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ストレスは人生を見直すきっかけ【ストレスの正体シリーズ3】 [ストレスの正体]

こんにちは。このブログは、【ストレスの正体】シリーズ第2部「人間社会の今むかし」の続編です。


地球上では、昔からたくさんの人生ゲームが繰り広げられているのはみなさんご存知でしょう。狩猟ゲーム、夜ばいゲーム、戦国ゲーム、宗教ゲーム、スポーツゲーム、経済ゲーム、金融ゲーム、ギャンブルゲーム、洗脳ゲーム、政治ゲーム、下心裏ゴコロ探り合いゲーム、、、これらのゲームは、全身全霊で没頭しなくてはならないものではないのです。ゲームが楽しいうちは楽しめばよいのですが、没頭するうちに、ゲームから降りれた(上がれた)ことを忘れます。このゲームに真剣に没頭してしまうのは、昔の私も含めて、変なとこクソ真面目すぎるのはあなたも過去の私も同じです。真面目な人こそソンをする、、、なんて言葉も存在します。人生ゲームをまるでゲームのようにやってのける人を横目でみて、いいな〜と思います。でも真面目なあなただからこそ、この道を歩いているのです。


突然ですが人生ゲーム実況中継:

ただいまゲーム上で、あるチームが命がけで戦ってます!このチームは、昔から使えるものは全部総動員して、しばらくゲームを先導してきました。特に、一度とある負けを経験してからというもの、猛烈な巻き返しをはかりましたね。そのマスエネルギーが強烈すぎて、ゴールに着いたことが見えてないようです。ゲームをやめないぞという執念、もっと異質なゴールが欲しい、もっともっと達成したい。ゲーム時以外も24時間戦えますか!あらゆる効率性や機能性をあげていったのはこのチームだけでしたね。他のチームにはない行動です。現在は、ゲーム自体の性能向上にも力をいれているようで、もはやこのゲーム上で対戦しているのは数チームとなりました。意外とこのチーム達は仲が良いようですよ、ゲームに足りない資源を一緒にさがし、掘ろう、伐採しよう、造ろうと共同してがんばっています。おっと戦争がはじまりましたね。小さなものから大きなものまでゴミ出てますね。とにかくエネルギー量がすごいです!あ、駒がおちました!世界ではカミカゼやカローシと認知される現象です。すぐにリプレイスです。

(いつの間にか、このチームは巨大オバケになりました。チームメンバーの誰もオバケになりたくはないのに、なにが起こっているのかわからないまま、重要なパーツに自動的に組み込まれています。)

おっと、あちらでは、性質の異なるゲームが開発され、*GNH値を設定して遊び始めました。そこに小さなグループが名乗りをいれ、豊富な資源を使ってゲームを展開してますね。いや、なんかメンバーが楽しげです。先ほどのチームは、“マイノリティ”のゲームにはまったく興味のない様子です。



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心の中で、社会で、地球で、どんなことが起こってたとしても、起こったことはすべて過去。どんなことでも起こるのが、これまた『地球学校』(参照:それは「地球学校だからPart.1」過去記事より)の器の広さです。そして起こったことはもう置いておきましょう。もう変えることのできない過去を「あーだこーだ」というより、今できる生産的な話をする方がベターです。このゲームをコメンテータ的観点からお話した理由は、ちょっと高い視点から現在の居場所を俯瞰するためです。日々追い込んでくる見えない意識、休もうとしても休めない身体、ずっと考えっぱなしの思考、深夜不安で目覚めたり。それはあなたがこの人生ゲームを背景として、作り上げた幻想なのです。あなたが真に大切なことを知るために必要な経験でしたが、あなた=痛みそのものではないですよ。あなたは、その経験から自由になれます。心で思い描いたこと(幸せであれ恐れであれ)を現実化させる力が我々には備わっていることを、中庸から経験できるようになります。

↑そして、これは私の「意識ゲーム」↑
おりることも可!



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時代がどうであれ、すべての魂が、どこで、だれの間に産まれて、どのように育っても、私たちの表面的感覚や想像を超えた深い意味(高次の意思)があります。時代は関係ありません。振り返れば、いつの世も「激変の時代」で、様々な人生ゲームが行われていました。シャカ族の王子様もそれで国と家族を離れて出家したし、かの有名な『祇園精舎の鐘の声』が響いたのも戦国の世です。人間が立つこの地球というステージで、ストレスは当然のもの。己の内から湧き出る疑問をそのままにして、王子様を演じ続けることも可!戦で人を斬り続けることも可!どんなに激変する時代でも、選ぶことはできるのが、人間平等に与えられた自由の権利です。


現代社会の特徴といえば、道ばたで突然首を斬られることはなくとも、情報・テクノロジーが超発展している(テクノクラシーの)時代。知識と経験を洗練させること、最高品質世界最小最軽量を持つこと、常にゴールを設定すること&達成することに気をとられがち。時代を楽しんでそれも可。しかしストレスで苦しんでいるなら、他の選択をすることも可。そう、そういうことなのですよ。だからこそ、あなたは今生で、この時代のこの場所を選んで産まれてきたのです。私の中にいる「私」は選べることをまだ知りませんが、「本当の私=魂」はすべてを選んできたし、自由に選べることを知っています。そして魂はストレスに苦しまない存在です。さぁ、どうしましょう?


どの時代においても、過程を楽しみ、喜びを持ち生きる選択をした人は存在します。彼らは、外側の敵(物質や相手)を倒すことではなく、己の内側にいる「私」(己の弱さでもあり、財産でもあるもの)と対峙し、克服して自身を統合し、「真の私=愛そのもの=魂」を心に取り戻しました。その姿は、歩く哲学者のようであり、虹色の戦士(←過去記事『虹の戦士』より)です。時代がいつでも、闇がどうでも、生きることをあきらめないで七転び八起きする精神を持ちなおせば、過重なストレスに苦しめられたり、己の人生そのものの被害者となったり、自ら生命を奪うことにつながりません。多くの心静かなる人は、決してストレスがないのではなく、過重なストレスを人生を見直す大きな機会とし、俯瞰する眼を養った人なのです。


そうそう、いつの時代も「今の時代は、生きにくいわ。」とつぶやくのが人の常ですよ。



*GNH
Gross National Happiness/国民総幸福量

沙羅双樹の花は、白い椿ですが、こちらは家の庭に咲いている日本椿、洋名ジャポニカ。今朝撮りました。
Japonica.png

人間社会の今むかし【ストレスの正体シリーズ2】 [ストレスの正体]

このブログは、【ストレスの正体】シリーズ1「もう限界!背負うものが多すぎます!」 の続きです。

ストレスは、悲しいこと嬉しいこと苦しいこと許せないこと、どんな事柄がおこっても発生するもので、自我が芽生えた頃から経験しています。心からしたいと思って自然に行動に出たことが、禁止制限されることはしばしば。遠足の日に雨が降って大喜びしたり、泣いて悲しがったりなどは、あなたも私も、子どものときにたくさん経験しました。ストレスは人間が生きる上で必ず存在するものです。成長になくてはならないものと言えるでしょう。それがモチベーションになることもあるし、新しい気づきを与えることもある。今ある人間環境で、自然に発生したものは止めようがありませんし、逆にストレスをなくそうとするならば、それこそがストレスの原因となります。

ストレスとは何なのか、ストレスが発展するとどうなるのか、それを掘り下げまくるシリーズ今日は第二部です。まずは人間社会をタイムマシンでさかのぼってみたいと思います。最初にお伝えしますね、この記事長いです。


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数世代前の暮らしへジャンプ:


今から数世代時代をさかのぼると、人はここまで厳しい社会で生きる存在ではなく、もっとストレスフリーな存在でした。私より上の世代の方々が、「あの頃は貧しかったけど良かったね」と呼ぶ時代でしょう。

道はコンクリート舗装ではなくあぜ道で、子どもたちはじゃれあって歩いたし、車にひかれない代わりに肥だめに落ち、野山を駆け回ってどろんこになり、笑顔で村に帰ってきました。じいちゃんばあちゃんや友達の家族が近くにいて、村全体が大家族のようでした。生んでくれたお母さんと同じように子どもを大事にしてくれるお母さん的存在は一人ではありませんでした。親世代、ジジババ世代、子ども世代、それぞれが横つながりで孤立せず、なおかつタテに繋がる世代が共存し、泣き声の背後に大笑いが聞こえるような大家族でした。学校は大自然の中。刀のさばき方や草花摘みをお手伝いしながら、長老やばあばが知恵を教えてくれました。伝統行事は四季や自然界と私たちの食に密接に関係し、行事を行う毎にそこから大切なことを教えられました。仕事は指示待ちで配分されるものではなく、人間の基本欲求を満たすために自主的に手足頭を動かすことで仲間とともに喜びを共有し、暮らしそのものが仕事でした。戦も、天変地異もありました、愛する者は天へ還り、新しい生命へと巡りました。人と人、人と自然、人と文化の間に在ったのは、文字通り間(ま)。空間そして時間。簡素でオープンだからこそ、つながりのある暮らしでした。

今の日本にもこの暮らが残っていますし、この暮らしをルネッサンスしようという大小の動きは、日本のみならず世界全体でいつも起こっています。お休みごとに、家族や子どもが日本の原風景と言われる「田舎」や里山に浸かれるなんて、なんと貴重なことでしょう!その経験が出来る間は、その時間を大切にしたいですね[ぴかぴか(新しい)]

それでは、この暮らしを知らずに育った私たちは、その時代の子どもと違うのでしょうか...。そうなんです。今の子たちは、加工食品、ストレス、薬剤、長時間学習と労働に堪えうる人間へと進化しました...そんなわけないです。

人間という存在の核は、戦前も今もずっと同じです。産業革命以前、縄文時代から、変わりません。根本的に、私たち人間は、目の前で「今」発生している空間で、それぞれの魂に見合う経験を通して、人を、自然を、そして自分を愛する方法を知りどちらかというと思い出し)、成長する存在です。




近代の都市化をみる:


近代社会は急変しました。衣食住の変化、医療、学校教育、企業や新しい社会の在り方、目に見えるものから見えないものまで、急速に。多数の人は経済を求めて都会に移り住み、おのずと生活環境は狭くなり、食事にかける時間が減り、総菜や菓子などの加工食品を買い、一人で短時間で済ませることが増えました。医食同源がポピュラーになるほど、もはや食と医は切り離され、老いも若きも薬の服用と病院通いが一般的になりました。子どもを身籠れば、20歳までの養育費をざっくり計算。家庭内では核家族、鍵っ子。常に忙しい親のもと、タブレットで早い時代から情報時代っ子。学生と塾生で大忙しでいたら、部活もはじまり、大学受験生を終えたら休む間もなく就活。学校では企業戦士へとスムーズに移行できるようカリキュラムが組まれていたが、疲労募って病と診断されれば、その部分だけ早めに治して元の即戦力に戻らなければ大変なことに。そのうち親となって子世代へ同じ生活を繰り返す、そうでなければ、パラサイトか引きこもり。人と企業とエネルギーが集中する都会の空気はどんどん薄くなるなか、つながりが見えず孤立する心たち。心で思い描いたこと(恐怖であれ幸福であれ)を現実化させる力が我々には備わっていることを、負の側から経験中だから「社会問題」も多く存在します。都市化で起こることです。


たった百年超で激変した環境に、人は息をつく暇もありません。都市部では、肩こり腰痛、頭痛に眼精疲労が穏やかな状態に戻るどころか蓄積されます。浅い呼吸に運動不足と、呼吸器系、心臓への不調が一般的にみられます。急スピードについていけず消化不良の上、保存流通にあう加工食品や嗜好品は、アレルギー含む消化器官系、肝機能の不調をもたらし、複雑化する対外関係、恋愛関係や男女の関係で脳神経や、男女共に生殖器系不調。自ら心を閉ざしてしまう症状は、子ども大人に関らず、社会と心の中から居場所を奪います。たった数世代でこれほどまでに社会のあらゆる部分が急変したのなら、人間全体で悲鳴をあげるのはワケもありません。戦後に日本が急速な復興と発展を遂げ、超人的な目的達成があったことは確かです、が、例のごとくそれは墓場へ持ってゆけません。

この社会発展の裏側にある負は、解消されることなく痛みを伴って次世代へと繰り越されています。この痛みの巨大集合意識的存在は、十分に事足りる豊かさを得たはずの経済先進国の中でも、独特な現象です。人間はお金を得るために働くために生まれてきた、という理解が、一部の社会では呼吸することよりも重要になっている。


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ここで人生ゲームのお話に転換します。が長くなったので、続編『ストレスは人生を見直すきっかけ?【ストレスの正体シリーズ3】』に続きます。


「もう限界!背負うものが多すぎます!」【ストレスの正体シリーズ1】 [ストレスの正体]

あなたが今、どれだけのストレスを抱えているか、数値化できるこんな表があります。
米国ワシントン大学で、社会学者と内科医が1967年に発表した“社会的再適応評価尺度”を基礎として、日本用に改訂されたものです。

ストレッサー.jpg

クリックすると、アルバムページへ飛、、、ぶはずなのに飛ばないので検証中です。
参考までに、興味のある方は2014年の類似記事もどうぞ。http://www.gruri.jp/article/2014/01131100/

順位1から20項目までに2個以上あてはまる場合と、10項目までに1個でもあてはまる場合、すぐにでも休息をとったほうが良いとされています。

どれも当てはまらない方、おつかれさまでした。
この記事はここで終了です。(笑)


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結果どうでしたか?時々いる「オレ300点超えてる」と自慢する人、300点以上は危険信号です。それ以上自分を虐めたいなら引き続きどうぞ。

ストレスはどのような場合でも起こりますし、人間の暮らしからストレスを取り除くことはできません。待望の赤ちゃんの誕生、看病を終えて旅たった親との別れ、どれも心身に大きな負荷がかかります。悲しいことだけがストレスではありません。

いつでもどこでも起こるストレスを、まるでないかのように過ごしがちなのが現代社会の現代人。新婚旅行休暇や産休、育休、看休、これらは「さらに増えた人生イベントや、さらに増えた責任をこなすために、時間を与えてあげましょうね」と企業が提示する義務にすぎないのではなく(だから休暇はしっかり取りましょう!)、あなたがきちんと己と向き合い、心落ち着ける時間を持つために、なくてはならないもの。今背負っているものがどれほどかを知り、おろせるものはおろし、持ち直すものは持ち直す作業をすることは、健全な人生と心の健康に必至です。「仕事仕事!仕事が一番!」と豪語し、なんのために働くのと訊かれると「理由なんてあるか」と投げやりに即答するようになってしまった人にこそ、休みが必要です。

では、ストレスが増えた場合、どのように過ごしますか?
さらなる仕事への没頭、買い物、タバコやお酒、賭け事や趣味、異性との付き合いでストレスを健全に発散することもできますが、すでに負荷が膨大にかかっている場合に、これらの行動は「逃げ(エスケープ)」となりがちで、中毒へと発展していることが見受けられます。隠れ中毒になりながらも、何よりも仕事を優先させてしまう人が多いのも、日本社会みよく見られる特徴と言えます。個々が背負える限界を超え、背負いすぎシンドローム。これが、日本が世界一の消費大国と成りえた影の支えのような気もしなくないような。お上の方で、「悲しい事実でも我が国に有利なら使おう、使えないならナカッタことにしよう、痛みを全体で共有すれば大丈夫!」と、かすかに聴こえてこないような...数字を追いかける経済発展が、人の暮らしをどこまで健全にするのかは、ご存知の通りミステリー劇場です。

そして何を隠そう、このストレスは、その発展版の中毒も含めて、自分を破壊へと追い込んで行く自分への暴力、すなわち自己虐待に他なりません。


そうそう、忘れないでくださいね、破壊は再生への途中経由地

「良く」も「悪く」もなく、ジャッジすることのできないものですよ。



引き続きストレスをなかったように過ごした場合、その先に大きな病、その向こう側には肉体の死があるだけ。身体に尊厳を与えずに虐めつづけると(暴力)、肉体の最期を迎えるだけです。身体に尊厳を与えること、これは多くの現代人に欠けている、人間として生きる上での大切な要素です。誰もが肉体の死の迎えます。死に際に、その愛する外車、そのブランドバック、褒章、プラチナカード、美貌、トロフィー、深い悲しみ、身体の傷、トラウマ、子どもや親、、、何も、誰も、一緒に連れて行くことはできません。死に際に唯一心を満たせる品は一点だけ、人間としての尊厳です。

あなたの身体に尊厳を与えていますか?あなたの人生には尊厳がありますか?愛する者、、子どもやパートナーの尊厳を侵していませんか?
あなたが生きたいように生きれるよう、あなたが率先してあなたの人生をサポートしていれば、一番近くにいる家族と共に、必ずストレスは減少していきます。


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今日は、この辺にしておきます。長いブログを期待して、読むのを週末まで待ってくださったみなさま、期待はずしました。


続きは、ストレスの正体シリーズ2、人間社会の今むかし です。


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