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不調と病は根本から改善できる?根源治療の道しるべ [健康]

通常、痛みが体感できるレベルになったり、目に見える症状が出てきた時点で、人は治療をしようと考えます。対処法をリサーチしたり、病院へ行ったり、時には手術を受けたりすることとなるでしょう。ふつうに社会生活を送っていると、ここで終わることが多いと思います。


今日は、根源治癒をすることになってしまった人がたどる、この先の道しるべ的なものを、ちょこっとお伝えします。


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この不調。非常に長期間にわたって続いたり、一度ではなく何度も繰り返されたり、痛みが究極に強い場合、原因を知って根本から治癒したいという考えに行きつくのは、なんら不思議のない流れです。ここにくるまで、ご本人は壮絶な苦労をされています。その不調が、暮らしや生活や人生自体を変えるような大きな存在感を持って目の前と自分の内側にいることが確かです。

実際に見えるまたは感じられる身体の不調を癒していくうち、おのずと心の面の治癒へと進んでいきます。心の面の治癒はよく「いやし」と呼ばれるものですが、そのプロセスはやわらかなイメージを持つそんなことばよりもはるかに壮絶で、困難なことが多々あります。先日、小室さんが会見で、お疲れの表情と姿勢で「メンタルケアというのがきれいな言い方ですが」と言われた部分が心に残っていますが、本当にそうだなと感じました。メンタルケアとかメンタルヘルスという言葉は、現場からみるとキレイすぎる気がします。渦中の壮絶さは経験した人しかわからないのだと思います。心の不調は見えませんし、説明しづらいし、数値にもオモテにも出にくいものですが、本人は間違いなく感じているもので、放っておいてよい種のものではないことは十分すぎるほどわかっているものです。だけどどこに頼っていいのかわからない。誰が治せるかもわからない。だけどメンタルケアが必要な社会になってしまっていることはわかる。。。


根本治療を目指すにあたっては、対処療法がコンセプトである病院や製剤医薬のみに頼って行うことは難しくなります。危険な製剤精神薬を手に取るのは火を噴く暴走機関車になるようなものですし、精神科ではこの症状はケアしませんと謳うケースもあり、じゃあどこへ行くんだとなると、カウンセリングやヒーリングと呼ばれるものを頼ることになってきます。スピリチュアルになったと言われたりします。他にも優秀なアプローチは日本にも世界にも多くあって、さあこのような先人から学ぼうとすると、宗教とか言われたりするのですね。もう人から言われることは気にしている場合ではなく、信じていることをやっていく決意は固くなり、心を何かに売ったりすることなく、信じただ実践していく力がどんどん強くなっていきます。方法はどうであれ、実は、信じる力こそが治癒のカギではないか、というような感じが得られるようになります。


「原因は一体、なんだろう?」と探っていくことは、身体、こころ、人生そのものを診ていくことです。考え癖、口癖、呼と吸、立ち姿勢やさまざまな行動パターンなど...無意識に行っていた自分の行動にまつわるすべてをスキャンしていくようなものですか。この作業がはじまると、自分では知らなかった自分の真の姿に驚き、泣き、喜び、悲しみ、恐怖を感じたりすることがありますが、一度はじまると数珠繋ぎ。前をむいて続けていくことで、自分自身の人生がよくよく見えてきます。物事がクリアに見えるにつれ、考え方や習慣、行動も少しずつ変わっていきます。「うゎ~変わってるきてるな~」と自分でわかるほどにもなります。こうしているうち、自分の存在から発生するもの…人間関係、現代社会の構成、世界の構造までと、私をとりまくすべてのことが絶妙なタイミングで次々とクリアに見えてきて、それらと自分が、切り離すことのできない見えないウェブでつながっていることに気づかされます。

また、これ以上痛みや不調を上乗せする暮らしよりも、それらを軽減、できれば根本からなくしたいと考えます。できることから、できる範囲で、無理なく、強制するのではなく。体が喜ぶ方を選択していきたいと感じはじめていることにも、気づかされます。




. . . 気 づ か さ れ ま す . . .




誰にでしょう?自分自身に、です。どうやって?瞑想です。
暮らしの中に取り入れることで、まずは気づき、そして辛抱強さ、持続力、優しさというようなものをゆるやかに確実に養ってゆくことができます。さらに10年、20年と長く続けていくことで、人間の心の中にある、道徳や叡智というようなものが目を覚まします。それはある意味、全人類が共有できる慈愛や分かち合う心、優しさのようなものです。これが、私たちに「次々と気づかさせてくれるもの」の正体なのです。

これらの目が覚めることで、人生の選択はアタマではなく、その部分でなされていくようになります。よく、「心の声を聴き始めたんだけど、うるさくて狂いそうで寝られない」という話を耳にすることがありますが、そういった寝られない部類のトークはマインド(思考)のチャット(声)です。マインド・チャットは、いつでも簡単に私たちを思考の迷路に陥れます。瞑想によりもたらされるメリットは、そのマインド・チャットを冷静にとらえ、己の感情をそこへ即座に関連させない能力です。心のさらに奥の心、暗闇のなかの一点の光、、、どう説明してよいのかわかりませんが、その部分はチャットしません。心の声は、声でない声。真空の音であり、さざ波の波動であり、暗闇のまぶしさのようなもので、声とよく言うにしては、私たちが一般的にいう「声」とは程遠いものです。よく第三の目が開く、ということが言われますが、この声でない声の存在をしりはじめることが、第三の目が開くことのサインのひとつであるようにも思います。そして、不調や病が人生テーマである人にとって、第三の目が開くタイミングは治癒の道のりに多くひそんでいます。


「痛みを軽減したい、根源からなくしたい」と信じて継続した結果、確かに癒された面があるなと気づきはじめます。それがピンポイントの症状ではなく、そのほかの慢性的症状かもしれませんが、こうして、ひとつずつ、少しずつ、経験と気づきが身体と心のなかに刻まれていきます。不調を根源から治癒できるものは、他人任せの短期的で劇的な変化ではなく、志の上にたつ小さな一歩一歩であることがわかってきます。


同時に、自分に無理を重ねることが無意味だとわかってくると、家族や部下や社会に無理を強いる必要性が失われ、有意義かつ痛みを伴わない物事の関係性へと自然に導かれていきはじめます。自分を癒すことから、社会とのつながりを学ぶ。天風哲学で言われるような人生(生き方)の統合が行われていきます。



少しずつですが、人生は飛行機(身体)であり、パイロット(マインド)であり、管制塔(魂)であるかのようにも映りはじめます。「私が私の私さえ」と叫んでいた、切りっぱなされた一つの孤独な個体の「私」としての自分が見えにくくなってゆき、(個である)私さえよければ、という選択をすることが直感的に「おかしいぞ」と匂いはじめます。目に見えようが見えまいが、私さえよければの選択をすることでひずみやゆがみが出てくることに、一票を投じる行動ができにくくなるのです。まあるい調和に居心地のよさを感じます。

まあでも、人生を、飛行機の機体の中から眺めながら、前方のスクリーン(目を閉じた暗闇の画面)で上空からの鳥瞰図として見ながら、管制塔の指示を出している自分の声を聴きながら、パイロットとして操縦していくとは。なんとも人生とは想像以上に不思議なモノですな。


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精神疾患をなくしたいと願い、癒しの道に精進するものは、長い道のりではありますが、心がちょっとだけラクになったりとか、重たかったものが落ちていったりとかして、少しずつ少しずつ、太陽の明るさを目印にしてらせん階段をあがるように、時をかけて改善していくのだと思います。劇的に改善してくれればどれだけラクかと思いますが、治療への地道な努力を重ねていることで、人生が流れていく時間がゆったりとしたものになっていき、治療を始めると決めたあの時からは、ずいぶんと違う風景に囲まれていることに気づくのだと思います。治せるもの、正せるものはいずれそうなっていくし、治せない、正せないようなものに関しては、執着や情熱を沈めて(熱を冷ます)いく知恵もついてくるものだと思います。思考がコントロールできない自然の間に暮らし、自然の巡りの中で、自分自身を知っていく流れは続いていくのだと思います、この身体が土に戻るまで...。




不安に感じるの、わかります。あなたの傷ついた心と体を治癒してくれ、あなたの人生に共感し、考察し、直すことができる人がいるとすれば、それは他の誰でもないあなたです。あなたの強い意志から生まれる行動で、あなたの不調が改善することを心から祈っています。

じれったく遠回りのように見えるかもしれませんが、祈りと瞑想のパワーも忘れないでくださいね。


私もがんばります!


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〈タイの修行山寺にて、尼僧のクンニットを囲むガイジン勢〉




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