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期待を手放す@東京【喧騒の中で無執着を知る】 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

多くの人が「幸せな人生」、言うまでもなく「苦しみのない人生」を歩きたいのだと思います。天職を得て、社会で評価され、うまく人付き合いをして、豊かで幸せに、笑顔に囲まれて。

そして、今生で大多数とは異なるもの(恩恵)を与えられていたり、自ら設定する期待値がとても高いという理由などで、期待する人生を歩めなくて苦しんでいる人もいます。

特に「平均的」か平均値に近い姿で生きることが求められる社会では、さらに苦しみがちです。その社会にうまく適応したいと、自らに期待しているのです。でもできない人はできない。たとえ何かを犠牲にしてがんばって「期待する姿」に到達しても、さらに次の「期待する姿」を目指して苦しんでしまう。

今日のタイトル『期待を手放す』は、自分のことがよくわからずに、どこかまだ見えない地点に到達することで、幸せになれると期待し苦しんだ人が、やがて苦しみを手放せるようになったというお話です。


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数千坪の寺院で平穏豪華な子ども時代から一転、父親と義母との再婚後に出家(?)、数坪のマンションで都会暮らしをすることになったH。東京が経済と消費のメッカということもよく知らずに、読経と祈りが響き渡る古都から、東の都にポンとやってきました。今思うと、両極を同じ程度で経験した【陰・陽】のようにも見えます。

目の前にある東京での生活で、自分をそこに適応させることで幸せになれると期待したH。東京で生きていくために使える資格は何かと考えたとき、それは企業にて英語を使う仕事でした。できれば好きなことを仕事にしたいとHも思います。小さい頃から、絵や外遊びや庭いじりが好きでしたが、それを仕事にするという考えは存在しません。「純粋に好きなことを仕事にできたらな〜」。きっとそう感じて生きている人も多いと思います。天職といえる仕事に巡りあえるはずと期待して探すと、これがないんですよね。信じて笑顔の努力を続けることと、期待することで苦しんでしまうのは大きく違います。

8年後。
東京という大都市を選んで、仕事も遊びも謳歌している同僚や、目的を持っているからこそ繰り返される毎日を楽しく過ごす友達を見て、どうすれば都会生活に適応できるだろうと、期待しては落胆をまだ続けていました。故郷への未練を断ち切れずに落胆。彼氏と別れるたびに落胆、仕事で思うように自己実現できなくて落胆。長すぎる停滞期にいました。中には東京を出ていく友達もたくさんいました。Hも脱出方法を考えましたが、それすらも糸口が見つかりません。趣味のヨガやダンスはリラックスや創造性以前に、うっぷんを晴らすためで、結局身体を痛めたことが仕事にも影響するようになります。自分のことがわからないから、周りのことも理解不能なことばかりになりました。

仕事のやり方を変え、プライベートや人間関係を自分なりに工夫しては、「失敗」の繰り返し。「失敗」の側面に、何か「パターン」のようなものがあることにも気づきました。何かの理由があってここに住むことになった気がするけれど、それもわからないし、住んでいることが腑にも落ちない。今、なんで大都会に住んでいるんだろう。どうしてここを選んでいるんだろう?

ここ に いる 目的 は なに!?

これが鍵となるひとつの祈りの言葉となりました。日々、この疑問を心底から聴こえない声で叫び続け、そして瞑想を続けたことで、少しずつ自分のことがわかるようになり、すると期待すること自体も減りました。そもそも「失敗」という概念も存在しない。失敗もしていなければ、落胆することもない。単に「経験すること」が、真の理解をもたらすのです。
そして、深く深く『己を知』れば知るほど、本来の自分にとって居心地のいい環境がどんどんと整備されていきます。あとはそれを受け入れられる「自分」を維持するのみ。


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世界中に存在する大都市と同じく、東京は物質的にも、精神的にも、人類の発展に重要な役割を担っている土地であるはずです。今、この場に住んでいるのなら、何かの大いなる意思の元で『地球学校』の「東京クラス」にクラス分けされたのでしょう。「東京クラス」は大人数の生徒を一気に抱え、その一人一人にあった課題が課され、それぞれの魂の成長がしっかりと見守られながら、次へと続く道へと導かれていくように感じます。そして、「東京クラス」での尊い学びが、どこでどう次の地点にシフトしていくのかは計り知れません。

私にとって、「東京クラス」での学びの一つは、高い次元から人生を見つめる方法を知ったことで、《「期待」は、自らの経験によって創りあげた「幻想」でしかない》と気づいたことでした。無意識で他と比較し、社会の中の自分に期待し、仕事や家族や、人生そのものに期待する。自分で期待を膨らませ、それを空まわりさせ、自分を苦しめる。
また、英語を使っての仕事が私の天職とは思いませんが、私に努力や壁を乗り越える力を与えてくれ、まっすぐに導いてくれる「英語」は、創造主から与えられたギフトだと感じ、大事にしています。『好きなことをしなさい。好きなことがわからなければ、今やっていることを好きになりなさい』の意味も、今は経験により理解できます。

与えられた環境がどうであれ、今できることは、執着することなく日々を意識的に生きていくことです。目の前に投影される世界が、自分の心次第でいかようにも変化しているようなことに気づきながら・・・


期待を手放し、あるがままの自分を受け入れる
生きることは、今に存在すること
己を知る。

−−−意識的に生きることで、人生は自然と導かれるのだと思います。


Moana Sunset.png



『期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】』の記事もどうぞ)
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