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人生のやさしい変革術(前編)〜変革ってなに?〜

2015年の今日、皆さまいかがおすごしでしょうか。
新年はいつもとほとんど変わらぬ普通の日。どころか、スチュアートも私もお正月前からずっとバタバタしていました。実は、このお正月に私たちはエコ・ビレッジを「卒業」しました。

ビレッジを出て、(村人が呼ぶところの)普通の郊外に引っ越しました。

普通の郊外は、ビーチへ徒歩5分(近〜い!)
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今回の「卒業」は、「大家が家に戻ってくるから、退去!」という、ビレッジ中が驚くニュースで幕開けしましたが、実はうすうす予期はしていました。家の菜園に立つたび、「もう野菜を植えるスペースがない」とか、「エコ・ビレッジではなくとも、エネルギー的にサステイナブル(持続可能なエネルギーを使う)暮らしはできるのではないかな」、などと心でつぶやいていたからです。内なる心と外界が同調しはじめると、何を考えるかに責任をもたなくてはならないというのはこのこと。つぶやいたことがすぐ現実化します。

それに加え、この数ヶ月で(ビレッジ)外のコミュニティと積極的につながることが多くなり、ビレッジの外ではある意味「ビレッジの○○さん」というようなレッテルがなく、自由に無限に何かが広がり繋がっている感じを得ていたこともあります。そして、東京で描いた「未来の家のビジョン」が、もうとっても小さく感じ始めていました・・・。

東京にいた際、こんなビジョンを描いたり(もう過去なのでボヤけぎみ)
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私たちの家のビジョンは強く、庭は弱め。

何よりもオーストラリアに移住してからの15ヶ月間、ご近所の底力を存分に活かし、自然農法やパーマカルチャーを学んだ経験と、つないだ人脈はまさに宝です。そしてまずは旦那さんのスチュアートに感謝、感謝です。

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さてさて今日は、人生が変わる時、人はいったいどんな流れを踏んでいくのか、突然ですが追ってみました。超物質派だった人が、精神的に満たされた人生を歩むようになるのに、数年かかることもあれば一日で変わることもあります。だけど、実は今日それをすることもできるのです。ん!?

方法はやさしいけれど、ブログが長いので、途中を飛ばしたい方は、この続編のブログ〜今ここから〜【イマここ活動!】へジャンプしてください[グッド(上向き矢印)]

ちなみにですが、人生が(詳しくは、人生の見方が)変わりはじめることを、ある人は「意識が目覚めはじめる」と呼びます。人生が変わった(人生を変えた)人は、「意識が目覚めている人」と呼ばれることも。「目覚めた人」のことをサンスクリット語では『ブッダ』と言いますね。ありがたいありがたいつまり、積極的に人生を変えた人は、意識というものが目覚め、その意識をコントロールして、人生を高次に創造できるようになるわけです。

では、人生変革劇場をご覧いただきましょう↓↓

[1]身体を動かし、せっせと活動して生きる時期『主に身体を通しての人生期』

→物質面
遊びだったり、仕事だったり、美容だったり、スポーツだったり、今楽しいことを楽しんでできる時期。社会や会社の「決まり」が絶対的で、受け入れ、従える。ニュースやメディア情報がとても大切。毎朝のラッシュ電車に小走りながらも乗れる。イヤフォンから音漏れして嫌がられる側である場合も。深夜仕事で帰宅しても、数時間の睡眠で出勤できるよう社会時間がセットされている。無駄な時間はあるとわかるが、どれも削れなく、結果的に時間がない。「私の」「私が」や、アイデンティティが強い。傷つくことに恐れを感じない。ある意味とても自由。人生をこの期だけで終わることもあれば、最初から興味のない人も。

→心の面
今ある範囲で満たされている。忙しい人は緑や自然が恋しい。単なる観光旅行は飽き、好奇心をくすぐることをしたい、誰もいったことがない所に行きたいなどの願望がある。身体は強く、疑問が少ない。内なる静けさを得る時間があれば、身体を動かすことや社交を好む。もっと欲しいちょうだい、そして得られる。


[2]心が存在することに気づきはじめる『心そわそわ期』
−繰り返される不調や「クセ(ドラマ)」を通して、自分では意識してない「何か」が、人生を動かしているかもと感じる時期

→物質面
ある程度の仕事がこなせ、生活がまあ安定し、人間関係も悪くない。自分の思うように人を動かすことができ、ステイタスや安定があるが、これが想い描いた生活であるかは少し怪しい。欲しい物はある程度なんでも手に入る。遊び、仕事、趣味、彼氏/彼女、洋服、腕時計、車。手に入っては飽き、次を探したい願望やサイクルが早くなる。スローダウンできない。人生を過呼吸で全速力気味。疲労、腰痛、肩こり、眼精疲労。

→心の面
目の前に姿を現したり、消えたりするものの多く(実はすべて)は、自分の内側の「何か」が原因で発生しては消滅しているのかもしれない。でも「これ」という原因は特に思いあたらない。手に入れて納得したはずなのに、手にしたとたんに「あー、またこれじゃない」と感じる。イライラしたり、辛抱が足りない。怒りっぽい。心からの欲求を満たしてくれる物があまりない。癒しや神的なものに触れたい気がする。もしかして、もしかして、自分を見つめ直す頃と言うこと?交換したり、修繕したりできるものがあまり残っていなく、あと残ったのは自分だけ。瞑想がいいと伝え聞く、いつか始めるだろうな...


[3]打つか打たないかの決定権付き『決定打期』
見逃せないサイン、立ち行かなくなるサインが出る時期。まだ見ぬ「意識の扉」を開く頃、、、開きたいならば。

→物質面
お金、人間関係、仕事、結婚、家族、子育て、親子関係、中毒、事故、健康、愛する人との別離、これらのどれか、または自分の「弱点」(実は人生における先生)がきっかけで、ちょっと闇、どん底、ボロボロになるか、なる直前。または、ガタガタになって修復できないのを知った上で、布でもかぶせて見ないふりをしている自分がいるのを十分知っている状態。
習慣的にしてきたことができなくなる。今まで通りかしたいように暮らそうとするため、何かのやりくりが必要。生きる上で根本的且つ本質的なことに疑問が出てくる。隠し事がある。なんで働いてるんだ、なんでここにいるんだ、なんでこの人と過ごしているの。モノゴトの意味を問いたくなる。

→心の面
神様仏様何様でもいい、誰でもいいから助けて欲しい。でも誰にも言わない。躁鬱、慢性疲労、不眠、過食、消化器系不良。


↓↓
どうしても解決策が欲しい、と祈り、行動し続けることで、自動的に意識が目覚めはじめます。


[4]気づいたら次は行動『人生リアル変革期』
→物質面
心に芽生えた人生の本質的な疑問は、もはや無視できません。短期的な解決法は不要、便利で手軽な答えはいりません。長期的もしくは半永久的に、今ある悩みから解放される方法を求める。天職を得るためや、不調の改善または治癒のため、「楽しかった子どもの頃ような無垢な時を過ごしたい」ため、生涯のパートナーをみつけるため、本当にしたいことをするため、「将来の社会や自分を恐れないで生きる」ため、なりたい自分になるための方法を求める。これだけ溢れている情報に、自分の求める答えはないことに気づく。情報のソース、とり方、出会う人が変わりはじめる。ここで、すでに同じ道を歩み、導くことができるアドバイザーやメンター的な人がいると、無駄に苦しんだり、逆方向に暴走するような事態を避けられます。

→心の面
物質ではなく、眼には見えない、手に入りにくいものを手に入れたいことに気づく。新しいような、でもすでに知っていたような知識を数珠つなぎに吸収し、経験していく。焦りがち。一方で恐れや不安がクリアになっていく。「愛」が何だか知りたい、人生最大の謎が誕生。「答え」や「人生」探し。


いかようにも長くなり得る[5]『模索期』からは、人生のやさしい変革術(後編)〜今ここから〜へ続きます。





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