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密着28日間!アヤワスケーロが明かすアヤワスカの真実 [シャーマニズム・スピリットメディスン]

シャーマニズムを理解せずして、アヤワスカは語れません。シャーマニズムのまとめは、

こちら⇒アヤワスカの前に。シャーマンとシャーマニズム(1)



アヤワスカのお話は二次元ではお話することが難しく。パラレルで進めたこちらの記事も併せて、

どうぞ⇒【アヤワスカのネ申体験を無駄にしない基礎知識】



参考として、私が体験したアヤワスカ儀式の準備と、儀式の流れを知りたい方は、

こちらまで⇒【知っておくと!アヤワスカの準備と儀式の流れ】



あとー、
(もうおなかいっぱいかしら汗)
おまけの話で(すべてのアヤワスカ記事を読んだ後で読むのがおすすめ!)、
アヤワスカ(とサンペドロと◎×◎と)で受け取ったコズミックホームワークを行うために、向かったタイでの出家(へと続く)話は、

タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]




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日本のことわざで、餅は餅屋って言葉がありますね?アヤワスカも同じ。アマゾンのアヤワスカに関してはアヤワスケーロの右に出るものはいません...。ということで、密着!アヤワスケーロに学ぶ28日間!。聖なる谷(Sacred Valley)は、山の精霊(Apu)に囲まれたシャーマンの故郷で『パチャママ・ワシ(母なる地球の家)』で、アヤワスケーロから教わってきたことと、体験後に得たさまざまな考察を含めて、お伝えするスピリット・メディスンシリーズです。





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≪月の秘薬であるアヤワスカのツインフレームともいえる、太陽の秘薬サンペドロ(ケチュア語でワシュマ、サボテンの一種)を8時間半かけて煎じ中≫



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以前観たドキュメンタリー映画で、満月のアマゾンの夜に、植物が独特の音を奏でるという話を聞いて驚いたものですが、アヤワスケーロの耳には、それぞれの植物の精霊が奏でる歌のライン(ハーモニー)が異なるものとして聴こえ、複数の種類が存在するアヤワスカ種の中でも、治癒用に使うアヤワスカを見極められるのだそうです。植物が歌をうたう??都会で生まれ育ったような現代人には、見た目にもまったく同じ植物のように見えるものでも、シャーマンの感覚でそれらがまったく違う植物だということは一目(耳)瞭然だそうです。



先にも説明しましたが、南米原住民族の間で長く使われてきたスピリットメディスンの中でも、「蛇の女神」として知られるアヤワスカを中心に扱うシャーマンは、特にアヤワスケーロと呼ばれています。彼の仕事は、正しい植物を採取して煎じ、セレモニーで捧げ、患者の胎内にある病源や呪いを取りのぞき、然るべき場所へと送り還すことです。



2016年元旦から、オーストラリアのアボリジニ長老衆と儀式の旅を共にしたシャーマンのマヌサイは、彼の愛弟子であり、息子以上に家族のような間柄。アヤワスケーロのことはマヌサイからたくさん聞いていたので、オーストラリアで「シャーマン」という存在に多少のうさん臭さを感じていた私は、アヤワスカ専門家と会えるこのタイミングに、シャーマンの役割や真実を知りたいと思っていました。

(...多少うさん臭いというのは、日本の話しに例えるならば、、、正真正銘のノロと出会うには、謙虚さと尊敬の念をもってこちらから沖縄へ会いにいくのがスジじゃないか、と思うのですね。沖縄に行ってノロに数回あったオーストラリア人が、オーストラリアで、”I am Noro"「ワタシのろデス」っていって1セッション数万円とかいうと、アレなんかおかしくないかと思ってしまうわけですよ。)



...とまぁ、目論んでいた私の思考の外で、出会った日からアヤワスケーロの方が私から目を離してくれない状態でした...(/ω\)、って恋したわけじゃないです(;´∀`)。イキートスからやってきたアヤワスケーロと、マヌサイと、マヌサイ弟君(彼もシャーマン)の乗った車が、私たちをクスコの旧市街でピックアップした時から、隣に座ったアヤワスケーロのエネルギーがこちらに向いてることが私ですらわかったわけですよ。私に、ではなくて、見えないほうのアチラの方ですけれどね...ひっ ひっ ひっっ




さて、アヤワスケーロは真面目で寡黙な男性で、10歳のお孫さんはすでにアヤワスケーロ修行をしているというので、小柄なおじいちゃんといったところ。いつもの彼の存在感は、ここにいるようでいないような、なんだか狼のように耳を立てて場を護っているかのようでもありました。私が話しはじめると底なしに深いまなざしで、体中の細胞を耳にして聴いてくれていることを感じ、同じ場を共有することで集中という言葉の向こうがわにあるなにか他の次元へ入っていく感じがしました。時折、ひっ ひっ ひっっと奇妙に笑ったりするのが奇妙可愛くもあり。。。。



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≪敷地内の高台から、一緒に牛の代かきを眺めたり≫






アヤワスカの儀式を数回して一週間経った頃には、私は彼の穏やかな仕事ぶりから真摯さと献身さを理解していました。儀式以外の時間に散歩をしたり、カウンターに座ってワードゲームをしたり、一緒に儀式で自分が飲む薬を煎じたりと、そんな間柄になってきたころ、ヨーロッパからブラジルで開催される国際アヤワスカ会議へ向かう途中の一団が到着しました。長い話を劇短にすると、この一団はほぼ全員知らずか知ってかアヤワスカ中毒になっており、数名に於いては出身国でアヤワスカを提供する側になっていました。アヤワスカを嗅ぎつけて旅する者、よくわからなくなってしまった者もいれば、またその内の一人は、提供側となって以来視力を失い続けていました。数人は、すごいアヤワスケーロがいると嗅ぎつけて、また他の数人は中毒から救われたい想いで、ここ、パチャママ・ワシに到着しました。


これは、その時にアヤワスケーロが言った言葉です。





「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」




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参考)アマゾン上空からの眺め




彼のホームは、アマゾン。
アマゾンは、かつて「地球の肺」というキャッチコピーがついたほど、巨大なジャングルに覆われていました。そこには、未発見の動植物、昆虫、そして原住民族が棲んでいるといわれ、文化人類学者や製薬会社の科学者を虜にしています。しかし、近年の道徳を外れたゆきすぎた開発により、その土地と自然文化は過去50年で五分の1にまで減り、遠い日本人の知らないところで、砂漠化が懸念されるほど森林破壊は秒単位で進んでいます。

毒を持つ動物や昆虫が這う道なき道を散歩することは、都会人にとっては命がけですが、彼らにとってはこれは日常なので危険ではありません。逆に、このような大自然の環境下で暮らしていれば、植物が歌うことも、植物の精霊と交信するのも、なんだか至極当然で自然なことのようなことにも思えてきます。







さて、命を惜しまない仕事ぶりは、アヤワスカを煎じるところから始まります。
アヤワスカの準備にあたっては、アヤワスケーロはひとりジャングル奥深くへ入り、断食し、独自に調合した7種類の植物を煎じます。これらの植物を、彼はスペイン語で Los Siete Medicinales de Ayahuasca 『アヤワスカの七種のメディスン』と呼び、優秀なドクターであるといいました。準備中は、偉大なる創造主へ祈りを捧げながら、アヤワスケーロは献身的な愛をもって、七種類の優れた植物とひとつになります。この作業は、量によっては平均して三日から五日かかるもので、これが一度目の身体に大きな負担がかかる場面、絶食です。(各部族の文化や自然環境によって、調合する植物や煎じる時間は異なります)



出来上がった、アマゾン風味の濃厚すぎるお茶は、自分の部屋へと持ちかえり、自らの手で患者に捧げるその日まで一緒に過ごします。それは工場で大量生産されたペットボトルのお茶のようなものではなく、精霊と愛が凝縮した結晶水ですから、彼以外の誰の手にもわたりません。マヌサイもアヤワスカを施すことができないほどで、知らない人に、ましてや海外へは売らないとも言いました。最強な秘薬の扱いを知らないで提供することが危険であることを、知っているからです。


そして、アヤワスカを作った当人が儀式を執り行い、患者の胎内からエンティティや黒魔術を吸い取った後は、責任をもってそれを己の胎内に一時保管し、アヤワスカを煎じたジャングルへと戻っていきます。そして、再度ジャングルにて絶食...胎内のエンティティを胎内からクリアにするまでジャングルにこもるのだそうです。一カ月にわたりアヤワスカの儀式をした場合、いったいどれほどのエンティティを胎内に溜め込んでいるのか想像も及びません。アヤワスケーロが呼ぶところの「よそ者シャーマン」が胎内にエンティティを一時保管した場合、次の患者にそれを吹き返しこむか、でなければ本人の身体をむしばんでいく可能性のあるようなエンティティを、患者の病気の治癒のために、経験と叡智でもって自らの胎内に吸い上げるのです。アヤワスケーロの前にどのような患者がきても、癒すことが精霊アヤワスカの意志であるならば、彼は癒しを施すのです...命を惜しまずに。




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≪パチャママ・ワシの神殿からアプを眺める≫




アヤワスケーロが、「命を惜しまない」といったのは、この一団を含んでのアヤワスカ儀式を終えた翌日で、シャーマニック・ハイキング(アヤワスカを飲んでから、途中サンペドロをいただいて山頂にある聖なる河へ禊にいく行程)の帰り道で、精霊の木の下に私たちを集わせたときでした。彼は謙虚すぎるお人柄で、この一団を叱ったわけではありませんが、人間的な感情を少し含めたきつめの口調で、「アヤワスケーロは、仕事に命を掛けている」。と渋みをもって伝えました。


すべての儀式中、私はアヤワスケーロの左隣、彼に指定された定位置にいましたから、彼がこの一団の一人一人にアヤワスカを提供して癒していく姿をすべて目撃しました。その回は、確か私の3回目の儀式で、もちろんアヤワスカですから心地よい経験ではありませんが、儀式中は絶対に横にならないと最初から決めていたので、吐いたり死にそうになったりしながらもアヤワスケーロの指示で一緒にイカロスを口ずさんだり、またシャーマン間の摩訶不思議な行動を理解でき、彼らには見える見えないものの存在が私にも見えたので、言葉のないコミュニケーションを図ることもできました。


そんなですから、アヤワスケーロが、各人にいったい何を施しているかが、私に伝わったのです。彼が命を惜しまないで仕事をしていること、よくわかりました。目の前にいる人の苦しみを自らの身体を犠牲にして吸い上げることのできるアヤワスケーロの真摯な姿から、個人の意志以上に、アヤワスカの精霊そして母なる地球と協働していることも感じられました。彼はアヤワスカと一心同体ですが、きっと人間的に理解できない状況などもきっとあるのだと思います、それがこの回だったのかもと...


実は、この儀式の前に、当初予定されていた日程があったのですが、アヤワスケーロはアヤワスカを提供しませんでした(儀式の中止を行いました)。その理由は私ですら明らかでしたが、代わりにマヌサイがヒンドゥー教の火の儀式をし、ペルーの聖なる谷にインドの神々を集めて、その輪の中でこの一団全員にアヤワスカが何であるかについて愛をもって諭しました。厳しい言葉もありました。目が覚めるような言葉がたくさん聞かれました。数時間に及ぶ火の儀式のあと、数人は、絶対なるものにたいして許しを求めたり、黙り込むもの、ある者は涙していました。この理解の翌日、アヤワスケーロは上記の儀式を行ったのです。彼は、アヤワスカと母なる地球への尊敬と敬愛がない者に対して、アヤワスカの神聖さと重みを伝えたかったのだと思います。





また、アヤワスケーロは、こんなことも教えてくれました。



「白」と「黒」のアヤワスケーロ


患者の身体と心(精神)の傷(トラウマ)や不調を治すという純粋な目的でアヤワスカを煎じ提供し、創造主とアヤワスカの精霊を深く敬い愛するアヤワスケーロは、ホワイト・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。その反対に、お金や地位やジェスチャーのため、曲がりひねくれた意思や、明らかに道徳に反した目的でアヤワスカを利用する者は、ブラック・アヤワスケーロと呼ばれるそうです。ブラック・アヤワスケーロは、セレモニーの参加費を払った人に対して、通常全員にアヤワスカを提供します。ホワイト・アヤワスケーロは、精霊のもとで動(働)くため、目の前にいる患者に飲む準備とタイミングが訪れていないメッセージを受け取ると、提供するのが今ではないと断ります。上記に書いた通り、アヤワスカではなく、火の儀式を行ったり、異なるメディスンやスウェットロッジを行ったりして、ある程度アヤワスカの精霊にいろんな角度から近づいてから、アヤワスカを提供するようです。




アヤワスカは誰のため?自分さえよければ?


90年代にアヤワスカ成分の科学研究が再開され、口コミとネットでアヤワスカが世界中に知れ渡ってからというもの、アヤワスカが本来必要とされるアマゾンの森の子供たちや大人たちの手に届くことなく、西洋に輸出されていることを、アヤワスケーロやシャーマンたちは危惧しています。木を伐採した外国人のほとんどが、誰も森を戻そうとしていないのと同じで、失われたアヤワスカの木を、植樹に来るものはほとんどいないのだそうです。私が出会った他のアヤワスケーロも、聞くところによると「アヤワスカ・マーケット」の中で、原住民の森を守るために働いているようなアヤワスケーロは2%ほど(ほとんどいない)だと言われています。家や紙やお箸や建築資材として切り倒される木々、人間の胃に流れこんでいくための牛肉を育てるために破壊される森、自分をつくりあげるものの流通経路や源を知らないで当たり前のように消費消耗してく経済の流れとまったく同様に、「今の自分さえよければ」という強欲がアヤワスカの使われ方にも見られます。


中でも、アヤワスケーロが最も懸念していたのは、アヤワスカという植物界の上層に君臨する月の精霊(デーヴァ)に対して、手を掌わせたりするような謙虚さや、それらの精霊が棲まう地球そして宇宙をつくる創造主への尊敬の念がまったくないものの手に、アヤワスカが渡っていき、癒しよりも金銭目的でアヤワスカが諸外国で利用されていること、そして、誰がどこでどんな想いで作ったかわからないアヤワスカが南米から輸出され、その経路を知らなくても無知で使ってしまう「よそ者シャーマン」が増えていることでした。このことはこちらの記事で書きましたが、アヤワスカの精霊と一心同体のアヤワスケーロは、アヤワスカを通して空気中に澱んでいるエンティティをソース(源)に還してやることを常に遠隔で行っていました。




アマゾン原生森を再生する活動


彼はアマゾンを出ることのないアヤワスケーロでしたが、ちょうど私と出会った頃から、壊されていない原生林を守り、破壊された森を再生するために、マヌサイと国際的な啓蒙活動をはじめていました。これまでにアヤワスカの聖なる力を得て、彼女から癒しを受け取った者、神聖なる宇宙との一体感を得た者、過去のトラウマを癒したり、亡くなった方との感情関係を修繕した方々が、アヤワスカへの感謝をアマゾンの森へ還元できるよう、つなげる役目を始めています。


南米原住民の子孫として叡智と使命を受け、見えない両界をつなげる道をどれだけ行っても、容易になるような類の仕事ではありません。逆に、現代社会ではもうなくなったかのように扱われている黒魔術やエンティティの存在を、古代の叡智を受け継ぐ民族たちは知っており、今も強い愛でそれらを解き放ってくれているのです。この地球は私たち人間だけの所有物ではなく、人間だけが好き勝手にできるものではなく、動物や植物たちと共存し、そしてまた見えない存在のものに囲まれ、成り立っていることを忘れてはなりません。


私が出会ったアヤワスケーロは、少年のころから、己の命を犠牲にすることも辞さずに本分を全うする祖父から仕事を学び、修行を積んで、今は自分がその役割を果たしているのだそうです。大いなるものから遣わされたその聖なる才能と献身的な愛で、人々の病や問題を解決する手助けをするのが生きがいなのだそうです。だからこそ、アヤワスカが必要な人に、正統なアヤワスカを正しい方法で提供し、癒したいのだと、教えてくれました。







※このドキュメンタリーだったと記憶しています
“The Sacred Medicine" 直訳=聖なるメディスン






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