オーストラリア・パートナービザ取得への道4【4ヶ月でパーマネントビザ取得?】 [国際結婚・永住]
このブログは、第一章で書いたブログ【オーストラリア・パートナービザ取得への道3 タイから帰国、ビザ取得!】の続きです。
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本編前に、簡単なおさらいからはじめます。(括弧内は起こった場所)
2013年6月
日本国内から、在韓国オーストラリア大使館を通して、テンポラリー・パートナービザを申請しました。(東京、日本)
2013年8月
テンポラリービザがおりる時期が謎なので、観光ビザサブクラス600を申請しました。(京都、日本)
2013年9月
とりあえず、片道航空券でオーストラリアへ飛びました。(アデレード、オーストラリア)
2014年6月
テンポラリー・パートナービザがおりました。(プーケット、タイ)
2015年6月
オーストラリアのビザ管理局から、パーマネントビザに関するメールがきました。(アデレード、オーストラリア)
「〜※」部はもう記憶があやふやなのですが、その内容は、オーストラリア入国後またはテンポラリービザ取得後から、2年間をオーストラリア国内で過ごした場合、パーマネント・パートナービザが取得できるとかいうことでした。
※を私の場合にあてはめると、2015年の2ヶ月間を日本で過ごしたから、申請できるまたは取得できる時期が最短よりは2ヶ月伸びるわけです。上記の仮説でいうと、2013年9月に入国してから2年後である2015年11月以降にパーマネントビザ申請ができるということか、もしくは2014年6月にテンポラリービザがおりたから、2016年8月以降にパーマネントビザが取得できるということだ、、ろうか?
日本にいたころより情報が取りにくいのは完全に気のせいで、日本にいた頃から、オーストラリア永住ビザ関連の情報は散漫でとりとめなく得にくかったです。今目の前にあるメールが「申請準備に入ってください」というなら、申請準備に入っちゃえ、ということで憶測で←憶測?
申請準備開始。
2015年9月
オーストラリア9000キロのヒーリング旅へ向けての出発準備に追われるなか、書類を揃えました。
今回は、すべてオンライン申請ができ、完成まで計1ヶ月掛かりました。確か40ページ近いウェブ申請書の細かい内容を埋めていったように記憶しています。パスポートや銀行口座を含むいくつかの法的無犯罪証明書も必要でした。
私は銀行口座もタックスナンバーも免許書も持っておらず、提出できるものがない。とりあえずは銀行口座を開いてタックスナンバーは得ました。また、私たちはローンやモーゲージフリーな暮らしを実践しており、車もキャッシュで買い、電気代も水道代の支払いも発生しない暮らしなので、共同名義な証明書や法的な証明書はほとんどありませんでした。
なので、コミュニティで関わった際に撮影された写真や感謝状、またエコビレッジの友達から、多くの心こもったまことの言葉で書かれた証明書をJustice of Peaceに証明してもらい、提出しました(日本にて、行政書士などに証明してもらう際は、その度に数千円掛かっていましたが、オーストラリアで証明を受けるのは無料)。エコビレッジの友人達は、ビザが取得できるよう全面でバックアップしてくれると言ってくれ、言葉だけでもほんとうに力強い存在でした。
あとはエッセイ。私たちがどういう暮らしを実践しているか、どのようなビジョンがあるか、どんな関係を築いているのか、どんな人生を歩いていきたいのか、など。お決まりですね。
今後数ヶ月住所不定に成るということは口がすべっても言えないので、美しく素晴らしい国オーストラリアを愛でる旅に出る予定です、とだけ書き、すべての書類を提出し終えました。
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そして、オーストラリア大陸9000キロのヒーリング旅へ出発したわけです。
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全身全霊で旅にどっぷり浸かっているあいだ、ビザのことなど全く忘れていました。
それは、オフグリッド(完全自給生活)のビレッジで、パーマカルチャーのお庭で働き、野生の動物や草花とたわむれ、同じ志をもつ仲間と踊り、歌い、ビーチで焚き火をして、キャビンに帰ってきた夜でした。
「重要なお知らせです」とイミグレーションからのメール。申請をしてからたった4ヶ月後。申請後受理しましたもふもへもなく、いつもとつぜんやってくる入国管理局からのメール。内容はもうわかっていました。
2016年1月
パーマネント・パートナービザがおりました
ということで、上記の※の内容は未確認。今回私が申請した時期は、オーストラリアに入国してから1年10ヶ月しか経っておらず(←2年経っていない)、結局ビザがおりたのは予定より7ヶ月前倒しの2016年1月(←2年経ってない)...よくわかりませんが(笑)この疑問を解くつもりはなく、次の、(たぶん)5年後にやってくる、市民権の取得まで、ビザ&書類フリーな生活を楽しみます。
そうそう、その頃住んでいたのは、ニューサウスウェールズ州のイーストコーストで、
セビャーナス(ジプシーのフラメンコ)の練習をした夜に、ビザがおりたメールを確認しました。
日々、心配ゴトはあって当然。でもそれを超えて「今」ある環境で、心を開いて、「今の私」を楽しむのがベストです。
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本編前に、簡単なおさらいからはじめます。(括弧内は起こった場所)
2013年6月
日本国内から、在韓国オーストラリア大使館を通して、テンポラリー・パートナービザを申請しました。(東京、日本)
☆申請準備のブログはこちら オーストラリア・ビザ申請への道1【永住ビザ申請あれこれ】
2013年8月
テンポラリービザがおりる時期が謎なので、観光ビザサブクラス600を申請しました。(京都、日本)
2013年9月
とりあえず、片道航空券でオーストラリアへ飛びました。(アデレード、オーストラリア)
☆2013年のブログはこちら オーストラリアパートナービザ取得への道2【別居で知る諸法無我】
2014年6月
テンポラリー・パートナービザがおりました。(プーケット、タイ)
☆2014年のブログはこちら オーストラリアパートナービザ取得への道3【即時退国命令のメール】
2015年6月
オーストラリアのビザ管理局から、パーマネントビザに関するメールがきました。(アデレード、オーストラリア)
「〜(※)の場合、パーマネント・パートナービザの申請ができます。」
「〜※」部はもう記憶があやふやなのですが、その内容は、オーストラリア入国後またはテンポラリービザ取得後から、2年間をオーストラリア国内で過ごした場合、パーマネント・パートナービザが取得できるとかいうことでした。
※を私の場合にあてはめると、2015年の2ヶ月間を日本で過ごしたから、申請できるまたは取得できる時期が最短よりは2ヶ月伸びるわけです。上記の仮説でいうと、2013年9月に入国してから2年後である2015年11月以降にパーマネントビザ申請ができるということか、もしくは2014年6月にテンポラリービザがおりたから、2016年8月以降にパーマネントビザが取得できるということだ、、ろうか?
日本にいたころより情報が取りにくいのは完全に気のせいで、日本にいた頃から、オーストラリア永住ビザ関連の情報は散漫でとりとめなく得にくかったです。今目の前にあるメールが「申請準備に入ってください」というなら、申請準備に入っちゃえ、ということで憶測で←憶測?
申請準備開始。
2015年9月
オーストラリア9000キロのヒーリング旅へ向けての出発準備に追われるなか、書類を揃えました。
今回は、すべてオンライン申請ができ、完成まで計1ヶ月掛かりました。確か40ページ近いウェブ申請書の細かい内容を埋めていったように記憶しています。パスポートや銀行口座を含むいくつかの法的無犯罪証明書も必要でした。
私は銀行口座もタックスナンバーも免許書も持っておらず、提出できるものがない。とりあえずは銀行口座を開いてタックスナンバーは得ました。また、私たちはローンやモーゲージフリーな暮らしを実践しており、車もキャッシュで買い、電気代も水道代の支払いも発生しない暮らしなので、共同名義な証明書や法的な証明書はほとんどありませんでした。
なので、コミュニティで関わった際に撮影された写真や感謝状、またエコビレッジの友達から、多くの心こもったまことの言葉で書かれた証明書をJustice of Peaceに証明してもらい、提出しました(日本にて、行政書士などに証明してもらう際は、その度に数千円掛かっていましたが、オーストラリアで証明を受けるのは無料)。エコビレッジの友人達は、ビザが取得できるよう全面でバックアップしてくれると言ってくれ、言葉だけでもほんとうに力強い存在でした。
あとはエッセイ。私たちがどういう暮らしを実践しているか、どのようなビジョンがあるか、どんな関係を築いているのか、どんな人生を歩いていきたいのか、など。お決まりですね。
今後数ヶ月住所不定に成るということは口がすべっても言えないので、美しく素晴らしい国オーストラリアを愛でる旅に出る予定です、とだけ書き、すべての書類を提出し終えました。
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そして、オーストラリア大陸9000キロのヒーリング旅へ出発したわけです。
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全身全霊で旅にどっぷり浸かっているあいだ、ビザのことなど全く忘れていました。
それは、オフグリッド(完全自給生活)のビレッジで、パーマカルチャーのお庭で働き、野生の動物や草花とたわむれ、同じ志をもつ仲間と踊り、歌い、ビーチで焚き火をして、キャビンに帰ってきた夜でした。
「重要なお知らせです」とイミグレーションからのメール。申請をしてからたった4ヶ月後。申請後受理しましたもふもへもなく、いつもとつぜんやってくる入国管理局からのメール。内容はもうわかっていました。
2016年1月
パーマネント・パートナービザがおりました
ということで、上記の※の内容は未確認。今回私が申請した時期は、オーストラリアに入国してから1年10ヶ月しか経っておらず(←2年経っていない)、結局ビザがおりたのは予定より7ヶ月前倒しの2016年1月(←2年経ってない)...よくわかりませんが(笑)この疑問を解くつもりはなく、次の、(たぶん)5年後にやってくる、市民権の取得まで、ビザ&書類フリーな生活を楽しみます。
そうそう、その頃住んでいたのは、ニューサウスウェールズ州のイーストコーストで、
セビャーナス(ジプシーのフラメンコ)の練習をした夜に、ビザがおりたメールを確認しました。
日々、心配ゴトはあって当然。でもそれを超えて「今」ある環境で、心を開いて、「今の私」を楽しむのがベストです。
2016-04-30 11:34
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コメント(2)
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はじめまして!現在オーストラリアに住んでいてパートナービザのテンポラリーを保持しているのですが数ヶ月後に永住権を申請できるのですが、このとき申請料はいくらかかりましたでしょうか><??
by みるく (2017-03-20 17:20)
みるくさん
はじめまして、こんにちは。
コメントをいただいてありがとうございました。お返事がこんなにも遅くなりごめんなさい。きっと、もうフレッシュな今はリニューアルされて、人生のよい地点に健やかに立たれているのだと思います。
私の経験と記憶では、テンポラリーからの永住権へはお金はかからなかったです。
現在は離婚していますが、それに掛かる大きな金額はとても不思議なものです。今もオーストラリアにいらっしゃって、この数年の動き(ファーストネイションのヴォイスと、首都でのキャラバン集結、各地のデモ、出生証明をキャンセルする動き、等々)を目撃されていらっしゃったら、その理由にももうお気づきかもしれませんが…。ちなみに、元旦那とは、システムから線を切っただけで、今まで以上に心友です。
みるくさんの旅路における、健やかな喜びと繁栄を心よりお祈りいたします。
今後ともどうぞよろしくお願いします!
by Hiroco (2023-10-24 09:22)