。
すなわち、肉体と心とマインド(思考や感覚)のすべてを透明にする作業が主目的の生活に身をおき、
生きることのすべての部分を完全に意識して観察するということです。
と、いうことですが、意味がわかりますでしょうか?
修行山寺に入ったら静かで穏やかな暮らしでしょう、と言う意見と、マインドという逃げ場のないところに自分を追い込んでそんな激しいことをするなんて、という意見をよく聞きますが、どちらでもあり、どちらでもありません。
ある意味、どちらでもあり、どちらでもなく、激しくあり、激しくもなく、清らかであり清らでない、というような、私流に言葉にするならば、すべての二極を超越し、今に在ることを可能にするカモシレナイのが修行なのかというところです。
修行は、私たちの源でありエッセンスである死にも生まれもしない悠久ものに気づくため、溜め込みすぎたが不要となったモノを一切を下ろすことを手伝ってくれ、その作業を、毎時毎日明けても暮れても意識し続ける場ということです。一極集中をトレーニングする、精神統一を手に入れる、というとおわかりいただけますでしょうか?
え、わからなくなってきました?
もうちょっとだけお付き合いください
不要となったモノの一切、とは何か。
すべてです(笑)
もとい。代表的なものは執着、その中でもレッテル(肩書き)があります。
それはマスク(お面)のようなもの。「私」は、○○商事の役員です、や、私はその妻です、私はポルシェを所有しています、私は××家の娘です、私はヨガの先生です、など。人生の部分的なものを切り取って、その短期的な状態(お家柄や職業)を、名称(概念)であらわしたものです。
それはそれでよいのですが、仏教では、これらのレッテルやマスクを、まるで永久的な「私である」と信じ込んでしまうことが悩みや苦しみの原因であるといいます。なぜなら、何かの折に、たとえば、企業がつぶれたとき、愛する相手がいなくなってしまったとき、不慮の事故が起こったとき、病気になったとき、肉体が滅びるとき、どのような際でも、レッテルやマスクがあるからこそ、悩み苦しみを生む大きな原因となってしまう。なぜなら、真我というものは、苦しみも悩みも死にもしない。
悩み、苦しむのは、太極が存在する地球に人として生まれてくる者の使命です。
しかし、人は、生まれたときから、なんとかして楽しいものや幸せなものを周りに集めて(生まれた子どもには与え)、まるで悩み、苦しみがないように生きることが現代社会の通念となっています。ただ、ここで忘れてはいけないのは、肉体を持って生まれた人間というのは、どんなに見た目が美しかろうが、食べれば便が出るような体の仕組みになっている肉体の真実です。どんなに美しいアイドルでも、年を重ねれば歯茎が弱くなったり、目や耳が聞こえにくくなっていくのは、避けられません。生きるうえでの根源的な苦しみは、仏教で「生老病死」と呼ばれているものです。
私たち人間の肉体は、生まれた瞬間から日々変化しています。
それは時期によっては成長、時期によっては老衰と呼ばれるものです。毎日という一日は、異なる一瞬の積み重ねた後にできあがる時間単位でしかなく、一週間、ひと月、上半期、年度、干支ひとまわりなどの時間単位は、今の瞬間を振り返ったときにある直線的な指標でしかありません。すなわち、実体がなく、短期的な思考のなかにしか存在していません。
同じ瞬間、同じ日というのは二度とないのです。
しかし、現代の忙しい暮らしの中では、まるで同じことがテープを巻き返して再生する繰り返しのように移り、人々もそれを当たり前のように繰り返しています。
「今」という一瞬の大切さ、奇跡さ、それが持つ可能性の大きさを、気づかないどころか、まったく存在しないかのようになってしまいました。「今」と呼ばれるものは、常に異なる「人生に一度しかない今」という一瞬一瞬で、それぞれの瞬間は、常に移り変わっていきます。そのことを、ただ忘れてしまっている。
忘れているということは、思い出すことが可能である、というサインでもあります。
内にある深い悲しみ、忘れることのない嘆き、どうしようもない怒り。卑屈さや、頑固さや、潔癖な性格。地位やお金や保険や子どもにすがりたいというような思い。これらは、地球におりてきたら、ちゃんと経験するようにプログラムされていたのですが、これを一切手放すことが可能であるといえばどうでしょう?
しかし、今の状態じゃどうしようもない、でも今の状態に答えはない、と、そういう時。家も車も地位もお金も一切も置いて、山寺へ入って毎日を過ごしていくという選択が現代社会にもあるのです。どんな人でも、出家するという決断は、相当の覚悟がなくてはできないものでしょう。
修行に入ってからすぐの頭や心の中は、傷や、心の痛みや、葛藤でいっぱいなのは当然です。修行は、これらがすべて噴出してくるのを、見つめるかなり激しい作業を(できるだけ)静かに学び、そこに住む(タイの場合は)阿羅漢という悟りを開いたお坊さんに支えられ、すべてを超えていく経験です。
ヴィッパーサナは、これらの性格や感情やこだわりや葛藤などを、ただひたすら観察し続ける作業です。逃げません。逃げ場もありません。この厳しい作業を少しでも楽にしてくれるために存在するルール的なものがあり、これは戒律と呼ばれます。修行におけるフレームワークのようなもので、戒律に従うことで修行への道が歩みやすくなったりするような道しるべのようなものでもあります。
私の瞑想修行は、この藤川和尚とはじまりました。
藤川和尚が他界された後、インド出身のヒーラーに教えていただいた和道瞑想を基本に、瞑想の実践を深めていったのですが、はじめた時点から十年かかって養ったジャーナ(三昧)すなわち心の平安(絶対的な静けさに吸収されること)と、ヴィッパーサナは、上座部仏教瞑想の二大柱といわれています
※ちなみに、私が行った和道瞑想の、クリーニング(浄化)瞑想は、過去記事のこちらからご覧いただけます。
(10年前の記事です、稚拙な文章はご容赦ください)
上座部仏教で大切とされる「止観の瞑想」の「止」の部分は、一極集中して精神統一をする方法(サマタ、慈悲の瞑想)で鍛えることができます。
そして、「観」こそがヴィッパーサナです。上座部の伝統的には、「観」の瞑想は、「止」の瞑想を10年修練したあとにはじまると言われています。
現代の修行のあり方のある部分は時代の変遷とともに変わってきてはいるようですが、お釈迦様が残したことを少しも変えたり曲げることなく2500年経った今も実践で継承するテーラワーダ仏教は上座部仏教、長老派とも呼ばれており、特に森林派の比丘・比丘尼たちは、この教えを今も追随しています。特にタイ東北部、ラオスとの国境の南側の森は、阿羅漢(悟りを開いたお坊さん)のメッカとよばれており、多くの寺院が国王の援助を得て建立されており、バンコクなどの都市部のお坊さんも修行を深めにやってくることで知られています。
また、仏教国の中でも、タイ王国はダンマ(真理)の地、ラオスは修行の地、スリランカは学問の地と呼ばれています。
さぁ、まだお付き合いいただいていますでしょうか?(笑)
二年前に書き始めたこの記事で、ついに私の出家修行についてお話する準備ができたような気がします
参考)
そんなテンヤワンヤな藤川チンナワンソ和尚のお話、詳しくは、こちらの本をぜひどうぞ
『タイでオモロイ坊主になってもうた (日本語) 』
藤川チンナワンソ 清弘著
今日は、私にとって今生最初のヴィッパーサナ瞑想の先生のお話を、ちょっと。
・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚
この時期は、タイでの出家の話(1):ソウルメイトの超婚、の巻の続きとなります
・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚
その時に働いていた新橋のある政府系組織の元同僚(今もずっと仲良しのお友だち)が、
「新宿歌舞伎町で瞑想を教えているてーらわーだの和尚さんがいるから行かない?
びっぱーさなを教えてくれるらしい」というのです。
はじめて聞いて、発音すらできませんでしたね
と、いうところから、今に続く私の本気・瞑想ジャーニーははじまりました。
そのころはまだ悪夢に悩まされていた頃。継母への憎しみ嫌悪感と、父ともう一生会えないことの悲しみ(そして、思考は現実化し、本当に会えませんでした)、人生の終わらない怒りをどうしようもできない時期だったので、初心者の私は特にこの件に関しまして(←今はなきこの仕事感覚)瞑想を行うことにしました。仕事帰りに、電車を乗り換えて歌舞伎町へ。雑居ビルの7階とかでしたか。ドアを開けると大きな和室が。そこにはオレンジ色の袈裟を着たお坊さんが座っていました。不思議な超異空間。
教えて頂いたことを家で毎日実践しましたが、始めた頃は、憎い相手をゆるす、自分に危害を加えた相手の幸せを祈ることが、本当に難しかったのを覚えています。悪夢の継母が殺人的に怖かったので、この人の幸せを祈ることと、悪夢が止まることの関係性など、ほんとにまったく理解できませんでした。
もう一人の元同僚(彼女も今も仲良くさせてもらっています)と週末も新宿に出かけては和尚の瞑想会に参加するなどして、瞑想のキホンのキホンを教えて頂きました。重複しますが、テーラワーダが上座部仏教だということも、ヴィッパーサナが『止観の瞑想』であることも、慈悲の瞑想も、もちろん日本仏教とのつながりも、つながる点や線など、まーーったくなく、すべてが真新しい概念と経験でした。
藤川和尚は私と同郷、京都出身。もともとは地上げ屋さんと呼ばれるヤクザさんです。
国内でかなりやり手にお仕事をされていましたが、ご縁でタイも地上げることになり、バンコクへ飛んだそうです。これはご本人から聞いたことですが、「俺様にできないことはない」超傲慢ぶりだったそうです(笑)。ある日タイ人の部下から、「そんな社長にもできないことありますぇ」といわれ、「そんなもんあるわけないわぃ」と豪語した後、なんやそれと聞き返すと、「タイのお坊さんとして出家すること」、だと。
それがちょうど雨安居(ウアンゴ)と呼ばれる、2500年前の仏陀時代から続く伝統的な雨季の厳しい三ヶ月(通常無言)の修行の直前で、「そんなんできるわぃ。」といってしまったが最後。本当に洋服を脱いで、袈裟に着替えて、出家しちゃっのだそうです。
洗ったこともないトイレ掃除からはじまり、決して怒ることのないお坊さんたちと過ごす三ヶ月間。これまでの悪行ぶりを本当に申し訳なく、なんてことをしてしまったんだとはじめて後悔し、ほかの比丘(びく)の本物の優しさに触れ、日々懺悔を繰り返し、心と体をすっかりきれいにすることに集中したそうです。情けなかったそうです。厳しい三ヶ月の修行を終えたときには、俗世に戻る選択はもうなかったそうです。そのまま、上座部仏教の比丘として得度された後、肉体が地球に還るまでずっと比丘の暮らしを通されました。
藤川チンナワンソ 清弘和尚の本は、記事下部にリンクをはっておきますね↓↓↓
〈こちら、京都大原三千院のお地蔵さんどす〉
私はというと、日本のお寺で育ったのにどうして瞑想をしていないのだろう…とか、日本の仏教はどうしてタイとぜんぜん違うのだろう...とか、黄色い袈裟を着て托鉢している東南アジアの質素なお坊さんからすると、日本の坊主はよく言えば「社交的」で「世俗的」っていうか、拭えないお金のにおいと、払おうとしてもそもそもない純粋さ…。そんな疑問がふわふわとあっても、あんまり気にもならなかった東京派遣OLです。
そんな、まだ知らない多くの魂の疑問を意識の中で顕在化させてくれたのが、今思うと藤川和尚だったと思います。そういったあやふやな疑問が思考の中をゆるゆるする中で、「ゆるす」ことができるはずの「慈悲の瞑想」を信じてみて、自分のマインドをヒプノセラピーをしていたのだと思います。
さて、タイでお坊さんとして出家する、得度するということは(この二つは詳しく言うと異なることですが、それは後ほど)、すごく簡単に言うと、所持品、仕事、人生の何もかもを手放して修行山寺に入るということです。
すなわち、肉体と心とマインド(思考や感覚)のすべてを透明にする作業が主目的の生活に身をおき、
生きることのすべての部分を完全に意識して観察するということです。
と、いうことですが、意味がわかりますでしょうか?
修行山寺に入ったら静かで穏やかな暮らしでしょう、と言う意見と、マインドという逃げ場のないところに自分を追い込んでそんな激しいことをするなんて、という意見をよく聞きますが、どちらでもあり、どちらでもありません。
ある意味、どちらでもあり、どちらでもなく、激しくあり、激しくもなく、清らかであり清らでない、というような、私流に言葉にするならば、すべての二極を超越し、今に在ることを可能にするカモシレナイのが修行なのかというところです。
修行は、私たちの源でありエッセンスである死にも生まれもしない悠久ものに気づくため、溜め込みすぎたが不要となったモノを一切を下ろすことを手伝ってくれ、その作業を、毎時毎日明けても暮れても意識し続ける場ということです。一極集中をトレーニングする、精神統一を手に入れる、というとおわかりいただけますでしょうか?
え、わからなくなってきました?
もうちょっとだけお付き合いください
不要となったモノの一切、とは何か。
すべてです(笑)
もとい。代表的なものは執着、その中でもレッテル(肩書き)があります。
それはマスク(お面)のようなもの。「私」は、○○商事の役員です、や、私はその妻です、私はポルシェを所有しています、私は××家の娘です、私はヨガの先生です、など。人生の部分的なものを切り取って、その短期的な状態(お家柄や職業)を、名称(概念)であらわしたものです。
それはそれでよいのですが、仏教では、これらのレッテルやマスクを、まるで永久的な「私である」と信じ込んでしまうことが悩みや苦しみの原因であるといいます。なぜなら、何かの折に、たとえば、企業がつぶれたとき、愛する相手がいなくなってしまったとき、不慮の事故が起こったとき、病気になったとき、肉体が滅びるとき、どのような際でも、レッテルやマスクがあるからこそ、悩み苦しみを生む大きな原因となってしまう。なぜなら、真我というものは、苦しみも悩みも死にもしない。
悩み、苦しむのは、太極が存在する地球に人として生まれてくる者の使命です。
しかし、人は、生まれたときから、なんとかして楽しいものや幸せなものを周りに集めて(生まれた子どもには与え)、まるで悩み、苦しみがないように生きることが現代社会の通念となっています。ただ、ここで忘れてはいけないのは、肉体を持って生まれた人間というのは、どんなに見た目が美しかろうが、食べれば便が出るような体の仕組みになっている肉体の真実です。どんなに美しいアイドルでも、年を重ねれば歯茎が弱くなったり、目や耳が聞こえにくくなっていくのは、避けられません。生きるうえでの根源的な苦しみは、仏教で「生老病死」と呼ばれているものです。
私たち人間の肉体は、生まれた瞬間から日々変化しています。
それは時期によっては成長、時期によっては老衰と呼ばれるものです。毎日という一日は、異なる一瞬の積み重ねた後にできあがる時間単位でしかなく、一週間、ひと月、上半期、年度、干支ひとまわりなどの時間単位は、今の瞬間を振り返ったときにある直線的な指標でしかありません。すなわち、実体がなく、短期的な思考のなかにしか存在していません。
同じ瞬間、同じ日というのは二度とないのです。
しかし、現代の忙しい暮らしの中では、まるで同じことがテープを巻き返して再生する繰り返しのように移り、人々もそれを当たり前のように繰り返しています。
「今」という一瞬の大切さ、奇跡さ、それが持つ可能性の大きさを、気づかないどころか、まったく存在しないかのようになってしまいました。「今」と呼ばれるものは、常に異なる「人生に一度しかない今」という一瞬一瞬で、それぞれの瞬間は、常に移り変わっていきます。そのことを、ただ忘れてしまっている。
忘れているということは、思い出すことが可能である、というサインでもあります。
内にある深い悲しみ、忘れることのない嘆き、どうしようもない怒り。卑屈さや、頑固さや、潔癖な性格。地位やお金や保険や子どもにすがりたいというような思い。これらは、地球におりてきたら、ちゃんと経験するようにプログラムされていたのですが、これを一切手放すことが可能であるといえばどうでしょう?
しかし、今の状態じゃどうしようもない、でも今の状態に答えはない、と、そういう時。家も車も地位もお金も一切も置いて、山寺へ入って毎日を過ごしていくという選択が現代社会にもあるのです。どんな人でも、出家するという決断は、相当の覚悟がなくてはできないものでしょう。
修行に入ってからすぐの頭や心の中は、傷や、心の痛みや、葛藤でいっぱいなのは当然です。修行は、これらがすべて噴出してくるのを、見つめるかなり激しい作業を(できるだけ)静かに学び、そこに住む(タイの場合は)阿羅漢という悟りを開いたお坊さんに支えられ、すべてを超えていく経験です。
ヴィッパーサナは、これらの性格や感情やこだわりや葛藤などを、ただひたすら観察し続ける作業です。逃げません。逃げ場もありません。この厳しい作業を少しでも楽にしてくれるために存在するルール的なものがあり、これは戒律と呼ばれます。修行におけるフレームワークのようなもので、戒律に従うことで修行への道が歩みやすくなったりするような道しるべのようなものでもあります。
私の瞑想修行は、この藤川和尚とはじまりました。
藤川和尚が他界された後、インド出身のヒーラーに教えていただいた和道瞑想を基本に、瞑想の実践を深めていったのですが、はじめた時点から十年かかって養ったジャーナ(三昧)すなわち心の平安(絶対的な静けさに吸収されること)と、ヴィッパーサナは、上座部仏教瞑想の二大柱といわれています
※ちなみに、私が行った和道瞑想の、クリーニング(浄化)瞑想は、過去記事のこちらからご覧いただけます。
(10年前の記事です、稚拙な文章はご容赦ください)
上座部仏教で大切とされる「止観の瞑想」の「止」の部分は、一極集中して精神統一をする方法(サマタ、慈悲の瞑想)で鍛えることができます。
そして、「観」こそがヴィッパーサナです。上座部の伝統的には、「観」の瞑想は、「止」の瞑想を10年修練したあとにはじまると言われています。
現代の修行のあり方のある部分は時代の変遷とともに変わってきてはいるようですが、お釈迦様が残したことを少しも変えたり曲げることなく2500年経った今も実践で継承するテーラワーダ仏教は上座部仏教、長老派とも呼ばれており、特に森林派の比丘・比丘尼たちは、この教えを今も追随しています。特にタイ東北部、ラオスとの国境の南側の森は、阿羅漢(悟りを開いたお坊さん)のメッカとよばれており、多くの寺院が国王の援助を得て建立されており、バンコクなどの都市部のお坊さんも修行を深めにやってくることで知られています。
また、仏教国の中でも、タイ王国はダンマ(真理)の地、ラオスは修行の地、スリランカは学問の地と呼ばれています。
さぁ、まだお付き合いいただいていますでしょうか?(笑)
二年前に書き始めたこの記事で、ついに私の出家修行についてお話する準備ができたような気がします
参考)
そんなテンヤワンヤな藤川チンナワンソ和尚のお話、詳しくは、こちらの本をぜひどうぞ
『タイでオモロイ坊主になってもうた (日本語) 』
藤川チンナワンソ 清弘著
水断食とその効果(2019年)《準備期6日ー水断食9日間ー回復期5日》 [断食]
無償の愛を知るために最も必要な課題を与えてくれるのは、何をいってもやはり両親や家族…。
私の母は、遠い居場所からいつも私を見守ってくれ、温かくサポートしてくれ、私は彼女の背中を見続けて生きています。一方で、父の鮮明な思い出は私が15歳ころまでのものしかなく、それ以降は苦しみと悲しみと怒りの対象でしかありませんでした。私の最初の恋人、大好きな父は、突然私の人生から消えてしまいました。父は生きているのに関われないことは、長年の大きな悔やみでした。父に「元気?」と問いかけることも、「オーストラリアに引っ越したよ」とも伝えられない。父親がいる人が羨ましかった。父と会話がしたくてしょうがなかったのです。どれだけ大好きかを、ずっと伝えたかったのです。
ソウルファミリーとして父が与えてくれたものが、私の生きる原動力であり、目的であり、人生最善の課題であったったことがわかったのは、ここ数年のことです。過去記事、キャンパーバンで出かけた【オーストラリア大陸9000キロの旅】も、ペルーへ旅立って【密着28日間アヤワスケーロが明かすアヤワスカの真実】を全身全霊で体感することになったのも、タイで100日ヴィッパーサナ修行することになったのも、その魂が「私の父」として地球に降り立ち、カルマの昇華と仏陀も見たあの光を目指すために生きてくれたからこそ...
《身延山五重塔:日本の思い出といえば仏様とお寺の風景》
《断食に至る経緯》
父が旅立った先月の満月から、もうまた次の月が満ちようとしています。
私の内側には悲しみはありません。父としての思い出は脳内にあり、姉や妹と話していると懐かしさで涙がこぼれることはありますが、それ以上に、父が魂の使命を果たして今回の旅を無事に旅を終え、大いなる意思によって定められた時期に還っていったことがわかるからです。父の魂と同じエッセンスが私の内で生き生きと生き続けていること、そして、それが融合し続けていることも感じられます。
父の魂が、今生は「娘の父親」という存在を選んで、私に与えてくれた人生最大のギフトは、赦しつづけること、無執着をつづけること、そして無償の愛は、死を超越することでした。
その父が魂に還ったことで、今まで以上に鮮明に私に語りかけるようになりました。その高次元の魂は、私に断食をすることを囁きました。3次元の私たちは自由意志を持っていますので、選択権は私にあります。その魂が私のために勧めてくれていることは百も承知でしたから、私はその提案を心から受け取り、断食する決断をしました。
《断食の効果》
断食の効果は、一般的に広く多くの「神聖な現場」(宗教と呼ばれることもあります)で取り入れられており、精神性の向上、身体と心の清浄をめざして行われています。断食をした仏陀、キリストをはじめ、古くから僧侶、比丘や修行者等が、信仰心を強めたり、偉大なものに対する奉仕としてや、報恩のため、そしてまた愛を強くするために行われてきたといえます。偉大なものすなわち愛とセルフの融合を容易にする、または準備をする、とも捉えられるかと思います。父も、仏教の100日修行を行っていました。
身体上の効果は、血を清浄にし、重金属や体内毒素を排出し、胆汁を出し、消化器官系のリセットをすることなどです。断食は、各種消化器系不調、慢性疲労、精神病、癌治療などに取り入れられており、ドイツやロシアなどでは古くから断食専用のクリニックもあるほどです。
断食の概要として、こちらWikipedia〔断食〕をご参考ください。
《断食を検討するにあたって》
水断食、スムージー断食、絞りたてフルーツジュース断食、酵素断食、インターミッテント・ファスティング(通称IF、断続的断食)などと、断食の方法は多種多様あり、期間もさまざまで、行う季節や居場所にもよりますから、どの断食法がベストであるかは個々人により異なります。まずは目的を明確にすることが大切です。
私の目的は、天からの声というか、父(の魂)からの提案であり、すなわち魂/精神性の向上ですので、メインステージの水断食を目指して、プログラムを自ら組みました。体重が落ちたり、肌がきれいになったり、ボディラインがシャープになることは、私にとっては三次元の美味しいオマケというようなものです。より心身精神の澄んだ、愛あふれる人になりたいということが私の純粋な目的です。
ー 澄んだ心には、天からのサインが届きやすく、澄んだマインドは天からのサインを感じて言葉にすることができ、澄んだ体はそれを具現化することができます ー
仏陀は、水も食事も採らずに長期間の断食をしたといわれ、死(と呼ばれるもの)との境をさまよった後、仏教で最も重要で基礎のダルマである 四諦・八正道 を得たといわれています。そして、人々に「中道 をとること、極端な道は取ることなかれ」と諭しました。極端に長い断食をして苦しむ必要はないということです。
特に、絶食を検討する際は、正しい知識と、準備期、回復期もふくめて、しっかりとした事前の準備をもって安全に行わなければなりません。ここでは断食も絶食を勧めていません。個人の健康状態により専門家に頼ることは必至です。(ご興味のある方は、専門クリニックでの医科学的絶食治療についての※1参考動画がありますので記事下部へどうぞ)
《これまでの断食経験》
これまでに、三度の断食を自己責任で行ってきました。
一度目の断食は、オーストラリア移住後2年目ほど。日本食からの変化で酸性系食物(肉類や白いもの)があれよあれよと食べられなくなったこと、豪州産小麦粉にかけられる農薬が消化器系に大負担をもたらしたこと、意識の変化にともなうストレスで食がのどを通らなくなったりと、機能性胃腸障害が原因で、自然と食べなくなり、数日雨水ですごした後、庭の有機葉野菜でスムージーをつくって、飲み続けたのが10日間。
断食が明けてから、少しずつ多様な食べ物をゆっくりと身体に再紹介し、何が身体に合うのか合わないのかを時間をかけて探りました。消化器系に負担があったにも関わらずまだ肉食だった私は、それまで食べられたお肉、魚、乳製品、コーヒー、油もの、にんにく、玉葱、チリなど、吐き気をもよおして食べれなくなり、完全菜食、なかでも ※2 サトビック と呼ばれる食となったわけです。健康の秘訣はアルカリ性の食べ物を採ることですから、自然な人間の身体状態に合う食べ物だ、といっても過言ではありません。(【機能性胃腸障害とは】の記事シリーズもあわせてどうぞ)
二度目の断食は、タイへ渡ってガイア・アシュラムというパーマカルチャープロジェクトに住んでいたころ。
《2017年当時:ガイアアシュラムのコアメンバー》
ある朝、今日からフレッシュココナッツを一日一個だけとろう、ということで突然はじまりました。タイ北部の田園で、毎日フードフォレストで働きながら、私の仕事は主にアシュラム居住者のエネルギーや精神状態をサポートすることでしたが、青空シャワー、コンポストトイレ、バナナの葉と地元のルキナの木で手作りで建てられた小屋に住んでいたので、今考えればとても夢のような話です、気温38度、湿度90%ですが。断食は自然と10日続き、その後に普通食(といっても、朝スムージー、昼ごはんの二食)に戻りました。精神状態はすこぶるよく、見えないものとのつながりが強くなり、瞑想が深まったことを感じました。後々わかったことですが、断食をはじめた日は、主に北半球の上座部仏教の国々(ミャンマー、ラオス、タイ、スリランカ、ブルネイ等)の比丘と比丘尼と尼僧たちが、いっせいに伝統的な厳しい雨安吾の修行(沈黙と断食)に入った日でした。
3度目の断食は、このガイア・アシュラムを出て、上座部仏教の森林派の山寺で過ごした際。バックパッカーに滞在した際に、山寺の専用カーが目の前に止まり、扉が開いて、「はいどうぞ」という具合に、とんとんとんと導かれて山寺へ入りました。雨安吾が仏陀入滅以来2500年強、上座部長老派によって口承で続く伝統であり、もちろん3ヶ月続くなどはつゆしらずに山寺生活がはじまりました。それは、私がココナッツファスティングを終えて数週間経ったころです。
上座部仏教では、雨安吾を敢えて「断食」とは呼びません。瞑想修行をする上でかなり効果があるため当然のごとく取り入れてられています。特に慎ましいタイの比丘/尼ですし、しかもすでに無言の修行中なので(笑)誰も「断食している」とはいいませんが、通常の社会では、一日一食少托鉢も断食ということで、私もそのカテゴリーに入れているだけのことです。
《毎朝のWalking Vippasana:歩く瞑想で、托鉢の朝食をいただきます》
山寺では、朝9時から11時30分までを目処に、歩く瞑想のあと、托鉢を得て、お経を唱えたあと、超研ぎ澄まされた意識で、托鉢の中にあるご飯をゆっくり丁寧にいただきます。食べる行為も修行、消化する行為さえも修行。途中ビザ延長などでお隣ラオスに渡ったり、タイ国内移民センターにいったりと、山寺を出ることはありましたが、尼僧見習いともよべるレイ・パーソン(俗世に属しながらも山寺で修行を目指す者の総称)として、山寺から出た際も戒律を守ることが勧められ、もちろん山寺の外でも戒律をしっかりと守り、それは約100日間続きました。効果だけでも数記事になりそうなので、そちらについては別記事でご紹介することとして、断食の話を続けましょう。
《寛子の断食プログラム》
*採りいれるものは、地元またはエコビレッジのオーガニック作物または庭で採れた有機野菜
《毎朝飲んでも飽きないこの絞りたて有機ジュース!》
準備期(計6日):
1日目 11時11分開始
一日朝一食 朝食として少量の蒸野菜(ズッキーニとブロッコリー)に自然塩、庭野菜
2日目 一日朝一食 庭の野菜とフルーツ
3日目 一日朝一食 蒸し野菜とアボガド
4日目 一日朝一杯 バナナベースのグリーンスムージー庭野菜入り
5日目 一日朝一杯 絞りたてジュース(セロリ、にんじん、りんご、生姜)
6日目 一日朝一杯 絞りたてジュース(セロリ、にんじん、りんご、生姜)
※日中、いちじく、葡萄、練りゴマ、自家製乳酸菌飲料(ウォーターケフィア)、コンブチャ、自家製アーモンドバター(アーモンドと自然塩のみ)の摂取、夕方4時まで
最終日は、愛するチャイに別れを告げました。
水絶食期(計9日間):
ー 飲んだもの ー
《素敵なお水のグラスは、フラワーオブライフの上において、水に意識を送ってから、一口ずつ・・・》
・雨水
各種クリスタルとEMセラミックを入れたガラス容器に雨水を入れ、フラワーオブライフを下に敷いて周波数を高めてエナジャイズしたもの
・ルイボスティ(カロリーゼロ、ミネラル豊富)、アボリジニのイミューブッシュティ(カロリーゼロ、感情や精神のアップダウンを一定にする効果あり)
・ヒマラヤピンクソルトを舐める
自然塩については賛否両論あるようですが、悩んでいる方は下記の※3動画(英語)をご参考ください)
ー 補助的に採ったもの(カロリーゼロであること)ー
・パッションフルーツティ、ダミアナティ、タンポポティ、Planet OrganicのFemale Balance
断食中は体温が下がる上に、秋へと向かう寒い週だったので、薄めのお茶をいただきました
・酸っぱすぎる有機梅干を舐める
立ちくらみがはげしく、寒気がとまらなくなった日に、梅干を舐めたことがはじまり
・高品質のリンゴ酢
一日一杯 飲むとデトックスが進みます
・アルミニウムの入っていない重曹を入れた水
一日一杯 ガスを抜きます
・プロバイオティクス
完全に糖分が抜けたケフィアウォーターをものすごく薄めたもの(水に近い状態)
1日目
2日目 1日目と2日目と3日目は、トイレとお友だちに。スケジュールはオープンに
3日目 散歩1時間 3日目ケトーシスに入る、最も辛い日
4日目 散歩2時間 午前中ヨガ。午後ハート・ヒーリング・ワーク4時間
5日目 散歩2時間 エネルギーがフラット、横になる。
6日目 散歩2時間 精神的、感情的に非常に軽くクリア。午後に友だちと車でビーチへ
7日目 マーケットでのヒーリングワーク数時間、マーケット運営計9時間
8日目 瞑想サークルにて瞑想 東海岸で断食しているシスターと支えあいの会話
9日目 30分ヨガ 明日のための準備でうきうき
ー 積極的に行ったことー
・朝イチのオイルプリング
いつも以上に毒素が出ていることが確認できました
・マッサージ
痛いところは揉む(中村天風流)。水断食最終日に友人が1時間30分マッサージしてくれました
・お風呂
貯水タンクの雨水が貴重なため、入っても年一度ほど。それが今回は2度湯船に浸かりました!
・はだし生活
基本、いつもですが
・ビーチ
ビーチまで徒歩20分強。行けないことの方が多かったです
・ネティ(鼻洗浄)
ビーチに行かないときは、鼻洗浄
・サンゲイジング
夕日をみつめるたび、チャネリングが始まります
・呼吸法
火の呼吸法カパラバティをしたら失神しかけました。断食中は脈拍数があがりますのでご注意を
・ヨガ
通常の1時間半はなかなかできず、30分ぼちぼちぐらいがよい具合でした
・気功
断食と気功は相性が良いように感じます
・散歩
マインディングしている愛犬のマーニーがいる間は、ほぼ毎日歩くことができました
・瞑想とお祈り
瞑想とお祈りなくしてさて断食は成功するものだろうか、と何度も思うところがありました
回復期:
注意
胎内に採りいれるものは化学物質から完全にフリーであることが大前提です。特に回復期最初は大切です。
1日目 ヨガ1時間と瞑想とお祈り後、11時11分 Break my Fast!(英語のBreak-fastの語源!)
ジューサーにかけた葉野菜メインの絞りたてジュース
午後、完熟とろとろ柿 完熟いちじく
一日かけてゆっくりココナッツウォーターを飲む(エレクトロライトの補給)
ジュースレシピはいろいろ調べた結果、これでいきました ↓ ↓ ↓
多種多様たっぷりの庭の葉野菜とメディカルハーブとお花
あなり多めのパセリ
かなり多めのコリアンダー
セロリ茎3本程度
小きゅうり半分
細めにんじん3~4本程度
生姜大ブロック
少ビーツ半分※
小レモン半分※
《一緒に住んでるピーターとクリスティーナのお庭から、今いるリンダの家にデリバリー。
ピラミッドと地磁気タワーのあるお庭なので、お野菜の生命力といったら!》
これだけでは非常に苦いので、自家製のウォーターケフィア、コンブチャ、ココナッツウォーターを足しいれて。
《あの青汁が100万倍甘く感じるくらい、苦い!そして体にいい!》
2日目 ジューサーにかけた絞りたてセロリジュース
ジューサーにかけた絞りたてジュース:一日目と同じレシピにリンゴを加えたもの
ほうれん草出汁のお味噌汁に生姜汁を加えたもの
くたくたのほうれん草は、後ほど自然塩をかけて
3日目 ジューサーにかけた絞りたてセロリジュース
ジューサーにかけた絞りたてジュース:二日目レシピからビーツときゅうり抜いたもの
バナナベースのスムージー
ケール、メディカルハーブ類、ウォーターケフィアとケフィアグレイン、レモン、生姜、
すりゴマ 、スピルリナ等Green Mix、マカ、VB12パウダー、ココナッツミルク少量
4日目 ジューサーにかけた絞りたてリンゴと生姜ジュース
アボカドに、ゴマ、葉ものとハーブ花類、タマリ醤油、レモン汁
ほうれん草出汁のお味噌汁に生姜汁を加えて具ごと
おやつに、完熟柿と完熟葡萄
5日目から通常食へ
午前中にセロリジュース and/or バナナベースのグリーンスムージー
午後はアボカドのガーデンサラダかお味噌汁か蒸し野菜
。。。そんな生活に戻ります。
ー 水断食から回復期への注意点 ー
・断食明けの最初のジュースの後、数時間内にお通じがあることが理想のようなので、少量のビーツとレモンを加えました。数時間内になくても、かならずお通じはやってきます
・繊維質は2日後からがよいようなので、初日はジューサーにかけて繊維のないものからはじめる
・休止していた消化器官がいっせいに動き出すので、ジュースやスムージーといえども、ゆっくりと、控えめに採ることがよい。急激に採ると胃痛の原因に
・良質の油(ヘンプ、アプリコットカーネル、フラックスシード、オメガ3-6-9系)は、断食があけて数日後からがよい
・特にアルカリ性にかたむいたフルーツ類を採ることが必要
・回復期は、油断すると食べてしまう(リバウンドする)と言われますが、断食中に感じていた「空腹感」を「ただの感覚」意識であることを継続させると、(思考において「まだ断食中だ」と捉える)と、比較的穏やかにすごすことができます。
注意)酸性食品や刺激物(白い粉もん系、アルコール、コーヒー:カフェイン、唐辛子、ガーリック、肉類、魚類、熱した油(揚げ物、炒め物)については、私はとらないのでわかりませんが、採る場合は心身とよくご相談ください。
断食中起こったこと(起こりうること):
・寒気
悪寒があるので、湯たんぽを使いました。急激に気温が落ちた日は、体温も落ち、夜中に起きて湯たんぽを作り直しました。日中ぽかぽか陽気でも4枚ほど着込んでいる状態。最近は基礎体温が高く、通常は人より薄着で平気だったので、とつぜん真冬になった気分でした。断食を終え、回復期に入ったとたんに体温は戻りました。
・おなかのぐるぐる
最初の3日がとてもアクティブで、宿便と間違われる胆汁を出しにトイレにいきっぱなしでした。4~7日は便はほとんど出ず。7日目にリンゴ酢を飲みはじめたとたんに、便再開。なるほどリンゴ酢は断食に勧められるほどのものだと感じました。おなかのぐるぐるは、アルミニウムフリーの重曹を小スプーン一杯水に溶かして飲み解消しました。
・オイルプリングで毒素アウト
毎朝のオイルプリング(オーガニックココナッツオイル使用)は、いつも以上に痰が出ていることが確認できましたが、水断食を終える直前から出なくなりました。
・背中下部の痛み
内臓、特に腎臓がデトックスをすると、そのあたりがいたむようです。一日で収まりました。
サイクルを完全にはずして生理がきましたが、生理痛はまったくというほどなかったので、背中の痛みはきっと内臓系のデトックスだったと根拠なく感じています。
・WIFIに敏感に
毎晩、夜はルーターを完全に消して寝ていますが、断食を終えてから携帯を手に持つと、ジージーというような電波を以前よりシャープに感じます。断食中は、PCを控えめにしました。
・目の下のクマ
最初の2日、目の下にクマが出てきて驚きました。クマの存在は私の現実から消えていたので多少驚いたあと、断食の目的は「エゴを手放す」、すなわち、「こだわりを落とす」、「期待を落とす」、「執着を落とす」、なので、三次元の現実はこういうものだからと気にしないでいると、4日目に消えました。
・見た目の変化
身体的には、お腹はペッタンコ、二の腕と太ももが本当に若干スリムになった感と、去年から急に噴出してきた顔のぽつぽつが若干ひいたこと。水断食を終えた日に会った友だちは、ひぇ~~っと言っていましたので、見た目にワンサイズ落ちたのかもしれません。体重は測量しないためデータなしです。
私は頭痛や、胃痛、眠気などあまりなかったのですが、同じ症状がずっと続く場合や、吐き戻した場合、意識もうろうとするようなことや、集中力が低下した場合は、即中止するべきだと聞きますので、念のためこちらにメモしておきます
今回の水断食では、アドーシス状態の最初数日がつらく、体がケトーシスに入った後の4日後くらいからは身体エネルギーがセーブ状態になり、身体的にはアクティブではないのと反比例で精神が研ぎ澄まされていくのがわかりました。最善の一日だと感じたのは、水断食後、回復食3日目のこと。朝のルーティン、ヨガと瞑想をしたあと、すべての現象が統合していく感覚の中にありました。回復期が大切だという理由は、この再統合するプロセスが起こるからではないかと感じました。。
私が感じるところの、ジュース断食と果糖を一切絶っての水断食の最大の違いは、精神面にあると感じました。単に美容や健康目的ならば、酵素やジュースなどを効率的にとって、最大限の効果を図ればよいと思うのですが、水断食の場合は、なにか膨大なものに立ち向かう感、果糖(エネルギー)に頼れない危機感のような孤独に立ち向かう感があります。それはきっと、腸内悪玉菌やパラサイトとかかわっている気がするのです、そう、エゴと直結している悪玉菌とパラサイト。水断食は、直感的に、最後の砦を落としにかかるような感覚があります。今回の私の挑戦はそんなに長くもないのですが、「それなりに大きなことが起こって」、「大きなものを落としきった感」が残っています。そのぽっかりと大きな穴に、内面から湧きおこると同時に天から降りてくる愛と光をリフィルしていけるかどうかは、今在る意識の持ちかた次第なのです。心の、静けさです。
物質世界の話でいうと、【引き寄せの法則】により引寄力が強まった、というと正しくもあり正しくなくもあるのですが、エネルギー体が純粋でクリアになることは、これまで「邪魔」や「ブロック」していたものの存在(こだわり、執着、信念体系、変わりたくないという頑固さなどの自我)がより薄くなっていくことであって、その結果、本来フローしているエネルギーをそのまま=在るがままにフローさせていくことができます。私たちの本質である愛はあふれだし、磁石のように同じクオリティの愛をひきつけます。三次元の現実で、まるで「引き寄せ」がはじまったかのように感じますが、本来「引き寄せ」はあるべき姿なのです。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
今日は私の正座である天びん座の満月。しかも「ピンクの満月」と呼ばれます。今夜の月の女神様へのお祈りがピュアな心で行えることを嬉しく感じながら、断食終了です。19日間挑戦できたことに心から感謝です。
大好きな友人たちは、本当にたくさんの援助をしてくれました。アメリカ出身のリンダは断食に必要な超高性能ジューサーを一月間貸してくれ、ピーターは、買い物の荷物を運んでくれて、そしてビーチまで車で連れて行ってくれて、クリスティーナはお庭のメディスンハーブを収穫してくれ、ダミアンは希少なハーブティをわけてくれ、ディーラは1時間半のマッサージをドネイションしてくれ、おまけにコンブチャを2Lも分けてくれて、アレックスは40日間水絶食した際のアイデアと、心からの祝福をくれ、愛犬マーニーと一緒に時間を過ごせたり。もちろん、この一ヶ月オペラ歌手のリンダがシドニーに行っていなければ私はこの家に滞在していなかったので、この無言メインの断食はできなかったでしょう。
《おたがいを尊重し、同じく魂の旅を近くで続けるオーストラリアの大切なソウルファミリー》
人生に起こるすべての事象は、壮大なオーケストラとして、すべての音(周波数)が最善のタイミングで完全なハーモニーを奏でるのですが、それだとわかっているからこそ、このオーケストラに参加し、そしてサポートしてくれたすべての人たち、今に存在するすべての存在に、感謝の気持ちでいっぱいです。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
「どうですか?
ちゃんと、生きていますか?
思いやりの心が、ありますか?
心は穏やかで、所作は丁寧ですか?
内なる静寂が、強さを保っていますか?
心の情景をありのままに感じられていますか、
観ていますか?
感情が口に到着する前に、もう一度思い直しましたか、
辛抱強さはありますか?
伝えたいことを正しく伝えるための言葉を、
見つけましたか?
皆が勇気をもって歩む同志であること、気づきましたか?
佳麗さ、優雅さ、人生の慶びを、思い出しましたか?
安らかな国は、律する心から生まれるのです。
やわらかくつつみこむ
深くつよい貴方の愛が
たおやかな風となって
貴方の存在を通して
流れていることを感じて
生きてください」
胸をひらいて
この大きな愛に
幸せをいっぱい吸い込んで
今日も生きていこう。
※1
参考動画:〔絶食療法の科学(約50分)〕
※2 サトビック の要素について、ひできさんのブログに素敵な文章があったので、貼らせていただきます。ご参考まで
Sattvicな生き方-ひできの八ヶ岳ブログ
(英紀さん、ありがとうございます)
※3
参考動画:〔WATER FASTING & SALT: Should You Consume Sodium While Fasting? *IMPORTANT*(約30分)〕
私の母は、遠い居場所からいつも私を見守ってくれ、温かくサポートしてくれ、私は彼女の背中を見続けて生きています。一方で、父の鮮明な思い出は私が15歳ころまでのものしかなく、それ以降は苦しみと悲しみと怒りの対象でしかありませんでした。私の最初の恋人、大好きな父は、突然私の人生から消えてしまいました。父は生きているのに関われないことは、長年の大きな悔やみでした。父に「元気?」と問いかけることも、「オーストラリアに引っ越したよ」とも伝えられない。父親がいる人が羨ましかった。父と会話がしたくてしょうがなかったのです。どれだけ大好きかを、ずっと伝えたかったのです。
ソウルファミリーとして父が与えてくれたものが、私の生きる原動力であり、目的であり、人生最善の課題であったったことがわかったのは、ここ数年のことです。過去記事、キャンパーバンで出かけた【オーストラリア大陸9000キロの旅】も、ペルーへ旅立って【密着28日間アヤワスケーロが明かすアヤワスカの真実】を全身全霊で体感することになったのも、タイで100日ヴィッパーサナ修行することになったのも、その魂が「私の父」として地球に降り立ち、カルマの昇華と仏陀も見たあの光を目指すために生きてくれたからこそ...
《身延山五重塔:日本の思い出といえば仏様とお寺の風景》
《断食に至る経緯》
父が旅立った先月の満月から、もうまた次の月が満ちようとしています。
私の内側には悲しみはありません。父としての思い出は脳内にあり、姉や妹と話していると懐かしさで涙がこぼれることはありますが、それ以上に、父が魂の使命を果たして今回の旅を無事に旅を終え、大いなる意思によって定められた時期に還っていったことがわかるからです。父の魂と同じエッセンスが私の内で生き生きと生き続けていること、そして、それが融合し続けていることも感じられます。
父の魂が、今生は「娘の父親」という存在を選んで、私に与えてくれた人生最大のギフトは、赦しつづけること、無執着をつづけること、そして無償の愛は、死を超越することでした。
その父が魂に還ったことで、今まで以上に鮮明に私に語りかけるようになりました。その高次元の魂は、私に断食をすることを囁きました。3次元の私たちは自由意志を持っていますので、選択権は私にあります。その魂が私のために勧めてくれていることは百も承知でしたから、私はその提案を心から受け取り、断食する決断をしました。
《断食の効果》
断食の効果は、一般的に広く多くの「神聖な現場」(宗教と呼ばれることもあります)で取り入れられており、精神性の向上、身体と心の清浄をめざして行われています。断食をした仏陀、キリストをはじめ、古くから僧侶、比丘や修行者等が、信仰心を強めたり、偉大なものに対する奉仕としてや、報恩のため、そしてまた愛を強くするために行われてきたといえます。偉大なものすなわち愛とセルフの融合を容易にする、または準備をする、とも捉えられるかと思います。父も、仏教の100日修行を行っていました。
身体上の効果は、血を清浄にし、重金属や体内毒素を排出し、胆汁を出し、消化器官系のリセットをすることなどです。断食は、各種消化器系不調、慢性疲労、精神病、癌治療などに取り入れられており、ドイツやロシアなどでは古くから断食専用のクリニックもあるほどです。
断食の概要として、こちらWikipedia〔断食〕をご参考ください。
《断食を検討するにあたって》
水断食、スムージー断食、絞りたてフルーツジュース断食、酵素断食、インターミッテント・ファスティング(通称IF、断続的断食)などと、断食の方法は多種多様あり、期間もさまざまで、行う季節や居場所にもよりますから、どの断食法がベストであるかは個々人により異なります。まずは目的を明確にすることが大切です。
私の目的は、天からの声というか、父(の魂)からの提案であり、すなわち魂/精神性の向上ですので、メインステージの水断食を目指して、プログラムを自ら組みました。体重が落ちたり、肌がきれいになったり、ボディラインがシャープになることは、私にとっては三次元の美味しいオマケというようなものです。より心身精神の澄んだ、愛あふれる人になりたいということが私の純粋な目的です。
ー 澄んだ心には、天からのサインが届きやすく、澄んだマインドは天からのサインを感じて言葉にすることができ、澄んだ体はそれを具現化することができます ー
仏陀は、水も食事も採らずに長期間の断食をしたといわれ、死(と呼ばれるもの)との境をさまよった後、仏教で最も重要で基礎のダルマである 四諦・八正道 を得たといわれています。そして、人々に「中道 をとること、極端な道は取ることなかれ」と諭しました。極端に長い断食をして苦しむ必要はないということです。
命の危険を背負ってまで長期絶食するのであれば、その後2500年続くすべての人類に貢献するような「お土産」を持ち帰りたいもの…
特に、絶食を検討する際は、正しい知識と、準備期、回復期もふくめて、しっかりとした事前の準備をもって安全に行わなければなりません。ここでは断食も絶食を勧めていません。個人の健康状態により専門家に頼ることは必至です。(ご興味のある方は、専門クリニックでの医科学的絶食治療についての※1参考動画がありますので記事下部へどうぞ)
《これまでの断食経験》
これまでに、三度の断食を自己責任で行ってきました。
一度目の断食は、オーストラリア移住後2年目ほど。日本食からの変化で酸性系食物(肉類や白いもの)があれよあれよと食べられなくなったこと、豪州産小麦粉にかけられる農薬が消化器系に大負担をもたらしたこと、意識の変化にともなうストレスで食がのどを通らなくなったりと、機能性胃腸障害が原因で、自然と食べなくなり、数日雨水ですごした後、庭の有機葉野菜でスムージーをつくって、飲み続けたのが10日間。
断食が明けてから、少しずつ多様な食べ物をゆっくりと身体に再紹介し、何が身体に合うのか合わないのかを時間をかけて探りました。消化器系に負担があったにも関わらずまだ肉食だった私は、それまで食べられたお肉、魚、乳製品、コーヒー、油もの、にんにく、玉葱、チリなど、吐き気をもよおして食べれなくなり、完全菜食、なかでも ※2 サトビック と呼ばれる食となったわけです。健康の秘訣はアルカリ性の食べ物を採ることですから、自然な人間の身体状態に合う食べ物だ、といっても過言ではありません。(【機能性胃腸障害とは】の記事シリーズもあわせてどうぞ)
二度目の断食は、タイへ渡ってガイア・アシュラムというパーマカルチャープロジェクトに住んでいたころ。
《2017年当時:ガイアアシュラムのコアメンバー》
ある朝、今日からフレッシュココナッツを一日一個だけとろう、ということで突然はじまりました。タイ北部の田園で、毎日フードフォレストで働きながら、私の仕事は主にアシュラム居住者のエネルギーや精神状態をサポートすることでしたが、青空シャワー、コンポストトイレ、バナナの葉と地元のルキナの木で手作りで建てられた小屋に住んでいたので、今考えればとても夢のような話です、気温38度、湿度90%ですが。断食は自然と10日続き、その後に普通食(といっても、朝スムージー、昼ごはんの二食)に戻りました。精神状態はすこぶるよく、見えないものとのつながりが強くなり、瞑想が深まったことを感じました。後々わかったことですが、断食をはじめた日は、主に北半球の上座部仏教の国々(ミャンマー、ラオス、タイ、スリランカ、ブルネイ等)の比丘と比丘尼と尼僧たちが、いっせいに伝統的な厳しい雨安吾の修行(沈黙と断食)に入った日でした。
3度目の断食は、このガイア・アシュラムを出て、上座部仏教の森林派の山寺で過ごした際。バックパッカーに滞在した際に、山寺の専用カーが目の前に止まり、扉が開いて、「はいどうぞ」という具合に、とんとんとんと導かれて山寺へ入りました。雨安吾が仏陀入滅以来2500年強、上座部長老派によって口承で続く伝統であり、もちろん3ヶ月続くなどはつゆしらずに山寺生活がはじまりました。それは、私がココナッツファスティングを終えて数週間経ったころです。
上座部仏教では、雨安吾を敢えて「断食」とは呼びません。瞑想修行をする上でかなり効果があるため当然のごとく取り入れてられています。特に慎ましいタイの比丘/尼ですし、しかもすでに無言の修行中なので(笑)誰も「断食している」とはいいませんが、通常の社会では、一日一食少托鉢も断食ということで、私もそのカテゴリーに入れているだけのことです。
《毎朝のWalking Vippasana:歩く瞑想で、托鉢の朝食をいただきます》
山寺では、朝9時から11時30分までを目処に、歩く瞑想のあと、托鉢を得て、お経を唱えたあと、超研ぎ澄まされた意識で、托鉢の中にあるご飯をゆっくり丁寧にいただきます。食べる行為も修行、消化する行為さえも修行。途中ビザ延長などでお隣ラオスに渡ったり、タイ国内移民センターにいったりと、山寺を出ることはありましたが、尼僧見習いともよべるレイ・パーソン(俗世に属しながらも山寺で修行を目指す者の総称)として、山寺から出た際も戒律を守ることが勧められ、もちろん山寺の外でも戒律をしっかりと守り、それは約100日間続きました。効果だけでも数記事になりそうなので、そちらについては別記事でご紹介することとして、断食の話を続けましょう。
《寛子の断食プログラム》
*採りいれるものは、地元またはエコビレッジのオーガニック作物または庭で採れた有機野菜
《毎朝飲んでも飽きないこの絞りたて有機ジュース!》
準備期(計6日):
1日目 11時11分開始
一日朝一食 朝食として少量の蒸野菜(ズッキーニとブロッコリー)に自然塩、庭野菜
2日目 一日朝一食 庭の野菜とフルーツ
3日目 一日朝一食 蒸し野菜とアボガド
4日目 一日朝一杯 バナナベースのグリーンスムージー庭野菜入り
5日目 一日朝一杯 絞りたてジュース(セロリ、にんじん、りんご、生姜)
6日目 一日朝一杯 絞りたてジュース(セロリ、にんじん、りんご、生姜)
※日中、いちじく、葡萄、練りゴマ、自家製乳酸菌飲料(ウォーターケフィア)、コンブチャ、自家製アーモンドバター(アーモンドと自然塩のみ)の摂取、夕方4時まで
最終日は、愛するチャイに別れを告げました。
水絶食期(計9日間):
ー 飲んだもの ー
《素敵なお水のグラスは、フラワーオブライフの上において、水に意識を送ってから、一口ずつ・・・》
・雨水
各種クリスタルとEMセラミックを入れたガラス容器に雨水を入れ、フラワーオブライフを下に敷いて周波数を高めてエナジャイズしたもの
・ルイボスティ(カロリーゼロ、ミネラル豊富)、アボリジニのイミューブッシュティ(カロリーゼロ、感情や精神のアップダウンを一定にする効果あり)
・ヒマラヤピンクソルトを舐める
自然塩については賛否両論あるようですが、悩んでいる方は下記の※3動画(英語)をご参考ください)
ー 補助的に採ったもの(カロリーゼロであること)ー
・パッションフルーツティ、ダミアナティ、タンポポティ、Planet OrganicのFemale Balance
断食中は体温が下がる上に、秋へと向かう寒い週だったので、薄めのお茶をいただきました
・酸っぱすぎる有機梅干を舐める
立ちくらみがはげしく、寒気がとまらなくなった日に、梅干を舐めたことがはじまり
・高品質のリンゴ酢
一日一杯 飲むとデトックスが進みます
・アルミニウムの入っていない重曹を入れた水
一日一杯 ガスを抜きます
・プロバイオティクス
完全に糖分が抜けたケフィアウォーターをものすごく薄めたもの(水に近い状態)
1日目
2日目 1日目と2日目と3日目は、トイレとお友だちに。スケジュールはオープンに
3日目 散歩1時間 3日目ケトーシスに入る、最も辛い日
4日目 散歩2時間 午前中ヨガ。午後ハート・ヒーリング・ワーク4時間
5日目 散歩2時間 エネルギーがフラット、横になる。
6日目 散歩2時間 精神的、感情的に非常に軽くクリア。午後に友だちと車でビーチへ
7日目 マーケットでのヒーリングワーク数時間、マーケット運営計9時間
8日目 瞑想サークルにて瞑想 東海岸で断食しているシスターと支えあいの会話
9日目 30分ヨガ 明日のための準備でうきうき
ー 積極的に行ったことー
・朝イチのオイルプリング
いつも以上に毒素が出ていることが確認できました
・マッサージ
痛いところは揉む(中村天風流)。水断食最終日に友人が1時間30分マッサージしてくれました
・お風呂
貯水タンクの雨水が貴重なため、入っても年一度ほど。それが今回は2度湯船に浸かりました!
・はだし生活
基本、いつもですが
・ビーチ
ビーチまで徒歩20分強。行けないことの方が多かったです
・ネティ(鼻洗浄)
ビーチに行かないときは、鼻洗浄
・サンゲイジング
夕日をみつめるたび、チャネリングが始まります
・呼吸法
火の呼吸法カパラバティをしたら失神しかけました。断食中は脈拍数があがりますのでご注意を
・ヨガ
通常の1時間半はなかなかできず、30分ぼちぼちぐらいがよい具合でした
・気功
断食と気功は相性が良いように感じます
・散歩
マインディングしている愛犬のマーニーがいる間は、ほぼ毎日歩くことができました
・瞑想とお祈り
瞑想とお祈りなくしてさて断食は成功するものだろうか、と何度も思うところがありました
回復期:
注意
胎内に採りいれるものは化学物質から完全にフリーであることが大前提です。特に回復期最初は大切です。
1日目 ヨガ1時間と瞑想とお祈り後、11時11分 Break my Fast!(英語のBreak-fastの語源!)
ジューサーにかけた葉野菜メインの絞りたてジュース
午後、完熟とろとろ柿 完熟いちじく
一日かけてゆっくりココナッツウォーターを飲む(エレクトロライトの補給)
ジュースレシピはいろいろ調べた結果、これでいきました ↓ ↓ ↓
多種多様たっぷりの庭の葉野菜とメディカルハーブとお花
あなり多めのパセリ
かなり多めのコリアンダー
セロリ茎3本程度
小きゅうり半分
細めにんじん3~4本程度
生姜大ブロック
少ビーツ半分※
小レモン半分※
《一緒に住んでるピーターとクリスティーナのお庭から、今いるリンダの家にデリバリー。
ピラミッドと地磁気タワーのあるお庭なので、お野菜の生命力といったら!》
これだけでは非常に苦いので、自家製のウォーターケフィア、コンブチャ、ココナッツウォーターを足しいれて。
《あの青汁が100万倍甘く感じるくらい、苦い!そして体にいい!》
2日目 ジューサーにかけた絞りたてセロリジュース
ジューサーにかけた絞りたてジュース:一日目と同じレシピにリンゴを加えたもの
ほうれん草出汁のお味噌汁に生姜汁を加えたもの
くたくたのほうれん草は、後ほど自然塩をかけて
3日目 ジューサーにかけた絞りたてセロリジュース
ジューサーにかけた絞りたてジュース:二日目レシピからビーツときゅうり抜いたもの
バナナベースのスムージー
ケール、メディカルハーブ類、ウォーターケフィアとケフィアグレイン、レモン、生姜、
すりゴマ 、スピルリナ等Green Mix、マカ、VB12パウダー、ココナッツミルク少量
4日目 ジューサーにかけた絞りたてリンゴと生姜ジュース
アボカドに、ゴマ、葉ものとハーブ花類、タマリ醤油、レモン汁
ほうれん草出汁のお味噌汁に生姜汁を加えて具ごと
おやつに、完熟柿と完熟葡萄
5日目から通常食へ
午前中にセロリジュース and/or バナナベースのグリーンスムージー
午後はアボカドのガーデンサラダかお味噌汁か蒸し野菜
。。。そんな生活に戻ります。
ー 水断食から回復期への注意点 ー
・断食明けの最初のジュースの後、数時間内にお通じがあることが理想のようなので、少量のビーツとレモンを加えました。数時間内になくても、かならずお通じはやってきます
・繊維質は2日後からがよいようなので、初日はジューサーにかけて繊維のないものからはじめる
・休止していた消化器官がいっせいに動き出すので、ジュースやスムージーといえども、ゆっくりと、控えめに採ることがよい。急激に採ると胃痛の原因に
・良質の油(ヘンプ、アプリコットカーネル、フラックスシード、オメガ3-6-9系)は、断食があけて数日後からがよい
・特にアルカリ性にかたむいたフルーツ類を採ることが必要
・回復期は、油断すると食べてしまう(リバウンドする)と言われますが、断食中に感じていた「空腹感」を「ただの感覚」意識であることを継続させると、(思考において「まだ断食中だ」と捉える)と、比較的穏やかにすごすことができます。
注意)酸性食品や刺激物(白い粉もん系、アルコール、コーヒー:カフェイン、唐辛子、ガーリック、肉類、魚類、熱した油(揚げ物、炒め物)については、私はとらないのでわかりませんが、採る場合は心身とよくご相談ください。
断食中起こったこと(起こりうること):
・寒気
悪寒があるので、湯たんぽを使いました。急激に気温が落ちた日は、体温も落ち、夜中に起きて湯たんぽを作り直しました。日中ぽかぽか陽気でも4枚ほど着込んでいる状態。最近は基礎体温が高く、通常は人より薄着で平気だったので、とつぜん真冬になった気分でした。断食を終え、回復期に入ったとたんに体温は戻りました。
・おなかのぐるぐる
最初の3日がとてもアクティブで、宿便と間違われる胆汁を出しにトイレにいきっぱなしでした。4~7日は便はほとんど出ず。7日目にリンゴ酢を飲みはじめたとたんに、便再開。なるほどリンゴ酢は断食に勧められるほどのものだと感じました。おなかのぐるぐるは、アルミニウムフリーの重曹を小スプーン一杯水に溶かして飲み解消しました。
・オイルプリングで毒素アウト
毎朝のオイルプリング(オーガニックココナッツオイル使用)は、いつも以上に痰が出ていることが確認できましたが、水断食を終える直前から出なくなりました。
・背中下部の痛み
内臓、特に腎臓がデトックスをすると、そのあたりがいたむようです。一日で収まりました。
サイクルを完全にはずして生理がきましたが、生理痛はまったくというほどなかったので、背中の痛みはきっと内臓系のデトックスだったと根拠なく感じています。
・WIFIに敏感に
毎晩、夜はルーターを完全に消して寝ていますが、断食を終えてから携帯を手に持つと、ジージーというような電波を以前よりシャープに感じます。断食中は、PCを控えめにしました。
・目の下のクマ
最初の2日、目の下にクマが出てきて驚きました。クマの存在は私の現実から消えていたので多少驚いたあと、断食の目的は「エゴを手放す」、すなわち、「こだわりを落とす」、「期待を落とす」、「執着を落とす」、なので、三次元の現実はこういうものだからと気にしないでいると、4日目に消えました。
・見た目の変化
身体的には、お腹はペッタンコ、二の腕と太ももが本当に若干スリムになった感と、去年から急に噴出してきた顔のぽつぽつが若干ひいたこと。水断食を終えた日に会った友だちは、ひぇ~~っと言っていましたので、見た目にワンサイズ落ちたのかもしれません。体重は測量しないためデータなしです。
私は頭痛や、胃痛、眠気などあまりなかったのですが、同じ症状がずっと続く場合や、吐き戻した場合、意識もうろうとするようなことや、集中力が低下した場合は、即中止するべきだと聞きますので、念のためこちらにメモしておきます
今回の水断食では、アドーシス状態の最初数日がつらく、体がケトーシスに入った後の4日後くらいからは身体エネルギーがセーブ状態になり、身体的にはアクティブではないのと反比例で精神が研ぎ澄まされていくのがわかりました。最善の一日だと感じたのは、水断食後、回復食3日目のこと。朝のルーティン、ヨガと瞑想をしたあと、すべての現象が統合していく感覚の中にありました。回復期が大切だという理由は、この再統合するプロセスが起こるからではないかと感じました。。
私が感じるところの、ジュース断食と果糖を一切絶っての水断食の最大の違いは、精神面にあると感じました。単に美容や健康目的ならば、酵素やジュースなどを効率的にとって、最大限の効果を図ればよいと思うのですが、水断食の場合は、なにか膨大なものに立ち向かう感、果糖(エネルギー)に頼れない危機感のような孤独に立ち向かう感があります。それはきっと、腸内悪玉菌やパラサイトとかかわっている気がするのです、そう、エゴと直結している悪玉菌とパラサイト。水断食は、直感的に、最後の砦を落としにかかるような感覚があります。今回の私の挑戦はそんなに長くもないのですが、「それなりに大きなことが起こって」、「大きなものを落としきった感」が残っています。そのぽっかりと大きな穴に、内面から湧きおこると同時に天から降りてくる愛と光をリフィルしていけるかどうかは、今在る意識の持ちかた次第なのです。心の、静けさです。
物質世界の話でいうと、【引き寄せの法則】により引寄力が強まった、というと正しくもあり正しくなくもあるのですが、エネルギー体が純粋でクリアになることは、これまで「邪魔」や「ブロック」していたものの存在(こだわり、執着、信念体系、変わりたくないという頑固さなどの自我)がより薄くなっていくことであって、その結果、本来フローしているエネルギーをそのまま=在るがままにフローさせていくことができます。私たちの本質である愛はあふれだし、磁石のように同じクオリティの愛をひきつけます。三次元の現実で、まるで「引き寄せ」がはじまったかのように感じますが、本来「引き寄せ」はあるべき姿なのです。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
今日は私の正座である天びん座の満月。しかも「ピンクの満月」と呼ばれます。今夜の月の女神様へのお祈りがピュアな心で行えることを嬉しく感じながら、断食終了です。19日間挑戦できたことに心から感謝です。
大好きな友人たちは、本当にたくさんの援助をしてくれました。アメリカ出身のリンダは断食に必要な超高性能ジューサーを一月間貸してくれ、ピーターは、買い物の荷物を運んでくれて、そしてビーチまで車で連れて行ってくれて、クリスティーナはお庭のメディスンハーブを収穫してくれ、ダミアンは希少なハーブティをわけてくれ、ディーラは1時間半のマッサージをドネイションしてくれ、おまけにコンブチャを2Lも分けてくれて、アレックスは40日間水絶食した際のアイデアと、心からの祝福をくれ、愛犬マーニーと一緒に時間を過ごせたり。もちろん、この一ヶ月オペラ歌手のリンダがシドニーに行っていなければ私はこの家に滞在していなかったので、この無言メインの断食はできなかったでしょう。
《おたがいを尊重し、同じく魂の旅を近くで続けるオーストラリアの大切なソウルファミリー》
人生に起こるすべての事象は、壮大なオーケストラとして、すべての音(周波数)が最善のタイミングで完全なハーモニーを奏でるのですが、それだとわかっているからこそ、このオーケストラに参加し、そしてサポートしてくれたすべての人たち、今に存在するすべての存在に、感謝の気持ちでいっぱいです。
୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧
「どうですか?
ちゃんと、生きていますか?
思いやりの心が、ありますか?
心は穏やかで、所作は丁寧ですか?
内なる静寂が、強さを保っていますか?
心の情景をありのままに感じられていますか、
観ていますか?
感情が口に到着する前に、もう一度思い直しましたか、
辛抱強さはありますか?
伝えたいことを正しく伝えるための言葉を、
見つけましたか?
皆が勇気をもって歩む同志であること、気づきましたか?
佳麗さ、優雅さ、人生の慶びを、思い出しましたか?
安らかな国は、律する心から生まれるのです。
やわらかくつつみこむ
深くつよい貴方の愛が
たおやかな風となって
貴方の存在を通して
流れていることを感じて
生きてください」
胸をひらいて
この大きな愛に
幸せをいっぱい吸い込んで
今日も生きていこう。
※1
参考動画:〔絶食療法の科学(約50分)〕
※2 サトビック の要素について、ひできさんのブログに素敵な文章があったので、貼らせていただきます。ご参考まで
Sattvicな生き方-ひできの八ヶ岳ブログ
(英紀さん、ありがとうございます)
※3
参考動画:〔WATER FASTING & SALT: Should You Consume Sodium While Fasting? *IMPORTANT*(約30分)〕
タイでの出家のはなし(1):ソウルメイトの超婚、の巻 [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
2018年8月。タイは北東部、メコン川の向こうにラオスが見える。
『マットミー』とは、タイ伝統的な技法の染物で、主に女性の衣として使われる泥で染められたタイシルクのこと。この名がつけられた『マットミー』と呼ばれる小さなバックパッカーから、雄大なメコンの流れに沈む夕日を眺めていた。
《タイ側から、メコン川の向こうラオス側に沈む夕日》
ノンカーイに着いたのは、それから2ヶ月さかのぼる。
6月初旬、オーストラリアのゴールドコースト、クーランガッタ空港を出発し、タイのバンコクへ到着。十数年ぶりのバンコクは、あの時と同じ匂いがした。タイ独特の、高温と湿気と甘くてねとっとしたあの匂い。東京に住んでいたころは買い物によく来た。姉と南部の島リゾートをしたり、友だちとクルーズをしたり。今となっては、買い物もリゾートもしたいとさえ思わない。あの頃の私はもういない。
バンコクの空港から外に出たるのは夜中だったので、タクシーをつかって宿へ向かった。空港が巨大化し、以前に使っていた空港でないことは、タクシーがハイウェイにあがってすぐに気づいた。エネルギーが増した巨大都市。高層ビルが乱立していて、高級車が前にもまして増えていた。車窓からのネオンを見ながら、ふと、そういえば夫と出会ってから海外一人旅をしていなかったことに気づいた。
一人旅をしていなかった事実だけではない。財布も共通、二人ですることといったらガーデニングやコモンランド(共有地)のメンテナンス。ほんとうに多くの時間をともに過ごしていたことに気づいた。社会的に機能する便利な関係という面はほぼなく、お互いの魂に目の前に迫り来るような関係だった。よくも、わるくもを、通り越して…。
想像したとおりに、バンコクの夜は相変わらずまぶしく賑やかで蒸し暑く、持参した耳栓は紛失し、眠れない夜を明かした。翌朝は、夜行列車出発まで暇つぶし。自分のお財布というものを数年ぶりに抱きしめながら(コミュニティではウブントゥ(物々交換)な暮らし)、ドア鍵をかけたり(コミュニティでは鍵をかけない)、水を買ったり(コミュニティでは雨水)と、ひさしぶりに都会で一人で過ごすことの勝手の違いから、少し慎重に動いていた。
喧騒から一刻も早く脱出したい思いだけで、お昼には駅に到着し、目指したのはタイマッサージ。
夜の電車出発時刻までランダムな旅人と会話を楽しんだあとは、タイ北東部のノンカーイまで、14時間の旅。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
《キャンパーバンから望む、タイアルガムのワランビン山》
タイに来るまでの数年間、夫と私はトヨタのキャンパーバンをベースにし、オーストラリアの東海岸のコミュニティを転々としながら暮らしていた。「ノンカーイにいくのだ」と、心の声が降りてきたのは、ワランビン火山の火山層上にできたタイアルガムという小さな町だったと思う。ノンカーイという町名も知らなければ、タイ最北のラオス国境沿いの小さな港町ということももちろん知らない。ただ、ノンカーイという場所へいかなくてはならないことが、全身全霊でわかった。
私のキャンパーバンの旅の理由は、体と心と精神のヒーリングだった。彼のキャンパーバンの理由は後づけで(私がキャンパーバンを買ってしまったので)、理想のコミュニティを見つけて移住したいというものがあった。私にとっては、ヒーリングが深まっていく上でコミュニティの一員として生きることは不可欠となったのだが、異なるコミュニティを見れば見るほど私にとって「コミュニティの理想形」というものはなくなっていった。逆に、個人意識のなかにコミュニオン(自我と高次のセルフとの融合)がなくてはコミュニティというものの存在はありえない、という理解につながり、コミュニティを訪ねることへの興味と意義をすっかり無くしてしまった。コミュニティを学ぶ時間とエネルギーがあれば、より意識の内側に入って、人間というもの自体を理解したいという確かな願望に落ち着いていった。
これが、二人ともがわかりやすい形で、分かれ道をみせてくれることになった。
彼も、私たちの魂の契約が、完結に向かっていることを察知していた。悲しむことなどなく、悔いることはない。ただ、私たちが結婚という形式からオーバーフローしていた。鉢植えの植物が大きくなりすぎて、土壌に植え替えてあげないと、というような感覚。結婚という枠内で存在する意味があまりなく、社会的にも夫婦である必要がないというような関係。だから私たちは、私たちが支えあうことのできる永遠の関係であれるかたちで、婚姻契約から卒業していくことを、感じ取っていた。
いまやそれをこうして言葉にできるが、その時はまだ心の霧の中にいた。
《タイ出発当日の朝》
出発当日の朝、これがオーストラリアで見る最後の朝日なのだろうか、と少し感傷的になってじっと眺めていた。
今後タイに移住するのかもしれない。タイから日本に帰国するのかもしれない。東京を離れて以来、大いなるものに導かれてきた。心の声をしっかりと聞いて、ここまでやってきた。だから、心の声にしたがっていけば「大丈夫だ」という自信だけはある。思考が、人生がここからどこに行くのか、どうやって暮らしていくのか、とループしていることを観察しながら、人生の次の停車駅がタイのノンカーイであることを確かに受け取り、私の意識はそこに向かっていた。。。それから半年もの間、そこに住むことになるとはつゆ知らず…
彼が私を空港まで送ってくれた。
これまで、すべてを出して話し合ってきたが、空港に向かう車で私たちは無口だった。2011年に出会い、翌年に結婚。翌々年に南オーストラリア州のエコビレッジに移住。その2年後にキャンパーバンを買い、東海岸へとオフグリッド旅に出発した。私たちは二人で、何かを築きたかった。そしてその何かを築くために、やらなければならないことがたくさんあった。知らなくてはならなかった私たち存在意義を解き明かしていく作業が、私たち7年間の結婚生活だった。
無限の真実を解き明かしていく契約を、生まれる前に結び、約束したとおりに出会った私たち、ソウルメイト。二人が出会ってから、大量生産消費型の「東京クラス」(地球学校の過去記事へどうぞ)を卒業し、すべてにおいて壁と嘘が存在できないコミュニティに引っ越した。私たちが入学したクラスは、「コミュニティクラス」だった。コミュニティに移り住んだことで、あらゆるすべての壁という壁が崩壊し、目の前の世界がどんどんと透明になり、思考と心から壁、嘘、言い訳が消失していくにつれ、真実が確実に姿をあらわしてきた。
真実が見えてくるなかで、私たちは幻想としての信じてきた結婚というものを演じようとして、多くの場合に苦しんでいたことにも気づいた。両親を見て、祖父母を見て、社会を見て、世界を見て、結婚とはこうあるべきだと信じてきた概念のなかで、よいといわれるような夫と妻を演じようとしていたことに。私たちは、私たちの結婚生活により、私たち自身を自由にした。
闇のなかを光のスピードでかけぬけてきた二つの魂。闇があったからこそ生まれた光で、いま、心の中にある魂の叡智を照らすことができる。概念と経験と信念体系を超え、今私たちは、私たちを、私たちがつくった愛のなかに、解放する。結婚でも、卒婚でも、離婚でもない、超婚*がここにある。
自分を、隣人を、他人を、敵を
ただ赦すこと
在りのままで
受け入れること
期待を落とすこと
落胆を落とすこと
すなわち幻想を手放すこと
瞬間的な苦しみと喜びの波のあいだに
不動の静寂の一点をみつけること
そこに漂うこと
慈愛と優しさを
心の素質にすること
やわらかな強さで
個の愛を無償の愛へと高めていくこと
永遠にひろがる愛のなかに
自分も、隣人も、他人も、敵も
別々で存在しないことに気づく
私たちの存在の本質は
愛だから
有り難い 今という
瞬間瞬間の奇跡にきづくと
妬み、怒り、悲しみ、哀れみ、傲慢さが
どんどんと消えていく
そして光としての愛が
永遠にあふれだしていく
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
クーランガッタ空港の出国ゲートに近づく。エスカレーターに乗れば、私たちの結婚生活に一旦ピリオドがつく。それがわかって、二人とも無言だった。ソウルメイトが歩んだ道が、契約どおりに今このエスカレーターで分岐点となる。
『ありがとう。』
『じゃ、また。』
*****
2018年8月。『マットミー』のデッキから、メコン川に沈む雄大な夕日を眺めつつ、出会いから2人が積み重ねてきた神聖な時空に思いを馳せる。短いようで、深く濃い時間。彼と私だからこそ成し遂げられたソウルメイトの魂の契約を結んだあの日、魂として誓った言葉はずっとこれからもほんものだった。
次の巻、【タイでの出家のはなし(2):修行するって、どういうこと?ヴィッパーサナって、なに? 】へと続く…
*日本には、2000年ころから『卒婚』という言葉があるようですが、その定義は、ソウルメイトの婚姻からの解放(リリースまたはリバレーション)とは異なる意義を持つようです。ソウルメイトの婚姻は生前に決められた魂の契約であるため、ある意味、契約が完了し、契約から解放することになります。そこで、ソウルメイトの婚姻による契約の完了を、ここでは勝手に『超婚』と呼ばせていただきます。日本語でこの言葉に値するものがあれば、どうぞお知らせください
『マットミー』とは、タイ伝統的な技法の染物で、主に女性の衣として使われる泥で染められたタイシルクのこと。この名がつけられた『マットミー』と呼ばれる小さなバックパッカーから、雄大なメコンの流れに沈む夕日を眺めていた。
《タイ側から、メコン川の向こうラオス側に沈む夕日》
ノンカーイに着いたのは、それから2ヶ月さかのぼる。
6月初旬、オーストラリアのゴールドコースト、クーランガッタ空港を出発し、タイのバンコクへ到着。十数年ぶりのバンコクは、あの時と同じ匂いがした。タイ独特の、高温と湿気と甘くてねとっとしたあの匂い。東京に住んでいたころは買い物によく来た。姉と南部の島リゾートをしたり、友だちとクルーズをしたり。今となっては、買い物もリゾートもしたいとさえ思わない。あの頃の私はもういない。
バンコクの空港から外に出たるのは夜中だったので、タクシーをつかって宿へ向かった。空港が巨大化し、以前に使っていた空港でないことは、タクシーがハイウェイにあがってすぐに気づいた。エネルギーが増した巨大都市。高層ビルが乱立していて、高級車が前にもまして増えていた。車窓からのネオンを見ながら、ふと、そういえば夫と出会ってから海外一人旅をしていなかったことに気づいた。
一人旅をしていなかった事実だけではない。財布も共通、二人ですることといったらガーデニングやコモンランド(共有地)のメンテナンス。ほんとうに多くの時間をともに過ごしていたことに気づいた。社会的に機能する便利な関係という面はほぼなく、お互いの魂に目の前に迫り来るような関係だった。よくも、わるくもを、通り越して…。
想像したとおりに、バンコクの夜は相変わらずまぶしく賑やかで蒸し暑く、持参した耳栓は紛失し、眠れない夜を明かした。翌朝は、夜行列車出発まで暇つぶし。自分のお財布というものを数年ぶりに抱きしめながら(コミュニティではウブントゥ(物々交換)な暮らし)、ドア鍵をかけたり(コミュニティでは鍵をかけない)、水を買ったり(コミュニティでは雨水)と、ひさしぶりに都会で一人で過ごすことの勝手の違いから、少し慎重に動いていた。
喧騒から一刻も早く脱出したい思いだけで、お昼には駅に到着し、目指したのはタイマッサージ。
夜の電車出発時刻までランダムな旅人と会話を楽しんだあとは、タイ北東部のノンカーイまで、14時間の旅。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
《キャンパーバンから望む、タイアルガムのワランビン山》
タイに来るまでの数年間、夫と私はトヨタのキャンパーバンをベースにし、オーストラリアの東海岸のコミュニティを転々としながら暮らしていた。「ノンカーイにいくのだ」と、心の声が降りてきたのは、ワランビン火山の火山層上にできたタイアルガムという小さな町だったと思う。ノンカーイという町名も知らなければ、タイ最北のラオス国境沿いの小さな港町ということももちろん知らない。ただ、ノンカーイという場所へいかなくてはならないことが、全身全霊でわかった。
私のキャンパーバンの旅の理由は、体と心と精神のヒーリングだった。彼のキャンパーバンの理由は後づけで(私がキャンパーバンを買ってしまったので)、理想のコミュニティを見つけて移住したいというものがあった。私にとっては、ヒーリングが深まっていく上でコミュニティの一員として生きることは不可欠となったのだが、異なるコミュニティを見れば見るほど私にとって「コミュニティの理想形」というものはなくなっていった。逆に、個人意識のなかにコミュニオン(自我と高次のセルフとの融合)がなくてはコミュニティというものの存在はありえない、という理解につながり、コミュニティを訪ねることへの興味と意義をすっかり無くしてしまった。コミュニティを学ぶ時間とエネルギーがあれば、より意識の内側に入って、人間というもの自体を理解したいという確かな願望に落ち着いていった。
これが、二人ともがわかりやすい形で、分かれ道をみせてくれることになった。
彼も、私たちの魂の契約が、完結に向かっていることを察知していた。悲しむことなどなく、悔いることはない。ただ、私たちが結婚という形式からオーバーフローしていた。鉢植えの植物が大きくなりすぎて、土壌に植え替えてあげないと、というような感覚。結婚という枠内で存在する意味があまりなく、社会的にも夫婦である必要がないというような関係。だから私たちは、私たちが支えあうことのできる永遠の関係であれるかたちで、婚姻契約から卒業していくことを、感じ取っていた。
いまやそれをこうして言葉にできるが、その時はまだ心の霧の中にいた。
《タイ出発当日の朝》
出発当日の朝、これがオーストラリアで見る最後の朝日なのだろうか、と少し感傷的になってじっと眺めていた。
今後タイに移住するのかもしれない。タイから日本に帰国するのかもしれない。東京を離れて以来、大いなるものに導かれてきた。心の声をしっかりと聞いて、ここまでやってきた。だから、心の声にしたがっていけば「大丈夫だ」という自信だけはある。思考が、人生がここからどこに行くのか、どうやって暮らしていくのか、とループしていることを観察しながら、人生の次の停車駅がタイのノンカーイであることを確かに受け取り、私の意識はそこに向かっていた。。。それから半年もの間、そこに住むことになるとはつゆ知らず…
彼が私を空港まで送ってくれた。
これまで、すべてを出して話し合ってきたが、空港に向かう車で私たちは無口だった。2011年に出会い、翌年に結婚。翌々年に南オーストラリア州のエコビレッジに移住。その2年後にキャンパーバンを買い、東海岸へとオフグリッド旅に出発した。私たちは二人で、何かを築きたかった。そしてその何かを築くために、やらなければならないことがたくさんあった。知らなくてはならなかった私たち存在意義を解き明かしていく作業が、私たち7年間の結婚生活だった。
無限の真実を解き明かしていく契約を、生まれる前に結び、約束したとおりに出会った私たち、ソウルメイト。二人が出会ってから、大量生産消費型の「東京クラス」(地球学校の過去記事へどうぞ)を卒業し、すべてにおいて壁と嘘が存在できないコミュニティに引っ越した。私たちが入学したクラスは、「コミュニティクラス」だった。コミュニティに移り住んだことで、あらゆるすべての壁という壁が崩壊し、目の前の世界がどんどんと透明になり、思考と心から壁、嘘、言い訳が消失していくにつれ、真実が確実に姿をあらわしてきた。
真実が見えてくるなかで、私たちは幻想としての信じてきた結婚というものを演じようとして、多くの場合に苦しんでいたことにも気づいた。両親を見て、祖父母を見て、社会を見て、世界を見て、結婚とはこうあるべきだと信じてきた概念のなかで、よいといわれるような夫と妻を演じようとしていたことに。私たちは、私たちの結婚生活により、私たち自身を自由にした。
闇のなかを光のスピードでかけぬけてきた二つの魂。闇があったからこそ生まれた光で、いま、心の中にある魂の叡智を照らすことができる。概念と経験と信念体系を超え、今私たちは、私たちを、私たちがつくった愛のなかに、解放する。結婚でも、卒婚でも、離婚でもない、超婚*がここにある。
自分を、隣人を、他人を、敵を
ただ赦すこと
在りのままで
受け入れること
期待を落とすこと
落胆を落とすこと
すなわち幻想を手放すこと
瞬間的な苦しみと喜びの波のあいだに
不動の静寂の一点をみつけること
そこに漂うこと
慈愛と優しさを
心の素質にすること
やわらかな強さで
個の愛を無償の愛へと高めていくこと
永遠にひろがる愛のなかに
自分も、隣人も、他人も、敵も
別々で存在しないことに気づく
私たちの存在の本質は
愛だから
有り難い 今という
瞬間瞬間の奇跡にきづくと
妬み、怒り、悲しみ、哀れみ、傲慢さが
どんどんと消えていく
そして光としての愛が
永遠にあふれだしていく
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
クーランガッタ空港の出国ゲートに近づく。エスカレーターに乗れば、私たちの結婚生活に一旦ピリオドがつく。それがわかって、二人とも無言だった。ソウルメイトが歩んだ道が、契約どおりに今このエスカレーターで分岐点となる。
『ありがとう。』
『じゃ、また。』
*****
2018年8月。『マットミー』のデッキから、メコン川に沈む雄大な夕日を眺めつつ、出会いから2人が積み重ねてきた神聖な時空に思いを馳せる。短いようで、深く濃い時間。彼と私だからこそ成し遂げられたソウルメイトの魂の契約を結んだあの日、魂として誓った言葉はずっとこれからもほんものだった。
次の巻、【タイでの出家のはなし(2):修行するって、どういうこと?ヴィッパーサナって、なに? 】へと続く…
*日本には、2000年ころから『卒婚』という言葉があるようですが、その定義は、ソウルメイトの婚姻からの解放(リリースまたはリバレーション)とは異なる意義を持つようです。ソウルメイトの婚姻は生前に決められた魂の契約であるため、ある意味、契約が完了し、契約から解放することになります。そこで、ソウルメイトの婚姻による契約の完了を、ここでは勝手に『超婚』と呼ばせていただきます。日本語でこの言葉に値するものがあれば、どうぞお知らせください
【呼びかけ】水の浄化を願って世界の仲間と瞑想しませんか [瞑想]
プラネタリーヒーリングの一環として、世界中のあらゆる思想と信念を超えた人々が集まり、平和と調和にフォーカスして行う瞑想グループ、「ファウンテン・インターナショナル」。はじまったのは1981年。(記事下部に英語での紹介動画を貼っています)
このグループは、非営利および非政府の独立した団体で、名前のファウンテン=泉が示す通り、生命をつくりあげる四要素(風・火・水・土)の中でも、特に「水」を意識して瞑想を行う人々の集まりです。
今日【呼びかけ】をするのは、私が参加している南オーストラリア州のヒルズで行われている瞑想サークルへのお誘いです。私たちと現世代だけでなく、後世につづく地球全体の生きとし生きる生命(いのち)を尊び愛する「普通の人たち」の集まりに、日本またはあなたのいらっしゃる地域から意識で参加しませんかという招待状です。水に対して純粋な愛を伝えるという、目的はいたってシンプルなものです。
参加条件などありませんが、私たちと地球ともに80%以上を占める水の存在へ、純粋な感謝と愛を日ごろから感じている方には、この瞑想の主旨がお分かりいただけると思います。ご興味のある方は、記事下部からコメントまたは私までご連絡をお願いいたします。
また、どういうものか知ってみたいという方は、ぜひ本記事を参考にしていただければ幸いです。
・‥…─*・‥…─*・‥…─*・‥…─*・‥…─*・‥…─*・‥…─*
水は意識を持っている。それは波動である。これを研究したのは日本よりも世界的に認知されている故江本勝博士です。東日本大震災で原発から汚染水が太平洋に流れ出た際には、水を意識レベルから浄化する目的で、瞑想者や祈り人に広く呼びかけのも江本博士でした。
水を愛と癒しに満ちたものにするか、怒り苦しみに満ちたものにするのかを決定付けるものは、意識です。あなたや私のマインドにおける意識の置き方です。水は記憶や意識を持つことができる、というのは、すなわち、私たちの意識を水へプリント(転写)することが可能だということです。長く苦しんだ水は腐敗し体に毒となりますが、人間が持つ純粋なマインドの力があれば、水の意識を愛と光へともどすことができるのです。
水は、人類が存在するずっと前から存在し、私たち人類の誕生とその営みをみつめてきました。私たち人間よりもずっとずっと長い生命を経てきた精霊なのです。日本語の「言霊」ということばもなじみ深いですが、言葉には霊性が宿ります。怨念(の意識)をこめて発する一言と、愛と慈しみをこめてのそれが、相手だけでなく自分の存在へどのような効果をもたらす、日々の暮らしから実証済みではないかと思います。
ここで、結晶のサンプルをご紹介いたしましょう。
愛と感謝を伝えた水の波動
希望
ジョン・レノンの『イマジン』を聴いた結晶
ジョン・レノンは、般若心経にインスパイアされ『イマジン』を書きました、
般若心経を聴いた結晶
長くともにすごした夫婦愛
江本勝氏の研究結果こちらオフィシャルウェブサイトから、さらにご覧いただけます。
叱ったりののしりの言葉は、聞いた本人の細胞を一瞬で委縮させる。イマジンを聴くと落ち着く...。言葉にしにくいけれど、身体と胎内と精神に何か大きく関係しているような、すべての人間が程度は違えど当然のように感じている第六感のようなものを、見えるカタチに証明するのが、科学者の役目。そして江本勝氏の研究対象は、人間と地球、ともに存在の大半を占める「水」でした。
詳しい水についての科学的研究については、彼の世界的ベストセラーである『水からの伝言』に託すとして、ファウンテングループ・インターナショナルの目的は、人間の思考と感情と信念は水の意識を変えることができる、すなわち量子レベルで浄化が可能である、という点で江本氏の研究目的と合致しています。グループの目的は、まずは瞑想を行う本人の心と体の健康、そして本人の浄化が進んだ時点で自然とはじまる愛する家族やコミュニティ、そして地球惑星全体の(プラネタリー)ヒーリングです。
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水
それは、水道の蛇口をひねれば当然出てくるものだけだと思っていませんか?この水は水道水で「安全に」、「使いやすいように」自然界からいただいて利用している水です。生命力のある天然水と異なる点は、1950年代から議論が続く水道水フッ化物濃度調整(水道水フッ化物添加)や塩素や総トリハロメタンなどの有毒物質が国が定める基準値内で含まれていたり、パイプを通って蛇口と上下水道を往来している点などです。
もっと広い視点で自然界の水をみると、それは常に循環しています。海の水は蒸発し、雲になり、やがて陸の山々へ流れつき、雨や雪として地上に降りた水は、川や地下水として山から里へと下りてきます。やわらかな生命に育まれて循環している水は、人工的で直角のパイプの中を流れるものではなく、川の石ころと遊んだり、葉の上を自由に転がったり、土壌を湿らせながらゆっくりゆっくりと、生命のあいだを循環していくものです。今や地球の裏側まで旅をしてもなかなか飲めない生命力のある水とは、自然の摂理にのっとって流れる水。独占したり、薬品を入れたり、無理な使い方をすると、水の結晶はすぐに影響されてしまいます。例えば、身体の中にパイプを通し薬品の入った水を流したとしたとしたなら、ほぼ水で構成される人間に影響するだろうと想像するのは容易でしょう。水は本来、自然に、独占されることなく、自由に巡るものだからです。
人と水と地球の密接な関係
それは、こんなにもシンプル・・・
水を汚せば汚染水となり、汚染水は土壌に流れ、食物に吸収された水は、やがて私たちの骨肉精神を作ります。水を汚すことに鈍感になれば、胎内の水が汚れていても地球が汚染されていても、鈍感になります。水を軽視すれば、地球を軽んじていることの表れで、自身を大切にしていないことも示唆されます。水を愛し浄化すれば、胎内の水と暮らしを囲む水も同じように愛されて浄化されます。人間が愛と浄化に意識をおけば、水と地球の意識も愛と浄化へと向かいます。時間は相対的なものですが、意識すれば物質化するのは時間の問題です。例えば今日から何かに意識をしはじめた場合と、全く意識しないで生きた場合の来年の今日(2019年9月1日)、または10年後の今日では、水とあなたと地球の関係はきっと変化しているでしょう。どうしてこのようになるのかというと、水は話す言葉を必要しなくともコミュニケーションできるからです。これは、同調といわれるものです。楽器のギターをCで奏でると、調弦されていないギターもやがてCへと同調するのと同じです。万物を活かす存在が、波動により、同調させるのです...
.。・゚・。。・゚・波動、念仏。アヤワスカの記事でお話ししたソングライン・゚・。。・゚・。。・゚・
いのちとは、魂とは、精神とは、何なのだろう?
この壮大な疑問と共に、人間は進化し、文化、科学、芸術を発展させてきました。パタンジャリは、魂をヨガで体系化し、シッダールタはマインドを科学する方法を諭し、多くのリシや仙人たちが、私たちの前を歩き精神の存在を証明していきました。現代の科学は、この魂や精神なるものを突き止めようとしましたが、実はその作業自体は数千年くらい前からのことです。私たちの遺伝子はウン百万年前から存在する生命体の進化形であるので、魂の科学的解明がはじまったたった数千年など、生命の歴史上では一瞬のことでしかないのです。私たちが感覚ですっかりとわかっていても、解明されていない未知なことが莫大にあるのは、しごく当然のことなのです...。
もしも、アボリジニや南北アメリカやその他の原住民族の長老に出会う機会があれば、訊いてみてください。彼らは、私たちの存在を「人間により書かれた文献」ましてや教科書の視点では見ていません。彼ら部族としての知識は意識であり、数百万年の時間がべースとなっている意識は、魂の真実を含有しています。しかし、現代社会に住む人間には、時間の概念が狭すぎて、通常は理解することはできないでしょう。
ヴォルテックスを科学する
話を続けます。
日本人にとってはなじみの深いレイライン。明治神宮と皇居などの主要な仏閣はレイライン上に建てられていますが、人類の歴史上、神殿や寺院を建立する際は、ダウジングやペンデュラムなどが使われ、祈りや瞑想に最も適したレイライン上のスポットに神殿や本堂などの社が建てられてきました。レイラインは、地球の神経、ガイアの経絡です。
聖なる建造物は、日本やアジアに多く見られる五重塔などやストゥーパ、エジプトや南米やポリネシアではピラミッドなどを含め、世界中で見られます。レイライン上の祈りに適した地点に然るべき方法で建てられ、人の意識や祈りによって、建物自体もやがてエネルギーをあげていきます。各地で形は異なりますが、共通するのは、天へと向けて一点に向かう姿で、その光景は目にも美しく圧巻です。
建造物が頂へと向かう斜度は地表からみて特定の角度に計算されており、地球の磁場と宇宙空間からのエネルギーを地表のとあるポイントで繋げる役割を果たしています。これは、マジックやスピリチュアルではなく物理で、パラマグネティズム、常磁性や地磁気とも呼ばれ、値はミリガウス・メーターという測定器で実際に測ることが可能です。
いわゆるヴォルテックスはこの地磁気が流れているところです。磁場が高く有名なところは、北米シャスタ山、チベットのカイラス山、グアテマラのアティトラン、日本では富士山など。シャンバラへの入り口ともいわれます。人類の文明が発達する前には、エネルギーの高い場所がたくさんあったので、何も人がわざわざ建てる必要はなかったのでしょう。もちろん、オーストラリアで最大の数値で断トツなのは、アボリジニの聖地※ウルル。
[先日ウルルに滞在中、雨が降らないウルルに大嵐そして車やテントを破壊するほどの大粒ヒョウが降りました]
オーストラリアは若い文明社会だとよく言われますが、それは白人が原住民族アボリジニの土地を奪ってからの教科書の歴史のことで、アボリジニの暮らしは数百万年前までさかのぼるといわれています。ウルルは古代から大陸の巨大なアンテナとなっています。通常、岩というのは経てきた自然環境によって本来水平に層が形成されていくものですが、ウルルの巨大岩はある一定の角度に傾いていて、地球環境から生まれたものではありえないと研究者の間でいわれています。(京都貴船の大岩は黄船=黄色い宇宙船といわれますが、こちらウルルは赤船です)
アジアには多くの塔が見られ、人々の祈りとともに支えあってヴォルテックスを強固に安定させていますが、こちらにはそのような建造物が多く存在しません。古代オーストラリアの場合、ウルルのエネルギーがあまりに高かったことと、自然の木(例えばシオークの神木)もアンテナとなっていたので、アジアや日本のように人工建造物が必要なかったのかもしれません。
→このブログを書き終え、掲載する間に、ウルルへ行ってきました。ウルルはまるで地球の心臓、鼓動が脈打つように、大岩も鼓動しており、まるで巨大な虫が斜め地中へと這っていく姿が永遠に続いているように感じました。ある夕方に訪れたウルルはスピリット漂う精霊のホームともいえるものすごい霊気(電気・電磁)エネルギーを発していました。一時間の距離にある女性性のカタジュタ岩も含めて、計五日間をすごしてきましたが、このお話をすることがあれば、別記事で。。。
[男性性の陽ウルルに相対する女性性の陰カタジュタ]
南オーストラリア州のファウンテングループ
私たちは、特定の教会で集うものでなく、毎日決まった時間に儀式を行うのでものでもなく、水に対して清く純粋な愛と感謝を伝えたい仲間と祈るグループです。現在のメンバー数は数百名に上り、科学者、研究者、学者、医者、ヨギ、瞑想者、ヒーラー、看護師、主婦、主夫、大工、有機農家など、職業や地位、年齢や信念体系を超えた人たちで構成されています。
月二回、コミュニティセンターで集まるサークルには数十名が参加し、参加者は自宅から雨水や水道水を持参します。それだけではなく、私たちの地域にある泉、オンカパリンガ川や南極海など地域の水も持参します。瞑想サークルの中央に集めて置き、祈りを託し、瞑想後には、それらの水をもとの場所に還し、水のスピリットへ想いを託すことも行っています。
私たちのグループは、参加者の性質上、科学とスピリットを統合し俯瞰できるのが特徴です。毎回の瞑想前には、短時間の情報共有を行い、継続的にプロジェクトを進めています。その一つに、人間による自然界への過度な仲介によって塞がれた地球の地磁気を戻すため、パラマグネティック・タワー(地磁気塔)というものを建てるプロジェクトがあります。
高さは数メートルから、十メートル超と、五重塔などに比べると小さなものですが、高さによって磁力が変わるため、大きな敷地面積のファームのでは巨大な塔を、住居区の小さな有機畑を網羅するのであれば小さめの塔を設置します。これまでに、この地域では100以上の塔が建てられました。
私たちの祈りは行動へと実り、地上の地磁気をより自然な形で通すことで、生命力ある土壌から高栄養価の有機作物を自然の恩恵のままに作り出したい、私たち人類の健康で調和ある暮らしをサポートしたいと考えています。人間の精神の不調が少しでも減ること、精神疾患の「治療」のために使われる中毒性のある薬物利用が減ること、若者の薬物乱用が減ることも意識に入っています。社会的に発生した不調やトラブルは、私たちの人間の暮らしが、地球本来がもつ自然環境と共に立ち、考え、調和して発展していくことができるとき、やがて減っていくからです。
現在の南オーストラリアのファウンテン・グループ(ファウンテンSA)は、約二年前に現在のメンバーとなり、同州内の主要な3つの泉に焦点を置いて、水へ意識を送ってきました。ちょうど、昨夜はファウンテンSAの二歳の誕生日で、普段の瞑想場所(コミュニティセンター)を抜け出し、ハンドルフにある噴水にて集まり、シンギングボウルを使って水へ感謝と愛をおくってきました。
グループでは瞑想をした後は、毎回ダウンジングの大御所であるドイツ出身の研究者が、祈りのフィールド(範囲)の広がりを世界地図に記していきます。2018年1月には、フィールドはオーストラリア大陸を越え、先々月東南アジアに届いた際は、仏教寺院等のストゥーパや仏塔が放つ磁力と合体し、数値にも影響をもたらしました。今年は地磁気の弱まりにより日本はじめ環太平洋のリング・オブ・ファイアーの火山活動が超活発な一年となっていますが、バリ島アグン山、ハワイ島キラウエア火山が噴火した際も、私たちは祈りを送りました。
※世界地図に現れるフィールドは、私たちの祈りが届いていることを現しているだけで、このフィールドを強めるのも、信じないのも、もちろん個人の自由です。 このフィールドは、すべてを一瞬で癒す魔法ではありません。水を一瞬で浄化するものでもありません。意識は四次元に存在するのであり、私たちが存在する三次元の領域へと物質化するには時間がかかります。地球全体の集合意識が、強欲や哀れみや争いなどに支配されている間も、アジア圏を中心とする比丘や尼僧が、功徳と慈悲の瞑想を送り続けている事実と三次元への関係は、瞑想が深まれば自ずとわかってくるものです。分かりやすく極論を言うならば、この世から比丘や尼僧が消え、すなわち慈悲と祈りの心が消滅したならば、現在地球はそれ以外の意識、すなわち強欲と競争だけに支配された状態となることでしょう。 だから、私たちはまずは私たちから行っています。実際に瞑想会に集まるかそうでないかは、ここではあまり重要ではありません。今ある私たち自身の意識が変わらなければ、私をつくる私の人生、私たちをつくりだすこの社会の在り方は変わることはできません。
今年6月現在のフィールドマップ。日本へと近づいていきました。
日本の沖縄には、先月7月に到着し、遅れて福島原発の周辺もフィールドに入りました。
なぜ日本にフォーカスするのか
ファウンテンSAが日本にフォーカスしているのは、私がいるからではなく、特に福島の原発からの汚染水が流れ出たころからです。南オーストラリア州には、1950年代と1960年代に二度の原子核実験が行われたマラリンガがあります。もともとが砂漠であったから実験が行われたとは言え、現在も進入禁止、生き物は死んだままです。原発のないオーストラリアであるにもかからわず、政府は他国の放射能汚染物質を輸入し、巨大な処理場にする計画があります。
原子力エネルギーに反対しているのではありません。すでに間違った意図で使われてしまったウランの除染が世界規模で必要いと考え、それが、マラリンガだけでなく福島への強い想いへとつながっています。先にあげた、ファウンテンSAを牽引するドイツ出身の博士は、ガンの治療に効果がある通常の植物(例えばスミレやブラックベリー)の使い方などを通して体の浄化から、心の浄化(マントラやエネルギーワーク等)、マインドの置き方などの伝授も行うだけでなく、水面下で放射性物質の除染デバイスを開発しています。
呼びかけをお願いします
私たちは、愛と尊敬の念をもって、すべての清き水に、清き水がつくりあげる人間に、人類、そして福島の原発および被ばくした水に意識を送ります。
私たちの目的と意志と同調して、ともにフィールドを広げていただけると感じていただけましたら、ご連絡ください。瞑想を長くしている方でしたらおわかりと思いますが、同日の同時間にする必要はなく、大切なのは心のつながりです。大層なことはしていません。水へ愛と平和の意識を送るだけです。
メッセージをいただける場合は、簡単で結構ですので、場所(都道府県や市町村など)、グループでしたら大まかな人数、目的などが明確でしたらそれも含めてメッセージをいただければ幸いです。こんにちはのメッセージだけでもありがたき幸せです。
つながるときです。
また、パラマグネティズムに関しての研究、土壌への効果(英語)、常磁塔にご興味のある方がいらっしゃれば、つなぎ役ができるかと思いますので、ご連絡ください。
連絡は、facebookのメッセンジャーからしていただけると繋がりやすくなります。
Facebook: Híroco Fujï
(あえて特殊文字を使っています)
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※ファウンテン・インターナショナルのご紹介(英語)
※ウルル
ウルルは、Yankunytjatjaraカントリー(地域)全体の地名をあらわし、岩自体の名前でもなく、「ウルル」という単語自体にも意味はありません。現地語で「Cry」や「シャドー」という意味があるようですが、英単語には転換できない言葉のようです。現在、オーストラリアは一国ですが、かつてアボリジニのネイションは多くて700部族ほど存在したといわれいます。
日本語ではエアーズロックと知られていますが、こちらではウルルと呼ぶのは、オーストラリアでは、イギリスから到着した発見者にちなんで、山や石を命名してきまたが、この国のCustodians(管理人)であるアボリジニの尊厳を認識し尊重する人たちの間では、原語を使うことが通常です。例えば、日本の富士山が、マイクさんに発見されたとして、公式名「マイク山」で世界地図に記載されていたらおかしいですよね。日本を知っている人は、たとえ地図に書かれている「公式名」が何であれ、いつもずっと富士山と呼ぶでしょう。
※参考動画
水の声を聴くことができる原住民コーギー族
南米コロンビアの原住民コーギー(プーマ)族は、自然を慈しみ調和をたもって生きるスタイルを、政府から同化されることなく、現在も維持する心体精神ともに純粋な部族です。彼らの暮らし方は、水とコミュニケーションすることを容易にし、水の動き、音、波動から、水の言葉を受け取ります。1980年代に、コロンビアのカリブ海側で巨大リゾート開発案があがった際に、自然界のバランスが壊れるからと大反対をしたのは世界へ「水からのメッセージ」を伝えたものでした。しかし、コーギー族は大企業側から「バカ者」扱いされ、開発は決行されました。ホテルやレストランが乱立し、汚染水が急速に垂れ流された結果、現在、この地域では洪水などの自然災害が大問題となっています。
詳しくは、ドキュメンタリー映画『Aluna』(英語版)。
※アルナはコーギー語で、日本語で「道徳心」を意味します
知っておくと!アヤワスカ儀式の準備と流れ [シャーマニズム・スピリットメディスン]
ペルーのシャーマン宅(広大な敷地)で得た、アヤワスカの儀式に関しての情報共有デス。
知っておくとよい準備と、儀式の流れを簡単に残しておきます。
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その前に、
アヤワスカをする前に、知っておきたいシャーマニズムについては、
⇒ こちら。
アヤワスカをする前に、知っておきたい基礎知識は、
⇒ こちら。
アヤワスカをする前に、アヤワスケーロが伝える真実を知りたい方は、
⇒こちら
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儀式の準備
シャーマンであるマヌサイのお父様が建てたヒーリングリトリートセンター、パチャママ・ワシ(母なる地球の家)。
儀式用の神殿へ。
入り口へやってきました。
扉の向こうに待っているものは...
自室から持参したアヤワスカとさまざまな神器とともに、アヤワスケーロは神殿に入ります。最初に、場のエネルギーを調整し、現実世界と精神世界のつなげ役としての重要なポジションに自らを配置してから、参加者の座る位置などを調整します。アヤワスケーロがすべてを指揮し、彼のアヤワスケーロ弟子でもあるシャーマンのマヌサイは常に彼の右隣に座ります。
アヤワスケーロは、儀式が始まる前から参加者全員をサイキックスキャンをしています。サイキックスキャン ー いわゆる千里眼を持つ人がするスキャンのことを私は勝手にそう呼びますが ー この場合でいうと、治癒者にあたるアヤワスケーロが、患者の体と精神状態すべてを、スピリットと交信することで理解するものです。このスキャンによって、神殿内でアユワスケーロは誰をどこにおくか、そもそもアヤワスカが必要か否か、必要ならどのくらいの量か、などを見極めています。
クスコで会った日、聖なる谷までの移動車内で隣同士だった時からずっと私の斜め背後を見ていたアヤワスケーロは、私がスペイン語ができることを知らずに、助手席に座るマヌサイにスペイン語で「この子は父親と女の人を連れてきた」とつぶやき、私をすべての儀式(5回)で彼の左真隣に座るよう指示しました。
参加者側準備
参加者はそれぞれ、アヤワスケーロが指定する場所に、マット(ヨガマットサイズ、寝袋、一人用マットレス)を敷き、数枚のブランケットとボルスターとバケツを置きます。ペルーは標高が高く、十月の夜は寒かったので、私は個人的に、冬物ソックス、パーカージャケット、分厚めブランケット、帽子、それからティッシュを持参しました。儀式中は、毛穴細胞穴という穴からいろんなものが出てくるのですが、神殿すぐ隣にトイレがふたつ常設されているので心配無用。儀式前にトイレを済ませますが、儀式中にトイレに行く際は用が終わったらすぐに神殿に戻るようにと厳しい指示がありました。
さて、話を聞いたことがある方はご存知かと思いますが、各参加者の体調と精神状態と準備度合いによって、げろげろ状態と、または、から、神様君臨状態と、さまざまなことがめくるめく展開されます。その準備の代表的なものは、1.まずは食事。それから、2.瞑想などで気づきの力を深めたり、自己探求をしていること、でしょう。
1.食事
儀式前には食餌制限を薦められます。その期間が数日や一週間ではなく、できるだけ長く継続され、体内(内臓)がデトックスされていることがアヤワスカの効果を十分に得るために必要のようです。食餌によって、体内と胎内だけでなく精神もクリアに浄化されていくのは、例えば日本のマクロビやインド・スリランカのアユルヴェーダを見れば明らかですが、アヤワスカの準備に際しては、相性が悪い、肉類(特に豚肉は厳禁)、香辛料と刺激物(唐辛子やアルコール等)、揚げ物、卵の黄身部分、そして大豆製品類は避けるべきとのことです。儀式前の食事では避けるべきで、アヤワスカを飲んだ後も、大豆製品以外はできるだけ長く摂取しない方がよいとのことでした。
2.瞑想や自己探求
瞑想によって得られる気づき、サイキック能力、集中力というのは、何をするにおいても、そのものの効果を倍増したり、物事をおだやかに成功させる力があるのだと思います。
アヤワスカの儀式において一所懸命がんばって働いてくれているのはアヤワスケーロとシャーマンというイメージがあります。たしかに彼らが全部してくれはするので、私たち(のロジックや思考)は引っ込んでいた方が得策です。私が儀式をともにしたほぼ全員も、アヤワスカを飲んでちょっとげろっとなった後は、すぐ横になって(立派なベッドを作って寝にきている人や)、いびきをかいて寝ている人もいました。いや、寝てもいいというか、寝た方がいいと思います、寝られるのなら(笑)。頭の中で変にいろいろ考えながらアヤワスカを体験するくらいなら、寝た方がぜったいベターと思います。しかし、瞑想やヨガを続けていてマインド(思考)の役割がわかっていたり、マインドを観察して止観できる力があるならば、より一層高い次元からこの儀式を体験することができるのだと感じます。
さらに、自己探求をしている方は、アヤワスカをいただく目的や理由を明らかにしやすいということもあるかと思います。このシリーズですでに書いたことですが、アヤワスカをする前にジャーナルなどをつけたりして、意識を明確にすることはとてもお勧めです。
ちょっと私の準備談
ここで、私の準備に関して述べますと、これまでアユルヴェーダのサトヴィック食とヴィーガンを組み合わせた自己流の食餌療法を既に数年実践していた上に、断食したり、胆石もきれいにしていたので、体内(内臓)のデトックスはほぼ終わっており、心の大掃除にフォーカスすることができました。(アヤワスケーロには、アヤワスカと最も相性の良い食生活だとお喜びに>笑)。
同じく、十年続けてきた瞑想と気功と呼吸法が、まさかここで役立つとは思ってもみなかったのですが、儀式中に集中力が途切れないどころか、瞑想で到達する三昧の辺りから、次元の扉の向こうへアヤワスケーロと一緒に旅するようなことが多々起こりました。
体調に関しては、持病の腰痛がまだ回復中で、オーストラリアから太平洋真反対のアルゼンチンを経由してペルーのリマ、それからクスコを経由して聖なる谷まで飛行機と車を乗り継いで、しかも標高のアップダウンを経てパチャママワシまで来るのは、体力的に限界でした。胃腸性機能障害を持っていたので、アヤワスカをしている28日間、吐いて下して食べられずでこれまた結構苦しめだったのですが、明確な目的が果たせているのが実感できたため、精神的には辛くはありませんでした。ペルーから戻ってから、その回復が早まったのは間違いありません。胃腸性機能障害からの回復(⇒こちらのシリーズもどうぞ)を求めて、インドでパンチャカルマをするかどうかを検討していた際にペルーに呼ばれたので、なんだかペルーでパンチャカルマをした気分になりました(実際、マヌサイの妹さんはこの家でアユルヴェーダを施術しています)。
一般的に、儀式で起こること
※人、場所、環境が違えば、すべて違うアヤワスカ体験です。ここでは、私が神殿の中で行った5回のアヤワスカ儀式の体験をシェアしています。
滞在中、新しい参加者が到着したり、出発したりと、儀式を形成するメンバーが変わることがほとんどでしたが、日中にはヨガをしたり、一緒に食卓を囲んだり、チェックイン・サークル(精神、体調などがどうであるかを、妨害されることなく自由に表現する安全な輪)をしたり、また儀式の前にもサークルを組むなどして、仲間たちとつながりました。
陽がどっぷりと沈んで、精霊たちが動きだす時間帯に儀式がはじまります。輪になって座っていると、アヤワスケーロが一人ずつ名前を呼ぶので、彼の前まで行って座ります。然るべき呪文を全員で述べた後、アヤワスケーロがアヤワスカを適量注ぎます。聖杯は、木で彫られた小さなもので、そこに特別なタバコの煙を吹き入れます。隣に座っていたので、アヤワスケーロが奏でる口笛とイカロスを聞いて煙が踊り出すさまを毎回眺めることができました。アヤワスカを飲んだ後は、定位置に戻り、次の人、次の人、というように順に全員がアヤワスカをいただきます。
儀式は、イカロスやアルカナというスピリットソングで開始されます。口承で伝えられてきたイカロスは150種類から200種類あるといわれており、アヤワスケーロはさまざまな状況にあわせてイカロスを使い分けていきます。それは鼻歌であり、口笛であり、シャカパと呼ばれる神聖なスピリットプラントが奏でる音であり、静寂でもあります。イカロスと口笛や楽器が奏でられるそばからソングラインが織り込まれ、そのラインに乗って大蛇の精霊、アヤワスカが姿を現します。
世界の多くの土着文化でなじみ深い蛇...育った京都のお寺にも蛇の神様が祀られており、一発目のアヤワスカで空也上人が現れました。
≪お念仏もソングラインもエネルギー。重要文化財空也上人像≫
一定の周波数内で癒しが起こる
アヤワスケーロがスピリットソングを奏でながら癒す一方で、ヒンドゥー司祭でもあるマヌサイは、インドの古典楽器を使ってヒンドゥーの神々を迎え入れます。インドどペルーの伝統楽器を自由に使いこなせる彼は、神殿内をインド伝統音楽でインド百万の神、そしてペルーの自然界の八百万の神々を呼び集めます。ペルーでインド?と思われるかもしれませんが、マヌサイの家には、アグニホトラ(火の儀式)の神殿、シヴァ、ガネーシャ、カリ、インドの聖人等が要所に祀られ、サイババの瞑想堂もあり、インドの司祭でもあるマヌサイはペルーとインドの神々と協働し癒しを施しています。
ここで音楽というのは、周波数を意味しています。神殿内の開けられた次元扉の中で、上層の精霊だけが存在できるような周波数をつくり出し、神殿内を神聖な癒しの場へと変えていきます。
一度目(最初の)アヤワスカの杯を全員が飲みおえると、次に一人ずつアヤワスケーロの前にもう一度呼ばれ、アヤワスカの精霊とアヤワスケーロが魂の大掃除をおこなっていきます。立つこともできない者へには、アヤワスケーロが出張し、ひとりずつしっかり視ていきます。アヤワスケーロにはすべて見えているのだと思います。どこまで見えているのかは、私は彼の目ではないのでわかりませんが、少なくともアヤワスカの精霊により、患者の身体をエネルギー体として透視しているのだと思います。アヤワスカを胎内に招きいれた私たちそれぞれが感じていること、経験していることを、アヤワスケーロも共有しているはずです。そして、私たちを「神の御名のもと」普遍的な愛と総全体の善の方へと導いていきいます。
参加側は、この場ではもうなるようにしかなれず、ある意味なされるがままです。アヤワスカの守り神であるアマゾンのプーマやコンドルが登場したり、もう話すことのできない人が話しはじめたり、ある人生のできごとの本当の意味をとうとう理解したり、傷ついたハートが取り出されて新しいものと入れ替えられたり、、、。あなただけに、あなただけの、アヤワスカ
神聖空間を護る責任
神殿の外では、下層の霊たちがうようよとしています。下層の霊というのは、悪い霊ではありません。迷える霊です。彼らは闇からの助けを欲しがっている霊です。私たちは彼らに対していつでも功徳を分け与えることができますが、救うことができないことをはっきり宣言しなくては、逆に連れていかれてしまいます。アヤワスケーロは、参加者が祟られたり、リンボ(辺獄)に陥らないようにしっかりと護る義務を果たしています。
さて、ある日の儀式で、私のパートナーがトイレに行ったきり帰ってこないことがありました。参加者はほとんど寝ていますし、だれも気付くものはいません。アヤワスケーロとシャーマンは、彼がトイレに立ったことは知ってはいましたが、神殿内を護り全員のヒーリングに集中していました。彼が帰ってこないで30分近く経って、これは「遅すぎると」マヌサイに囁いたところ、途端に楽器を投げて、走って神殿の外へと出ていきました。大声で彼の名前を呼びます。マヌサイが彼を探して敷地内を歩き回る間、アヤワスケーロは極度の集中力で無言でした。そうしていると数分経って二人は一緒に神殿に戻りました。
戻るとすぐ彼はアヤワスケーロに呼ばれ、すでについた低層の霊を祓ってもらっていました。彼がどれほど闇へひっぱられていたのかわかりませんが、ひっぱられたから戻ってこれなかったのです。アヤワスケーロはお祓いをした後、この神殿内は絶対的に護られて安全であること、外の世界は逆に救われたい癒されたい百万の霊が待ち構えていることを伝えました。だからこそトイレにいったらすぐ帰ってくるという決まりを護らなければ大変なことになると諭しました。私には、アヤワスカの儀式を提供するアヤワスケーロとして、儀式内では何があろうと低俗霊から全員を護る気合いが感じられました。
霊的手術/サイキックオペレーション
神殿内では、引き続きアヤワスケーロとシャーマンと精霊がオンパレードでヒーリングをしています。アヤワスケーロと精霊界の調和、完全なハーモニー。そのハーモニーが織りなすラインが身体を通っていきながら、同時にその一部として存在する摩訶不思議空間。アヤワスケーロと同じ次元に立つことができれば、この完全なるオーケストラを同じ目線(次元)で見ることができます。まるで蛇がすべての細胞を通り過ぎていくような、次元の境のない宇宙へ飛び込んでいくような、ソングラインを抱きしめながら音そのものになるような。
胎内にいついた黒魔術や、呪い、エンティティがお役目を終えて去る時が来たのなら、それはこの時です。アヤワスケーロはイカロス(ソングライン)とシャカパ(スピリットプラントで作られるハタキのようなもの)と、聖なる水、スピリット・プラント(煙草の煙)、そして最も重要な要素である純粋な信仰心を携えて、「霊的手術」または「サイキックオペレーション」を遂行します。三つの世界の扉が開いた多次元空間でしかできない宇宙手術。
それらのものを駆使して、患者から(時には患部から直接)彼自身の体内の中に吸い上げます。この霊的手術は、手ごたえのあるモノに対しておこなわれるようで、私が真横で視ることができたのは、例のアヤワスカを不注意にも施す側になり盲目になりかけていた彼への、視力回復手術だけでした。
私たちはもう吐ける物質もエネルギーもなく、もう吐けない状態ですから、彼が患部から直接吸い上げます。吸い上げるのです!神技です。体の中で悪さも怖さもなんでもやってきた手ごたえのあるあれやそれ、同時に大切な学びや気づきをくれたあれを、見事に自らの体に巧みに吸い上げてしまうのです。霊的手術を4回、しかも毎回横になってお腹を出して受けた私は、吸い上げられ、出ていく感触を感じました。私にはアヤワスケーロが見たものすべてを見たわけではありませんが、その後何を見たか聞きだしたところ、彼が答えてくれたものは私が見たものと同じでした。
儀式の終了、後始末
儀式が終わるのは、深夜も丑三つ時もすっかり過ぎてから。参加者は睡眠をとるために寝室に戻り、翌朝はまずシャワーを浴び、その後食べられる人は定められた朝食をいただきます。その後、バケツに吐き出されたモノを神聖な土地に埋め、ケチュア族の神聖な氷山からおりてくる天然水でバケツ諸々を洗います。
アヤワスケーロが吸い上げたモノで、聖水で洗われる運命でなかった分については、彼の胎内にあります。儀式は何日も続くことがあり、何十人という数にのぼることがありますが、アヤワスケーロは吐き出されたモノを胎内に「一時保管」します。すべての儀式を終えた後、その後ひとりジャングルに戻って、アレやソレなどの霊的エネルギーを、あるべき場所へと送り還します。一日や数日の作業ではなく、それ以上になることがあると話していました。もちろん、ここでも断食するそうです。この断食する理由は聞けなかったのですが、霊的な存在を尊重した上で、彼自身や自然界の霊性を守るためではないかと感じました。
終わりました。ホッと一息。
≪休憩中のコルカス。彼はアヤワスカで聴力を取り戻し、今はアーティストに≫
今や病気だというと、病院に行ってお医者さんといわれる人と話し、病名に応じて処方される製剤医薬品を飲んで現状維持する対処療法か、発達してしまったそのもを切り離す手術が一般的です。精神の不調であれば、その人本人を社会から分け離す(ホームへ入院させる)のが通常です。社会が、社会で、「普通に」機能できるよう、お金があれば概ね短時間で「整理できる」時代です。
古代から利用されてきた病気の癒し方は、根源療法でした。森やジャングルなどに行って薬草などを使って、病気の源となるエネルギーを元の状態へと戻す方法が取られてきました。お医者様というものはおらず、メディスンマンやシャーマンと呼ばれる叡智と経験のある者が、創造主からチャネリングしたメッセージと深い普遍の愛ともに、自然界と共同で患者を癒してきました。
どれほど科学技術が発達しても、変わらないものは、魂の真実。これが私たちを聖なる存在にもさせるの。魂は見えないもので、わかるまでは些細な感覚のため、我々はついつい見えるこの身体だけが「存在のすべて」であると思いがちです、しかし、私たちの二つの目では見えない存在が、私たちの身体以上、人類の人口数以上に存在していることが真実なのです。今、あなたがこの記事読んでいるとき、ふと考える遠いあの場所のあの人や、彼岸に行ったあの人、本で読んだことがある精霊たち、もしも私のことを知っている人は私のことを考えるだけで、彼ら(私たち)の魂は今そこにも存在することができるのです。そしてそれをすることができるのは、人間が持つ聖なる力、マインドのパワーなのです。マインドのパワーを知る時が訪れ、そしてがっつり学んできたのは、その後訪れたタイ上座部森林派の修行寺です。それはまた、次回のお話しといたしましょう。。。
治せない病気はない。
今回アヤワスカをいただいたことで、いわゆる病院や研究所で開発された医薬品では到達できない領域があり、そして普く存在するものの存在法則を知っているシャーマンにしか癒せないものがあることを、強く実感しました。
【~おまけのお話~】
アヤワスカ(とサンペドロと◎×◎と)の後に、廃墟で出会っちゃった魔女。からの、アヤワスカで受け取ちゃったコズミック体験を落としこむために向かったタイ(へと続く)土産話は、こちらから ↓
タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [(上座部仏教 雨安居修行)]
知っておくとよい準備と、儀式の流れを簡単に残しておきます。
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その前に、
アヤワスカをする前に、知っておきたいシャーマニズムについては、
⇒ こちら。
アヤワスカをする前に、知っておきたい基礎知識は、
⇒ こちら。
アヤワスカをする前に、アヤワスケーロが伝える真実を知りたい方は、
⇒こちら
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儀式の準備
シャーマンであるマヌサイのお父様が建てたヒーリングリトリートセンター、パチャママ・ワシ(母なる地球の家)。
儀式用の神殿へ。
入り口へやってきました。
扉の向こうに待っているものは...
自室から持参したアヤワスカとさまざまな神器とともに、アヤワスケーロは神殿に入ります。最初に、場のエネルギーを調整し、現実世界と精神世界のつなげ役としての重要なポジションに自らを配置してから、参加者の座る位置などを調整します。アヤワスケーロがすべてを指揮し、彼のアヤワスケーロ弟子でもあるシャーマンのマヌサイは常に彼の右隣に座ります。
アヤワスケーロは、儀式が始まる前から参加者全員をサイキックスキャンをしています。サイキックスキャン ー いわゆる千里眼を持つ人がするスキャンのことを私は勝手にそう呼びますが ー この場合でいうと、治癒者にあたるアヤワスケーロが、患者の体と精神状態すべてを、スピリットと交信することで理解するものです。このスキャンによって、神殿内でアユワスケーロは誰をどこにおくか、そもそもアヤワスカが必要か否か、必要ならどのくらいの量か、などを見極めています。
クスコで会った日、聖なる谷までの移動車内で隣同士だった時からずっと私の斜め背後を見ていたアヤワスケーロは、私がスペイン語ができることを知らずに、助手席に座るマヌサイにスペイン語で「この子は父親と女の人を連れてきた」とつぶやき、私をすべての儀式(5回)で彼の左真隣に座るよう指示しました。
参加者側準備
参加者はそれぞれ、アヤワスケーロが指定する場所に、マット(ヨガマットサイズ、寝袋、一人用マットレス)を敷き、数枚のブランケットとボルスターとバケツを置きます。ペルーは標高が高く、十月の夜は寒かったので、私は個人的に、冬物ソックス、パーカージャケット、分厚めブランケット、帽子、それからティッシュを持参しました。儀式中は、毛穴細胞穴という穴からいろんなものが出てくるのですが、神殿すぐ隣にトイレがふたつ常設されているので心配無用。儀式前にトイレを済ませますが、儀式中にトイレに行く際は用が終わったらすぐに神殿に戻るようにと厳しい指示がありました。
さて、話を聞いたことがある方はご存知かと思いますが、各参加者の体調と精神状態と準備度合いによって、げろげろ状態と、または、から、神様君臨状態と、さまざまなことがめくるめく展開されます。その準備の代表的なものは、1.まずは食事。それから、2.瞑想などで気づきの力を深めたり、自己探求をしていること、でしょう。
1.食事
儀式前には食餌制限を薦められます。その期間が数日や一週間ではなく、できるだけ長く継続され、体内(内臓)がデトックスされていることがアヤワスカの効果を十分に得るために必要のようです。食餌によって、体内と胎内だけでなく精神もクリアに浄化されていくのは、例えば日本のマクロビやインド・スリランカのアユルヴェーダを見れば明らかですが、アヤワスカの準備に際しては、相性が悪い、肉類(特に豚肉は厳禁)、香辛料と刺激物(唐辛子やアルコール等)、揚げ物、卵の黄身部分、そして大豆製品類は避けるべきとのことです。儀式前の食事では避けるべきで、アヤワスカを飲んだ後も、大豆製品以外はできるだけ長く摂取しない方がよいとのことでした。
2.瞑想や自己探求
瞑想によって得られる気づき、サイキック能力、集中力というのは、何をするにおいても、そのものの効果を倍増したり、物事をおだやかに成功させる力があるのだと思います。
アヤワスカの儀式において一所懸命がんばって働いてくれているのはアヤワスケーロとシャーマンというイメージがあります。たしかに彼らが全部してくれはするので、私たち(のロジックや思考)は引っ込んでいた方が得策です。私が儀式をともにしたほぼ全員も、アヤワスカを飲んでちょっとげろっとなった後は、すぐ横になって(立派なベッドを作って寝にきている人や)、いびきをかいて寝ている人もいました。いや、寝てもいいというか、寝た方がいいと思います、寝られるのなら(笑)。頭の中で変にいろいろ考えながらアヤワスカを体験するくらいなら、寝た方がぜったいベターと思います。しかし、瞑想やヨガを続けていてマインド(思考)の役割がわかっていたり、マインドを観察して止観できる力があるならば、より一層高い次元からこの儀式を体験することができるのだと感じます。
さらに、自己探求をしている方は、アヤワスカをいただく目的や理由を明らかにしやすいということもあるかと思います。このシリーズですでに書いたことですが、アヤワスカをする前にジャーナルなどをつけたりして、意識を明確にすることはとてもお勧めです。
ちょっと私の準備談
ここで、私の準備に関して述べますと、これまでアユルヴェーダのサトヴィック食とヴィーガンを組み合わせた自己流の食餌療法を既に数年実践していた上に、断食したり、胆石もきれいにしていたので、体内(内臓)のデトックスはほぼ終わっており、心の大掃除にフォーカスすることができました。(アヤワスケーロには、アヤワスカと最も相性の良い食生活だとお喜びに>笑)。
同じく、十年続けてきた瞑想と気功と呼吸法が、まさかここで役立つとは思ってもみなかったのですが、儀式中に集中力が途切れないどころか、瞑想で到達する三昧の辺りから、次元の扉の向こうへアヤワスケーロと一緒に旅するようなことが多々起こりました。
体調に関しては、持病の腰痛がまだ回復中で、オーストラリアから太平洋真反対のアルゼンチンを経由してペルーのリマ、それからクスコを経由して聖なる谷まで飛行機と車を乗り継いで、しかも標高のアップダウンを経てパチャママワシまで来るのは、体力的に限界でした。胃腸性機能障害を持っていたので、アヤワスカをしている28日間、吐いて下して食べられずでこれまた結構苦しめだったのですが、明確な目的が果たせているのが実感できたため、精神的には辛くはありませんでした。ペルーから戻ってから、その回復が早まったのは間違いありません。胃腸性機能障害からの回復(⇒こちらのシリーズもどうぞ)を求めて、インドでパンチャカルマをするかどうかを検討していた際にペルーに呼ばれたので、なんだかペルーでパンチャカルマをした気分になりました(実際、マヌサイの妹さんはこの家でアユルヴェーダを施術しています)。
一般的に、儀式で起こること
※人、場所、環境が違えば、すべて違うアヤワスカ体験です。ここでは、私が神殿の中で行った5回のアヤワスカ儀式の体験をシェアしています。
滞在中、新しい参加者が到着したり、出発したりと、儀式を形成するメンバーが変わることがほとんどでしたが、日中にはヨガをしたり、一緒に食卓を囲んだり、チェックイン・サークル(精神、体調などがどうであるかを、妨害されることなく自由に表現する安全な輪)をしたり、また儀式の前にもサークルを組むなどして、仲間たちとつながりました。
陽がどっぷりと沈んで、精霊たちが動きだす時間帯に儀式がはじまります。輪になって座っていると、アヤワスケーロが一人ずつ名前を呼ぶので、彼の前まで行って座ります。然るべき呪文を全員で述べた後、アヤワスケーロがアヤワスカを適量注ぎます。聖杯は、木で彫られた小さなもので、そこに特別なタバコの煙を吹き入れます。隣に座っていたので、アヤワスケーロが奏でる口笛とイカロスを聞いて煙が踊り出すさまを毎回眺めることができました。アヤワスカを飲んだ後は、定位置に戻り、次の人、次の人、というように順に全員がアヤワスカをいただきます。
儀式は、イカロスやアルカナというスピリットソングで開始されます。口承で伝えられてきたイカロスは150種類から200種類あるといわれており、アヤワスケーロはさまざまな状況にあわせてイカロスを使い分けていきます。それは鼻歌であり、口笛であり、シャカパと呼ばれる神聖なスピリットプラントが奏でる音であり、静寂でもあります。イカロスと口笛や楽器が奏でられるそばからソングラインが織り込まれ、そのラインに乗って大蛇の精霊、アヤワスカが姿を現します。
世界の多くの土着文化でなじみ深い蛇...育った京都のお寺にも蛇の神様が祀られており、一発目のアヤワスカで空也上人が現れました。
≪お念仏もソングラインもエネルギー。重要文化財空也上人像≫
一定の周波数内で癒しが起こる
アヤワスケーロがスピリットソングを奏でながら癒す一方で、ヒンドゥー司祭でもあるマヌサイは、インドの古典楽器を使ってヒンドゥーの神々を迎え入れます。インドどペルーの伝統楽器を自由に使いこなせる彼は、神殿内をインド伝統音楽でインド百万の神、そしてペルーの自然界の八百万の神々を呼び集めます。ペルーでインド?と思われるかもしれませんが、マヌサイの家には、アグニホトラ(火の儀式)の神殿、シヴァ、ガネーシャ、カリ、インドの聖人等が要所に祀られ、サイババの瞑想堂もあり、インドの司祭でもあるマヌサイはペルーとインドの神々と協働し癒しを施しています。
ここで音楽というのは、周波数を意味しています。神殿内の開けられた次元扉の中で、上層の精霊だけが存在できるような周波数をつくり出し、神殿内を神聖な癒しの場へと変えていきます。
一度目(最初の)アヤワスカの杯を全員が飲みおえると、次に一人ずつアヤワスケーロの前にもう一度呼ばれ、アヤワスカの精霊とアヤワスケーロが魂の大掃除をおこなっていきます。立つこともできない者へには、アヤワスケーロが出張し、ひとりずつしっかり視ていきます。アヤワスケーロにはすべて見えているのだと思います。どこまで見えているのかは、私は彼の目ではないのでわかりませんが、少なくともアヤワスカの精霊により、患者の身体をエネルギー体として透視しているのだと思います。アヤワスカを胎内に招きいれた私たちそれぞれが感じていること、経験していることを、アヤワスケーロも共有しているはずです。そして、私たちを「神の御名のもと」普遍的な愛と総全体の善の方へと導いていきいます。
参加側は、この場ではもうなるようにしかなれず、ある意味なされるがままです。アヤワスカの守り神であるアマゾンのプーマやコンドルが登場したり、もう話すことのできない人が話しはじめたり、ある人生のできごとの本当の意味をとうとう理解したり、傷ついたハートが取り出されて新しいものと入れ替えられたり、、、。あなただけに、あなただけの、アヤワスカ
神聖空間を護る責任
神殿の外では、下層の霊たちがうようよとしています。下層の霊というのは、悪い霊ではありません。迷える霊です。彼らは闇からの助けを欲しがっている霊です。私たちは彼らに対していつでも功徳を分け与えることができますが、救うことができないことをはっきり宣言しなくては、逆に連れていかれてしまいます。アヤワスケーロは、参加者が祟られたり、リンボ(辺獄)に陥らないようにしっかりと護る義務を果たしています。
さて、ある日の儀式で、私のパートナーがトイレに行ったきり帰ってこないことがありました。参加者はほとんど寝ていますし、だれも気付くものはいません。アヤワスケーロとシャーマンは、彼がトイレに立ったことは知ってはいましたが、神殿内を護り全員のヒーリングに集中していました。彼が帰ってこないで30分近く経って、これは「遅すぎると」マヌサイに囁いたところ、途端に楽器を投げて、走って神殿の外へと出ていきました。大声で彼の名前を呼びます。マヌサイが彼を探して敷地内を歩き回る間、アヤワスケーロは極度の集中力で無言でした。そうしていると数分経って二人は一緒に神殿に戻りました。
戻るとすぐ彼はアヤワスケーロに呼ばれ、すでについた低層の霊を祓ってもらっていました。彼がどれほど闇へひっぱられていたのかわかりませんが、ひっぱられたから戻ってこれなかったのです。アヤワスケーロはお祓いをした後、この神殿内は絶対的に護られて安全であること、外の世界は逆に救われたい癒されたい百万の霊が待ち構えていることを伝えました。だからこそトイレにいったらすぐ帰ってくるという決まりを護らなければ大変なことになると諭しました。私には、アヤワスカの儀式を提供するアヤワスケーロとして、儀式内では何があろうと低俗霊から全員を護る気合いが感じられました。
霊的手術/サイキックオペレーション
神殿内では、引き続きアヤワスケーロとシャーマンと精霊がオンパレードでヒーリングをしています。アヤワスケーロと精霊界の調和、完全なハーモニー。そのハーモニーが織りなすラインが身体を通っていきながら、同時にその一部として存在する摩訶不思議空間。アヤワスケーロと同じ次元に立つことができれば、この完全なるオーケストラを同じ目線(次元)で見ることができます。まるで蛇がすべての細胞を通り過ぎていくような、次元の境のない宇宙へ飛び込んでいくような、ソングラインを抱きしめながら音そのものになるような。
胎内にいついた黒魔術や、呪い、エンティティがお役目を終えて去る時が来たのなら、それはこの時です。アヤワスケーロはイカロス(ソングライン)とシャカパ(スピリットプラントで作られるハタキのようなもの)と、聖なる水、スピリット・プラント(煙草の煙)、そして最も重要な要素である純粋な信仰心を携えて、「霊的手術」または「サイキックオペレーション」を遂行します。三つの世界の扉が開いた多次元空間でしかできない宇宙手術。
それらのものを駆使して、患者から(時には患部から直接)彼自身の体内の中に吸い上げます。この霊的手術は、手ごたえのあるモノに対しておこなわれるようで、私が真横で視ることができたのは、例のアヤワスカを不注意にも施す側になり盲目になりかけていた彼への、視力回復手術だけでした。
私たちはもう吐ける物質もエネルギーもなく、もう吐けない状態ですから、彼が患部から直接吸い上げます。吸い上げるのです!神技です。体の中で悪さも怖さもなんでもやってきた手ごたえのあるあれやそれ、同時に大切な学びや気づきをくれたあれを、見事に自らの体に巧みに吸い上げてしまうのです。霊的手術を4回、しかも毎回横になってお腹を出して受けた私は、吸い上げられ、出ていく感触を感じました。私にはアヤワスケーロが見たものすべてを見たわけではありませんが、その後何を見たか聞きだしたところ、彼が答えてくれたものは私が見たものと同じでした。
儀式の終了、後始末
儀式が終わるのは、深夜も丑三つ時もすっかり過ぎてから。参加者は睡眠をとるために寝室に戻り、翌朝はまずシャワーを浴び、その後食べられる人は定められた朝食をいただきます。その後、バケツに吐き出されたモノを神聖な土地に埋め、ケチュア族の神聖な氷山からおりてくる天然水でバケツ諸々を洗います。
アヤワスケーロが吸い上げたモノで、聖水で洗われる運命でなかった分については、彼の胎内にあります。儀式は何日も続くことがあり、何十人という数にのぼることがありますが、アヤワスケーロは吐き出されたモノを胎内に「一時保管」します。すべての儀式を終えた後、その後ひとりジャングルに戻って、アレやソレなどの霊的エネルギーを、あるべき場所へと送り還します。一日や数日の作業ではなく、それ以上になることがあると話していました。もちろん、ここでも断食するそうです。この断食する理由は聞けなかったのですが、霊的な存在を尊重した上で、彼自身や自然界の霊性を守るためではないかと感じました。
終わりました。ホッと一息。
≪休憩中のコルカス。彼はアヤワスカで聴力を取り戻し、今はアーティストに≫
今や病気だというと、病院に行ってお医者さんといわれる人と話し、病名に応じて処方される製剤医薬品を飲んで現状維持する対処療法か、発達してしまったそのもを切り離す手術が一般的です。精神の不調であれば、その人本人を社会から分け離す(ホームへ入院させる)のが通常です。社会が、社会で、「普通に」機能できるよう、お金があれば概ね短時間で「整理できる」時代です。
古代から利用されてきた病気の癒し方は、根源療法でした。森やジャングルなどに行って薬草などを使って、病気の源となるエネルギーを元の状態へと戻す方法が取られてきました。お医者様というものはおらず、メディスンマンやシャーマンと呼ばれる叡智と経験のある者が、創造主からチャネリングしたメッセージと深い普遍の愛ともに、自然界と共同で患者を癒してきました。
どれほど科学技術が発達しても、変わらないものは、魂の真実。これが私たちを聖なる存在にもさせるの。魂は見えないもので、わかるまでは些細な感覚のため、我々はついつい見えるこの身体だけが「存在のすべて」であると思いがちです、しかし、私たちの二つの目では見えない存在が、私たちの身体以上、人類の人口数以上に存在していることが真実なのです。今、あなたがこの記事読んでいるとき、ふと考える遠いあの場所のあの人や、彼岸に行ったあの人、本で読んだことがある精霊たち、もしも私のことを知っている人は私のことを考えるだけで、彼ら(私たち)の魂は今そこにも存在することができるのです。そしてそれをすることができるのは、人間が持つ聖なる力、マインドのパワーなのです。マインドのパワーを知る時が訪れ、そしてがっつり学んできたのは、その後訪れたタイ上座部森林派の修行寺です。それはまた、次回のお話しといたしましょう。。。
治せない病気はない。
今回アヤワスカをいただいたことで、いわゆる病院や研究所で開発された医薬品では到達できない領域があり、そして普く存在するものの存在法則を知っているシャーマンにしか癒せないものがあることを、強く実感しました。
【~おまけのお話~】
アヤワスカ(とサンペドロと◎×◎と)の後に、廃墟で出会っちゃった魔女。からの、アヤワスカで受け取ちゃったコズミック体験を落としこむために向かったタイ(へと続く)土産話は、こちらから ↓
タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [(上座部仏教 雨安居修行)]
密着28日間!アヤワスケーロが明かすアヤワスカの真実 [シャーマニズム・スピリットメディスン]
シャーマニズムを理解せずして、アヤワスカは語れません。シャーマニズムのまとめは、
こちら⇒アヤワスカの前に。シャーマンとシャーマニズム(1)
アヤワスカのお話は二次元ではお話することが難しく。パラレルで進めたこちらの記事も併せて、
どうぞ⇒【アヤワスカのネ申体験を無駄にしない基礎知識】
参考として、私が体験したアヤワスカ儀式の準備と、儀式の流れを知りたい方は、
こちらまで⇒【知っておくと!アヤワスカの準備と儀式の流れ】
あとー、
(もうおなかいっぱいかしら汗)
おまけの話で(すべてのアヤワスカ記事を読んだ後で読むのがおすすめ!)、
アヤワスカ(とサンペドロと◎×◎と)で受け取ったコズミックホームワークを行うために、向かったタイでの出家(へと続く)話は、
タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●
日本のことわざで、餅は餅屋って言葉がありますね?アヤワスカも同じ。アマゾンのアヤワスカに関してはアヤワスケーロの右に出るものはいません...。ということで、密着!アヤワスケーロに学ぶ28日間!。聖なる谷(Sacred Valley)は、山の精霊(Apu)に囲まれたシャーマンの故郷で『パチャママ・ワシ(母なる地球の家)』で、アヤワスケーロから教わってきたことと、体験後に得たさまざまな考察を含めて、お伝えするスピリット・メディスンシリーズです。
≪月の秘薬であるアヤワスカのツインフレームともいえる、太陽の秘薬サンペドロ(ケチュア語でワシュマ、サボテンの一種)を8時間半かけて煎じ中≫
ーーー
以前観たドキュメンタリー映画※で、満月のアマゾンの夜に、植物が独特の音を奏でるという話を聞いて驚いたものですが、アヤワスケーロの耳には、それぞれの植物の精霊が奏でる歌のライン(ハーモニー)が異なるものとして聴こえ、複数の種類が存在するアヤワスカ種の中でも、治癒用に使うアヤワスカを見極められるのだそうです。植物が歌をうたう??都会で生まれ育ったような現代人には、見た目にもまったく同じ植物のように見えるものでも、シャーマンの感覚でそれらがまったく違う植物だということは一目(耳)瞭然だそうです。
先にも説明しましたが、南米原住民族の間で長く使われてきたスピリットメディスンの中でも、「蛇の女神」として知られるアヤワスカを中心に扱うシャーマンは、特にアヤワスケーロと呼ばれています。彼の仕事は、正しい植物を採取して煎じ、セレモニーで捧げ、患者の胎内にある病源や呪いを取りのぞき、然るべき場所へと送り還すことです。
2016年元旦から、オーストラリアのアボリジニ長老衆と儀式の旅を共にしたシャーマンのマヌサイは、彼の愛弟子であり、息子以上に家族のような間柄。アヤワスケーロのことはマヌサイからたくさん聞いていたので、オーストラリアで「シャーマン」という存在に多少のうさん臭さを感じていた私は、アヤワスカ専門家と会えるこのタイミングに、シャーマンの役割や真実を知りたいと思っていました。
(...多少うさん臭いというのは、日本の話しに例えるならば、、、正真正銘のノロと出会うには、謙虚さと尊敬の念をもってこちらから沖縄へ会いにいくのがスジじゃないか、と思うのですね。沖縄に行ってノロに数回あったオーストラリア人が、オーストラリアで、”I am Noro"「ワタシのろデス」っていって1セッション数万円とかいうと、アレなんかおかしくないかと思ってしまうわけですよ。)
...とまぁ、目論んでいた私の思考の外で、出会った日からアヤワスケーロの方が私から目を離してくれない状態でした...(/ω\)、って恋したわけじゃないです(;´∀`)。イキートスからやってきたアヤワスケーロと、マヌサイと、マヌサイ弟君(彼もシャーマン)の乗った車が、私たちをクスコの旧市街でピックアップした時から、隣に座ったアヤワスケーロのエネルギーがこちらに向いてることが私ですらわかったわけですよ。私に、ではなくて、見えないほうのアチラの方ですけれどね...ひっ ひっ ひっっ
さて、アヤワスケーロは真面目で寡黙な男性で、10歳のお孫さんはすでにアヤワスケーロ修行をしているというので、小柄なおじいちゃんといったところ。いつもの彼の存在感は、ここにいるようでいないような、なんだか狼のように耳を立てて場を護っているかのようでもありました。私が話しはじめると底なしに深いまなざしで、体中の細胞を耳にして聴いてくれていることを感じ、同じ場を共有することで集中という言葉の向こうがわにあるなにか他の次元へ入っていく感じがしました。時折、ひっ ひっ ひっっと奇妙に笑ったりするのが奇妙可愛くもあり。。。。
≪敷地内の高台から、一緒に牛の代かきを眺めたり≫
アヤワスカの儀式を数回して一週間経った頃には、私は彼の穏やかな仕事ぶりから真摯さと献身さを理解していました。儀式以外の時間に散歩をしたり、カウンターに座ってワードゲームをしたり、一緒に儀式で自分が飲む薬を煎じたりと、そんな間柄になってきたころ、ヨーロッパからブラジルで開催される国際アヤワスカ会議へ向かう途中の一団が到着しました。長い話を劇短にすると、この一団はほぼ全員知らずか知ってかアヤワスカ中毒になっており、数名に於いては出身国でアヤワスカを提供する側になっていました。アヤワスカを嗅ぎつけて旅する者、よくわからなくなってしまった者もいれば、またその内の一人は、提供側となって以来視力を失い続けていました。数人は、すごいアヤワスケーロがいると嗅ぎつけて、また他の数人は中毒から救われたい想いで、ここ、パチャママ・ワシに到着しました。
これは、その時にアヤワスケーロが言った言葉です。
「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」
参考)アマゾン上空からの眺め
彼のホームは、アマゾン。
アマゾンは、かつて「地球の肺」というキャッチコピーがついたほど、巨大なジャングルに覆われていました。そこには、未発見の動植物、昆虫、そして原住民族が棲んでいるといわれ、文化人類学者や製薬会社の科学者を虜にしています。しかし、近年の道徳を外れたゆきすぎた開発により、その土地と自然文化は過去50年で五分の1にまで減り、遠い日本人の知らないところで、砂漠化が懸念されるほど森林破壊は秒単位で進んでいます。
毒を持つ動物や昆虫が這う道なき道を散歩することは、都会人にとっては命がけですが、彼らにとってはこれは日常なので危険ではありません。逆に、このような大自然の環境下で暮らしていれば、植物が歌うことも、植物の精霊と交信するのも、なんだか至極当然で自然なことのようなことにも思えてきます。
さて、命を惜しまない仕事ぶりは、アヤワスカを煎じるところから始まります。
アヤワスカの準備にあたっては、アヤワスケーロはひとりジャングル奥深くへ入り、断食し、独自に調合した7種類の植物を煎じます。これらの植物を、彼はスペイン語で Los Siete Medicinales de Ayahuasca 『アヤワスカの七種のメディスン』と呼び、優秀なドクターであるといいました。準備中は、偉大なる創造主へ祈りを捧げながら、アヤワスケーロは献身的な愛をもって、七種類の優れた植物とひとつになります。この作業は、量によっては平均して三日から五日かかるもので、これが一度目の身体に大きな負担がかかる場面、絶食です。(各部族の文化や自然環境によって、調合する植物や煎じる時間は異なります)
出来上がった、アマゾン風味の濃厚すぎるお茶は、自分の部屋へと持ちかえり、自らの手で患者に捧げるその日まで一緒に過ごします。それは工場で大量生産されたペットボトルのお茶のようなものではなく、精霊と愛が凝縮した結晶水ですから、彼以外の誰の手にもわたりません。マヌサイもアヤワスカを施すことができないほどで、知らない人に、ましてや海外へは売らないとも言いました。最強な秘薬の扱いを知らないで提供することが危険であることを、知っているからです。
そして、アヤワスカを作った当人が儀式を執り行い、患者の胎内からエンティティや黒魔術を吸い取った後は、責任をもってそれを己の胎内に一時保管し、アヤワスカを煎じたジャングルへと戻っていきます。そして、再度ジャングルにて絶食...胎内のエンティティを胎内からクリアにするまでジャングルにこもるのだそうです。一カ月にわたりアヤワスカの儀式をした場合、いったいどれほどのエンティティを胎内に溜め込んでいるのか想像も及びません。アヤワスケーロが呼ぶところの「よそ者シャーマン」が胎内にエンティティを一時保管した場合、次の患者にそれを吹き返しこむか、でなければ本人の身体をむしばんでいく可能性のあるようなエンティティを、患者の病気の治癒のために、経験と叡智でもって自らの胎内に吸い上げるのです。アヤワスケーロの前にどのような患者がきても、癒すことが精霊アヤワスカの意志であるならば、彼は癒しを施すのです...命を惜しまずに。
≪パチャママ・ワシの神殿からアプを眺める≫
アヤワスケーロが、「命を惜しまない」といったのは、この一団を含んでのアヤワスカ儀式を終えた翌日で、シャーマニック・ハイキング(アヤワスカを飲んでから、途中サンペドロをいただいて山頂にある聖なる河へ禊にいく行程)の帰り道で、精霊の木の下に私たちを集わせたときでした。彼は謙虚すぎるお人柄で、この一団を叱ったわけではありませんが、人間的な感情を少し含めたきつめの口調で、「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」。と渋みをもって伝えました。
すべての儀式中、私はアヤワスケーロの左隣、彼に指定された定位置にいましたから、彼がこの一団の一人一人にアヤワスカを提供して癒していく姿をすべて目撃しました。その回は、確か私の3回目の儀式で、もちろんアヤワスカですから心地よい経験ではありませんが、儀式中は絶対に横にならないと最初から決めていたので、吐いたり死にそうになったりしながらもアヤワスケーロの指示で一緒にイカロスを口ずさんだり、またシャーマン間の摩訶不思議な行動を理解でき、彼らには見える見えないものの存在が私にも見えたので、言葉のないコミュニケーションを図ることもできました。
そんなですから、アヤワスケーロが、各人にいったい何を施しているかが、私に伝わったのです。彼が命を惜しまないで仕事をしていること、よくわかりました。目の前にいる人の苦しみを自らの身体を犠牲にして吸い上げることのできるアヤワスケーロの真摯な姿から、個人の意志以上に、アヤワスカの精霊そして母なる地球と協働していることも感じられました。彼はアヤワスカと一心同体ですが、きっと人間的に理解できない状況などもきっとあるのだと思います、それがこの回だったのかもと...
実は、この儀式の前に、当初予定されていた日程があったのですが、アヤワスケーロはアヤワスカを提供しませんでした(儀式の中止を行いました)。その理由は私ですら明らかでしたが、代わりにマヌサイがヒンドゥー教の火の儀式をし、ペルーの聖なる谷にインドの神々を集めて、その輪の中でこの一団全員にアヤワスカが何であるかについて愛をもって諭しました。厳しい言葉もありました。目が覚めるような言葉がたくさん聞かれました。数時間に及ぶ火の儀式のあと、数人は、絶対なるものにたいして許しを求めたり、黙り込むもの、ある者は涙していました。この理解の翌日、アヤワスケーロは上記の儀式を行ったのです。彼は、アヤワスカと母なる地球への尊敬と敬愛がない者に対して、アヤワスカの神聖さと重みを伝えたかったのだと思います。
また、アヤワスケーロは、こんなことも教えてくれました。
「白」と「黒」のアヤワスケーロ
患者の身体と心(精神)の傷(トラウマ)や不調を治すという純粋な目的でアヤワスカを煎じ提供し、創造主とアヤワスカの精霊を深く敬い愛するアヤワスケーロは、ホワイト・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。その反対に、お金や地位やジェスチャーのため、曲がりひねくれた意思や、明らかに道徳に反した目的でアヤワスカを利用する者は、ブラック・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。ブラック・アヤワスケーロは、セレモニーの参加費を払った人に対して、通常全員にアヤワスカを提供します。ホワイト・アヤワスケーロは、精霊のもとで動(働)くため、目の前にいる患者に飲む準備とタイミングが訪れていないメッセージを受け取ると、提供するのが今ではないと断ります。上記に書いた通り、アヤワスカではなく、火の儀式を行ったり、異なるメディスンやスウェットロッジを行ったりして、ある程度アヤワスカの精霊にいろんな角度から近づいてから、アヤワスカを提供するようです。
アヤワスカは誰のため?自分さえよければ?
90年代にアヤワスカ成分の科学研究が再開され、口コミとネットでアヤワスカが世界中に知れ渡ってからというもの、アヤワスカが本来必要とされるアマゾンの森の子供たちや大人たちの手に届くことなく、西洋に輸出されていることを、アヤワスケーロやシャーマンたちは危惧しています。木を伐採した外国人のほとんどが、誰も森を戻そうとしていないのと同じで、失われたアヤワスカの木を、植樹に来るものはほとんどいないのだそうです。私が出会った他のアヤワスケーロも、聞くところによると「アヤワスカ・マーケット」の中で、原住民の森を守るために働いているようなアヤワスケーロは2%ほど(ほとんどいない)だと言われています。家や紙やお箸や建築資材として切り倒される木々、人間の胃に流れこんでいくための牛肉を育てるために破壊される森、自分をつくりあげるものの流通経路や源を知らないで当たり前のように消費消耗してく経済の流れとまったく同様に、「今の自分さえよければ」という強欲がアヤワスカの使われ方にも見られます。
中でも、アヤワスケーロが最も懸念していたのは、アヤワスカという植物界の上層に君臨する月の精霊(デーヴァ)に対して、手を掌わせたりするような謙虚さや、それらの精霊が棲まう地球そして宇宙をつくる創造主への尊敬の念がまったくないものの手に、アヤワスカが渡っていき、癒しよりも金銭目的でアヤワスカが諸外国で利用されていること、そして、誰がどこでどんな想いで作ったかわからないアヤワスカが南米から輸出され、その経路を知らなくても無知で使ってしまう「よそ者シャーマン」が増えていることでした。このことはこちらの記事で書きましたが、アヤワスカの精霊と一心同体のアヤワスケーロは、アヤワスカを通して空気中に澱んでいるエンティティをソース(源)に還してやることを常に遠隔で行っていました。
アマゾン原生森を再生する活動
彼はアマゾンを出ることのないアヤワスケーロでしたが、ちょうど私と出会った頃から、壊されていない原生林を守り、破壊された森を再生するために、マヌサイと国際的な啓蒙活動をはじめていました。これまでにアヤワスカの聖なる力を得て、彼女から癒しを受け取った者、神聖なる宇宙との一体感を得た者、過去のトラウマを癒したり、亡くなった方との感情関係を修繕した方々が、アヤワスカへの感謝をアマゾンの森へ還元できるよう、つなげる役目を始めています。
南米原住民の子孫として叡智と使命を受け、見えない両界をつなげる道をどれだけ行っても、容易になるような類の仕事ではありません。逆に、現代社会ではもうなくなったかのように扱われている黒魔術やエンティティの存在を、古代の叡智を受け継ぐ民族たちは知っており、今も強い愛でそれらを解き放ってくれているのです。この地球は私たち人間だけの所有物ではなく、人間だけが好き勝手にできるものではなく、動物や植物たちと共存し、そしてまた見えない存在のものに囲まれ、成り立っていることを忘れてはなりません。
私が出会ったアヤワスケーロは、少年のころから、己の命を犠牲にすることも辞さずに本分を全うする祖父から仕事を学び、修行を積んで、今は自分がその役割を果たしているのだそうです。大いなるものから遣わされたその聖なる才能と献身的な愛で、人々の病や問題を解決する手助けをするのが生きがいなのだそうです。だからこそ、アヤワスカが必要な人に、正統なアヤワスカを正しい方法で提供し、癒したいのだと、教えてくれました。
※このドキュメンタリーだったと記憶しています
“The Sacred Medicine" 直訳=聖なるメディスン
こちら⇒アヤワスカの前に。シャーマンとシャーマニズム(1)
アヤワスカのお話は二次元ではお話することが難しく。パラレルで進めたこちらの記事も併せて、
どうぞ⇒【アヤワスカのネ申体験を無駄にしない基礎知識】
参考として、私が体験したアヤワスカ儀式の準備と、儀式の流れを知りたい方は、
こちらまで⇒【知っておくと!アヤワスカの準備と儀式の流れ】
あとー、
(もうおなかいっぱいかしら汗)
おまけの話で(すべてのアヤワスカ記事を読んだ後で読むのがおすすめ!)、
アヤワスカ(とサンペドロと◎×◎と)で受け取ったコズミックホームワークを行うために、向かったタイでの出家(へと続く)話は、
タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]
●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●
日本のことわざで、餅は餅屋って言葉がありますね?アヤワスカも同じ。アマゾンのアヤワスカに関してはアヤワスケーロの右に出るものはいません...。ということで、密着!アヤワスケーロに学ぶ28日間!。聖なる谷(Sacred Valley)は、山の精霊(Apu)に囲まれたシャーマンの故郷で『パチャママ・ワシ(母なる地球の家)』で、アヤワスケーロから教わってきたことと、体験後に得たさまざまな考察を含めて、お伝えするスピリット・メディスンシリーズです。
≪月の秘薬であるアヤワスカのツインフレームともいえる、太陽の秘薬サンペドロ(ケチュア語でワシュマ、サボテンの一種)を8時間半かけて煎じ中≫
ーーー
以前観たドキュメンタリー映画※で、満月のアマゾンの夜に、植物が独特の音を奏でるという話を聞いて驚いたものですが、アヤワスケーロの耳には、それぞれの植物の精霊が奏でる歌のライン(ハーモニー)が異なるものとして聴こえ、複数の種類が存在するアヤワスカ種の中でも、治癒用に使うアヤワスカを見極められるのだそうです。植物が歌をうたう??都会で生まれ育ったような現代人には、見た目にもまったく同じ植物のように見えるものでも、シャーマンの感覚でそれらがまったく違う植物だということは一目(耳)瞭然だそうです。
先にも説明しましたが、南米原住民族の間で長く使われてきたスピリットメディスンの中でも、「蛇の女神」として知られるアヤワスカを中心に扱うシャーマンは、特にアヤワスケーロと呼ばれています。彼の仕事は、正しい植物を採取して煎じ、セレモニーで捧げ、患者の胎内にある病源や呪いを取りのぞき、然るべき場所へと送り還すことです。
2016年元旦から、オーストラリアのアボリジニ長老衆と儀式の旅を共にしたシャーマンのマヌサイは、彼の愛弟子であり、息子以上に家族のような間柄。アヤワスケーロのことはマヌサイからたくさん聞いていたので、オーストラリアで「シャーマン」という存在に多少のうさん臭さを感じていた私は、アヤワスカ専門家と会えるこのタイミングに、シャーマンの役割や真実を知りたいと思っていました。
(...多少うさん臭いというのは、日本の話しに例えるならば、、、正真正銘のノロと出会うには、謙虚さと尊敬の念をもってこちらから沖縄へ会いにいくのがスジじゃないか、と思うのですね。沖縄に行ってノロに数回あったオーストラリア人が、オーストラリアで、”I am Noro"「ワタシのろデス」っていって1セッション数万円とかいうと、アレなんかおかしくないかと思ってしまうわけですよ。)
...とまぁ、目論んでいた私の思考の外で、出会った日からアヤワスケーロの方が私から目を離してくれない状態でした...(/ω\)、って恋したわけじゃないです(;´∀`)。イキートスからやってきたアヤワスケーロと、マヌサイと、マヌサイ弟君(彼もシャーマン)の乗った車が、私たちをクスコの旧市街でピックアップした時から、隣に座ったアヤワスケーロのエネルギーがこちらに向いてることが私ですらわかったわけですよ。私に、ではなくて、見えないほうのアチラの方ですけれどね...ひっ ひっ ひっっ
さて、アヤワスケーロは真面目で寡黙な男性で、10歳のお孫さんはすでにアヤワスケーロ修行をしているというので、小柄なおじいちゃんといったところ。いつもの彼の存在感は、ここにいるようでいないような、なんだか狼のように耳を立てて場を護っているかのようでもありました。私が話しはじめると底なしに深いまなざしで、体中の細胞を耳にして聴いてくれていることを感じ、同じ場を共有することで集中という言葉の向こうがわにあるなにか他の次元へ入っていく感じがしました。時折、ひっ ひっ ひっっと奇妙に笑ったりするのが奇妙可愛くもあり。。。。
≪敷地内の高台から、一緒に牛の代かきを眺めたり≫
アヤワスカの儀式を数回して一週間経った頃には、私は彼の穏やかな仕事ぶりから真摯さと献身さを理解していました。儀式以外の時間に散歩をしたり、カウンターに座ってワードゲームをしたり、一緒に儀式で自分が飲む薬を煎じたりと、そんな間柄になってきたころ、ヨーロッパからブラジルで開催される国際アヤワスカ会議へ向かう途中の一団が到着しました。長い話を劇短にすると、この一団はほぼ全員知らずか知ってかアヤワスカ中毒になっており、数名に於いては出身国でアヤワスカを提供する側になっていました。アヤワスカを嗅ぎつけて旅する者、よくわからなくなってしまった者もいれば、またその内の一人は、提供側となって以来視力を失い続けていました。数人は、すごいアヤワスケーロがいると嗅ぎつけて、また他の数人は中毒から救われたい想いで、ここ、パチャママ・ワシに到着しました。
これは、その時にアヤワスケーロが言った言葉です。
「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」
参考)アマゾン上空からの眺め
彼のホームは、アマゾン。
アマゾンは、かつて「地球の肺」というキャッチコピーがついたほど、巨大なジャングルに覆われていました。そこには、未発見の動植物、昆虫、そして原住民族が棲んでいるといわれ、文化人類学者や製薬会社の科学者を虜にしています。しかし、近年の道徳を外れたゆきすぎた開発により、その土地と自然文化は過去50年で五分の1にまで減り、遠い日本人の知らないところで、砂漠化が懸念されるほど森林破壊は秒単位で進んでいます。
毒を持つ動物や昆虫が這う道なき道を散歩することは、都会人にとっては命がけですが、彼らにとってはこれは日常なので危険ではありません。逆に、このような大自然の環境下で暮らしていれば、植物が歌うことも、植物の精霊と交信するのも、なんだか至極当然で自然なことのようなことにも思えてきます。
さて、命を惜しまない仕事ぶりは、アヤワスカを煎じるところから始まります。
アヤワスカの準備にあたっては、アヤワスケーロはひとりジャングル奥深くへ入り、断食し、独自に調合した7種類の植物を煎じます。これらの植物を、彼はスペイン語で Los Siete Medicinales de Ayahuasca 『アヤワスカの七種のメディスン』と呼び、優秀なドクターであるといいました。準備中は、偉大なる創造主へ祈りを捧げながら、アヤワスケーロは献身的な愛をもって、七種類の優れた植物とひとつになります。この作業は、量によっては平均して三日から五日かかるもので、これが一度目の身体に大きな負担がかかる場面、絶食です。(各部族の文化や自然環境によって、調合する植物や煎じる時間は異なります)
出来上がった、アマゾン風味の濃厚すぎるお茶は、自分の部屋へと持ちかえり、自らの手で患者に捧げるその日まで一緒に過ごします。それは工場で大量生産されたペットボトルのお茶のようなものではなく、精霊と愛が凝縮した結晶水ですから、彼以外の誰の手にもわたりません。マヌサイもアヤワスカを施すことができないほどで、知らない人に、ましてや海外へは売らないとも言いました。最強な秘薬の扱いを知らないで提供することが危険であることを、知っているからです。
そして、アヤワスカを作った当人が儀式を執り行い、患者の胎内からエンティティや黒魔術を吸い取った後は、責任をもってそれを己の胎内に一時保管し、アヤワスカを煎じたジャングルへと戻っていきます。そして、再度ジャングルにて絶食...胎内のエンティティを胎内からクリアにするまでジャングルにこもるのだそうです。一カ月にわたりアヤワスカの儀式をした場合、いったいどれほどのエンティティを胎内に溜め込んでいるのか想像も及びません。アヤワスケーロが呼ぶところの「よそ者シャーマン」が胎内にエンティティを一時保管した場合、次の患者にそれを吹き返しこむか、でなければ本人の身体をむしばんでいく可能性のあるようなエンティティを、患者の病気の治癒のために、経験と叡智でもって自らの胎内に吸い上げるのです。アヤワスケーロの前にどのような患者がきても、癒すことが精霊アヤワスカの意志であるならば、彼は癒しを施すのです...命を惜しまずに。
≪パチャママ・ワシの神殿からアプを眺める≫
アヤワスケーロが、「命を惜しまない」といったのは、この一団を含んでのアヤワスカ儀式を終えた翌日で、シャーマニック・ハイキング(アヤワスカを飲んでから、途中サンペドロをいただいて山頂にある聖なる河へ禊にいく行程)の帰り道で、精霊の木の下に私たちを集わせたときでした。彼は謙虚すぎるお人柄で、この一団を叱ったわけではありませんが、人間的な感情を少し含めたきつめの口調で、「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」。と渋みをもって伝えました。
すべての儀式中、私はアヤワスケーロの左隣、彼に指定された定位置にいましたから、彼がこの一団の一人一人にアヤワスカを提供して癒していく姿をすべて目撃しました。その回は、確か私の3回目の儀式で、もちろんアヤワスカですから心地よい経験ではありませんが、儀式中は絶対に横にならないと最初から決めていたので、吐いたり死にそうになったりしながらもアヤワスケーロの指示で一緒にイカロスを口ずさんだり、またシャーマン間の摩訶不思議な行動を理解でき、彼らには見える見えないものの存在が私にも見えたので、言葉のないコミュニケーションを図ることもできました。
そんなですから、アヤワスケーロが、各人にいったい何を施しているかが、私に伝わったのです。彼が命を惜しまないで仕事をしていること、よくわかりました。目の前にいる人の苦しみを自らの身体を犠牲にして吸い上げることのできるアヤワスケーロの真摯な姿から、個人の意志以上に、アヤワスカの精霊そして母なる地球と協働していることも感じられました。彼はアヤワスカと一心同体ですが、きっと人間的に理解できない状況などもきっとあるのだと思います、それがこの回だったのかもと...
実は、この儀式の前に、当初予定されていた日程があったのですが、アヤワスケーロはアヤワスカを提供しませんでした(儀式の中止を行いました)。その理由は私ですら明らかでしたが、代わりにマヌサイがヒンドゥー教の火の儀式をし、ペルーの聖なる谷にインドの神々を集めて、その輪の中でこの一団全員にアヤワスカが何であるかについて愛をもって諭しました。厳しい言葉もありました。目が覚めるような言葉がたくさん聞かれました。数時間に及ぶ火の儀式のあと、数人は、絶対なるものにたいして許しを求めたり、黙り込むもの、ある者は涙していました。この理解の翌日、アヤワスケーロは上記の儀式を行ったのです。彼は、アヤワスカと母なる地球への尊敬と敬愛がない者に対して、アヤワスカの神聖さと重みを伝えたかったのだと思います。
また、アヤワスケーロは、こんなことも教えてくれました。
「白」と「黒」のアヤワスケーロ
患者の身体と心(精神)の傷(トラウマ)や不調を治すという純粋な目的でアヤワスカを煎じ提供し、創造主とアヤワスカの精霊を深く敬い愛するアヤワスケーロは、ホワイト・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。その反対に、お金や地位やジェスチャーのため、曲がりひねくれた意思や、明らかに道徳に反した目的でアヤワスカを利用する者は、ブラック・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。ブラック・アヤワスケーロは、セレモニーの参加費を払った人に対して、通常全員にアヤワスカを提供します。ホワイト・アヤワスケーロは、精霊のもとで動(働)くため、目の前にいる患者に飲む準備とタイミングが訪れていないメッセージを受け取ると、提供するのが今ではないと断ります。上記に書いた通り、アヤワスカではなく、火の儀式を行ったり、異なるメディスンやスウェットロッジを行ったりして、ある程度アヤワスカの精霊にいろんな角度から近づいてから、アヤワスカを提供するようです。
アヤワスカは誰のため?自分さえよければ?
90年代にアヤワスカ成分の科学研究が再開され、口コミとネットでアヤワスカが世界中に知れ渡ってからというもの、アヤワスカが本来必要とされるアマゾンの森の子供たちや大人たちの手に届くことなく、西洋に輸出されていることを、アヤワスケーロやシャーマンたちは危惧しています。木を伐採した外国人のほとんどが、誰も森を戻そうとしていないのと同じで、失われたアヤワスカの木を、植樹に来るものはほとんどいないのだそうです。私が出会った他のアヤワスケーロも、聞くところによると「アヤワスカ・マーケット」の中で、原住民の森を守るために働いているようなアヤワスケーロは2%ほど(ほとんどいない)だと言われています。家や紙やお箸や建築資材として切り倒される木々、人間の胃に流れこんでいくための牛肉を育てるために破壊される森、自分をつくりあげるものの流通経路や源を知らないで当たり前のように消費消耗してく経済の流れとまったく同様に、「今の自分さえよければ」という強欲がアヤワスカの使われ方にも見られます。
中でも、アヤワスケーロが最も懸念していたのは、アヤワスカという植物界の上層に君臨する月の精霊(デーヴァ)に対して、手を掌わせたりするような謙虚さや、それらの精霊が棲まう地球そして宇宙をつくる創造主への尊敬の念がまったくないものの手に、アヤワスカが渡っていき、癒しよりも金銭目的でアヤワスカが諸外国で利用されていること、そして、誰がどこでどんな想いで作ったかわからないアヤワスカが南米から輸出され、その経路を知らなくても無知で使ってしまう「よそ者シャーマン」が増えていることでした。このことはこちらの記事で書きましたが、アヤワスカの精霊と一心同体のアヤワスケーロは、アヤワスカを通して空気中に澱んでいるエンティティをソース(源)に還してやることを常に遠隔で行っていました。
アマゾン原生森を再生する活動
彼はアマゾンを出ることのないアヤワスケーロでしたが、ちょうど私と出会った頃から、壊されていない原生林を守り、破壊された森を再生するために、マヌサイと国際的な啓蒙活動をはじめていました。これまでにアヤワスカの聖なる力を得て、彼女から癒しを受け取った者、神聖なる宇宙との一体感を得た者、過去のトラウマを癒したり、亡くなった方との感情関係を修繕した方々が、アヤワスカへの感謝をアマゾンの森へ還元できるよう、つなげる役目を始めています。
南米原住民の子孫として叡智と使命を受け、見えない両界をつなげる道をどれだけ行っても、容易になるような類の仕事ではありません。逆に、現代社会ではもうなくなったかのように扱われている黒魔術やエンティティの存在を、古代の叡智を受け継ぐ民族たちは知っており、今も強い愛でそれらを解き放ってくれているのです。この地球は私たち人間だけの所有物ではなく、人間だけが好き勝手にできるものではなく、動物や植物たちと共存し、そしてまた見えない存在のものに囲まれ、成り立っていることを忘れてはなりません。
私が出会ったアヤワスケーロは、少年のころから、己の命を犠牲にすることも辞さずに本分を全うする祖父から仕事を学び、修行を積んで、今は自分がその役割を果たしているのだそうです。大いなるものから遣わされたその聖なる才能と献身的な愛で、人々の病や問題を解決する手助けをするのが生きがいなのだそうです。だからこそ、アヤワスカが必要な人に、正統なアヤワスカを正しい方法で提供し、癒したいのだと、教えてくれました。
※このドキュメンタリーだったと記憶しています
“The Sacred Medicine" 直訳=聖なるメディスン
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