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地上の楽園【オーストラリア大陸9000キロの旅】8 [旅・キャンプ]

この記事は、アルフレードを探して【オーストラリア大陸9000キロの旅】7の続きです。


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ポートマクアリーで突然現れた彼女の依頼に対して、私たちの選択権はなさげ、それに加えてなんて適当なナビ、などと理屈が脳の表面を歩いていくのを観察しながら、彼女がコミュニティの名前を口にした途端、私の心はつかまれました。彼女がなぜ今私たちの目の前にいるのか、なぜ私たちにそのことを託したのか、理由はわかりませんが、直感でその場所が行くべきところだと感じました。お隣のスチュアートを見ると、普段は表情を外に出さない彼までも、この時ばかりは目はキッラキラ、ハートなぞは身体からとびだしていました。

こんなに強く惹かれる理由??私たちには話し合う必要なく、子鴨のDLDと彼女にさよならを言ってハナミちゃんに戻り北へ向かいました。私たちの旅で最初の真夏日で、休憩を挟んでもエンジンは燃えるように熱く、しかしスチュアートの心も同じように熱く、私も待ちきれない思いでした。この日、ハナミちゃんは初めて6時間走りました。


未舗装の道路は、美しい天然ユーカリの森を走っていました。本当にこの道なのだろうかと私の心に一抹の不安がよぎる横で、スチュアートはまっすぐに前を向いて、まるで嗅覚を頼っているかのように前方を見つめて運転していました。天然林の間を20分ほど過ぎたところに、彼女が指示したように私有地ゲートがありました。

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そこは、国立公園と境界線がないようにみえるそれはそれは美しい緑の楽園。スチュアートはキャンパーが停車できるエリアを嗅ぎつけ、ハナミちゃんを停めました。見た目にも清々しい空気、その緑の空気を呼吸するだけで、身体の内側から健康になれるような気がしました。


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ワクワクしながらこの地にはじめて足をおろした瞬間...これまでの人生で経験したことのない安心感に一瞬で満たされました。心からの安堵感。なにもかもが然るべき状態にある、すべて大丈夫だという究極の安心感。それと同時に降りてきた直感は、「もしも子どもができるなら、産むなら、育てるなら、このような場所でしかない。」なんというか、空気のなかに「希望」が漂っていている。そして思い出しました、「あぁ、真反対の空気感を知っている。これは、あの空気感と対極にあるものなのだ。」


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旅してはじめて6時間の距離を移動したという達成感や、目的地へ辿り着いた安心感といえばそうなのです。キャンパーバンの助手席はエンジンの上にあるので、バンから降りた時の脱熱感と脱力感といったら!...なのですが、この安心感はそれだけではありません。この私有地が、北西南と広大なユーカリの天然林に囲まれ、さらに東側は白砂のプライベートビーチであること。それに加え、各村に車が入ることができず、もちろん電磁波などまったく飛んでいないこと。以前に住んでいた南オーストラリア州のエコビレッジが比較対象にならないほど、何かまったく異質のものが存在しています。この空気感と比較できる場所が思いつかない。磁場の強さはニューメキシコ州に似ているけれど、強く温かい抱擁感はハワイ島キラウエアにあるような感じ。真裸の土地でありながら、完全に護られた感覚。


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コミュニティの面積は淡路島より大きく、10程ある村全体に180人ほどが住んでいます。世界地図の縮小版のような民族構成。コミュニティの中心部には、ホール、カフェ、キッチンとスクールがあります。村はそこから東西南北へと、森、丘、湖、渓谷や竹林をはさんで広がっています。村のほとんどの場所は芝生、靴が必要なことは多くありません。ケモノ道には野生に育った野菜や果物がたわわと鳴っていて、人や植物だけでなく、野生のディンゴや七面鳥、全長1メートル以上のオオトカゲやヘビは人と同じく健やかに暮らしており、野鳥においては希少種が非常に多く生息していることも知られています。


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中心地から数分のところ、少し離れた森の中に大きな瞑想堂があります。スチュアートも私も、時間があればよくそこに坐りました。瞑想しているうち、この満ちあふれる希望感は祈りから生まれているものとわかりました。実際、過去30年で近隣が自然災害にあった時も、この土地はほとんど被害がなかったそうです。人間が必要以上にあれこれと手を加えていない緑と木が豊にある。原生林は天と地へと伸び、深い根が支える強い地盤と、そして背丈順に育つ各種の植物、その足下で養われる豊潤な土壌とバクテリア。海からの風、森の上空の大気圏、降雨量など、きっと完全なバランスがとれているのだと思います。それに加えて村人たちの祈り。保たれた自然調和と祈りと、自然災害の少なさとが関係しているのは間違いなさそうです。


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《村人たちが建てた瞑想ホール》


自然災害の発生を恐れ、備え、バリケードや防波堤などの災害対策を急ぐ土地がある一方で、このような土地は自然環境が自ら然るべき状態であるからこそ、自然災害が起こりにくい。もちろん、起こる時は起こるでしょう。しかし、ここに住む村人は、ワイルド=野生が何たるかを知っています。災害であろうと豊富な収穫であろうと、自然がもたらすものは見えるものと見えざるものの因果関係の結果であり、自然災害が訪れて失うものがあっても、それはまた創りはぐくむ輪の一環であることを知っています。自然界は、人間の介入がなくとも自ら生命を養い育てることができますが、人間が愛をもってその生長を見守ることができれば、私たちに必要なものの多くは、もうすでに自然界に存在しているように感じます。


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《火が起こせる時には起し、火の神様に祈ることもしばしば》


なにか不自然な方法で、急激に自然の状態が壊されたとき、ひずみが生じ、そこから総全体の調和をもちなおす流れで自然災害が起こるのでは、と私は感じています。私たちが仕事や家庭や人間関係の中で、なにかが不自然で、無理なものがあるのを、わかっていながら何もないふりをして経験する時、私たちは内側に小さくともひずみが存在していることを感じとっています。この無理なひずみは、私だけでなく相手も感じていて、家庭で、電車内で、社内で、街全体で感じているとしたら、この意識の集合体は、いずれ見えるものとして顕在化します。例えばそれは、ひとつの人生を揺らがせる病や事故という姿であったり、また広く全体を一度に揺さぶる際には噴火や地震、パンデミックな現象などという姿であったり...。


自然災害が起こることを予測しているのであれば備えることは必至でしょう。でもちょっと待ってこの文章→「自然災害から身を守って生きるために、備えて暮らす。」この思考の裏側には、「自然災害は起こる。危険にさらされる可能性がある、備えておかなくては生き残れないかもしれない」という意識が隠れています。ここでもしも災害への恐怖がある場合は、「恐ろしい自然災害が起こる」意識をすでにプロジェクト(心から外の世界へ映し出)しています。

備えることは大切なことですが、怖れることなく備えて暮らせる方法など、あるのでしょうか?あります。それはまず、一人の人間の、ひとつの人生の中に、自然災害が起こらない生き方を目指すところからです。慢性的に呼吸や消化困難、神経(神の経路)の痛み、涙や鼻水が止まらない、月経やホルモンの分泌がうまくいかない、など。これらは人間胎内の自然災害です。これらの慢性的なアンバランスの調整を、ひとりひとりが目指しはじめることが、自然災害が起こらない社会への第一歩です。怖れずに、前を向いて、ポジティブに、少しずつ、微調整。

短期的でお金か他人任せの解決法は、功を奏しているでしょうか?逆に、一人ひとりが自らの心に嘘とひずみを持たない暮らし方を実践しはじめることが、結果的に、最も効率的で確実な方法のように写ります。このような生き方は、今あなたが過ごしている場所からは全く想像がつかないものだと思いますが、実際ここにはその暮らし方が存在しているのです。大きな子どもが、小さな子どもと動物と植物と、オープンで健やかに暮らす意識をもちなおす時、その健やかで思いやりと愛がある意識の集合体が調和ある人間の世界を創造する。...村を走り回る子どもたちと、その親の生きる姿を眺めていると、そんな細胞の記憶が目覚めてきます。


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《火に祈りを任せる。火は空気を癒し、私たちと先祖の魂を癒す》


誕生以来、このコミュニティ内の土地を、誰も所有したことがありません。(土地を「所有する」という概念はなく、「共有する」もの※過去記事へどうぞ)村人は全体の一部を構成する「メンバー」と呼ばれます。お金を払って一区画の土地を所有することでは、村人にはなれないというわけです。メンバーになりたい場合は、村の委員会においてたいてい一年以上にわたり審査が行われます。しかもこの審査は、不動産屋にメールで出す書類などというものではなく、実際にコミュニティに住むことで行われます。暮らし方や哲学を実際に理解し、経験し、他の村人たちと共存して住むことができるかを村人全体と見定めます。お互いにフィーリングが合えばそのまま定住し、合わなければ自然とそのメンバーは候補からおります。ほとんどの場合、円満に村から次の場所へと移動していくそうです。


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《とある村。》


現在ここに暮らしている人は、何かの縁でスムーズに村に入り、少しの工夫で村に落ち着きはや数十年経ったという人がほとんど。どうしても住みたいと努力する者も多くいるそうですが、どれだけ努力しても入れないものは入れない。みんな「審査しているのは委員会ではなく、実は母なる地球」(だから弾かれる人はものすごくわかりやすい方法で弾かれる)と言っています。2015年の時点で、新規メンバーの受け入れは対外的にクローズしており、滞在する際には、村人からの「招待」がないと入れないことになりました。


今回の旅のハイライトのひとつと言えば間違いなくここです。その内容は後日書きますが、各名称や地理等の詳しいことには、そっとしておくこととします。この土地独特の魅惑的な空気感に魅了され、お金目当ての不動産業者が札束をちらつかせることももちろんあるそうです。そもそも、ここに住む村人は、自然美をお金に換えるような人種ではありませんが、以前にこの土地を買い取って森を伐採し、ゴルフリゾートをつくるという大きなプロジェクトが独断的にほぼ決まりかけたのだそうです。一度失われてしまった自然環境を、同じ状態に取り戻すことがどれほど難しいかをわかっていない金の亡者!と村人と周辺住人が猛烈強烈に反対を訴え(この反対は、自然界や動物界もサポートしたそう)、自然林と、美ら海と、そこに存在する人々の暮らし守り抜いたのだそうです。これは村全体でもはや伝説的ストーリーとして伝えられています。ちなみにこの業者は日本人だったそうです[ふらふら]



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もうこんなに記事が長いのに、アルフレードに出会ってないじゃないか!とご心配の方もいらっしゃるかと思いますが、もう終わりです。なぜなら、こんなだだっぴろいコミュニティで探す必要もなく、一番はじめに出会った村人がアルフレードだったのでした。ドラマもなにもない。天からのメッセージはいつもストレート。開いたハートでまっすぐに受け止めると、運命の扉が次々と開いていくものです。

さっそくこの晩、私たちはラテン村のフィエスタに招かれ、楽しいひとときを過ごしました。ちなみにアルフレードは、私たちを導いてくれた女性のことをほとんど覚えておらず、伝えたメッセージもまるで興味がない様子。ちょっとだけ気になって出身国を聞いてみたら、ウルグアイ、と。彼じゃないんだね。

そろそろペルーがやってくるかな?
シリーズ9【シンクロする旅】へと続きます。



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《スペイン人による本場スペインのパエリャが食べられる!》


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