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タイでの出家のはなし(2):修行するって、どういうこと?ヴィッパーサナって、なに? [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]

お話はずっとさかのぼり、2007年は6月のことです、元ヤクザさんから、瞑想を教えてもらうことになりました。
今日は、私にとって今生最初のヴィッパーサナ瞑想の先生のお話を、ちょっと。



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この時期は、タイでの出家の話(1):ソウルメイトの超婚、の巻の続きとなります

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その時に働いていた新橋のある政府系組織の元同僚(今もずっと仲良しのお友だち)が、
「新宿歌舞伎町で瞑想を教えているてーらわーだの和尚さんがいるから行かない?
びっぱーさなを教えてくれるらしい」というのです。
はじめて聞いて、発音すらできませんでしたね[あせあせ(飛び散る汗)]
と、いうところから、今に続く私の本気・瞑想ジャーニーははじまりました。


そのころはまだ悪夢に悩まされていた頃。継母への憎しみ嫌悪感と、父ともう一生会えないことの悲しみ(そして、思考は現実化し、本当に会えませんでした)、人生の終わらない怒りをどうしようもできない時期だったので、初心者の私は特にこの件に関しまして(←今はなきこの仕事感覚)瞑想を行うことにしました。仕事帰りに、電車を乗り換えて歌舞伎町へ。雑居ビルの7階とかでしたか。ドアを開けると大きな和室が。そこにはオレンジ色の袈裟を着たお坊さんが座っていました。不思議な超異空間。

教えて頂いたことを家で毎日実践しましたが、始めた頃は、憎い相手をゆるす、自分に危害を加えた相手の幸せを祈ることが、本当に難しかったのを覚えています。悪夢の継母が殺人的に怖かったので、この人の幸せを祈ることと、悪夢が止まることの関係性など、ほんとにまったく理解できませんでした。

もう一人の元同僚(彼女も今も仲良くさせてもらっています)と週末も新宿に出かけては和尚の瞑想会に参加するなどして、瞑想のキホンのキホンを教えて頂きました。重複しますが、テーラワーダが上座部仏教だということも、ヴィッパーサナが『止観の瞑想』であることも、慈悲の瞑想も、もちろん日本仏教とのつながりも、つながる点や線など、まーーったくなく、すべてが真新しい概念と経験でした。


藤川和尚は私と同郷、京都出身。もともとは地上げ屋さんと呼ばれるヤクザさんです。
国内でかなりやり手にお仕事をされていましたが、ご縁でタイも地上げることになり、バンコクへ飛んだそうです。これはご本人から聞いたことですが、「俺様にできないことはない」超傲慢ぶりだったそうです(笑)。ある日タイ人の部下から、「そんな社長にもできないことありますぇ」といわれ、「そんなもんあるわけないわぃ」と豪語した後、なんやそれと聞き返すと、「タイのお坊さんとして出家すること」、だと。

それがちょうど雨安居(ウアンゴ)と呼ばれる、2500年前の仏陀時代から続く伝統的な雨季の厳しい三ヶ月(通常無言)の修行の直前で、「そんなんできるわぃ。」といってしまったが最後。本当に洋服を脱いで、袈裟に着替えて、出家しちゃっのだそうです。

洗ったこともないトイレ掃除からはじまり、決して怒ることのないお坊さんたちと過ごす三ヶ月間。これまでの悪行ぶりを本当に申し訳なく、なんてことをしてしまったんだとはじめて後悔し、ほかの比丘(びく)の本物の優しさに触れ、日々懺悔を繰り返し、心と体をすっかりきれいにすることに集中したそうです。情けなかったそうです。厳しい三ヶ月の修行を終えたときには、俗世に戻る選択はもうなかったそうです。そのまま、上座部仏教の比丘として得度された後、肉体が地球に還るまでずっと比丘の暮らしを通されました。

藤川チンナワンソ 清弘和尚の本は、記事下部にリンクをはっておきますね↓↓↓


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〈こちら、京都大原三千院のお地蔵さんどす〉


私はというと、日本のお寺で育ったのにどうして瞑想をしていないのだろう…とか、日本の仏教はどうしてタイとぜんぜん違うのだろう...とか、黄色い袈裟を着て托鉢している東南アジアの質素なお坊さんからすると、日本の坊主はよく言えば「社交的」で「世俗的」っていうか、拭えないお金のにおいと、払おうとしてもそもそもない純粋さ…。そんな疑問がふわふわとあっても、あんまり気にもならなかった東京派遣OLです。

そんな、まだ知らない多くの魂の疑問を意識の中で顕在化させてくれたのが、今思うと藤川和尚だったと思います。そういったあやふやな疑問が思考の中をゆるゆるする中で、「ゆるす」ことができるはずの「慈悲の瞑想」を信じてみて、自分のマインドをヒプノセラピーをしていたのだと思います。


さて、タイでお坊さんとして出家する、得度するということは(この二つは詳しく言うと異なることですが、それは後ほど)、すごく簡単に言うと、所持品、仕事、人生の何もかもを手放して修行山寺に入るということです。

すなわち、肉体と心とマインド(思考や感覚)のすべてを透明にする作業が主目的の生活に身をおき、
生きることのすべての部分を完全に意識して観察するということです。

と、いうことですが、意味がわかりますでしょうか?

修行山寺に入ったら静かで穏やかな暮らしでしょう、と言う意見と、マインドという逃げ場のないところに自分を追い込んでそんな激しいことをするなんて、という意見をよく聞きますが、どちらでもあり、どちらでもありません。

ある意味、どちらでもあり、どちらでもなく、激しくあり、激しくもなく、清らかであり清らでない、というような、私流に言葉にするならば、すべての二極を超越し、今に在ることを可能にするカモシレナイのが修行なのかというところです。

修行は、私たちの源でありエッセンスである死にも生まれもしない悠久ものに気づくため、溜め込みすぎたが不要となったモノを一切を下ろすことを手伝ってくれ、その作業を、毎時毎日明けても暮れても意識し続ける場ということです。一極集中をトレーニングする、精神統一を手に入れる、というとおわかりいただけますでしょうか?




え、わからなくなってきました?
もうちょっとだけお付き合いください



不要となったモノの一切、とは何か。
すべてです(笑)

もとい。代表的なものは執着、その中でもレッテル(肩書き)があります。
それはマスク(お面)のようなもの。「私」は、○○商事の役員です、や、私はその妻です、私はポルシェを所有しています、私は××家の娘です、私はヨガの先生です、など。人生の部分的なものを切り取って、その短期的な状態(お家柄や職業)を、名称(概念)であらわしたものです。

それはそれでよいのですが、仏教では、これらのレッテルやマスクを、まるで永久的な「私である」と信じ込んでしまうことが悩みや苦しみの原因であるといいます。なぜなら、何かの折に、たとえば、企業がつぶれたとき、愛する相手がいなくなってしまったとき、不慮の事故が起こったとき、病気になったとき、肉体が滅びるとき、どのような際でも、レッテルやマスクがあるからこそ、悩み苦しみを生む大きな原因となってしまう。なぜなら、真我というものは、苦しみも悩みも死にもしない。


悩み、苦しむのは、太極が存在する地球に人として生まれてくる者の使命です。
しかし、人は、生まれたときから、なんとかして楽しいものや幸せなものを周りに集めて(生まれた子どもには与え)、まるで悩み、苦しみがないように生きることが現代社会の通念となっています。ただ、ここで忘れてはいけないのは、肉体を持って生まれた人間というのは、どんなに見た目が美しかろうが、食べれば便が出るような体の仕組みになっている肉体の真実です。どんなに美しいアイドルでも、年を重ねれば歯茎が弱くなったり、目や耳が聞こえにくくなっていくのは、避けられません。生きるうえでの根源的な苦しみは、仏教で「生老病死」と呼ばれているものです。

私たち人間の肉体は、生まれた瞬間から日々変化しています。
それは時期によっては成長、時期によっては老衰と呼ばれるものです。毎日という一日は、異なる一瞬の積み重ねた後にできあがる時間単位でしかなく、一週間、ひと月、上半期、年度、干支ひとまわりなどの時間単位は、今の瞬間を振り返ったときにある直線的な指標でしかありません。すなわち、実体がなく、短期的な思考のなかにしか存在していません。

同じ瞬間、同じ日というのは二度とないのです。
しかし、現代の忙しい暮らしの中では、まるで同じことがテープを巻き返して再生する繰り返しのように移り、人々もそれを当たり前のように繰り返しています。

「今」という一瞬の大切さ、奇跡さ、それが持つ可能性の大きさを、気づかないどころか、まったく存在しないかのようになってしまいました。「今」と呼ばれるものは、常に異なる「人生に一度しかない今」という一瞬一瞬で、それぞれの瞬間は、常に移り変わっていきます。そのことを、ただ忘れてしまっている。
忘れているということは、思い出すことが可能である、というサインでもあります。

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内にある深い悲しみ、忘れることのない嘆き、どうしようもない怒り。卑屈さや、頑固さや、潔癖な性格。地位やお金や保険や子どもにすがりたいというような思い。これらは、地球におりてきたら、ちゃんと経験するようにプログラムされていたのですが、これを一切手放すことが可能であるといえばどうでしょう?

しかし、今の状態じゃどうしようもない、でも今の状態に答えはない、と、そういう時。家も車も地位もお金も一切も置いて、山寺へ入って毎日を過ごしていくという選択が現代社会にもあるのです。どんな人でも、出家するという決断は、相当の覚悟がなくてはできないものでしょう。


修行に入ってからすぐの頭や心の中は、傷や、心の痛みや、葛藤でいっぱいなのは当然です。修行は、これらがすべて噴出してくるのを、見つめるかなり激しい作業を(できるだけ)静かに学び、そこに住む(タイの場合は)阿羅漢という悟りを開いたお坊さんに支えられ、すべてを超えていく経験です。

ヴィッパーサナは、これらの性格や感情やこだわりや葛藤などを、ただひたすら観察し続ける作業です。逃げません。逃げ場もありません。この厳しい作業を少しでも楽にしてくれるために存在するルール的なものがあり、これは戒律と呼ばれます。修行におけるフレームワークのようなもので、戒律に従うことで修行への道が歩みやすくなったりするような道しるべのようなものでもあります。


私の瞑想修行は、この藤川和尚とはじまりました。
藤川和尚が他界された後、インド出身のヒーラーに教えていただいた和道瞑想を基本に、瞑想の実践を深めていったのですが、はじめた時点から十年かかって養ったジャーナ(三昧)すなわち心の平安(絶対的な静けさに吸収されること)と、ヴィッパーサナは、上座部仏教瞑想の二大柱といわれています


※ちなみに、私が行った和道瞑想の、クリーニング(浄化)瞑想は、過去記事のこちらからご覧いただけます。
(10年前の記事です、稚拙な文章はご容赦ください[バッド(下向き矢印)]


上座部仏教で大切とされる「止観の瞑想」の「止」の部分は、一極集中して精神統一をする方法(サマタ、慈悲の瞑想)で鍛えることができます。

そして、「観」こそがヴィッパーサナです。上座部の伝統的には、「観」の瞑想は、「止」の瞑想を10年修練したあとにはじまると言われています。

現代の修行のあり方のある部分は時代の変遷とともに変わってきてはいるようですが、お釈迦様が残したことを少しも変えたり曲げることなく2500年経った今も実践で継承するテーラワーダ仏教は上座部仏教、長老派とも呼ばれており、特に森林派の比丘・比丘尼たちは、この教えを今も追随しています。特にタイ東北部、ラオスとの国境の南側の森は、阿羅漢(悟りを開いたお坊さん)のメッカとよばれており、多くの寺院が国王の援助を得て建立されており、バンコクなどの都市部のお坊さんも修行を深めにやってくることで知られています。

また、仏教国の中でも、タイ王国はダンマ(真理)の地、ラオスは修行の地、スリランカは学問の地と呼ばれています。





さぁ、まだお付き合いいただいていますでしょうか?(笑)



二年前に書き始めたこの記事で、ついに私の出家修行についてお話する準備ができたような気がします[かわいい]


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参考)
そんなテンヤワンヤな藤川チンナワンソ和尚のお話、詳しくは、こちらの本をぜひどうぞ[カチンコ]
『タイでオモロイ坊主になってもうた (日本語) 』
藤川チンナワンソ 清弘著

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