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期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

オーストラリアへ引越して10ヶ月が経ちました。パートナービザがおりた今も、『己を知る』旅は続いています。

引越し後、こちらで時間ができたので念願のズンバとテニスを始めました。しかし、直後に身体が悲鳴をあげすぐに止めました。それから数ヶ月は半日の外出も難しく、菜園で働くのは30分が限界、1時間動くと翌日寝込みます。肩から指まで常に痺れ、胃腸は不調、眠れない夜が続きました。鍼灸治療を始めました。

身体の痛みは、精神の状態が顕在化したものです。ここで、この状態からどうすれば穏やかな幸せを感じることができるか、またもや自らの人生で人体実験してみることにしました。


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東京から大自然エコビレッジへの移住で、考えられる何もかもが一転し、移住直後は「(自分にとっての)普通な生活」ができませんでした。いちばん馴れないのは南半球生活。四季が逆転し、太陽と月の軌道が変化したことで、胎内時計が今も狂っています。
例えば昨日、寒い夜にジャズを聴き、ロウソクの光でローストチキンを食べながら、あれ今日はいつだっけ?7月です。カレンダーをじっくり見ても、今日の日付がしっくりきません。

慣れ親しんだ時間の流れ方、ライフスタイル、文化、精神性、便利さは、日常にもうありません。期待するような返答が相手から帰ってくることは皆無。「空気読めへんのかっ」とひとり暖簾に腕押しすぎて疲労。言葉の壁で知りたいことはわからない、伝えたいことは伝わらない。日本ならすぐ手に入るものが手に入らない。日本の都市部の世界観と、オートラリアの田舎のそれとの間で宙ぶらり。便利さをお金で得る暮らしから、便利さは自然から借りてくる生活。太陽や月の軌道でさえ、慣れ親しんだ線を描かない。東京では週末ようやく神経がほぐれるかどうかのビリビリした精神状態が、今はひたすら雲や木の音を聴いて過ごす生活。静寂を獲得するために常に戦い続けた「バトル」も消滅。「働く」という概念が今まで生きてきた国とまったく違う。ホリデーではない、これが日常。これら一切が疲労につながり、移住後はいつも眠く、そして持病から痛みまですべてどっと吹き出てきました。

これはずばり、期待をしすぎていることが原因で、不調になっています。過去の私をオーストラリアに一緒につれてきて、期待している心地のよい道を行けると決めていたのです。

ぐるぐるまわる「期待」を自らまわし続けて、イライラしていました。イライラするから身体が痛いのか、身体が痛むから落胆するのか、負のスパイラル。...に突入する前に、意識のリセットです[手(パー)]


まず、期待を手放しました。どうやって手放すかのアイデアをいくつか書いてみました。

1.ジャッジ(善悪の判断を自ら)しない

以前慣れ親しんだ生活のことを本気で恋しがったり、悔やんだりしない。ここにないものはない、なら良い意味であきらめる。新しい習慣、新しい生活、やりなおし(別居後の)新婚生活、あるがままをあるがままに受け入れる。ひとつひとつの物事に対して、好きも嫌いもありません。ただ、それをそれとして受け入れるだけです。物事はそこにあり(起こり)、そこに今「私」はここに居るだけだということです。人付き合いもそう、日々のできごとに対してもそう。好きも嫌いもなく、ものごとが起こっていくだけ。判断をしないで、心地よいと感じるものを自然に選んでいく。


2.過去の自分を話さない

ある日、ご近所さんと話していた時、私は自分が過去に存在していることに気づきました。過去の自分や昔の仕事のことばかり話していたのです。そして感情も(もれなく)セットでくっついていました。新しい場所では、誰もあなたが何者であるかを知りません。自分が何者かを伝えるために、履歴書に書いてあることや、過去の自分を話しがちです。すると、「今の自分」は消えていきます。今の自分は、過去には存在せず、過去の自分は、未来にも存在しないのに、です。
過去は過去でいいのです。今は「今を生きる」ことに集中したいからこそ、過去に執着しないということです。また心を「過去」に戻さないのと同時に、今の状況から逃げるための「未来」についても話しません。今をせいいっぱい生きるだけです。


3.今を受け入れ、どっぷりと浸かる

今の環境をそのままで受け入れる。例えば、あれがないこれがないと言わない。食にしても、食材を求めて探す事をやめました。今あるものや旬のものを使う、というよりもはや究極で菜園にあるものを使っています。頭でひねり出した英語が通じなくても、もういいやと思うようになりました。言語で失敗しても、ハグしたり目から伝えられることには失敗がありません。今にどっぷりと居ることで、自然と楽しさを感じれるようになるのは素敵な効能です。


4.感情をコントロールする

イライラすると、一人になる。外へ出て、新鮮な空気を吸う。コントロールできないレベルの感情の淵に落ちてしまうと知っているならば、その前に周りに相談して、自分で感情をコントロールできるような環境作りを事前に整備する。この項目は今は少し易しくなりましたが、長くとても辛い「修行」でした。

以前は、思うように行かない毎日、思うように生きていない自分に対して心の奥底で怒り続けていました。だから小さなイライラが起こると、心の奥底の怒りが連鎖して、自分の内から大噴火していました。数年前から「今」を受け入れる努力を続けたことで、人生から要らない(過去の)ものがそぎ落とされ、(今の人生に)必要な物がどんどん流れ込んできて、人生の基盤を築きなおしたことで、心の奥底にあった怒りの層はどんどん消えつつあります。感情がアップダウンすることがあるならば、これは心の奥底に積み上げられた何らかの感情に原因があるかもしれません。


4.感謝する

ありがとう、ありがとうと、言うことです。目の前にいる人、私がここまでやってくるために出会った人、家族。自然、植物、生き物、なにもかも。みんなに感謝し、生命に祈る時間をきちんと持つことです。

今いる場所がどこであっても、今、自分が存在する場面に登場するものすべて、感情もふくめてすべてをただ見つめてそこに居る(在る)だけです。感情はなくなったのではありません、感情を感じている自分もしっかりと見つめるのです。この連続が、不思議と感じるかもしれませんが、とても穏やかで幸せな状態へと導いていきます。これは心の訓練次第で、誰にでもできることです。


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さて、不思議な事に、過去の傷を癒すことやヒーリングと呼ばれるものは、日々に専心することで起こるように思います。いつもよりさらに意識的に「今を生きる」を実践して二ヶ月も経たない頃、通っている中国医療の先生で鍼灸治療をした際、ハートチャクラの胸側と背中側から大きく出血しました。体内の血の巡りが悪いことは現代人によくありがちな症状ですが、先生曰く「出血は稀だけれど、若い頃にうけた衝撃の記憶が、血とともにハートに澱んでいるケース」と。その治療はリチュアル(儀式)のようになり、たくさん泣いた後には、身体の痛みからどんどん解放されていきました。私の内にある一枚の「記憶の画」とそこに癒着する「感情」が、今を生きることに集中することで薄まりました。


移住した国で母国のように暮らすまで、かなりの時間がかかることは承知しています。穏やかに今の環境へ適応できる理由の一つに、日常に瞑想があるとも言えます。瞑想をしたからといって、魔法のように人生から困難が消えることは決してありません。エゴにより動く自分ではなく、心の奥底から声を発する「本当の自分(高次のセルフ)」とつながることで、苦しみや痛み、そして光悦や仮の喜びを、その高次の眼でみることができます。

また瞑想は、生きるために与えられた最も尊く基本な行為...呼吸に集中することを、自分に知らしめる訓練でもあります。瞑想の効果は、ゆったりと始める呼吸が徐々に教えてくれます。もしも今知りたい答えがあるならば、その答えを静かな時間がきっと教えてくれるでしょう。。。


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期待を手放す@東京【喧噪の中で無執着を知る】もどうぞ)
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オーストラリアでとんじんち(貪瞋痴) [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

環境が大きく変わる時、身体的・精神的に想像以上の負担がかかるのは自然な流れです。新しい職場、新婚生活、子どもが生まれたり、別離を経験するとき、、、人生そのものがこういった挑戦の連続でしょう。

精神性を意識することがなかった人に、魂の成長に関わる大きな変化が突然やってくると(「意識の目覚め」)、身体と精神が大きく崩れることがあります。身体の不調に蓋をすることに慣れている人は非常に多いのですが、精神はとても繊細で、崩れてしまえば隠すことはできません。無理をしすぎることで、もう一歩も前に進めなくなることもあるでしょう。それは、(意識することはなかったかもしれませんが)自らの行為により、自分自身に与えている経験です。

生きる本質に関わる学びは、いつもそのような大きな「事件」を通して私たちを変化させ、気づきを与えます。私やあなただけの、特別なタイミングで。そういう時は、探しまわってあれもこれも掴むのではなく、やみくもに走るでもなく、心のそわそわを無視するでもなく。この時にこそ、最も静かな行動=瞑想から始めることが鍵となるはずです。

わかります。過去を見れば容易にできたし、自分はできる。そして自分はできることをちゃんと見せたい。自分に対しても、社会に対しても、できると証明したい。でも、できない。今それができないことで、自分だけではなく、誰か大切な人を落胆させ、傷つけることを怖いと思う。でも、できない。できなければできなくて当然なのです、過去の私やあなたはもうどこにも存在しないのだから。

もし今こだわり続けることがあるのなら、それは何でしょう。

「私はどうして、**にひどくこだわるのだろう?
 **を無くすのが怖い?
 どうして、そんなに怖いのだろう。
 それは、人生をかけて守りたいこと?」


このまま現状放置しておけないことを、実はうすうす知っているかもしれません。心の中のひそやかな声は、聴こえないほどの声だからと言って価値の低いものでは決してありません。その声は、あなたの人生を左右する声、人生に関わる叫びであることを、聞き続けている本人が一番わかっているはずです。

しかし、瞑想すると決めても、最初は頭のフル回転が止まりません。目を閉じるとあれやこれやと、明日や昨日の心配ごとがどんどん出てくるはずです。時間が作れないと自分に言い訳を始めるかもしれません。突然座る時間を与えたことで、涙が止まらなかったり、怒りが沸き上がるかもしれません。だからこそ、瞑想を始めることになったのです。もう外部には存在しない、生きるためのヒントを見つけに、静かに向き合うと決めたのです。初めたばかりの心はうるさいのが常です。私もここに書いた通りの状態でした。静けさに居る習慣をつけることで、身体はちゃんと呼吸をすることを思い出し、身体と心の音を聞き、自然の流れに一切を委ね、今まで感じなかったことを経験するようになります。

私たちは「苦しみ」を経験できるよう、肉体ある人間として生まれてきました。なぜ?なぜ「苦しみ」を経験しないといけないのでしょう。生きる幸せや、真の喜びを知るためです。苦しみを経験することで、その真逆とも思える「幸せ」を感じられるようになっています。どの人生も、大いなる意思により「苦しみの経験」がインプットされています。「幸せ」の単独存在はなく、生老病死などの苦しみとセットで存在します。これらは頭では理解できないかもしれませんが、あなたを突き動かす遺伝子はその設計図を知っています。ここで言う遺伝子は、DNA解析とは別の次元の話しです。遺伝子の青写真は、瞑想をすることによって心眼を通して見えるようになるのです。

人生の苦しみにどう向き合うかが、幸せに生きる鍵です。みんな、過去や未来などの実体のないものに執着し、強欲ともいえる私欲を抱き、そして腹を立てたり怒るよう、そのような感情を持つ人間として生まれています。お釈迦さまの説く煩悩、「貪瞋痴(とんじんち)」を乗り越えるために、いまその「大きな出来事」が与えられたとしたらどうでしょう。今、目の前に与えられた課題は、あなたが考える以上に、人生を左右する尊い課題であり、人生をより善く生きる為のまたとないチャンスかもしれません。いのち(生命)の重さを知り、自分と家族や子どもたちを愛し護るような、真の力を養う時があらためて訪れたのかもしれません。


...「その時」はいつも私たちに訪れています。そしてもちろん私たちには選択の自由があります。見えている未来を選びたくないとするならば、未来が見えない新しい道を選ぶのもありです。私も、見えない道に向かって、勇気を持って歩き続ける一人です。歩き続ける先に、必ず光りは見えてきます。
一人にひとつずつの人生。新しい一歩を踏み出したとき、すぐ隣で、勇気とユーモアを持ち、力強く歩みを続ける仲間に出会うでしょう。

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追記:
海外に移住して、家に一人こもりがちで孤独を感じる主婦が多いと聞きました。今、ビザのステイタスにより仕事も通学もできない私が孤独を感じないのは、コミュニティに住んでいることの他に、瞑想をしているからです。
周りに人がどれほど多くいようとも、心を閉ざしてしまえばすぐに孤独は襲ってきます。反対に、周りにどれほどの人がいようとも、その場に意識的に存在することで、静けさを感じます。仮面を脱いで素の自由な自分でいられる鍵は「瞑想」です[かわいい]
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期待を手放す@東京【喧騒の中で無執着を知る】 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

多くの人が「幸せな人生」、言うまでもなく「苦しみのない人生」を歩きたいのだと思います。天職を得て、社会で評価され、うまく人付き合いをして、豊かで幸せに、笑顔に囲まれて。

そして、今生で大多数とは異なるもの(恩恵)を与えられていたり、自ら設定する期待値がとても高いという理由などで、期待する人生を歩めなくて苦しんでいる人もいます。

特に「平均的」か平均値に近い姿で生きることが求められる社会では、さらに苦しみがちです。その社会にうまく適応したいと、自らに期待しているのです。でもできない人はできない。たとえ何かを犠牲にしてがんばって「期待する姿」に到達しても、さらに次の「期待する姿」を目指して苦しんでしまう。

今日のタイトル『期待を手放す』は、自分のことがよくわからずに、どこかまだ見えない地点に到達することで、幸せになれると期待し苦しんだ人が、やがて苦しみを手放せるようになったというお話です。


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数千坪の寺院で平穏豪華な子ども時代から一転、父親と義母との再婚後に出家(?)、数坪のマンションで都会暮らしをすることになったH。東京が経済と消費のメッカということもよく知らずに、読経と祈りが響き渡る古都から、東の都にポンとやってきました。今思うと、両極を同じ程度で経験した【陰・陽】のようにも見えます。

目の前にある東京での生活で、自分をそこに適応させることで幸せになれると期待したH。東京で生きていくために使える資格は何かと考えたとき、それは企業にて英語を使う仕事でした。できれば好きなことを仕事にしたいとHも思います。小さい頃から、絵や外遊びや庭いじりが好きでしたが、それを仕事にするという考えは存在しません。「純粋に好きなことを仕事にできたらな〜」。きっとそう感じて生きている人も多いと思います。天職といえる仕事に巡りあえるはずと期待して探すと、これがないんですよね。信じて笑顔の努力を続けることと、期待することで苦しんでしまうのは大きく違います。

8年後。
東京という大都市を選んで、仕事も遊びも謳歌している同僚や、目的を持っているからこそ繰り返される毎日を楽しく過ごす友達を見て、どうすれば都会生活に適応できるだろうと、期待しては落胆をまだ続けていました。故郷への未練を断ち切れずに落胆。彼氏と別れるたびに落胆、仕事で思うように自己実現できなくて落胆。長すぎる停滞期にいました。中には東京を出ていく友達もたくさんいました。Hも脱出方法を考えましたが、それすらも糸口が見つかりません。趣味のヨガやダンスはリラックスや創造性以前に、うっぷんを晴らすためで、結局身体を痛めたことが仕事にも影響するようになります。自分のことがわからないから、周りのことも理解不能なことばかりになりました。

仕事のやり方を変え、プライベートや人間関係を自分なりに工夫しては、「失敗」の繰り返し。「失敗」の側面に、何か「パターン」のようなものがあることにも気づきました。何かの理由があってここに住むことになった気がするけれど、それもわからないし、住んでいることが腑にも落ちない。今、なんで大都会に住んでいるんだろう。どうしてここを選んでいるんだろう?

ここ に いる 目的 は なに!?

これが鍵となるひとつの祈りの言葉となりました。日々、この疑問を心底から聴こえない声で叫び続け、そして瞑想を続けたことで、少しずつ自分のことがわかるようになり、すると期待すること自体も減りました。そもそも「失敗」という概念も存在しない。失敗もしていなければ、落胆することもない。単に「経験すること」が、真の理解をもたらすのです。
そして、深く深く『己を知』れば知るほど、本来の自分にとって居心地のいい環境がどんどんと整備されていきます。あとはそれを受け入れられる「自分」を維持するのみ。


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世界中に存在する大都市と同じく、東京は物質的にも、精神的にも、人類の発展に重要な役割を担っている土地であるはずです。今、この場に住んでいるのなら、何かの大いなる意思の元で『地球学校』の「東京クラス」にクラス分けされたのでしょう。「東京クラス」は大人数の生徒を一気に抱え、その一人一人にあった課題が課され、それぞれの魂の成長がしっかりと見守られながら、次へと続く道へと導かれていくように感じます。そして、「東京クラス」での尊い学びが、どこでどう次の地点にシフトしていくのかは計り知れません。

私にとって、「東京クラス」での学びの一つは、高い次元から人生を見つめる方法を知ったことで、《「期待」は、自らの経験によって創りあげた「幻想」でしかない》と気づいたことでした。無意識で他と比較し、社会の中の自分に期待し、仕事や家族や、人生そのものに期待する。自分で期待を膨らませ、それを空まわりさせ、自分を苦しめる。
また、英語を使っての仕事が私の天職とは思いませんが、私に努力や壁を乗り越える力を与えてくれ、まっすぐに導いてくれる「英語」は、創造主から与えられたギフトだと感じ、大事にしています。『好きなことをしなさい。好きなことがわからなければ、今やっていることを好きになりなさい』の意味も、今は経験により理解できます。

与えられた環境がどうであれ、今できることは、執着することなく日々を意識的に生きていくことです。目の前に投影される世界が、自分の心次第でいかようにも変化しているようなことに気づきながら・・・


期待を手放し、あるがままの自分を受け入れる
生きることは、今に存在すること
己を知る。

−−−意識的に生きることで、人生は自然と導かれるのだと思います。


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それは「地球学校」だから 2 of 2 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

「地球学校」Part 1.では、瞑想によって魂の声を聴くことができれば、引き寄せの法則へとつながっていくのだ、というお話しでした。

引き続き、私の世界をご堪能ください(笑)。

現代社会は経済の上に成り立っている社会で、実際に地に足つけて生きるにはまずはお金が必要です。前回述べた内容を理解したうえで、それらを現実社会に活かしたならば、お金は運ばれてくる。だから引き寄せの法則やザ・シークレットに出てくる人たちは決まって、お金持ちなのです。スピリチュアリティを趣味にしておく人は、まるでもったいない。それを現実社会で力強く実践してこそ、全体で(肉体的にも魂的にも経済的にも)より豊かに生きていけるのです。

この実践哲学を24年前(私何歳?)から提唱しているのがインド人だがネイティブアメリカンのようなポール。

身体、心、魂を統合した上で、
自分自身の内に強さを見出し、
今生きている現実社会と調和する


少し前の時代であれば、その日の食糧を得ることや、国に年貢を納めることや、豊作を願って祈ることが現実だったでしょう。その時代の現実と、統合された自分自身を調和させて生きることが重要です。

ライフスタイルの多様化した現代であれば、その中から自分のライフスタイルに合った生き方を見つければいいのです。あなたがどんな生活をしていようとも、上記の3行を当てはめれば、自分だけの道が、自分自身の力で見つけられるのです。

近くにいる、リーダシップを持っている力強い方を見てください。
たとえ時代が変わったとしても、その人はやはり社会を導く力強さを持っていると思いませんか?


例えば転職活動をする時や結婚相手を探す時にも、この考え方を応用できます。
方法は、本には書いてありません。それはご自身の心の内にあります。

まずは心の声を聴くことが大事。座禅や瞑想ですね。
身体も心も同じ方向に進むことに合意したら、今現在置かれている状況に自分自身を調和させるのです。すると、今何が欲しいかが見えてくる。就職先や転職先を探したり、結婚相手を選ぶというよりは、自分の描いたその場所やその人と自然的に巡り合えるようになります。そう、その瞬間に、自分にぴったりな道が与えられるのです。


現代社会は経済社会なので、ある程度以上の経済力がなければ豊かな暮らしはでいことは既成事実です。そして経済においてもこの考え方は成り立ちます。インド哲学を基礎としたこの考え方を提唱しているポールも、ビジネスコンサルタントとしてアメリカの企業や経営者を力強く導いています。どのようにするか?は深い深いお話しですのでまた今度。


‐‐‐自分自身に無理な状況を敷いていると、身体・心理面にひずみが生じます。このひずみはあなただけの問題ではなく、実は全体の痛みです。ひずみが大きくなると、地球の「魂」にも響きます、と言ってもなんのこっちゃかもしれませんが、人々の心の痛みが増長していくと、自然界の傷も深まると思います‐‐‐


『インスパイアされた人はより豊かになり、お金を創りだす』
マスターはいつもこう言っていますが、それは本当です。The・秘密 じゃなくて、The・和道。


昨年一時期をオハイオとニューメキシコで過ごして、日本に帰国してから色んな人と出会うようになり、興味深いことに気づきました。既に長年、瞑想やヨガを実践されている人たちで、しかも若い世代の方々は、世界を変えるためには経済界が動かなくてはならないと感じていることです。(私が気づいたから、私が引き寄せているだけの話です。)


地球全体で経済不況や自然災害、環境破壊などのニュースが流れる中、私たち人間が先の見えない不安な世界を打破するには、一人一人がまず命の大切さを抱きしめ、それから全人類が協力して地球全体の自然環境に取り組んでいくことが必要だと思います。
まさに私もダライ・ラマ法王と同じ意見です。

世界が身近に感じる現代です。「それは他人の問題ね」、と言っていた時代はもう去ったのでしょう。「地球学校CSR部」は、環境保護活動の次に、きっと世界的な「アウェイクニング」を持ってくると勝手に思ってます。
著名なコトラーのマーケティング理論にも、今後スピリチュアル・マーケティングが重要になるとも書かれていますしね。

地に足着いていないスピリチュアルは「スッピー」ですが、本来スピリチュアリティとは、厳しくて強く、すべてを包み込むことのできる、私たちに与えられた共通意識の一部だと思います。


さて最後になりますが、「地球学校」にも「保健室」はあります!
その役割を担っている人は世界中で増え続けています。


「地球学校」。なんと奥深い世界でしょう・・・[ぴかぴか(新しい)]
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それは「地球学校」だから Part.1 of 2 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

人生は学びの連続。一つ一つが学びで、経験すべきことは尽きない・・・それは、この地球は学校だから、だと思ってます。それぞれの心や内面を成長させるための「地球学校」

この言葉を、これまでも本で読んだことがあるので、聞いたことがある人もいるかもしれません。では本日は、私が思うところの根拠のない「地球学校」についてお話しします。

輪廻転生を続ける魂が、学びにくるこの地球は「地球学校」。魂は、様々な「容姿」を得てこの地球学校に学びにきます。国籍、肌の色、文化、風習、性別、ある種の才能、家族の中の位置、など。一人として同じものは与えられません。

「学校長」は、ビックバンを起こした創造主、または万物を司るエネルギーだと思ってます。私たちがどんな事をしても・・・楽しい事、恐ろしい事、哀しい事、嬉しい事、許せない事、、、(と言っても、こういう「感情」も、人間がつけるものですが)、学校長は、無為の境地でいつも私たちを見守ってくれています。「校長室」が存在する場所があるとすれば、それは、キリストやブッダの目指した先だろうと思っています。

この地球学校での課題は、「過去や未来を生きている私」に対してではなく、「今この瞬間の私」に対して与えられます。だから、過去のトラブルに執着したり、先の未来ばかりに心を向けていると、「今」与えられた課題に上手に取り組めなくなってしまう。こうして、苦労や悩みが増えていくのかと思います。

魂を持ってこの地球で生まれ、学んでいく過程には、家族や学校の基本的な社会単位の中で育つ時期、個人として誰かを愛し愛されて成長する時期、社会や国家の中での役割を持って仕事に励む時期、人生の意味を深く意識する時期、魂の再生に向けての準備の時期などが含まれます。その間にも、失敗、誕生、成功、合格、落第、昇進、別離、等々を経験して学びは続きます。魂がどのような過去(過去世)をたどってきたかによっても、授業で扱われるテーマは変わってきます。

ですので、他の魂さんと自分を比較をしたり競争したりすることに、それほどの意味はありません。違って当然なのです。人生の意味は、自分の中にしかないからです。一番してはならないことは、魂の差異に無意味な価値をつけて、同じ魂を痛めつけたり存在を否定することです。

一度魂の存在に気づけば、課題に取り組む姿勢や、課題に対する視点が変わります。課題を意識的に取り組めるようになれば、課題自体も変わってくるように見えることは興味深いことです。本来、地球学校では、心の声に従って生きれば生きるほど、社会で言われる「幸せで満たされた人生」を歩めるはずなのですが、現代は知識と情報が氾濫しているため、理性と知性のみに頼って生きていくことも容易です。だけど、魂の声や直感や第六感は、それらによって簡単に封じ込められてしまいます。すると、心の声は聞こえなってしまうのです。

学校長はあまりやかましく言いませんが、もし、何度も同じ失敗が繰り返されたなら、それは学校長の「見直す時だよ」サインです。心と体が別々の道へ進んだり、歩調が合わなくなると、次第に可視できる形で(身体的に)不調を起こし、文字どおり身体が悲鳴をあげはじめます。

しかし、どんな道を歩んでいようとも、地球学校の「校長」はいつも私たちを暖かく見守ってくれているはずです。彼の存在に気づいた日から一心に「感謝、感謝」と言っても、彼は突然こちらに気づいてはくれない・・・なんて思っていたら大間違いで、彼は偶然の一致(シンクロニシティ)や、私の魂の願いを忠実に再現してくれるようになります。これが一般的に言われる、引き寄せの法則。

だから、引き寄せの法則へ向かうための一番の方法は、心の曇りを晴らすこと、すなわち瞑想なのです・・・
瞑想なのですよ[かわいい]


次に続くのです。
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