マインドフルネス実況中継 [健康]
不調と病は根源から改善できる?根源治療の道しるべの続きです。
ーーー
治療の一環で瞑想を取り入れようとしている方は、瞑想が痛みと一体どう関係するのか思われるかもしれません。
ということで、どこを切り取っても、瞑想ですよ。
まずは、人と話す必要のない環境と時間を確保します。お昼休憩の公園のベンチ。移動中に止めた車の中。子どもがお昼寝した後、学校へ行った後、、、瞑想の利点は、場所を選ばず、ツールが必要なく、一人でできるところです。最低限、自分と周りにいる人(看護や育児などの環境)にあらゆる面で危険がない環境さえ確保できれば、はじめられます。最初から一定の時刻に一定の時間をとる必要はありません。時間のあるときに、「5分だけ、座ろう」、「ちょっと、ひと息」からはじめます。
無理のない姿勢で座り、丁寧にまぶたを閉じるところからです。もしも瞑想がなにか怖いものと感じているなら、呼吸をするとよいでしょう。脳をはじめ、体中の全細胞に必要な酸素を送ることでリラックスし、痛みが軽減することに役立ちます。呼吸に集中しているうちは、できるだけ何も考えないようにします。思考に意識がいきすぎてしまうのなら、呼吸をカウントします。呼吸をカウントするのは、もっとも簡単な瞑想テクニックのひとつです。
ひと呼吸、続けます。数分、続けます。できる日やできない期間があって当然です。「今は瞑想したくない」という気持ちを眺めて座るのも瞑想です。「めっちゃイラつくわー」という感情と一緒に座るのも瞑想です。5分が10分、10分が20分、などというように時間が増していくことがあると思います。よい瞑想がしたいと期待して、「ソワソワしている」感覚を知るのも瞑想です。「すごい、今日はなんの抵抗感もなくラクにできた」という安堵感を、イライラ感をみるのと同じように眺めた翌日に、5分しかできなくて落胆するのを眺めるのも瞑想です。例えば30分というように、ある程度の時間ができる日が増えてきたら、やわらかい音を出すタイマーを使って、「30分は瞑想しよう」、と目標を持ってみるのもよいでしょう。はじめたばかりの頃は細かいことを心配する必要はありません。ルールは作らず、やってみようという意志がなにより大切です。
焦ることはありません。瞑想ができる人は、最初から継続する力や集中力や辛抱が強いのではなく、瞑想することで、それらを鍛えていったのです。これらの能力は、質の良い生活を送るうえで役立つものです。
ゆっくりとした呼吸や、すこし立ち止まる時間が、生活の一部として定着しはじめます。
さあ、いよいよ身体の痛みから解放され、病気ともさようならだ!!と、なればよいのですが...。瞑想を続けることは、痛みをなくすことに直結するのかというと、つながってはいますが直結してはないのです。瞑想することで、痛みがなくなるのではなく、苦しみがなくなるのです。わかりにくい一文かもしれませんが、瞑想をすることによって養われる能力(マインドフルネス)が、痛みが苦しみであると即座に結びつけるマインドに「待った」をかけることで、痛みと苦しみをわけて捉えられるようになるのです。痛みをじっくりと見て、バラして、正体を明かしていきます。日本人には説明不要のこれですよ、間。
痛みと苦しみの関係を実況中継しましょう。
い
「痛み」を、嫌がりもせず、逃げもせず、単に在るがままで観ていると、不思議なことに、苦しいと思っていた感覚が、単なる「感覚」でしかないことを感じます。足のしびれ、腰の痛み、肩の重み。こういったものを、ただ感じて、感じていることを眺めていると、痛いと思っていたものは実は不思議なセンセーションいがいの何ものでもないと気づきます。これが、痛みの正体。「あ、これが痛みの正体なんですね」と気づいた私に気づく。これを「痛み」というカテゴリーにいれて、さくっと片づけていたのです。「そうか、これを痛みというカテゴリーにいれて、さくっと片づけていたんだ」と、気づいたことに、気づく。この状態を眺めながら、今、苦しいかな?苦しいという感覚、あるかなどうかを自分に確かめてみる、「今、苦しいかな?」って。するとまた不思議なことですが、まるで得体の知れない「苦しみ」に、さっき感じた痛い部分を、プラグインしようとしているように感じられます。「あ、痛みに、苦しみが、プラグインしようとしている」。プラグインしていない状態だと、ただのセンセーションだけが、残っています。身体のなかにある思考を使って、己を導いていくことで、胎内の宇宙に漂うような、思考が身体の外から己を眺めているような、不思議な観点を経験します。
すべてのものの合間に、間がはいっていくような感じ。これが、在るがままを観る流れです。ヴィッパーサナと呼ばれる独特の瞑想法。
瞑想を終えるときは、ゆっくりと体の部分に意識を戻します。指や頭を揺らしたりして、ゆっくりとこの現実世界に意識を戻していきます。とてもピュアで真っ白になった心ですから、すぐに携帯電話を持ったり、ニュースやバラエティ番組をみることは控え、できれば空や木々を眺めたり、でなければお茶をゆっくりと飲んだりしながら、じわじわと日常に戻すことが大切です。
瞑想の効果をまとめますと、瞑想をすることで痛みがなくなるのではありません。瞑想によるマインドフルネスの技術が、長く慣れ続けていたオートプラグインモードを次第にプラグインしない状態に移していきます。その過程は、無理にオフへと切り替えるものではなく、どちらかというと「苦しみ」というものの正体をひたすら明かしていく作業を続けることによって、マインドと身体に徐々に確実に体得させていくような感じです。
順番におこるものではないですが、瞑想を続けていくうちに起こってくるのが、一極に集中するサマタ瞑想です。サマタ瞑想は集中力を養うものですので、ひたすら集中します。私はですね、実はサマタ瞑想のことは(寺娘ですが)上座部仏教の山寺に住むまで知りませんでした。サマタ瞑想が、ヴィッパーサナと慈悲の瞑想と同じくらい大切なことも、知りませんでした。
でも実は、すでに実践していたのですね。オーストラリアに移住してすぐ、ちょうどその頃は、自分の内側にいる先生(Inner Teacher)に導いてもらっていたのですが、その先生がサマタ瞑想を教えてくれて、すでに数年実践していました。それは、あまりに酷い痛みが続いていた頃で、痛みに焦点をしっかりあわせて集中して座っていた時期です。痛みに集中、というよりは、精神統一。ものすごい強烈な念をもって座りました。痛くて涙が落ちながら座ったセッションも何度もありましたが、この一極集中の瞑想を続けていくうちに、すべての痛みが解けてサマーディ(三昧)に入っていく体験を数回しました。去年、上座部の山寺で、阿羅漢から初めてインタビューを受けた日に「これまでどのような瞑想をしてきたのか?」と訊かれ、手短に説明した時に、それはいい経験だったといわれました。修行を続けるうち、阿羅漢がサマタ瞑想を指していたことを悟ったのです。
ヴィッパーサナ瞑想とサマタ瞑想(あわせて止観の瞑想)と、タイの上座部仏教の森林派の山寺で修行し、仏教観が根底から完全にひっくり返される劇的な体験をしたことについては、また別記事でお話します
あなたの内なる世界へ、いらっしゃ~い
まだこの先もございますのよ...
身体の痛み、心の痛み、どのような痛みを今生で引き受けたことになったとしてもそれは、バチやなにか制裁を受けたものではありません。何度も何度も言いますが、自分を責める必要はまったくありません!両親や学校や上司やあの事件やあの事故があなたを苦しめるためだけにおこったのではありません。今生で起こるすべてのことには因果関係があり、己のカルマにより発生したもので、すべては魂の成長のためなのです。「え、まさかこれだけは私は絶対に原因をつくらない!」というようなことこそ、残念ながら聖なる意味があって起こっているのです。カルマは都合のよいものではないのです。それがなかったら、今のあなたすら存在しないし、家族もないし、この環境も、この人生すらない。
その背景に流れているのは、輪廻転生です。世界各地にある様々な信仰体系で根底にあるコンセプトですが(聖書からは削除)、それによるとひとつの人生の舞台・構成は、己がつくってきたカルマや功徳によるものだといわれます。カルマは恨んだりするものでなく、功徳は計算するものではありませんが、この人生の背後には、探っても探り切れることはない果てしないストーリーが隠れていることを知って、それらの出どころを付きあてる旅も同じように果てしないことを知るのも知恵です。もちろん、そうなってしまうなら、そうなってしまうというカルマなので、どうぞ導かれてください。瞑想が深まっていけば見えてくるものは見えてきますし、見えたとしても囚われの心を破棄することが勧められます。それよりも、今生の今ここで出来ることは、もうこれ以上怒らず、妬まず、悲嘆にくれず、嘘をついたり傷つけたりする行動を見直していくことです。最悪な状況になろうとも、素直になることを思い出し、できるだけ善い見識をもって行動していこうとする意志です。
永遠に続いてきた魂の輪廻転生。苦しみのサイクルから脱するタイミングがいつになるかは、誰にもわかりません。突然すべての苦しみから脱するというのは稀ではあれ実際にあることですが、じわじわと段階を経ていくことが多いでしょう。究極の解脱は「悟り」と呼ばれます。悟りは100万ボルトの雷が落ちてくるような感覚だと聞いたことがありますが、それがあった後もない人も、それは内面から徐々に段階をのぼるように悟っていくものです。
ですから、苦しい時期を超えて軽くなったあと、幸せを感じたり、人生の在り方がより鮮明に見えてきたり、そしてまた異なる種類の苦しみを経験するのは、自ずと然るべき流れです。肉体を持つ人間は生死を超えた輪(輪廻)の一部であり、すべてのものごとは移りゆくものであり、それが何であれ執着することが苦の根源であることがわかるようになることで、人間の苦しみサイクルから抜け出しはじめるのでしょう。
さいしょもさいごもなく、どこを切り取っても瞑想...
ーーー
治療の一環で瞑想を取り入れようとしている方は、瞑想が痛みと一体どう関係するのか思われるかもしれません。
ということで、どこを切り取っても、瞑想ですよ。
まずは、人と話す必要のない環境と時間を確保します。お昼休憩の公園のベンチ。移動中に止めた車の中。子どもがお昼寝した後、学校へ行った後、、、瞑想の利点は、場所を選ばず、ツールが必要なく、一人でできるところです。最低限、自分と周りにいる人(看護や育児などの環境)にあらゆる面で危険がない環境さえ確保できれば、はじめられます。最初から一定の時刻に一定の時間をとる必要はありません。時間のあるときに、「5分だけ、座ろう」、「ちょっと、ひと息」からはじめます。
無理のない姿勢で座り、丁寧にまぶたを閉じるところからです。もしも瞑想がなにか怖いものと感じているなら、呼吸をするとよいでしょう。脳をはじめ、体中の全細胞に必要な酸素を送ることでリラックスし、痛みが軽減することに役立ちます。呼吸に集中しているうちは、できるだけ何も考えないようにします。思考に意識がいきすぎてしまうのなら、呼吸をカウントします。呼吸をカウントするのは、もっとも簡単な瞑想テクニックのひとつです。
ひと呼吸、続けます。数分、続けます。できる日やできない期間があって当然です。「今は瞑想したくない」という気持ちを眺めて座るのも瞑想です。「めっちゃイラつくわー」という感情と一緒に座るのも瞑想です。5分が10分、10分が20分、などというように時間が増していくことがあると思います。よい瞑想がしたいと期待して、「ソワソワしている」感覚を知るのも瞑想です。「すごい、今日はなんの抵抗感もなくラクにできた」という安堵感を、イライラ感をみるのと同じように眺めた翌日に、5分しかできなくて落胆するのを眺めるのも瞑想です。例えば30分というように、ある程度の時間ができる日が増えてきたら、やわらかい音を出すタイマーを使って、「30分は瞑想しよう」、と目標を持ってみるのもよいでしょう。はじめたばかりの頃は細かいことを心配する必要はありません。ルールは作らず、やってみようという意志がなにより大切です。
焦ることはありません。瞑想ができる人は、最初から継続する力や集中力や辛抱が強いのではなく、瞑想することで、それらを鍛えていったのです。これらの能力は、質の良い生活を送るうえで役立つものです。
ゆっくりとした呼吸や、すこし立ち止まる時間が、生活の一部として定着しはじめます。
さあ、いよいよ身体の痛みから解放され、病気ともさようならだ!!と、なればよいのですが...。瞑想を続けることは、痛みをなくすことに直結するのかというと、つながってはいますが直結してはないのです。瞑想することで、痛みがなくなるのではなく、苦しみがなくなるのです。わかりにくい一文かもしれませんが、瞑想をすることによって養われる能力(マインドフルネス)が、痛みが苦しみであると即座に結びつけるマインドに「待った」をかけることで、痛みと苦しみをわけて捉えられるようになるのです。痛みをじっくりと見て、バラして、正体を明かしていきます。日本人には説明不要のこれですよ、間。
痛みと苦しみの関係を実況中継しましょう。
い
み
た
「痛み」を、嫌がりもせず、逃げもせず、単に在るがままで観ていると、不思議なことに、苦しいと思っていた感覚が、単なる「感覚」でしかないことを感じます。足のしびれ、腰の痛み、肩の重み。こういったものを、ただ感じて、感じていることを眺めていると、痛いと思っていたものは実は不思議なセンセーションいがいの何ものでもないと気づきます。これが、痛みの正体。「あ、これが痛みの正体なんですね」と気づいた私に気づく。これを「痛み」というカテゴリーにいれて、さくっと片づけていたのです。「そうか、これを痛みというカテゴリーにいれて、さくっと片づけていたんだ」と、気づいたことに、気づく。この状態を眺めながら、今、苦しいかな?苦しいという感覚、あるかなどうかを自分に確かめてみる、「今、苦しいかな?」って。するとまた不思議なことですが、まるで得体の知れない「苦しみ」に、さっき感じた痛い部分を、プラグインしようとしているように感じられます。「あ、痛みに、苦しみが、プラグインしようとしている」。プラグインしていない状態だと、ただのセンセーションだけが、残っています。身体のなかにある思考を使って、己を導いていくことで、胎内の宇宙に漂うような、思考が身体の外から己を眺めているような、不思議な観点を経験します。
すべてのものの合間に、間がはいっていくような感じ。これが、在るがままを観る流れです。ヴィッパーサナと呼ばれる独特の瞑想法。
瞑想を終えるときは、ゆっくりと体の部分に意識を戻します。指や頭を揺らしたりして、ゆっくりとこの現実世界に意識を戻していきます。とてもピュアで真っ白になった心ですから、すぐに携帯電話を持ったり、ニュースやバラエティ番組をみることは控え、できれば空や木々を眺めたり、でなければお茶をゆっくりと飲んだりしながら、じわじわと日常に戻すことが大切です。
瞑想の効果をまとめますと、瞑想をすることで痛みがなくなるのではありません。瞑想によるマインドフルネスの技術が、長く慣れ続けていたオートプラグインモードを次第にプラグインしない状態に移していきます。その過程は、無理にオフへと切り替えるものではなく、どちらかというと「苦しみ」というものの正体をひたすら明かしていく作業を続けることによって、マインドと身体に徐々に確実に体得させていくような感じです。
順番におこるものではないですが、瞑想を続けていくうちに起こってくるのが、一極に集中するサマタ瞑想です。サマタ瞑想は集中力を養うものですので、ひたすら集中します。私はですね、実はサマタ瞑想のことは(寺娘ですが)上座部仏教の山寺に住むまで知りませんでした。サマタ瞑想が、ヴィッパーサナと慈悲の瞑想と同じくらい大切なことも、知りませんでした。
でも実は、すでに実践していたのですね。オーストラリアに移住してすぐ、ちょうどその頃は、自分の内側にいる先生(Inner Teacher)に導いてもらっていたのですが、その先生がサマタ瞑想を教えてくれて、すでに数年実践していました。それは、あまりに酷い痛みが続いていた頃で、痛みに焦点をしっかりあわせて集中して座っていた時期です。痛みに集中、というよりは、精神統一。ものすごい強烈な念をもって座りました。痛くて涙が落ちながら座ったセッションも何度もありましたが、この一極集中の瞑想を続けていくうちに、すべての痛みが解けてサマーディ(三昧)に入っていく体験を数回しました。去年、上座部の山寺で、阿羅漢から初めてインタビューを受けた日に「これまでどのような瞑想をしてきたのか?」と訊かれ、手短に説明した時に、それはいい経験だったといわれました。修行を続けるうち、阿羅漢がサマタ瞑想を指していたことを悟ったのです。
ヴィッパーサナ瞑想とサマタ瞑想(あわせて止観の瞑想)と、タイの上座部仏教の森林派の山寺で修行し、仏教観が根底から完全にひっくり返される劇的な体験をしたことについては、また別記事でお話します
あなたの内なる世界へ、いらっしゃ~い
まだこの先もございますのよ...
身体の痛み、心の痛み、どのような痛みを今生で引き受けたことになったとしてもそれは、バチやなにか制裁を受けたものではありません。何度も何度も言いますが、自分を責める必要はまったくありません!両親や学校や上司やあの事件やあの事故があなたを苦しめるためだけにおこったのではありません。今生で起こるすべてのことには因果関係があり、己のカルマにより発生したもので、すべては魂の成長のためなのです。「え、まさかこれだけは私は絶対に原因をつくらない!」というようなことこそ、残念ながら聖なる意味があって起こっているのです。カルマは都合のよいものではないのです。それがなかったら、今のあなたすら存在しないし、家族もないし、この環境も、この人生すらない。
カルマに、、合掌っっ
その背景に流れているのは、輪廻転生です。世界各地にある様々な信仰体系で根底にあるコンセプトですが(聖書からは削除)、それによるとひとつの人生の舞台・構成は、己がつくってきたカルマや功徳によるものだといわれます。カルマは恨んだりするものでなく、功徳は計算するものではありませんが、この人生の背後には、探っても探り切れることはない果てしないストーリーが隠れていることを知って、それらの出どころを付きあてる旅も同じように果てしないことを知るのも知恵です。もちろん、そうなってしまうなら、そうなってしまうというカルマなので、どうぞ導かれてください。瞑想が深まっていけば見えてくるものは見えてきますし、見えたとしても囚われの心を破棄することが勧められます。それよりも、今生の今ここで出来ることは、もうこれ以上怒らず、妬まず、悲嘆にくれず、嘘をついたり傷つけたりする行動を見直していくことです。最悪な状況になろうとも、素直になることを思い出し、できるだけ善い見識をもって行動していこうとする意志です。
永遠に続いてきた魂の輪廻転生。苦しみのサイクルから脱するタイミングがいつになるかは、誰にもわかりません。突然すべての苦しみから脱するというのは稀ではあれ実際にあることですが、じわじわと段階を経ていくことが多いでしょう。究極の解脱は「悟り」と呼ばれます。悟りは100万ボルトの雷が落ちてくるような感覚だと聞いたことがありますが、それがあった後もない人も、それは内面から徐々に段階をのぼるように悟っていくものです。
ですから、苦しい時期を超えて軽くなったあと、幸せを感じたり、人生の在り方がより鮮明に見えてきたり、そしてまた異なる種類の苦しみを経験するのは、自ずと然るべき流れです。肉体を持つ人間は生死を超えた輪(輪廻)の一部であり、すべてのものごとは移りゆくものであり、それが何であれ執着することが苦の根源であることがわかるようになることで、人間の苦しみサイクルから抜け出しはじめるのでしょう。
さいしょもさいごもなく、どこを切り取っても瞑想...
不調と病は根本から改善できる?根源治療の道しるべ [健康]
通常、痛みが体感できるレベルになったり、目に見える症状が出てきた時点で、人は治療をしようと考えます。対処法をリサーチしたり、病院へ行ったり、時には手術を受けたりすることとなるでしょう。ふつうに社会生活を送っていると、ここで終わることが多いと思います。
今日は、根源治癒をすることになってしまった人がたどる、この先の道しるべ的なものを、ちょこっとお伝えします。
ーーー
この不調。非常に長期間にわたって続いたり、一度ではなく何度も繰り返されたり、痛みが究極に強い場合、原因を知って根本から治癒したいという考えに行きつくのは、なんら不思議のない流れです。ここにくるまで、ご本人は壮絶な苦労をされています。その不調が、暮らしや生活や人生自体を変えるような大きな存在感を持って目の前と自分の内側にいることが確かです。
実際に見えるまたは感じられる身体の不調を癒していくうち、おのずと心の面の治癒へと進んでいきます。心の面の治癒はよく「いやし」と呼ばれるものですが、そのプロセスはやわらかなイメージを持つそんなことばよりもはるかに壮絶で、困難なことが多々あります。先日、小室さんが会見で、お疲れの表情と姿勢で「メンタルケアというのがきれいな言い方ですが」と言われた部分が心に残っていますが、本当にそうだなと感じました。メンタルケアとかメンタルヘルスという言葉は、現場からみるとキレイすぎる気がします。渦中の壮絶さは経験した人しかわからないのだと思います。心の不調は見えませんし、説明しづらいし、数値にもオモテにも出にくいものですが、本人は間違いなく感じているもので、放っておいてよい種のものではないことは十分すぎるほどわかっているものです。だけどどこに頼っていいのかわからない。誰が治せるかもわからない。だけどメンタルケアが必要な社会になってしまっていることはわかる。。。
根本治療を目指すにあたっては、対処療法がコンセプトである病院や製剤医薬のみに頼って行うことは難しくなります。危険な製剤精神薬を手に取るのは火を噴く暴走機関車になるようなものですし、精神科ではこの症状はケアしませんと謳うケースもあり、じゃあどこへ行くんだとなると、カウンセリングやヒーリングと呼ばれるものを頼ることになってきます。スピリチュアルになったと言われたりします。他にも優秀なアプローチは日本にも世界にも多くあって、さあこのような先人から学ぼうとすると、宗教とか言われたりするのですね。もう人から言われることは気にしている場合ではなく、信じていることをやっていく決意は固くなり、心を何かに売ったりすることなく、信じただ実践していく力がどんどん強くなっていきます。方法はどうであれ、実は、信じる力こそが治癒のカギではないか、というような感じが得られるようになります。
「原因は一体、なんだろう?」と探っていくことは、身体、こころ、人生そのものを診ていくことです。考え癖、口癖、呼と吸、立ち姿勢やさまざまな行動パターンなど...無意識に行っていた自分の行動にまつわるすべてをスキャンしていくようなものですか。この作業がはじまると、自分では知らなかった自分の真の姿に驚き、泣き、喜び、悲しみ、恐怖を感じたりすることがありますが、一度はじまると数珠繋ぎ。前をむいて続けていくことで、自分自身の人生がよくよく見えてきます。物事がクリアに見えるにつれ、考え方や習慣、行動も少しずつ変わっていきます。「うゎ~変わってるきてるな~」と自分でわかるほどにもなります。こうしているうち、自分の存在から発生するもの…人間関係、現代社会の構成、世界の構造までと、私をとりまくすべてのことが絶妙なタイミングで次々とクリアに見えてきて、それらと自分が、切り離すことのできない見えないウェブでつながっていることに気づかされます。
また、これ以上痛みや不調を上乗せする暮らしよりも、それらを軽減、できれば根本からなくしたいと考えます。できることから、できる範囲で、無理なく、強制するのではなく。体が喜ぶ方を選択していきたいと感じはじめていることにも、気づかされます。
. . . 気 づ か さ れ ま す . . .
誰にでしょう?自分自身に、です。どうやって?瞑想です。
暮らしの中に取り入れることで、まずは気づき、そして辛抱強さ、持続力、優しさというようなものをゆるやかに確実に養ってゆくことができます。さらに10年、20年と長く続けていくことで、人間の心の中にある、道徳や叡智というようなものが目を覚まします。それはある意味、全人類が共有できる慈愛や分かち合う心、優しさのようなものです。これが、私たちに「次々と気づかさせてくれるもの」の正体なのです。
これらの目が覚めることで、人生の選択はアタマではなく、その部分でなされていくようになります。よく、「心の声を聴き始めたんだけど、うるさくて狂いそうで寝られない」という話を耳にすることがありますが、そういった寝られない部類のトークはマインド(思考)のチャット(声)です。マインド・チャットは、いつでも簡単に私たちを思考の迷路に陥れます。瞑想によりもたらされるメリットは、そのマインド・チャットを冷静にとらえ、己の感情をそこへ即座に関連させない能力です。心のさらに奥の心、暗闇のなかの一点の光、、、どう説明してよいのかわかりませんが、その部分はチャットしません。心の声は、声でない声。真空の音であり、さざ波の波動であり、暗闇のまぶしさのようなもので、声とよく言うにしては、私たちが一般的にいう「声」とは程遠いものです。よく第三の目が開く、ということが言われますが、この声でない声の存在をしりはじめることが、第三の目が開くことのサインのひとつであるようにも思います。そして、不調や病が人生テーマである人にとって、第三の目が開くタイミングは治癒の道のりに多くひそんでいます。
「痛みを軽減したい、根源からなくしたい」と信じて継続した結果、確かに癒された面があるなと気づきはじめます。それがピンポイントの症状ではなく、そのほかの慢性的症状かもしれませんが、こうして、ひとつずつ、少しずつ、経験と気づきが身体と心のなかに刻まれていきます。不調を根源から治癒できるものは、他人任せの短期的で劇的な変化ではなく、志の上にたつ小さな一歩一歩であることがわかってきます。
同時に、自分に無理を重ねることが無意味だとわかってくると、家族や部下や社会に無理を強いる必要性が失われ、有意義かつ痛みを伴わない物事の関係性へと自然に導かれていきはじめます。自分を癒すことから、社会とのつながりを学ぶ。天風哲学で言われるような人生(生き方)の統合が行われていきます。
少しずつですが、人生は飛行機(身体)であり、パイロット(マインド)であり、管制塔(魂)であるかのようにも映りはじめます。「私が私の私さえ」と叫んでいた、切りっぱなされた一つの孤独な個体の「私」としての自分が見えにくくなってゆき、(個である)私さえよければ、という選択をすることが直感的に「おかしいぞ」と匂いはじめます。目に見えようが見えまいが、私さえよければの選択をすることでひずみやゆがみが出てくることに、一票を投じる行動ができにくくなるのです。まあるい調和に居心地のよさを感じます。
まあでも、人生を、飛行機の機体の中から眺めながら、前方のスクリーン(目を閉じた暗闇の画面)で上空からの鳥瞰図として見ながら、管制塔の指示を出している自分の声を聴きながら、パイロットとして操縦していくとは。なんとも人生とは想像以上に不思議なモノですな。
ーーー
精神疾患をなくしたいと願い、癒しの道に精進するものは、長い道のりではありますが、心がちょっとだけラクになったりとか、重たかったものが落ちていったりとかして、少しずつ少しずつ、太陽の明るさを目印にしてらせん階段をあがるように、時をかけて改善していくのだと思います。劇的に改善してくれればどれだけラクかと思いますが、治療への地道な努力を重ねていることで、人生が流れていく時間がゆったりとしたものになっていき、治療を始めると決めたあの時からは、ずいぶんと違う風景に囲まれていることに気づくのだと思います。治せるもの、正せるものはいずれそうなっていくし、治せない、正せないようなものに関しては、執着や情熱を沈めて(熱を冷ます)いく知恵もついてくるものだと思います。思考がコントロールできない自然の間に暮らし、自然の巡りの中で、自分自身を知っていく流れは続いていくのだと思います、この身体が土に戻るまで...。
不安に感じるの、わかります。あなたの傷ついた心と体を治癒してくれ、あなたの人生に共感し、考察し、直すことができる人がいるとすれば、それは他の誰でもないあなたです。あなたの強い意志から生まれる行動で、あなたの不調が改善することを心から祈っています。
じれったく遠回りのように見えるかもしれませんが、祈りと瞑想のパワーも忘れないでくださいね。
私もがんばります!
〈タイの修行山寺にて、尼僧のクンニットを囲むガイジン勢〉
今日は、根源治癒をすることになってしまった人がたどる、この先の道しるべ的なものを、ちょこっとお伝えします。
ーーー
この不調。非常に長期間にわたって続いたり、一度ではなく何度も繰り返されたり、痛みが究極に強い場合、原因を知って根本から治癒したいという考えに行きつくのは、なんら不思議のない流れです。ここにくるまで、ご本人は壮絶な苦労をされています。その不調が、暮らしや生活や人生自体を変えるような大きな存在感を持って目の前と自分の内側にいることが確かです。
実際に見えるまたは感じられる身体の不調を癒していくうち、おのずと心の面の治癒へと進んでいきます。心の面の治癒はよく「いやし」と呼ばれるものですが、そのプロセスはやわらかなイメージを持つそんなことばよりもはるかに壮絶で、困難なことが多々あります。先日、小室さんが会見で、お疲れの表情と姿勢で「メンタルケアというのがきれいな言い方ですが」と言われた部分が心に残っていますが、本当にそうだなと感じました。メンタルケアとかメンタルヘルスという言葉は、現場からみるとキレイすぎる気がします。渦中の壮絶さは経験した人しかわからないのだと思います。心の不調は見えませんし、説明しづらいし、数値にもオモテにも出にくいものですが、本人は間違いなく感じているもので、放っておいてよい種のものではないことは十分すぎるほどわかっているものです。だけどどこに頼っていいのかわからない。誰が治せるかもわからない。だけどメンタルケアが必要な社会になってしまっていることはわかる。。。
根本治療を目指すにあたっては、対処療法がコンセプトである病院や製剤医薬のみに頼って行うことは難しくなります。危険な製剤精神薬を手に取るのは火を噴く暴走機関車になるようなものですし、精神科ではこの症状はケアしませんと謳うケースもあり、じゃあどこへ行くんだとなると、カウンセリングやヒーリングと呼ばれるものを頼ることになってきます。スピリチュアルになったと言われたりします。他にも優秀なアプローチは日本にも世界にも多くあって、さあこのような先人から学ぼうとすると、宗教とか言われたりするのですね。もう人から言われることは気にしている場合ではなく、信じていることをやっていく決意は固くなり、心を何かに売ったりすることなく、信じただ実践していく力がどんどん強くなっていきます。方法はどうであれ、実は、信じる力こそが治癒のカギではないか、というような感じが得られるようになります。
「原因は一体、なんだろう?」と探っていくことは、身体、こころ、人生そのものを診ていくことです。考え癖、口癖、呼と吸、立ち姿勢やさまざまな行動パターンなど...無意識に行っていた自分の行動にまつわるすべてをスキャンしていくようなものですか。この作業がはじまると、自分では知らなかった自分の真の姿に驚き、泣き、喜び、悲しみ、恐怖を感じたりすることがありますが、一度はじまると数珠繋ぎ。前をむいて続けていくことで、自分自身の人生がよくよく見えてきます。物事がクリアに見えるにつれ、考え方や習慣、行動も少しずつ変わっていきます。「うゎ~変わってるきてるな~」と自分でわかるほどにもなります。こうしているうち、自分の存在から発生するもの…人間関係、現代社会の構成、世界の構造までと、私をとりまくすべてのことが絶妙なタイミングで次々とクリアに見えてきて、それらと自分が、切り離すことのできない見えないウェブでつながっていることに気づかされます。
また、これ以上痛みや不調を上乗せする暮らしよりも、それらを軽減、できれば根本からなくしたいと考えます。できることから、できる範囲で、無理なく、強制するのではなく。体が喜ぶ方を選択していきたいと感じはじめていることにも、気づかされます。
. . . 気 づ か さ れ ま す . . .
誰にでしょう?自分自身に、です。どうやって?瞑想です。
暮らしの中に取り入れることで、まずは気づき、そして辛抱強さ、持続力、優しさというようなものをゆるやかに確実に養ってゆくことができます。さらに10年、20年と長く続けていくことで、人間の心の中にある、道徳や叡智というようなものが目を覚まします。それはある意味、全人類が共有できる慈愛や分かち合う心、優しさのようなものです。これが、私たちに「次々と気づかさせてくれるもの」の正体なのです。
これらの目が覚めることで、人生の選択はアタマではなく、その部分でなされていくようになります。よく、「心の声を聴き始めたんだけど、うるさくて狂いそうで寝られない」という話を耳にすることがありますが、そういった寝られない部類のトークはマインド(思考)のチャット(声)です。マインド・チャットは、いつでも簡単に私たちを思考の迷路に陥れます。瞑想によりもたらされるメリットは、そのマインド・チャットを冷静にとらえ、己の感情をそこへ即座に関連させない能力です。心のさらに奥の心、暗闇のなかの一点の光、、、どう説明してよいのかわかりませんが、その部分はチャットしません。心の声は、声でない声。真空の音であり、さざ波の波動であり、暗闇のまぶしさのようなもので、声とよく言うにしては、私たちが一般的にいう「声」とは程遠いものです。よく第三の目が開く、ということが言われますが、この声でない声の存在をしりはじめることが、第三の目が開くことのサインのひとつであるようにも思います。そして、不調や病が人生テーマである人にとって、第三の目が開くタイミングは治癒の道のりに多くひそんでいます。
「痛みを軽減したい、根源からなくしたい」と信じて継続した結果、確かに癒された面があるなと気づきはじめます。それがピンポイントの症状ではなく、そのほかの慢性的症状かもしれませんが、こうして、ひとつずつ、少しずつ、経験と気づきが身体と心のなかに刻まれていきます。不調を根源から治癒できるものは、他人任せの短期的で劇的な変化ではなく、志の上にたつ小さな一歩一歩であることがわかってきます。
同時に、自分に無理を重ねることが無意味だとわかってくると、家族や部下や社会に無理を強いる必要性が失われ、有意義かつ痛みを伴わない物事の関係性へと自然に導かれていきはじめます。自分を癒すことから、社会とのつながりを学ぶ。天風哲学で言われるような人生(生き方)の統合が行われていきます。
少しずつですが、人生は飛行機(身体)であり、パイロット(マインド)であり、管制塔(魂)であるかのようにも映りはじめます。「私が私の私さえ」と叫んでいた、切りっぱなされた一つの孤独な個体の「私」としての自分が見えにくくなってゆき、(個である)私さえよければ、という選択をすることが直感的に「おかしいぞ」と匂いはじめます。目に見えようが見えまいが、私さえよければの選択をすることでひずみやゆがみが出てくることに、一票を投じる行動ができにくくなるのです。まあるい調和に居心地のよさを感じます。
まあでも、人生を、飛行機の機体の中から眺めながら、前方のスクリーン(目を閉じた暗闇の画面)で上空からの鳥瞰図として見ながら、管制塔の指示を出している自分の声を聴きながら、パイロットとして操縦していくとは。なんとも人生とは想像以上に不思議なモノですな。
ーーー
精神疾患をなくしたいと願い、癒しの道に精進するものは、長い道のりではありますが、心がちょっとだけラクになったりとか、重たかったものが落ちていったりとかして、少しずつ少しずつ、太陽の明るさを目印にしてらせん階段をあがるように、時をかけて改善していくのだと思います。劇的に改善してくれればどれだけラクかと思いますが、治療への地道な努力を重ねていることで、人生が流れていく時間がゆったりとしたものになっていき、治療を始めると決めたあの時からは、ずいぶんと違う風景に囲まれていることに気づくのだと思います。治せるもの、正せるものはいずれそうなっていくし、治せない、正せないようなものに関しては、執着や情熱を沈めて(熱を冷ます)いく知恵もついてくるものだと思います。思考がコントロールできない自然の間に暮らし、自然の巡りの中で、自分自身を知っていく流れは続いていくのだと思います、この身体が土に戻るまで...。
不安に感じるの、わかります。あなたの傷ついた心と体を治癒してくれ、あなたの人生に共感し、考察し、直すことができる人がいるとすれば、それは他の誰でもないあなたです。あなたの強い意志から生まれる行動で、あなたの不調が改善することを心から祈っています。
じれったく遠回りのように見えるかもしれませんが、祈りと瞑想のパワーも忘れないでくださいね。
私もがんばります!
〈タイの修行山寺にて、尼僧のクンニットを囲むガイジン勢〉
革新的!心もカラダも幸せになるマーケット! [健康]
はい、こちらは南オーストラリア州アデレード市の、さらに南にあるウィランガという地方にて、毎月第一・第三の土曜日に開催されている、Green Light Eco Market の模様をお伝えします。
(2018年現在は毎週土曜日の開催となっています)
このマーケットは、南オーストラリア州最大のグリーンでエコなフェスティバルから派生したマーケット。フェスティバルの人気が高く、レギュラー開催の声が高まり、隔週のレギュラーマーケットになりました。かれこれ3年近く開催されています(私のオーストラリア滞在年数と同じ)。
このマーケット、ファーマーズ・マーケットやアーツ・クラフトマーケットからはひと味もふた味も違います。扱っている商品やサービスが、地球と人間の自然環境に対して持続可能で、激しく環境を破壊しない製品であることが出店の基準です。最低限の常識やモラルを満たしていること、そしてオーガニックまたはフェアトレードのもの、などと、出店団体は特定の基準をクリアしなくては、出店するに至りません。費用さえ出せば出店できるファーマーズ・マーケットとは異なり、例えば、完全に化学肥料や農薬から脱した農家さんや、エアルームのみ扱う種屋さんや、地元で採れた新鮮な時季の野菜だけをつかった食事やスイーツ、アップサイクルされた衣料品や本などが提供されています。
現在出店している団体や個人は、このような感じです↓↓
情報・サービス系
《インフォメーションカウンター》
新しい世界の創造に向けて情報発信交換する場。いつもどこでもフリーハグ
《パーマカルチャーと有機土壌専門ブース》
15年前にオーディンガ・アーツ・エコビレッジを立ち上げたスティーブ(右)と、
有機土壌・有機マルチにおいて横に出る物はいない魔法使い的マーティ(左)
《単発の情報拡散ブース》
前回は、タンカーからのオイル流出について啓蒙活動しているウィルダネス・ソサエティが展示
《地域通貨LETS*(レッツ)のブース》
洋服、靴、本、有機自家野菜やフルーツ、知識や経験など、なんでも交換所。そしてすべて無料です。
《ミュージックブース》
親友のハリーナ(右)とパートナーのラジャ(左前)が奏でる新世界系音楽(大阪ちゃうで)
地元有機ファーム・農家さん
見た目も心もファンキーな『ワイルド・グリーン』を提供する苗屋さんジェームス
エアルームの種と苗を提供する『グースベリー・ファーム』
とってもシャイなセリックスの農家さん親子
完全無農薬、無堆肥生産されたフルレオ半島の野菜とフルーツ。毎回大人気で売り切れもしばしば
フード系
毎回大人気。発酵ピザ生地は売り切れ御免。有機野菜をつくった釜焼き手作りピザ
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
発酵食品とプロバイオティクス飲料に関してある意味仙人の中国出身ヤウロン
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
アフリカで暮らしたドイツ出身のキャロリンがつくる手作りパン、スイーツ、ジャム、チャツネ専門店
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
シリアック対応グルテンフリーのパンとスイーツを提供する『キズメット・キッチン」
(グルテンフリー、ビーガン・アレルギー対応)
オーガニックカカオを使って、完全オーガニックのチョコレートとホットチョコを提供するチャーリー
その他、
・オーガニック・フェアトレードコーヒーショップ
(スクロールアップして、《地域通貨LETSのブース写真を見ると、背後に店長マークがみえます)
・時季の新鮮な有機野菜でつくる、ベジタリアン、ビーガンのランチ店
があります。
ヒーリング・癒し系
世界太古のクリスタル、シュンガイト専門店
手作りの毛糸長靴も売ってるリフレクソロジスト パムのお店
衣料系
モカシンを手作りするスコット
アップサイクルされたファンキーな洋服が揃う『ヒッピー・チック』
竹繊維でつくられたTシャツショップ『Mudbric』 。音楽ブースでギターを弾くラジャのお店。写真からもわかるかな?もちろんサーファー。
手作りのクリスタルジュエリーを提供する『ジプシー・ムーン』のデボラ
※レギュラーの出店者がほとんどですが、週により少し変わります。ローハニーやさんや、アーティスとが出店することも。また音楽ブースは毎回違う音楽が奏でられます。来週は、アコーディオンギター。
マーケットでは、物品やサービスの提供だけでなく、地元の地域通貨であるLETS* (レッツ)を利用し、サービス・技術・知恵の交換も可能です。これは、マーケット内だけでのことではなく、常に外のコミュニティ(この地域一般的に)利用されています。
例えば、ソーラーパネルが故障したとします。レッツのカタログを参照すると、ソーラーパネル技術士が掲載されています。この技術士にコンタクトし、修繕をし、レッツ通貨で「支払い」をします。
また、地元のシュタイナースクールでは、児童の母親が学校菜園にて働くことで、レッツ通貨を「稼ぐ」ことができ、この通貨で子の学費が払えます。子を学校に送り、そのまま学校で仕事。子の成長を少しの距離から見守りつつ、学校と仕事が終われば一緒に帰宅する。なかなか善いシステムではありませんか。
食に関しては、地元ないしは国内産の植物性食材を使ったメニューを提供しているお店が多いのが特徴です。ベジタリアン、グルテンフリーや乳製品不使用のお店が多く、安心していただける食にフォーカスしています。このマーケットが健康的な食に力をいれている理由は、食の制限が多い人にも、安心して手にするものがあるニッチなマーケットにしたいという点と、私たちの身体と心を健やかで豊かにする食は、私たちを取り囲む環境も健やかで豊かにするものだという事実を広く知ってほしい、という啓蒙目的があります。
昨今、まわりを見わたせば、突然アレルギー反応が出たり、シリアック病や、消化器系や呼吸器系の不調を持っている人が、減るどころか増え続けています。オーストラリアに於いても、国内産小麦や大麦に反応する人、乳製品にアレルギー反応する人が後をたちません。人に食べられるためだけに産まれ大きく成長する動物たちに打たれる肥育ホルモン剤や抗生物質。見た目よくサイズの揃う農産品を大量生産するために一般的に使われる各種の殺虫・殺菌、薬品。大量生産する大企業の方針に沿うように、遺伝子組み換えされた品種。これらは人の胎内環境に影響するだけでなく、野生種の生態系、地球環境にも同時に大きく影響します。また、空気中の汚れを一瞬で「清浄」する芳香剤や清掃薬品は使ったそばから肺に即座に吸いこまれ、化学物質を含んで流れ出た汚水は、鉄パイプ内を通って循環する間に塩素や化学物質が加えられ、またすぐに家・胎内にもどってきます。今これらは広く知られている事実で、特に健康に留意している人は誰もが知っていることでしょう。
《こんなに愛らしいアルパカさん、私たちにぬくもりの毛糸を与えてくれます》
私たちの健やかな健康に必要なものは、生きた水と澄んだ空気と自然の恵み=食のはず。いつの間にか、これらを持つ人々の方が、物質を持つ人よりも、豊かでリッチとよべる時代になりました。
添加物などを継続的に摂取すれば、あらゆる内臓の機能だけでなく、神経や思考に影響しないはずがありません。母父の生殖力と生命力が弱くなれば、産まれてくる子にも影響します。地球上のすべての物事は、見えようが見えまいが綿密に繋がっているのは物理(宇宙)の真理ですから、当然のことです。薬で治癒できないどころか現代人の不調は当たり前となり、対症療法ではパンデミックに痛む地球人が癒されないことも経験からわかっています。この感覚は、都市部で暮らす本人こそが、経験から感じとっているのではないでしょうか。田舎や自然の中の空気の濃さが違うのは、お休みの日にオフィス街を出られたという心理的安堵感に加えて、自然がつくりだす天然の空気や、森がつくる生きている水を得られることに細胞から大きな喜びを感じているからでしょう。我々世代は、グローバリゼーションが良い、経済発展は後進よりも良い、毎日毎月毎年必ず設定されるあらゆる経済数値は、いつも上向き上昇していくものだと教育を受けました。でもそれを信じてきた先が今です。
一体、何がどうなって、このような社会になったのでしょうか。健やかに豊かで便利になるはずが、多くの「先進国」と呼ばれる国に住む人たちは、自然から得られるものからほど遠くなってしまい、何か追われるようにあくせくと動き回るようになりました。
すべての人は健康になりたいのです。なのに、人に健康をもたらさないものが何故、使われ続けられるのでしょう?消費者がそれを、無意識であろうとも、結果的に選択してお金を落とすからです。知識があり、勇気があったら、それを選択しないかもしれません。
さあ、すでにマーケットのある地域に住む人や、生きている空気、水と食を得られる人たちは、宝くじや万馬券を当てた超ラッキーな人たちでしょうか?ラッキーなのではありません。それぞれが通ってきた真反対の現実で経験した矛盾や痛みを経て、現実的で持続可能な方法を探り、同志とともに私たちが住みたい場所をここで作っているというだけです。
私も含め多くの人が、他州、他国の地域から移住し、自分たちや愛する家族と共に健全で嘘のない暮らしを工夫して実践しています。そして、発展しながら今たどりついた地点は、個が労働者として埋没するのではなく、生命を尊重し、誰もが生き生きと暮らせるライフシステム。私のいのちも含めて「人間の、植物の、動物の、地球の生命を尊重する暮らし」を一度経験すると、それが流れるようにフローし、一番近い人からどんどんと好転反応を起こしていきます。お隣家族、ご近所とその輪がひろがり、波及すればするほど助け合いの輪も広がるので、実践するのが簡単に(生きやすく)なります。ソーシャルワーカーとして、家族を持つ母として、大工として、パーマカルチャリストとして、先生として、農家として、それぞれの立ち位置から、より善いバージョンの「いのち=私」になろうという願いをみんなでサポートしていきます。
オーストラリアだけでなく、日本やロシア、インド、ニュージーランド、北米や中南米そして欧州でも、もう水面下とは呼べない大きなムーブメントが世界各地でおこっています。個人の内なる声が、とうとう大声で「ほんとにこれ以上の無理はもうムリ!」と叫び始めた地点から、点から線から面へと拡がっているかのようです。
私たちが、今回キャンパーバンで旅行した間も、この地方と同じようなマーケットやコミュニティにたくさん出逢い、そしてすべてのコミュニティで私たちはお互いを「地球家族」として歓迎し、同じ意識を共有しました。
この場所と同じくらい、旅行中に暮らしたコミュニティを愛しているし、そこで出会った仲間たちと、ここにいる仲間たちも同じくらい愛しています。私の心の中にも、相手の心の中にも、もう壁がありません。
写真から、グリーンライト・エコマーケットに、心からの笑顔とグリーンがあふれていることを感じますか?マーケットの中に居るだけで、心がクリアになり、愛に満たされる感覚を得ます。どうして?それは、人として生きることの本質を求めて生み出された光と絆があるからです。
《グースベリーファームさんがマーケットのために摘んでくるお花のブーケ》
私たちがこのマーケットのことをよく知っている理由は、こちらからお入り下さい。
(2018年現在は毎週土曜日の開催となっています)
このマーケットは、南オーストラリア州最大のグリーンでエコなフェスティバルから派生したマーケット。フェスティバルの人気が高く、レギュラー開催の声が高まり、隔週のレギュラーマーケットになりました。かれこれ3年近く開催されています(私のオーストラリア滞在年数と同じ)。
このマーケット、ファーマーズ・マーケットやアーツ・クラフトマーケットからはひと味もふた味も違います。扱っている商品やサービスが、地球と人間の自然環境に対して持続可能で、激しく環境を破壊しない製品であることが出店の基準です。最低限の常識やモラルを満たしていること、そしてオーガニックまたはフェアトレードのもの、などと、出店団体は特定の基準をクリアしなくては、出店するに至りません。費用さえ出せば出店できるファーマーズ・マーケットとは異なり、例えば、完全に化学肥料や農薬から脱した農家さんや、エアルームのみ扱う種屋さんや、地元で採れた新鮮な時季の野菜だけをつかった食事やスイーツ、アップサイクルされた衣料品や本などが提供されています。
現在出店している団体や個人は、このような感じです↓↓
情報・サービス系
《インフォメーションカウンター》
新しい世界の創造に向けて情報発信交換する場。いつもどこでもフリーハグ
《パーマカルチャーと有機土壌専門ブース》
15年前にオーディンガ・アーツ・エコビレッジを立ち上げたスティーブ(右)と、
有機土壌・有機マルチにおいて横に出る物はいない魔法使い的マーティ(左)
《単発の情報拡散ブース》
前回は、タンカーからのオイル流出について啓蒙活動しているウィルダネス・ソサエティが展示
《地域通貨LETS*(レッツ)のブース》
洋服、靴、本、有機自家野菜やフルーツ、知識や経験など、なんでも交換所。そしてすべて無料です。
《ミュージックブース》
親友のハリーナ(右)とパートナーのラジャ(左前)が奏でる新世界系音楽(大阪ちゃうで)
地元有機ファーム・農家さん
見た目も心もファンキーな『ワイルド・グリーン』を提供する苗屋さんジェームス
エアルームの種と苗を提供する『グースベリー・ファーム』
とってもシャイなセリックスの農家さん親子
完全無農薬、無堆肥生産されたフルレオ半島の野菜とフルーツ。毎回大人気で売り切れもしばしば
フード系
毎回大人気。発酵ピザ生地は売り切れ御免。有機野菜をつくった釜焼き手作りピザ
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
発酵食品とプロバイオティクス飲料に関してある意味仙人の中国出身ヤウロン
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
アフリカで暮らしたドイツ出身のキャロリンがつくる手作りパン、スイーツ、ジャム、チャツネ専門店
(ベジタリアン、ビーガン・アレルギー対応)
シリアック対応グルテンフリーのパンとスイーツを提供する『キズメット・キッチン」
(グルテンフリー、ビーガン・アレルギー対応)
オーガニックカカオを使って、完全オーガニックのチョコレートとホットチョコを提供するチャーリー
その他、
・オーガニック・フェアトレードコーヒーショップ
(スクロールアップして、《地域通貨LETSのブース写真を見ると、背後に店長マークがみえます)
・時季の新鮮な有機野菜でつくる、ベジタリアン、ビーガンのランチ店
があります。
ヒーリング・癒し系
世界太古のクリスタル、シュンガイト専門店
手作りの毛糸長靴も売ってるリフレクソロジスト パムのお店
衣料系
モカシンを手作りするスコット
アップサイクルされたファンキーな洋服が揃う『ヒッピー・チック』
竹繊維でつくられたTシャツショップ『Mudbric』 。音楽ブースでギターを弾くラジャのお店。写真からもわかるかな?もちろんサーファー。
手作りのクリスタルジュエリーを提供する『ジプシー・ムーン』のデボラ
※レギュラーの出店者がほとんどですが、週により少し変わります。ローハニーやさんや、アーティスとが出店することも。また音楽ブースは毎回違う音楽が奏でられます。来週は、アコーディオンギター。
マーケットでは、物品やサービスの提供だけでなく、地元の地域通貨であるLETS* (レッツ)を利用し、サービス・技術・知恵の交換も可能です。これは、マーケット内だけでのことではなく、常に外のコミュニティ(この地域一般的に)利用されています。
例えば、ソーラーパネルが故障したとします。レッツのカタログを参照すると、ソーラーパネル技術士が掲載されています。この技術士にコンタクトし、修繕をし、レッツ通貨で「支払い」をします。
また、地元のシュタイナースクールでは、児童の母親が学校菜園にて働くことで、レッツ通貨を「稼ぐ」ことができ、この通貨で子の学費が払えます。子を学校に送り、そのまま学校で仕事。子の成長を少しの距離から見守りつつ、学校と仕事が終われば一緒に帰宅する。なかなか善いシステムではありませんか。
食に関しては、地元ないしは国内産の植物性食材を使ったメニューを提供しているお店が多いのが特徴です。ベジタリアン、グルテンフリーや乳製品不使用のお店が多く、安心していただける食にフォーカスしています。このマーケットが健康的な食に力をいれている理由は、食の制限が多い人にも、安心して手にするものがあるニッチなマーケットにしたいという点と、私たちの身体と心を健やかで豊かにする食は、私たちを取り囲む環境も健やかで豊かにするものだという事実を広く知ってほしい、という啓蒙目的があります。
昨今、まわりを見わたせば、突然アレルギー反応が出たり、シリアック病や、消化器系や呼吸器系の不調を持っている人が、減るどころか増え続けています。オーストラリアに於いても、国内産小麦や大麦に反応する人、乳製品にアレルギー反応する人が後をたちません。人に食べられるためだけに産まれ大きく成長する動物たちに打たれる肥育ホルモン剤や抗生物質。見た目よくサイズの揃う農産品を大量生産するために一般的に使われる各種の殺虫・殺菌、薬品。大量生産する大企業の方針に沿うように、遺伝子組み換えされた品種。これらは人の胎内環境に影響するだけでなく、野生種の生態系、地球環境にも同時に大きく影響します。また、空気中の汚れを一瞬で「清浄」する芳香剤や清掃薬品は使ったそばから肺に即座に吸いこまれ、化学物質を含んで流れ出た汚水は、鉄パイプ内を通って循環する間に塩素や化学物質が加えられ、またすぐに家・胎内にもどってきます。今これらは広く知られている事実で、特に健康に留意している人は誰もが知っていることでしょう。
《こんなに愛らしいアルパカさん、私たちにぬくもりの毛糸を与えてくれます》
私たちの健やかな健康に必要なものは、生きた水と澄んだ空気と自然の恵み=食のはず。いつの間にか、これらを持つ人々の方が、物質を持つ人よりも、豊かでリッチとよべる時代になりました。
添加物などを継続的に摂取すれば、あらゆる内臓の機能だけでなく、神経や思考に影響しないはずがありません。母父の生殖力と生命力が弱くなれば、産まれてくる子にも影響します。地球上のすべての物事は、見えようが見えまいが綿密に繋がっているのは物理(宇宙)の真理ですから、当然のことです。薬で治癒できないどころか現代人の不調は当たり前となり、対症療法ではパンデミックに痛む地球人が癒されないことも経験からわかっています。この感覚は、都市部で暮らす本人こそが、経験から感じとっているのではないでしょうか。田舎や自然の中の空気の濃さが違うのは、お休みの日にオフィス街を出られたという心理的安堵感に加えて、自然がつくりだす天然の空気や、森がつくる生きている水を得られることに細胞から大きな喜びを感じているからでしょう。我々世代は、グローバリゼーションが良い、経済発展は後進よりも良い、毎日毎月毎年必ず設定されるあらゆる経済数値は、いつも上向き上昇していくものだと教育を受けました。でもそれを信じてきた先が今です。
一体、何がどうなって、このような社会になったのでしょうか。健やかに豊かで便利になるはずが、多くの「先進国」と呼ばれる国に住む人たちは、自然から得られるものからほど遠くなってしまい、何か追われるようにあくせくと動き回るようになりました。
すべての人は健康になりたいのです。なのに、人に健康をもたらさないものが何故、使われ続けられるのでしょう?消費者がそれを、無意識であろうとも、結果的に選択してお金を落とすからです。知識があり、勇気があったら、それを選択しないかもしれません。
さあ、すでにマーケットのある地域に住む人や、生きている空気、水と食を得られる人たちは、宝くじや万馬券を当てた超ラッキーな人たちでしょうか?ラッキーなのではありません。それぞれが通ってきた真反対の現実で経験した矛盾や痛みを経て、現実的で持続可能な方法を探り、同志とともに私たちが住みたい場所をここで作っているというだけです。
私も含め多くの人が、他州、他国の地域から移住し、自分たちや愛する家族と共に健全で嘘のない暮らしを工夫して実践しています。そして、発展しながら今たどりついた地点は、個が労働者として埋没するのではなく、生命を尊重し、誰もが生き生きと暮らせるライフシステム。私のいのちも含めて「人間の、植物の、動物の、地球の生命を尊重する暮らし」を一度経験すると、それが流れるようにフローし、一番近い人からどんどんと好転反応を起こしていきます。お隣家族、ご近所とその輪がひろがり、波及すればするほど助け合いの輪も広がるので、実践するのが簡単に(生きやすく)なります。ソーシャルワーカーとして、家族を持つ母として、大工として、パーマカルチャリストとして、先生として、農家として、それぞれの立ち位置から、より善いバージョンの「いのち=私」になろうという願いをみんなでサポートしていきます。
オーストラリアだけでなく、日本やロシア、インド、ニュージーランド、北米や中南米そして欧州でも、もう水面下とは呼べない大きなムーブメントが世界各地でおこっています。個人の内なる声が、とうとう大声で「ほんとにこれ以上の無理はもうムリ!」と叫び始めた地点から、点から線から面へと拡がっているかのようです。
私たちが、今回キャンパーバンで旅行した間も、この地方と同じようなマーケットやコミュニティにたくさん出逢い、そしてすべてのコミュニティで私たちはお互いを「地球家族」として歓迎し、同じ意識を共有しました。
この場所と同じくらい、旅行中に暮らしたコミュニティを愛しているし、そこで出会った仲間たちと、ここにいる仲間たちも同じくらい愛しています。私の心の中にも、相手の心の中にも、もう壁がありません。
写真から、グリーンライト・エコマーケットに、心からの笑顔とグリーンがあふれていることを感じますか?マーケットの中に居るだけで、心がクリアになり、愛に満たされる感覚を得ます。どうして?それは、人として生きることの本質を求めて生み出された光と絆があるからです。
《グースベリーファームさんがマーケットのために摘んでくるお花のブーケ》
私たちがこのマーケットのことをよく知っている理由は、こちらからお入り下さい。
ナチュラル派のお掃除 アイデア集 [健康]
私の暮しから、完全に化学系薬品が消えました。
化学物質(ケミカル)などの身体に有害なものを含むものは、我が家では一切使いません。家事をする人の肌、体内、脳も心もすっきりとナチュラルに過ごせるような洗浄剤を工夫して使っています。
え、家あんの?って思われるかもしれません(笑)。実はあるんです。キャンパーバンにも(今は私は住んでいませんが)キッチン、冷蔵庫、クローゼット、ベッドルーム、ダイニング、あるんです。シャワーは青空ソーラーシャワーなので、お掃除は必要ありません。ですが使ったものが自然に即還っていくからこそ、自然に優しいものを使ってあげる大切さを学びます。
自然に優しいナチュラル素材を使ってお掃除してあげると、私たちの胎内もどんどんナチュラルになるんです。お掃除をすればするほど、お肌、髪の毛、胎内、心、私たちの優しさをもう一度思い出し、慈しめるようになりますよ♡
今日は、そんなアイデア集をメモしておきます。
台所事情
我が家では、冬に貯水した雨水を使っています。
どんな洗剤や道具を使うかは、日々の食(油物や添加物)に大きく影響されますが、シンクから流れ出る水が地球上で還元されることを考えると、うちでは洗剤を使いません。
オイルの汚れはどうするのかですが、オーガニックの良質オイル(プリムローズオイル、フィッシュオイル、ココナッツ、ヘンプ、セサミ等)を使っています。体内に採り入れるだけでなく、身体全体(顔や髪や爪や頭皮)に使えるものなので、完璧に洗い去る必要がない考えています。また、木製の食器が多いので、油を含むことでより馴染み、愛着もわきます。
台所の必需品
アクリルタワシ
重曹 (つけ置き、落ちにくい汚れに)
レモン (油のついた食器は、レモン拭き)
塩 (流しの掃除、ぬめり取りに)
酢 (流しの掃除に)
オーガニック石けん (手洗用、アクリルタワシを洗う用)
キッチンタオルは、ボールに水と重曹を入れて一晩つけて、翌朝太陽の下で干します。
アクリルタワシは、太陽の光で日干しします。
重曹と塩は、ぬめり取りや農薬の除去にも使えます。
流しにの水を溜めたところにレモンを入れ、食器を入れたままにして放置しておくと、食器が洗いやすくなるだけでなく、発酵したレモン水は下水管の掃除をしてくれます。我が家では一日一個はレモンを使うので(毎朝レモン水をいただきます)、それを流しの水に入れっぱなしにします。
ランドリー事情
我が家は、子どもなしの夫婦2人。旦那さんの職業上(セラピスト)、タオルの洗濯量はかなり多いです。アイロンはほぼ使いませんが、必要な際は洋服が半乾きの状態で、シャワールームに干しています。
ランドリーの必需品
微生物に還元される資源でつくられた洗剤
ソープナッツ/ムクロジの実
重曹 (洗濯粉洗剤と半々で使用)
砂糖 (少量入れて洗うと、油を分解しながら排水も綺麗に)
酢 (脱臭用に)
エプソム塩 (柔軟剤がわりに)
※生理用のオーガニック布(布ナプキン)についてですが、水にいれても揉まないで、重曹の水に一晩つけ置きします。洗ってみてまだシミがある場合は、オーガニックせっけんで軽く洗ってから、太陽の下で干しします。(布ナプキンを長く使っていると、不思議なことに汚れないような過ごし方ができるようになります!)
バスルーム事情
日本と最も異なる点は、お風呂場とカビです。日本のようにシャワーとバスタブが一緒で、お風呂場全体を濡らせる環境ではありませんし、また南オーストラリア州は湿気がほぼゼロなのでぜんぜんカビません!
南オーストラリアの夏は水が不足するため、毎日入浴している人はほぼいないはずです。また、バスタブはすべての家にあるわけでなく、毎日入る習慣もないので、お風呂を洗う回数自体が少ないです。
今までに住んだり滞在した家のシャワールームは、すべてガラス張りでした。どの家もシャワールームを使用後、ガラスに水しぶきが残らぬよう、酢水をつかってぬれた部分を拭いておくのが一般的です。高圧スチームモップは、水とソーラーパワーだけでピカピカになるので、この辺ではポピュラーです。
バスルームの必需品
重曹 (いつものお掃除に)
塩 (ぬめり取りに)
酢水 (下部参照)
洗濯布または新聞紙 (ガラスと鏡用に)
ブラシ/歯ブラシ (汚れが落ちにくいところに)
スチームモップ
カビが見える場所を少し水で濡らして、重曹を振りかけておき、その後ブラシでこすります。
お風呂の掃除にも、お風呂に入るにも、いつも重曹を使います。お風呂がピカピカになります。
水と酢を1:1でスプレーボトルに入れておき、ガラスや鏡にスプレーして布や新聞紙で拭くと、ピカピカになります。また酢は空気を清浄にします。酢独特のツンとした感覚は、すぐに消えます。体内に吸い込んで毒なものではありませんので安心です。
シャンプー、石けん、歯磨き、身体のお掃除事情
我が家では、オーガニックの歯磨き粉を使っていますが、毎日は使いません。炭粉、少量の重曹、塩、指で洗ったりと、使い分けています。歯ブラシは、持ち手部分が木で、生物分解するブラシ素材を使っています。
知覚過敏などで歯茎が痛む場合は、天然のローハニーを指につけて、やさしくやさしくさすってあげると善いです。上歯は下向きに、下歯は上向きに。日中に行い、一週間に一度でよいでしょう。
毎朝の*オイルプリングは、歯や歯茎のトラブル、お肌のトラブルから毒素排出までオールマイティーにしてくれます。口は、胎内という壮大な世界への扉です。健やかな状態を維持してあげられるといいですね。
シャンプーは、オーガニック、生物還元型、石けん系のものを置いていますが、そういったものを使わないで**水シャンプーすることが多いです。
シャンプー後にコンディショニングしたい場合は、リンゴ酢と水を1:1の割合であわせ、出来る限り髪の毛だけに触れされて流します。
フェイスウォッシュなど使いません。石油系のメイク素材を肌につけると肌荒れし、石油系メイクを使うと、さらに強い石油系のクレンジングが必要になるため、メイク品一切を卒業しました。「自然派」と呼ばれる化粧品も人体実験で試してみました。肌部分は大丈夫ですが、アイメイク関連商品で安全なものには未だ出会ってイマセン。
美しい花粉をみつけるとアイシャドウにしてますが、なにか(花粉症?春先から庭の花をスムージーにいれて飲み、抗体をつけて対応してます)
身体のお掃除必需品
オーガニック、生物還元型、石けん系シャンプー
オーガニック(手作り)石けん
炭粉 (歯磨き粉がわりに)
海塩 (歯磨き粉がわりに)
重曹 (たまに、歯磨き粉がわりに)
プロポリスうがい
オーガニックのごま油、サンフラワーオイル、ココナッツオイル
*毎朝のオイルプリングがお勧めです。大さじ1杯程度のオイルを口の中に要れ、15分ほどぐちゅぐちゅと。寝ている間にたまった毒素を、オイルでプリング(引き出し)ます。
オイルの種類は、オーガニックのサンフラワーオイルやセサミオイルが良い、と言われていますが、我が家ではココナッツオイルとセサミオイルを使い分けています。くちゅくちゅぺっとするのは、庭やゴミ箱にしましょう。流し台からぺっとすると、つまりの原因になります。
**水シャンプーの方法:頭皮マッサージで、頭皮オイルを分泌させ、よく髪をブラッシングをすることで、セミロングヘアでもシャンプーとトリートメントを使わないで、強く健やかな髪を維持することが可能です。毛染めは髪と頭皮だけでなく身体へのダメージが大きいのでしません。この水シャンプーは、すでにナチュラルな生活を実践している人にお勧めです。
その他のお掃除事情
下水排水
トイレ、シャワー、キッチンの流し、ランドリー、どこにでも排水がつながっているところには、長めに発酵させたケフィアドリンク(腸内環境を改善する発酵飲料)を、カップ一杯ほど流してやります。
家の床
我が家は、「ジャパニーズスタイル」と皆さんに説明し、土足で家に上がるのはお断りしています。私たちのモバイルホーム、キャンパーバンも土足厳禁です。お掃除は掃除機を使ったり、スチームモップを使ったりですが、日常的には箒とちり取りでお掃除をしています。私たちがハウスマインディングをしている内は、どこも土足禁止。私の綺麗好きな性格が、似た人たちを引き寄せています。
靴の掃除
コーヒー粉を乾燥させて、小袋に入れて靴の消臭対策。
革靴磨きには、、、食べた後のバナナの皮。普通にきれいになります。
乾燥するとこどこにでも、爪、お臍、耳、顔、、、
良質のオイル!ここではココナッツオイルが多いですが、ヘンプオイルもいいですね。細かいところなどは、綿棒につけてころころとすると、ツボマッサージにもなりますよ。
空気清浄
アロマスプレーをつくることは、本当に簡単です。うちでは雨水に、好きなエッセンシャルオイルを数滴垂らし、しゃかしゃかしてスプレーするだけ。化学的なエアゾールやエアスプレーは、私たちの肺に直接吸い込まれいること忘れないでください。
心のお掃除は呼吸と瞑想
基本の呼吸
いろんな呼吸法がありますが、どの呼吸法を取り入れても、効果は似ています。
本人の決意と意思が、結果に影響するのはもちろんのこと!
基本は、いつもやっているのと同じこと。
吸う ー> 止める ー> 吐く ー> 止める ー> 吸う ・ ・ ・
ただ、意識を深めて行うだけの違いです。
吸う量、吸う長さを意識します。身体に新しい空気を意識的に通してあげます。
身体にたくさんの新しい空気を入れ、
不調のある箇所や、筋肉や骨に空気を送り、、
少し溜めて、
ゆっくり吐く。
吐く量、吐く長さを意識します。身体から不要なものが出ていく様子を感じます。
身体から空気ができった感をゆったり感じながら、
また吸うところに戻ります。
朝起きてすぐや、たいせつな時間の直前、食前、就寝前など。深い意識的な呼吸はいつ行っても効果的です。深く真に入っていく呼吸は、わたしたちという存在を生かさせてくれる最も基本の行いです。
瞑想
今の自分にはもう貢献しないような過去、しがみついている思い出、何らかの重い執着、将来への不安、これらが今の幸せの足かせを形成しているとすれば、それに気づくことが最初の一歩。それらを手放し、行動することです。考え過ぎの頭、情報で詰まり過ぎの頭、偏った考え方をしていると、頭痛や脳内の不調が出てきます。瞑想をして、思考を一旦止めてリフレッシュしましょう。
心のお掃除をして、当たり前ではない今日というすばらしい一日の、一瞬一瞬を意識的に生きることへとつなげましょう。心と身体と周辺環境のナチュラルお掃除をすればするほど、人生が透き通っていきます。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
私がこの暮しかたに辿り着くまで少し時間は掛かりましたが、東京23区で暮らしていたときから上記の多くのことを行っていました。もちろん、ゴミ分別も好きでやっていましたし、洋服やあらゆる家庭用品のギヴアウェイ(知らない人に無償でプレゼントすること)もずっとやってきました。
マンションの隣の家は化学薬品を排出してるし、上の階も、下の階もそうなので、「私一人が自然派の暮しをして(しかも安物はないし)地球への何の変化が?」などと思っていました。ですが、私が望んでいたのは「私への変化」であったので、私だけが真摯に実践していることだけで十分でした。そして、やっぱり好きなんですよね、自然に優しい暮しが♡
そして今は、私と同じような自然派の価値観を共有する仲間、少なくとも自然派を心がけて暮らす人たちとコミュニティに住んでいます。あなたがしたいのは、あなた自身へのより善い変化でしょうか?それとも、あなたじゃない何かや世界に対しての変化を望んでいるのでしょうか?それがどちらであっても、近道は「あたなが納得することを、あなた自身からはじめること」です。
お掃除は年末だけといわず。年始から、すこしでも一瞬を慈しむ時間と、その間の呼吸を楽しんであげてください。私たちの暮らしに沿う日々の少しの工夫が、今という瞬間ををより満ち足りたものにしていきます。
新鮮な空気を身体にいれて、心いっぱいに開いて、時季と胎内の自然を慈しめる日々が在りますように!
↑
キャンパーバンでの生活する際は、木の枝にロープを縛って、お日様の下で洗濯干し
※アイデアがうかび次第、内容を随時更新していきいます。
化学物質(ケミカル)などの身体に有害なものを含むものは、我が家では一切使いません。家事をする人の肌、体内、脳も心もすっきりとナチュラルに過ごせるような洗浄剤を工夫して使っています。
え、家あんの?って思われるかもしれません(笑)。実はあるんです。キャンパーバンにも(今は私は住んでいませんが)キッチン、冷蔵庫、クローゼット、ベッドルーム、ダイニング、あるんです。シャワーは青空ソーラーシャワーなので、お掃除は必要ありません。ですが使ったものが自然に即還っていくからこそ、自然に優しいものを使ってあげる大切さを学びます。
自然に優しいナチュラル素材を使ってお掃除してあげると、私たちの胎内もどんどんナチュラルになるんです。お掃除をすればするほど、お肌、髪の毛、胎内、心、私たちの優しさをもう一度思い出し、慈しめるようになりますよ♡
今日は、そんなアイデア集をメモしておきます。
台所事情
我が家では、冬に貯水した雨水を使っています。
どんな洗剤や道具を使うかは、日々の食(油物や添加物)に大きく影響されますが、シンクから流れ出る水が地球上で還元されることを考えると、うちでは洗剤を使いません。
オイルの汚れはどうするのかですが、オーガニックの良質オイル(プリムローズオイル、フィッシュオイル、ココナッツ、ヘンプ、セサミ等)を使っています。体内に採り入れるだけでなく、身体全体(顔や髪や爪や頭皮)に使えるものなので、完璧に洗い去る必要がない考えています。また、木製の食器が多いので、油を含むことでより馴染み、愛着もわきます。
台所の必需品
アクリルタワシ
重曹 (つけ置き、落ちにくい汚れに)
レモン (油のついた食器は、レモン拭き)
塩 (流しの掃除、ぬめり取りに)
酢 (流しの掃除に)
オーガニック石けん (手洗用、アクリルタワシを洗う用)
キッチンタオルは、ボールに水と重曹を入れて一晩つけて、翌朝太陽の下で干します。
アクリルタワシは、太陽の光で日干しします。
重曹と塩は、ぬめり取りや農薬の除去にも使えます。
流しにの水を溜めたところにレモンを入れ、食器を入れたままにして放置しておくと、食器が洗いやすくなるだけでなく、発酵したレモン水は下水管の掃除をしてくれます。我が家では一日一個はレモンを使うので(毎朝レモン水をいただきます)、それを流しの水に入れっぱなしにします。
ランドリー事情
我が家は、子どもなしの夫婦2人。旦那さんの職業上(セラピスト)、タオルの洗濯量はかなり多いです。アイロンはほぼ使いませんが、必要な際は洋服が半乾きの状態で、シャワールームに干しています。
ランドリーの必需品
微生物に還元される資源でつくられた洗剤
ソープナッツ/ムクロジの実
重曹 (洗濯粉洗剤と半々で使用)
砂糖 (少量入れて洗うと、油を分解しながら排水も綺麗に)
酢 (脱臭用に)
エプソム塩 (柔軟剤がわりに)
※生理用のオーガニック布(布ナプキン)についてですが、水にいれても揉まないで、重曹の水に一晩つけ置きします。洗ってみてまだシミがある場合は、オーガニックせっけんで軽く洗ってから、太陽の下で干しします。(布ナプキンを長く使っていると、不思議なことに汚れないような過ごし方ができるようになります!)
バスルーム事情
日本と最も異なる点は、お風呂場とカビです。日本のようにシャワーとバスタブが一緒で、お風呂場全体を濡らせる環境ではありませんし、また南オーストラリア州は湿気がほぼゼロなのでぜんぜんカビません!
南オーストラリアの夏は水が不足するため、毎日入浴している人はほぼいないはずです。また、バスタブはすべての家にあるわけでなく、毎日入る習慣もないので、お風呂を洗う回数自体が少ないです。
今までに住んだり滞在した家のシャワールームは、すべてガラス張りでした。どの家もシャワールームを使用後、ガラスに水しぶきが残らぬよう、酢水をつかってぬれた部分を拭いておくのが一般的です。高圧スチームモップは、水とソーラーパワーだけでピカピカになるので、この辺ではポピュラーです。
バスルームの必需品
重曹 (いつものお掃除に)
塩 (ぬめり取りに)
酢水 (下部参照)
洗濯布または新聞紙 (ガラスと鏡用に)
ブラシ/歯ブラシ (汚れが落ちにくいところに)
スチームモップ
カビが見える場所を少し水で濡らして、重曹を振りかけておき、その後ブラシでこすります。
お風呂の掃除にも、お風呂に入るにも、いつも重曹を使います。お風呂がピカピカになります。
水と酢を1:1でスプレーボトルに入れておき、ガラスや鏡にスプレーして布や新聞紙で拭くと、ピカピカになります。また酢は空気を清浄にします。酢独特のツンとした感覚は、すぐに消えます。体内に吸い込んで毒なものではありませんので安心です。
シャンプー、石けん、歯磨き、身体のお掃除事情
我が家では、オーガニックの歯磨き粉を使っていますが、毎日は使いません。炭粉、少量の重曹、塩、指で洗ったりと、使い分けています。歯ブラシは、持ち手部分が木で、生物分解するブラシ素材を使っています。
知覚過敏などで歯茎が痛む場合は、天然のローハニーを指につけて、やさしくやさしくさすってあげると善いです。上歯は下向きに、下歯は上向きに。日中に行い、一週間に一度でよいでしょう。
毎朝の*オイルプリングは、歯や歯茎のトラブル、お肌のトラブルから毒素排出までオールマイティーにしてくれます。口は、胎内という壮大な世界への扉です。健やかな状態を維持してあげられるといいですね。
シャンプーは、オーガニック、生物還元型、石けん系のものを置いていますが、そういったものを使わないで**水シャンプーすることが多いです。
シャンプー後にコンディショニングしたい場合は、リンゴ酢と水を1:1の割合であわせ、出来る限り髪の毛だけに触れされて流します。
フェイスウォッシュなど使いません。石油系のメイク素材を肌につけると肌荒れし、石油系メイクを使うと、さらに強い石油系のクレンジングが必要になるため、メイク品一切を卒業しました。「自然派」と呼ばれる化粧品も人体実験で試してみました。肌部分は大丈夫ですが、アイメイク関連商品で安全なものには未だ出会ってイマセン。
美しい花粉をみつけるとアイシャドウにしてますが、なにか(花粉症?春先から庭の花をスムージーにいれて飲み、抗体をつけて対応してます)
身体のお掃除必需品
オーガニック、生物還元型、石けん系シャンプー
オーガニック(手作り)石けん
炭粉 (歯磨き粉がわりに)
海塩 (歯磨き粉がわりに)
重曹 (たまに、歯磨き粉がわりに)
プロポリスうがい
オーガニックのごま油、サンフラワーオイル、ココナッツオイル
*毎朝のオイルプリングがお勧めです。大さじ1杯程度のオイルを口の中に要れ、15分ほどぐちゅぐちゅと。寝ている間にたまった毒素を、オイルでプリング(引き出し)ます。
オイルの種類は、オーガニックのサンフラワーオイルやセサミオイルが良い、と言われていますが、我が家ではココナッツオイルとセサミオイルを使い分けています。くちゅくちゅぺっとするのは、庭やゴミ箱にしましょう。流し台からぺっとすると、つまりの原因になります。
**水シャンプーの方法:頭皮マッサージで、頭皮オイルを分泌させ、よく髪をブラッシングをすることで、セミロングヘアでもシャンプーとトリートメントを使わないで、強く健やかな髪を維持することが可能です。毛染めは髪と頭皮だけでなく身体へのダメージが大きいのでしません。この水シャンプーは、すでにナチュラルな生活を実践している人にお勧めです。
その他のお掃除事情
下水排水
トイレ、シャワー、キッチンの流し、ランドリー、どこにでも排水がつながっているところには、長めに発酵させたケフィアドリンク(腸内環境を改善する発酵飲料)を、カップ一杯ほど流してやります。
家の床
我が家は、「ジャパニーズスタイル」と皆さんに説明し、土足で家に上がるのはお断りしています。私たちのモバイルホーム、キャンパーバンも土足厳禁です。お掃除は掃除機を使ったり、スチームモップを使ったりですが、日常的には箒とちり取りでお掃除をしています。私たちがハウスマインディングをしている内は、どこも土足禁止。私の綺麗好きな性格が、似た人たちを引き寄せています。
靴の掃除
コーヒー粉を乾燥させて、小袋に入れて靴の消臭対策。
革靴磨きには、、、食べた後のバナナの皮。普通にきれいになります。
乾燥するとこどこにでも、爪、お臍、耳、顔、、、
良質のオイル!ここではココナッツオイルが多いですが、ヘンプオイルもいいですね。細かいところなどは、綿棒につけてころころとすると、ツボマッサージにもなりますよ。
空気清浄
アロマスプレーをつくることは、本当に簡単です。うちでは雨水に、好きなエッセンシャルオイルを数滴垂らし、しゃかしゃかしてスプレーするだけ。化学的なエアゾールやエアスプレーは、私たちの肺に直接吸い込まれいること忘れないでください。
心のお掃除は呼吸と瞑想
基本の呼吸
いろんな呼吸法がありますが、どの呼吸法を取り入れても、効果は似ています。
本人の決意と意思が、結果に影響するのはもちろんのこと!
基本は、いつもやっているのと同じこと。
吸う ー> 止める ー> 吐く ー> 止める ー> 吸う ・ ・ ・
ただ、意識を深めて行うだけの違いです。
吸う量、吸う長さを意識します。身体に新しい空気を意識的に通してあげます。
身体にたくさんの新しい空気を入れ、
不調のある箇所や、筋肉や骨に空気を送り、、
少し溜めて、
ゆっくり吐く。
吐く量、吐く長さを意識します。身体から不要なものが出ていく様子を感じます。
身体から空気ができった感をゆったり感じながら、
また吸うところに戻ります。
朝起きてすぐや、たいせつな時間の直前、食前、就寝前など。深い意識的な呼吸はいつ行っても効果的です。深く真に入っていく呼吸は、わたしたちという存在を生かさせてくれる最も基本の行いです。
瞑想
今の自分にはもう貢献しないような過去、しがみついている思い出、何らかの重い執着、将来への不安、これらが今の幸せの足かせを形成しているとすれば、それに気づくことが最初の一歩。それらを手放し、行動することです。考え過ぎの頭、情報で詰まり過ぎの頭、偏った考え方をしていると、頭痛や脳内の不調が出てきます。瞑想をして、思考を一旦止めてリフレッシュしましょう。
心のお掃除をして、当たり前ではない今日というすばらしい一日の、一瞬一瞬を意識的に生きることへとつなげましょう。心と身体と周辺環境のナチュラルお掃除をすればするほど、人生が透き通っていきます。
-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
私がこの暮しかたに辿り着くまで少し時間は掛かりましたが、東京23区で暮らしていたときから上記の多くのことを行っていました。もちろん、ゴミ分別も好きでやっていましたし、洋服やあらゆる家庭用品のギヴアウェイ(知らない人に無償でプレゼントすること)もずっとやってきました。
マンションの隣の家は化学薬品を排出してるし、上の階も、下の階もそうなので、「私一人が自然派の暮しをして(しかも安物はないし)地球への何の変化が?」などと思っていました。ですが、私が望んでいたのは「私への変化」であったので、私だけが真摯に実践していることだけで十分でした。そして、やっぱり好きなんですよね、自然に優しい暮しが♡
そして今は、私と同じような自然派の価値観を共有する仲間、少なくとも自然派を心がけて暮らす人たちとコミュニティに住んでいます。あなたがしたいのは、あなた自身へのより善い変化でしょうか?それとも、あなたじゃない何かや世界に対しての変化を望んでいるのでしょうか?それがどちらであっても、近道は「あたなが納得することを、あなた自身からはじめること」です。
お掃除は年末だけといわず。年始から、すこしでも一瞬を慈しむ時間と、その間の呼吸を楽しんであげてください。私たちの暮らしに沿う日々の少しの工夫が、今という瞬間ををより満ち足りたものにしていきます。
新鮮な空気を身体にいれて、心いっぱいに開いて、時季と胎内の自然を慈しめる日々が在りますように!
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キャンパーバンでの生活する際は、木の枝にロープを縛って、お日様の下で洗濯干し
※アイデアがうかび次第、内容を随時更新していきいます。
機能性胃腸障害のスピリチュアルな教え(4) [健康]
現在は、身体の声を聴いて食べる術を身につけ、呼吸をするように食事を楽しんでいます。不調と共に生きる術と、より堅実に生きる術は、不調そのものがじっくりと教えてくれました。シリーズ最後の記事は、私が機能性胃腸障害から与えられた教えをスピリチュアルな視点からお伝えしましょう。
。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。
この記事は、機能性胃腸障害(機能性ディスペプシア/胃腸障害)を癒し、共に生きる方法を書いたシリーズです。ひとつ前の記事は、こちら→機能性胃腸障害と生きる(3)をどうぞ。
。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。。・゚・。
私は特定の食餌法を厳しく守りフォローするつもりはありません。瞑想や呼吸法と同じで、食べることも生活から切り離すのではなく、出来るときに必要なだけすることです。静寂も含め、心・身体・マインドが何を求めているか常に訊ける状態にあることは、とても有効なことです。昨日私の人生を支えてくれたものやことが、今日も全く同じように支えるとは限りません。毎日が違って当然の毎日に気づかされました。
経験と瞑想を通して、良し悪しを超えて、食にまつわるさまざまな過去の印象や記憶もリフレッシュしたのは、癒しに貢献する大きな一歩でした。
例えば、オーガニック・無農薬、バイオダイナミック(=シュタイナー哲学:土壌と空気と動物などすべての生態系に無害だけでなく、後世代々の地球環境と生き物の胎内環境の健全化に取り組む農法)、フリーレインジ(放し飼い・天然もの)など、世間一般に絶対良いという過信を手放して、都度、新しい気持ちで改めてそれらのエネルギーと向き合いました。一度手放したとしても本当に必要なものはまた生まれるため、今現在も上記のものについては積極的に取り入れています。
また、誰かや何かから間接的に届けられる「二次的情報」については、盲目的に信じることは避け、自分の直感(「一次的情報」)を観察しました。今は、これまで以上に直感が強く、直感が人生を導いていることに安心と安定すら感じます。
食べるものを目の前にして何をするか?もちろん
感謝!
目の前に在るものが、ここにたどり着くまでに関わったすべての人とエネルギー、流通、生産に関わった人たちに感謝します。目を閉じて、思いを馳せると、世界中の人たちと場所が、家族や故郷かのように感じられます。そして忘れてはならないすべての資源の源泉=私たちにすべてを与えてくれる母である地球に感謝します。この時点で心いっぱいです。お腹の空腹感や、痛みが、去って行きます。深く呼吸をして、「いただきます」と唱える瞬間に、言霊がすべての精霊へと感謝を伝えます。
祈りを捧げている間に、食べ物の存在が五感を通して、私たちの身体に入ってきます。自然と匂いをかいで、姿と色を愛でている時点で、すでに身体がその食べ物を欲しているかを判断できています。どれだけ採るかも、身体が知っています。マインドがクリアで、心がオープンでいるならば、その身体の声は私たちに届きます。
また、訓練によっては、筋肉反応(キネシオロジー)で判断するのも可能です。「手」から出る氣を使って、食のエネルギーをニュートラルにしたり有効なものへと変換することも、心次第で誰にでも可能です。
《長野県の養生園のマクロビご飯−三日間の滞在中、私用に特別食をご用意くださいました》
「食べる」と一言でいっても、食自体や食器を選ぶことから始まり、香りを楽しむこと、口に運ぶこと、噛むこと、音を愛でること、唾液を出すこと、飲み込むこと、胃へ運ばれて行くこと、消化すること。。。たくさんのことを経験しています。もしも食べようとすることで苦しみが訪れているのであれば、一度食べることを手放してみますが、通常は食べることは必要ですから、そこに関わるあらゆることに意識を向けてみることです。深い意識で「食べる」ことを実践してみると必要な気づきが訪れるはずです。
食べることを楽しんでみて(もちろん辛いことの方が多かったですが)、それでも数時間から12時間以内に吐き下しがある食べ物については「氣をつける」ようにします(氣を送ったり、氣を「スタンプ」します)。吐き下すことになっても、自分を責めないで、身体がすごく拒否していることを淡々と観察するようにします。
治癒への時間はかかるかもしれませんが、心の本気度数で、今この瞬間からでも変化は訪れます。周りの人は理解できないかもしれません。でも、私が私のことを一番よく知れるのと同様に、あなたの健康について、なによりも強い愛で面倒をみてくれるのは、誰でもなくあなた本人です。己のことをよ〜く理解できるようになると、自分とすべての関係の間にある壁が消えて行き、すべてのことへの理解度がおどろくほど深まるのは、嬉しい好転反応とも呼べるでしょう。
私の食餌法は、素材や味や準備等が好きかどうか(理屈)を完全に超越し、長年の人体実験の上で身体が受け入れられるものだけを採る(吐き下さないものを採る)というだけのもので、先のブログ「機能性胃腸障害の癒し方(2)」でも紹介した通り、食だけでなく身体と心の健康を一心に目指して、新しいことを実践してきました。
主人だけでなく、友人や彼の家族たちに説明しても、周囲のほとんどの人は私の食を理解できずにいる上、説明した上で食事に招かれても食べ(るものが)なくて「相手が私に申し訳ない」ということが続きました。しばらく内に籠ってから、食を囲む社交の場に赴くことや外食をする目的が明確になった後には、食べたい・外食したいという私的欲求や、食生活を人に理解してもらいたい欲求も減り、受け入れられたい、理解されたい、愛されたい、期待する、落胆、などという感情が昇華されていきました。
このプロセスでは、「食」自体が、まるで私の人生をふるいにかけ、私という存在を理解させ(思い出させ)るために必要なものを自然と見せてくれている、私という人生をつくりあげる要素(パーツ)と順に向き合うチャンスを与えてくれている、と感じました。
主人は約一年ほど前から理解を見せてくれはじめ、彼との関係性からもたくさんのことを教わりました。主人や婚姻関係に対する幻想、期待や落胆を一切手放し、国際結婚やパートーシップという概念を超えたところで、このふたつの魂が今、共に在る意味を経験で知っていきました。
次第に、頭脳と行動を駆使してあれこれと行動しなくても、私という存在はすでに受け入れられている。私という存在は最初から自然と、理解され愛されている存在である。そう感じられるようになりました。「相手が(私に)申し訳ない」と感じていることも謙虚に受け止めつつ、自分が「申し訳ない」と感じる背後にある「自己叱責」や「自己非難」も手放していきいました。とても大切なプロセスでした。
《二人の間はスペースであり、個としての道を歩くようになりました》
去年、ヨガやアーユルヴェーダを極めたような方から続けて食餌内容を訊かれることがありました。
究極のヨギー/アーユルヴェーダ食や、タイ仏教徒の食だとか、厳しいマクロビ食だともいわれ、またあるインドの司祭階級(ブラフマン)の方からは、自分より厳しい食を実践していることで敬意を払われ、「へー、そーなんだ」と感じたことがありました。私はヴィーガンでも単なるベジタリアンでもく、呼称はどうでもよいと思っていましたが、今現在、前よりもだいぶユルくなった私の食はサトヴィック食と呼ばれているようです。ラマナ・マハリシ、ガンディー、シュタイナーも勧めたこの食事です。不治の病も治療できる食事とされます。ご興味があればぜひグーグルしてみてください。
どのようなダイエット(食餌法)を実践するかに関わらず、今いる場所から食と向き合うことは、本当に大切なことです。私もあなたと同じで、食べてなくては生きられないヒトです。だからこそ、食は日々、地球胎内と人間胎内で起こっている課題を私たちに伝えようとしています。
食生活を通して、ライフスタイルと意識が劇的に変化していく中で、私は、こう尋ねられているように感じました。
「あなたは、与えられた素晴らしい人生で、どう生きようとしているのですか?
人生の、何に重きを置いて生きていきたいのでしょうか?」
その答えは、新しいライフスタイルを選択する際に浮上してきました。
野菜を育てることは、自然のサイクルと恵みを肌で感じることであり、その行為は、愛を育みます。有機野菜つくりを暮しの一部とすると、人生と環境が少しずつですが居心地のよいものへと変化していきました。
私は、自由に、人生を創造して生きたい。
そうすると、敢えて農薬を投与して作られる作物が存在することの意味がわからず、そのような作物を、買って食べる選択肢は消えました。除草剤(グラフォセイト)と輸入ものの時季外れ野菜は、私の食卓から姿を消しました。
《春の旬、空豆》
菜園作りをして気づいたのは、太陽と水と愛があれば、栄養価が高い、美味しい時季野菜を育てることは比較的簡単なことでした。野菜だけでなく、心休まったりエネルギーを与えてくれる庭のハーブでお茶を飲むことで、地元では採れないコーヒー(カフェイン)を飲みたい欲求がなくなりました。
菜園がまな板へと直結しているため、梱包も冷蔵庫も保存棚の必要がないので、スーパーに行くことが減少しました。
人間の消化機能が分解できない化学物質を胎内に入れないのと同じように、
地球環境が有機的に生分解できないゴミを出さない暮し方がしたい。
そうして、プラスチックに入った過剰包装の食品などは、我が家からどんどんと消えていきました。
野菜消費量が増えるにつれコンポストが増え、それが目に見えるスピードで土壌をさらに肥沃にしていくことで、土壌の大切さを実践で学びました。そこには微生物がたくさん存在し、神秘ともおもえる力で美味しい野菜作りのために昼夜働いていることを知りました。
食べる(生きる)ことで、どんどん健やかな土壌と身体をつくりたい。
人間の腸内環境と善玉菌の関係が、土壌環境と微生物の関係と同じくするものだとわかってからは、乳酸菌ドリンク自宅でつくることを学びました。我が家からすっかりと消えたソフトドリンクやペットボトル製品でしたが、現在は美味しい乳酸菌ドリンクが欠かさずあります。
エコビレッジからオフグリッド生活、インテンショナル・コミュニティへと移動していても、暮らし方は変わらないどころか、どんどん上手になっていきました。地元のオーガニックやファーマーズ・マーケットに行くと、つながる人とどんどんつながり、つながらないことができなくなる。顔が見える(フードマイルの少ない)農作物や生活必需品を上手に買ったり交換できることが容易くなりました。
作り手のエネルギーを感じたものに囲まれ、心でつながる仲間とよりよい生き方を今ここで実践したい。
そうすると、膨大な時間とエネルギー消費量をともなって、地球の反対側から当然のようにやってきて、大手量販店などに並ぶ石油製品をサポートする(お金を落とす)ことがほとんどなくなりました。
《採れたての野菜には、土壌と太陽からの栄養素が豊富》
私もぼちぼちとはじめていますが、有機小作農の間では、エアルーム(古代)種を取り戻し、シードバンク(直訳は「種の銀行」)で種を保存することが一般的になっています。地元の気候と土壌に適し、代々と受け継がれて来た古代種は、品種改良された見栄えの良い作物とは比べ物にならないほど、自然な味がし、必要な生命力を与えてくれます。
次世代を考えた種と土壌の在り方を考えながら、野菜作りをしたい
美しすぎるほどに形が揃った野菜には、生命力を感じないだけでなく、自由さや魅力や美を感じないので、農薬添加された作物を買うことは一切なくなりました。
機会があれば積極的に苗木を植えたい
今年は(あと1ヶ月半を残したところで)、約120本のネイティブとフルーツの苗木を植えました。
完全菜食でいられるのは、ミネラルやビタミンが豊富に含まれた新鮮な有機野菜を食べることで、栄養価が十分足りていると感じているからです。実際に血液検査をしたところ、結果は栄養価はすべて足りているとのことでした。知り合いに一人だけ私と同じ食生活を送っている女性がいるのですが、彼女はドクターから「スーパーヒューマン」と呼ばれているほどです。
自分で採ってこれないものを、食べる必要はないと感じています。例えば、牛を殺して血を流させることは、今やこの心とこの手を持ってはぜったいに出来ません。人間の消費用に生まれ、育てられた生き物を、さあ私が食べるから死になさいと斧をふりあげることはあり得ないでしょう。人に殺傷を頼んでも、動物の身体を食べたいと思いません。しかし、万が一ある生命(動物)が私のところへやってきて、私に頭を垂れて命を捧げてくれるのなら、私は涙をしながらその命をいただくことでしょう。私の判断基準はそれだけです。自分で採ってこれないものは、食べる必要を感じないし、欲しいとも思わないのです。
私が古代人だったなら話しは違うかもしれません。人間が神の領域である森に入り、必要なだけ狩りをし、神に捧げる儀式をした古代には、人は肉を食べる習慣があったのでしょう。でも今は古代ではなく、私は現代人です。人間の食用肉である畜産業のための土地が、地球の土地1/3を占める2016年現在。人間用に消費するための動物を育て、食べ続ける必要があるのかどうかの答えは、私の中では明らかです。
《アメリカでは、食用肉の家畜と場所確保のために、野生馬や野生狼が”始末”される事態が起こっています》
地球上の同志である動物たちの生命が軽んじられているのは、人間自身の生命が軽んじられていることの鏡であり、地球上の緑(愛を象徴する色−酸素であり、全生命体の命そのもの)が分刻みで減っているのは、人間の心に緑(愛)の存在が小さくなったかのように見えているからです。マクロである地球生命体は、単に、人間胎内に存在するミクロのユニバース(宇宙)を映し出しているだけです。私たちの心の在り方で、地球の在り方は変わります。
食を通したスピリチュアルな経験は、これまでのあなたの経験を、より深く高次な視点から人間社会を理解させてくれることでしょう。
《土壌つくりから愛を注いで育ったブロッコリは、地球に膝まずいてキスをしたくなるほど美味》
* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … *
☆参考ドコ*目録☆
(*ドキュメンタリー)
『幸せの経済学』 / 原題:"Economics of Happiness" (2011)
http://shiawaseno.net/
原題:"The Farmer and his Prince" (2013) 日本語訳なし
チャールズ皇太子がウェールズのキングになれない理由は、彼自身が有機農業を全面サポートするファーマーであるからだと言われ続けています。皇室レベルでの彼の個人的な取り組みと、水面下で力強く有機農業・研究を支え続ける皇太子の素の姿を描いたドキュメンタリーです。
カウスピラシー / 原題:"Cowspiracy"←Cow 牛<酪農業界+Conspiracy陰謀の造語 森林破壊、砂漠化、海洋汚染などと同様に、現在まさに分刻みで起こっているが報道されない真実 https://www.youtube.com/watch?v=JTcprWbo9N8
グリーン・ビューティフル / 原題:"La belle verte" (1996)
暴力、セックス、ホラーのシーンが無いだけでなく、老若男女性別文化を超え誰でも気兼ねなく観れてきわめて心が豊かになれるユーモアな映画。そのため、ロシア、フランス、オーストラリア、日本などの各国で上映またはダウンロードできなくなっておりご迷惑をおかけしております。
(探せば、日本語翻訳版が存在します)
http://www.disclose.tv/action/viewvideo/157826/La_Belle_Verte__The_Green_Beautiful_English_Subtitles/グリーン・ビューティフル
(以上です♡)
* … * … * … * …* … * … * … * …* … * … *
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この記事は、機能性胃腸障害(機能性ディスペプシア/胃腸障害)を癒し、共に生きる方法を書いたシリーズです。ひとつ前の記事は、こちら→機能性胃腸障害と生きる(3)をどうぞ。
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私は特定の食餌法を厳しく守りフォローするつもりはありません。瞑想や呼吸法と同じで、食べることも生活から切り離すのではなく、出来るときに必要なだけすることです。静寂も含め、心・身体・マインドが何を求めているか常に訊ける状態にあることは、とても有効なことです。昨日私の人生を支えてくれたものやことが、今日も全く同じように支えるとは限りません。毎日が違って当然の毎日に気づかされました。
経験と瞑想を通して、良し悪しを超えて、食にまつわるさまざまな過去の印象や記憶もリフレッシュしたのは、癒しに貢献する大きな一歩でした。
例えば、オーガニック・無農薬、バイオダイナミック(=シュタイナー哲学:土壌と空気と動物などすべての生態系に無害だけでなく、後世代々の地球環境と生き物の胎内環境の健全化に取り組む農法)、フリーレインジ(放し飼い・天然もの)など、世間一般に絶対良いという過信を手放して、都度、新しい気持ちで改めてそれらのエネルギーと向き合いました。一度手放したとしても本当に必要なものはまた生まれるため、今現在も上記のものについては積極的に取り入れています。
また、誰かや何かから間接的に届けられる「二次的情報」については、盲目的に信じることは避け、自分の直感(「一次的情報」)を観察しました。今は、これまで以上に直感が強く、直感が人生を導いていることに安心と安定すら感じます。
食べるものを目の前にして何をするか?もちろん
感謝!
目の前に在るものが、ここにたどり着くまでに関わったすべての人とエネルギー、流通、生産に関わった人たちに感謝します。目を閉じて、思いを馳せると、世界中の人たちと場所が、家族や故郷かのように感じられます。そして忘れてはならないすべての資源の源泉=私たちにすべてを与えてくれる母である地球に感謝します。この時点で心いっぱいです。お腹の空腹感や、痛みが、去って行きます。深く呼吸をして、「いただきます」と唱える瞬間に、言霊がすべての精霊へと感謝を伝えます。
祈りを捧げている間に、食べ物の存在が五感を通して、私たちの身体に入ってきます。自然と匂いをかいで、姿と色を愛でている時点で、すでに身体がその食べ物を欲しているかを判断できています。どれだけ採るかも、身体が知っています。マインドがクリアで、心がオープンでいるならば、その身体の声は私たちに届きます。
また、訓練によっては、筋肉反応(キネシオロジー)で判断するのも可能です。「手」から出る氣を使って、食のエネルギーをニュートラルにしたり有効なものへと変換することも、心次第で誰にでも可能です。
《長野県の養生園のマクロビご飯−三日間の滞在中、私用に特別食をご用意くださいました》
「食べる」と一言でいっても、食自体や食器を選ぶことから始まり、香りを楽しむこと、口に運ぶこと、噛むこと、音を愛でること、唾液を出すこと、飲み込むこと、胃へ運ばれて行くこと、消化すること。。。たくさんのことを経験しています。もしも食べようとすることで苦しみが訪れているのであれば、一度食べることを手放してみますが、通常は食べることは必要ですから、そこに関わるあらゆることに意識を向けてみることです。深い意識で「食べる」ことを実践してみると必要な気づきが訪れるはずです。
食べることを楽しんでみて(もちろん辛いことの方が多かったですが)、それでも数時間から12時間以内に吐き下しがある食べ物については「氣をつける」ようにします(氣を送ったり、氣を「スタンプ」します)。吐き下すことになっても、自分を責めないで、身体がすごく拒否していることを淡々と観察するようにします。
治癒への時間はかかるかもしれませんが、心の本気度数で、今この瞬間からでも変化は訪れます。周りの人は理解できないかもしれません。でも、私が私のことを一番よく知れるのと同様に、あなたの健康について、なによりも強い愛で面倒をみてくれるのは、誰でもなくあなた本人です。己のことをよ〜く理解できるようになると、自分とすべての関係の間にある壁が消えて行き、すべてのことへの理解度がおどろくほど深まるのは、嬉しい好転反応とも呼べるでしょう。
私の食餌法は、素材や味や準備等が好きかどうか(理屈)を完全に超越し、長年の人体実験の上で身体が受け入れられるものだけを採る(吐き下さないものを採る)というだけのもので、先のブログ「機能性胃腸障害の癒し方(2)」でも紹介した通り、食だけでなく身体と心の健康を一心に目指して、新しいことを実践してきました。
主人だけでなく、友人や彼の家族たちに説明しても、周囲のほとんどの人は私の食を理解できずにいる上、説明した上で食事に招かれても食べ(るものが)なくて「相手が私に申し訳ない」ということが続きました。しばらく内に籠ってから、食を囲む社交の場に赴くことや外食をする目的が明確になった後には、食べたい・外食したいという私的欲求や、食生活を人に理解してもらいたい欲求も減り、受け入れられたい、理解されたい、愛されたい、期待する、落胆、などという感情が昇華されていきました。
このプロセスでは、「食」自体が、まるで私の人生をふるいにかけ、私という存在を理解させ(思い出させ)るために必要なものを自然と見せてくれている、私という人生をつくりあげる要素(パーツ)と順に向き合うチャンスを与えてくれている、と感じました。
主人は約一年ほど前から理解を見せてくれはじめ、彼との関係性からもたくさんのことを教わりました。主人や婚姻関係に対する幻想、期待や落胆を一切手放し、国際結婚やパートーシップという概念を超えたところで、このふたつの魂が今、共に在る意味を経験で知っていきました。
次第に、頭脳と行動を駆使してあれこれと行動しなくても、私という存在はすでに受け入れられている。私という存在は最初から自然と、理解され愛されている存在である。そう感じられるようになりました。「相手が(私に)申し訳ない」と感じていることも謙虚に受け止めつつ、自分が「申し訳ない」と感じる背後にある「自己叱責」や「自己非難」も手放していきいました。とても大切なプロセスでした。
《二人の間はスペースであり、個としての道を歩くようになりました》
去年、ヨガやアーユルヴェーダを極めたような方から続けて食餌内容を訊かれることがありました。
究極のヨギー/アーユルヴェーダ食や、タイ仏教徒の食だとか、厳しいマクロビ食だともいわれ、またあるインドの司祭階級(ブラフマン)の方からは、自分より厳しい食を実践していることで敬意を払われ、「へー、そーなんだ」と感じたことがありました。私はヴィーガンでも単なるベジタリアンでもく、呼称はどうでもよいと思っていましたが、今現在、前よりもだいぶユルくなった私の食はサトヴィック食と呼ばれているようです。ラマナ・マハリシ、ガンディー、シュタイナーも勧めたこの食事です。不治の病も治療できる食事とされます。ご興味があればぜひグーグルしてみてください。
どのようなダイエット(食餌法)を実践するかに関わらず、今いる場所から食と向き合うことは、本当に大切なことです。私もあなたと同じで、食べてなくては生きられないヒトです。だからこそ、食は日々、地球胎内と人間胎内で起こっている課題を私たちに伝えようとしています。
食生活を通して、ライフスタイルと意識が劇的に変化していく中で、私は、こう尋ねられているように感じました。
「あなたは、与えられた素晴らしい人生で、どう生きようとしているのですか?
人生の、何に重きを置いて生きていきたいのでしょうか?」
その答えは、新しいライフスタイルを選択する際に浮上してきました。
野菜を育てることは、自然のサイクルと恵みを肌で感じることであり、その行為は、愛を育みます。有機野菜つくりを暮しの一部とすると、人生と環境が少しずつですが居心地のよいものへと変化していきました。
私は、自由に、人生を創造して生きたい。
そうすると、敢えて農薬を投与して作られる作物が存在することの意味がわからず、そのような作物を、買って食べる選択肢は消えました。除草剤(グラフォセイト)と輸入ものの時季外れ野菜は、私の食卓から姿を消しました。
《春の旬、空豆》
菜園作りをして気づいたのは、太陽と水と愛があれば、栄養価が高い、美味しい時季野菜を育てることは比較的簡単なことでした。野菜だけでなく、心休まったりエネルギーを与えてくれる庭のハーブでお茶を飲むことで、地元では採れないコーヒー(カフェイン)を飲みたい欲求がなくなりました。
菜園がまな板へと直結しているため、梱包も冷蔵庫も保存棚の必要がないので、スーパーに行くことが減少しました。
人間の消化機能が分解できない化学物質を胎内に入れないのと同じように、
地球環境が有機的に生分解できないゴミを出さない暮し方がしたい。
そうして、プラスチックに入った過剰包装の食品などは、我が家からどんどんと消えていきました。
野菜消費量が増えるにつれコンポストが増え、それが目に見えるスピードで土壌をさらに肥沃にしていくことで、土壌の大切さを実践で学びました。そこには微生物がたくさん存在し、神秘ともおもえる力で美味しい野菜作りのために昼夜働いていることを知りました。
食べる(生きる)ことで、どんどん健やかな土壌と身体をつくりたい。
人間の腸内環境と善玉菌の関係が、土壌環境と微生物の関係と同じくするものだとわかってからは、乳酸菌ドリンク自宅でつくることを学びました。我が家からすっかりと消えたソフトドリンクやペットボトル製品でしたが、現在は美味しい乳酸菌ドリンクが欠かさずあります。
エコビレッジからオフグリッド生活、インテンショナル・コミュニティへと移動していても、暮らし方は変わらないどころか、どんどん上手になっていきました。地元のオーガニックやファーマーズ・マーケットに行くと、つながる人とどんどんつながり、つながらないことができなくなる。顔が見える(フードマイルの少ない)農作物や生活必需品を上手に買ったり交換できることが容易くなりました。
作り手のエネルギーを感じたものに囲まれ、心でつながる仲間とよりよい生き方を今ここで実践したい。
そうすると、膨大な時間とエネルギー消費量をともなって、地球の反対側から当然のようにやってきて、大手量販店などに並ぶ石油製品をサポートする(お金を落とす)ことがほとんどなくなりました。
《採れたての野菜には、土壌と太陽からの栄養素が豊富》
私もぼちぼちとはじめていますが、有機小作農の間では、エアルーム(古代)種を取り戻し、シードバンク(直訳は「種の銀行」)で種を保存することが一般的になっています。地元の気候と土壌に適し、代々と受け継がれて来た古代種は、品種改良された見栄えの良い作物とは比べ物にならないほど、自然な味がし、必要な生命力を与えてくれます。
次世代を考えた種と土壌の在り方を考えながら、野菜作りをしたい
美しすぎるほどに形が揃った野菜には、生命力を感じないだけでなく、自由さや魅力や美を感じないので、農薬添加された作物を買うことは一切なくなりました。
機会があれば積極的に苗木を植えたい
今年は(あと1ヶ月半を残したところで)、約120本のネイティブとフルーツの苗木を植えました。
完全菜食でいられるのは、ミネラルやビタミンが豊富に含まれた新鮮な有機野菜を食べることで、栄養価が十分足りていると感じているからです。実際に血液検査をしたところ、結果は栄養価はすべて足りているとのことでした。知り合いに一人だけ私と同じ食生活を送っている女性がいるのですが、彼女はドクターから「スーパーヒューマン」と呼ばれているほどです。
自分で採ってこれないものを、食べる必要はないと感じています。例えば、牛を殺して血を流させることは、今やこの心とこの手を持ってはぜったいに出来ません。人間の消費用に生まれ、育てられた生き物を、さあ私が食べるから死になさいと斧をふりあげることはあり得ないでしょう。人に殺傷を頼んでも、動物の身体を食べたいと思いません。しかし、万が一ある生命(動物)が私のところへやってきて、私に頭を垂れて命を捧げてくれるのなら、私は涙をしながらその命をいただくことでしょう。私の判断基準はそれだけです。自分で採ってこれないものは、食べる必要を感じないし、欲しいとも思わないのです。
私が古代人だったなら話しは違うかもしれません。人間が神の領域である森に入り、必要なだけ狩りをし、神に捧げる儀式をした古代には、人は肉を食べる習慣があったのでしょう。でも今は古代ではなく、私は現代人です。人間の食用肉である畜産業のための土地が、地球の土地1/3を占める2016年現在。人間用に消費するための動物を育て、食べ続ける必要があるのかどうかの答えは、私の中では明らかです。
《アメリカでは、食用肉の家畜と場所確保のために、野生馬や野生狼が”始末”される事態が起こっています》
地球上の同志である動物たちの生命が軽んじられているのは、人間自身の生命が軽んじられていることの鏡であり、地球上の緑(愛を象徴する色−酸素であり、全生命体の命そのもの)が分刻みで減っているのは、人間の心に緑(愛)の存在が小さくなったかのように見えているからです。マクロである地球生命体は、単に、人間胎内に存在するミクロのユニバース(宇宙)を映し出しているだけです。私たちの心の在り方で、地球の在り方は変わります。
食を通したスピリチュアルな経験は、これまでのあなたの経験を、より深く高次な視点から人間社会を理解させてくれることでしょう。
《土壌つくりから愛を注いで育ったブロッコリは、地球に膝まずいてキスをしたくなるほど美味》
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☆参考ドコ*目録☆
(*ドキュメンタリー)
『幸せの経済学』 / 原題:"Economics of Happiness" (2011)
http://shiawaseno.net/
原題:"The Farmer and his Prince" (2013) 日本語訳なし
チャールズ皇太子がウェールズのキングになれない理由は、彼自身が有機農業を全面サポートするファーマーであるからだと言われ続けています。皇室レベルでの彼の個人的な取り組みと、水面下で力強く有機農業・研究を支え続ける皇太子の素の姿を描いたドキュメンタリーです。
カウスピラシー / 原題:"Cowspiracy"←Cow 牛<酪農業界+Conspiracy陰謀の造語 森林破壊、砂漠化、海洋汚染などと同様に、現在まさに分刻みで起こっているが報道されない真実 https://www.youtube.com/watch?v=JTcprWbo9N8
グリーン・ビューティフル / 原題:"La belle verte" (1996)
暴力、セックス、ホラーのシーンが無いだけでなく、老若男女性別文化を超え誰でも気兼ねなく観れてきわめて心が豊かになれるユーモアな映画。そのため、ロシア、フランス、オーストラリア、日本などの各国で上映またはダウンロードできなくなっておりご迷惑をおかけしております。
(探せば、日本語翻訳版が存在します)
http://www.disclose.tv/action/viewvideo/157826/La_Belle_Verte__The_Green_Beautiful_English_Subtitles/グリーン・ビューティフル
(以上です♡)
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機能性胃腸障害と生きる(3) [健康]
病院では完治できない原因不明の難病と言われている機能性胃腸障害(機能性ディスペプシア/胃腸障害)。ひとつ前の記事は、こちら→機能性胃腸障害の癒し方。
完治する、とは一体どういう状態のことでしょうか。以前と同じような暮らし方、食べ方をしても、症状がでないことを言うのでしょうか?
どのような不調や病もそうですが、完治をめざして根本療法を続けることで、必ずと言っていいほど生き方が変化します。それは、真に善いものへと近づいて行くプロセス。身体的、心理的、精神的なあらゆる状態を観察し、自分の人生で実体験しながら、善いものは維持させて、不要なものを落として行く道。この連続の作業を、心を込めて本気で毎日繰り返すことで、治癒がはじまります。諸症状が出なくなるころには、考え方や生き方、みずからの生きる哲学のようなものも確立しています。
そうなると、以前と同じような暮らし方や食べ方をすることはありません。たとえ、同じ場所で同じ仕事をしていても、意識の置く場所が違うので、思考や対処の仕方が変わってきます。治療への経験を経ることで、新しい意識が生まれるため、無意識で悪い選択肢を選ぶ(カルマをつくる)ことは、もうありませんし、できません。シンクロニシティとはここで起こるものです。善い思考から発生する善い行動というものは不思議なご縁を次々とひき寄せるパワーが自然的に備わっているため、周りの環境もより善いものへと変わって行くのです。もちろん、自分の内にある恐怖感や不信感がまだ大きい場合は、自分でもよくわからないような屁理屈をぶつくさ言って、天からのギフトをお断りすることも多くあります。
すべての不調や病の源は、人間のマインド(判決を下し、裁き、責め、幸せや〜落胆や〜などと常に考える囚われの心)にあるといわれます。ですから、病院では原因不明の難病と言われるようなものも原因は決して不明ではなく、マインドがクリアになるにつれ明らかになり、病院では治療が難しいと言われたとしても、必ず癒せるものです。
もう一度言います、すべての不調や病の源は、人間のマインド (判決を下し、裁き、責め、幸せや〜落胆や〜などと常に考える囚われの心)にあるといわれます。私は治癒の途中で、たくさんの心と体の専門家、ヒーラーやシャーマンに出逢いましたが、みんな「治せない病なんて存在しない」と言っています。
《ネイティブ・シャーマン、マヌ=サイ(ペルーのシャーマン家系、サチャ・サイ・ババの弟子)》
元気になっては不調が戻り〜の、一歩一歩の繰り返し〜の、実体験を振り返ります。
子ども時代
皮膚と粘膜系のアレルギー持ちで、各種の胃腸薬に精通。定期的にものもらい(目ばちこ)のプチ手術。
中学・高校時代
15歳の左膝手術によって左右の身体バランスを崩す。両親の離婚から精神不安定になり、顔面帯状湿疹を発疹し、危うく左目失明。入院、点滴と抗生物質服用を繰り返すうち、各種臓器が悪化。手指の骨を相次いで折る。過食と拒食を繰り返す。原因不明の目のしこりで、年一度は両目共手術が必要。
20代
胃潰瘍と十二指腸潰瘍、急性腸炎。喉の痛み、扁桃腺の腫れとアレルギー悪化を抑えるために、抗生物質と痛み止めが常備薬。頸椎から仙骨にかけての痛みが激しくなる。
傷ついた過去の記憶が、自らを追い込ませ、人生を牽引する。私を傷つけ(てくれ)る男性(彼氏や上司)や経験や環境を無意識でわざわざ引き寄せる。家庭内暴力を警察に訴えるも、証拠なく却下。その後入院して手術、再手術。仕事とプライベートで常に途上国支援。南米に里子2人を持つ。
2007年(30歳)(約10年前)
夢の到着地点であった経済支援をする国際機関の仕事をしながら、同時に落胆し幻滅。これまで教育を受けて信じきってきた信念体系がガタガタと崩れはじめる。
「すべてが、根本的に、すごくすごく、おかしい?」(←意識のめざめ)
働きながら、有機的な暮しを積極的に取り入れる。胎内に入れるものは無農薬に、身につけるものはオーガニック製品(生理用ナプキン含め)に変える。タイの和尚さんからヴィッパーサナ瞑想を学ぶ。
2009年(32歳)
国際的な組織が世界を変える場ではないと気づいて退職。通学と通信で英語講師の学位を続けて取得し、晴れて転職後に腰痛で倒れ、歩けなくなる。心が傷つき、怒り狂ってる犠牲者な自分がいることをはじめて知る。痛み止めと常備薬をすべて捨て、投薬も入院も手術も二度としないと決心。和道のポールにであい、一日2度の和道瞑想、呼吸法、気功を習慣化。
2011年(34歳)
フルタイムの仕事に復帰するが、胃腸障害と疲労が蓄積。東北地方太平洋沖大震災の精神的ショックで十円ハゲに。自分を激しく責め判決を下そうとするより先に、気づきが訪れるようになる。主人と瞑想で出会い、実際に出逢って、婚約。
2012年(35歳)
PMS(月経前症候群)、パニック発作の悪化。外食や外出が難しくなる。入籍後、フルタイム職から契約仕事に切り替える。
2013年(37歳)
オーストラリアのエコビレッジに移住。南北半極の極移動と、文化と言語と食の大変化で、胃腸障害が急激に悪化。上を向いて口を開けると、空気がずっと出続ける怪奇現象が続く。背骨の痛みで、車に乗ることは難しく、外出不可。夜寝ることができずに、座って眠るようになる。痛みを超越する瞑想をするようになり、二度の禅定体験。
家の両隣が、ナチュロパス、ホメオパス、フラワーレメディ専門家だったので、体調を診てもらうが、誰にも原因がわからない。痛みの対処を自分でするしかなくなる。自然治癒で胆石を流す。胆嚢の機能は生まれつき弱かったことが判明する。人生を構成するすべての総見直しスタート。
2014年(38歳)
ここまで、私の病状に完全無関心(無視)だった旦那さん。理由は、私の病の根源である怖れが、彼が内包する怖れと同調することを、怖れ嫌ったから。当然のことながら私のことも嫌いはじめていました。(「嫌う」という感情の発生源をキャッチ!)これではよくなるものも善くならない、と2人で恐れに対峙しようと宣戦布告(?)する。
毎朝の和道気功の前に、サチャナンダ・ヨガとヨガナンダの呼吸法を追加し、私の症状にあう我流エクササイズがほぼ確立。
日本に帰国した時に、京都上賀茂神社の霊媒師とシンクロ二シティな出逢いをし、その場の流れからお祓いしてもらう。それから、毎日ご先祖供養とホ・オポノポノを習慣化。
豪州に戻り、痛みが出ない食材と食べ方をようやく見つけはじめた途端、固形食を受け付けなくなり、断食。その後しばらくは純粋な水と菜園の野菜でつくるスムージーが主食。
肉類、乳製品類、油物、瓶詰めや缶詰、加工食品を拒否。食べ物に触れるだけで、作り手のエネルギーがわかるようになり、完全菜食、ビーガンに。
瞑想が深くなるにつれ、慈愛から無償の愛がどんどん強く深くなり、ご先祖様やあらゆるスピリットの存在に支えられ今この一瞬を生かされていることに気づいていく。永遠に続くような痛みに、食べることも、食べ物も、もう要らないと思うようになる。「死ぬ前に 一度は健康になりたい」という文が何の意味もなさないことに気づいて、無知だった頃は幸せだったなと感じる。
2015年(39歳)
不調が改善しない深い原因があることを直感で得て、突如、ネイティブのシャーマンに出会うため、東海岸へ旅に出る。旅行中の2015年末、瞑想中に「ペルー」との啓示を受ける。
この間の濃すぎるお話は、オーストラリア大陸9000キロの旅をご参考ください。
2016年(40歳まであと一週間)
40歳までには完治させたいと治癒してきた胃腸障害が、ほとんどなくなりました。原因不明の目のしこりはこの4年は再出しておらず、毎朝の寝起きにいつもあった喉の痛みはありません。以前より寒さに耐えられるようになり、移住後に一度は悪化した花粉症もきわめて軽くなりました。ここ数年は一度も風邪をひいていません。
7年前のある日、薬も、手術も、入院ももう要らない。心の痛みも二度と経験したくないと思って、よく考えもせず直感で根源治療をはじめました。その間、たくさんの人から「あなたのそれが間違っている、これをすべきだ、それはすべきではない、考え方を治すべきだ」などのアドバイスを頂けたことは、食べることも眠ることもままならず、眠っても悪夢に襲われる人の気持ちわかるわけないんだと、静かに観察することを鍛えられました。
今辿り着いた地点から振り返ってみると、長く深かった道のりは、今の私に不要となった数多くのものを手放すための勇気と強さを与え、真実や愛を知る大切な経験を与えてくれたと感じます。今となっては完治することよりも、経験すること自体に意味があったんだと、強く確かに感じます。
人生の今の地点で、私の内部の奥深くにある不調を生み出したエネルギーを、まず思考レベルで手放し、その経験から叡智を受けたいま、瞑想を始めたころから確実に感じてきた「胎内にある太くはびこった根のようなもの」が出て行く準備が完了しました。どのような有機的な流れで、これが自然と身体から出て行くのかは、今は見えていません。
白い生地に染み付いたシミを浮かすかのように、まずは経験を通して心にこびりつき蓄積された記憶を手放す決意と行動(瞑想、祈り)をし、そして過去をリプレイしようとする思考(マインド)と身体の状態を観察しはじめることこそが、より健やかな暮らしの再確認地点です。
もしもあなたが長年の不調に悩まされているひとりであるならば、不調が運んでくる大切なメッセージを心を開いて受け取り、より生きやすい方向への流れを直感でキャッチできる真実の力を取り戻せますようお祈りいたします。
痛みの癒し方、痛みの解放についてはここまで。最後の記事は、スピリチュアルな成長から『機能性胃腸障害』をみています。ご興味のある方はこちらからどうぞ...
〜開いた扉の向こうが暗がりだとしても、怖れない
その向こうに見える光がまぶしくても、怖れない
たんたんと、ただわれを知る道のり、それが人生〜
完治する、とは一体どういう状態のことでしょうか。以前と同じような暮らし方、食べ方をしても、症状がでないことを言うのでしょうか?
どのような不調や病もそうですが、完治をめざして根本療法を続けることで、必ずと言っていいほど生き方が変化します。それは、真に善いものへと近づいて行くプロセス。身体的、心理的、精神的なあらゆる状態を観察し、自分の人生で実体験しながら、善いものは維持させて、不要なものを落として行く道。この連続の作業を、心を込めて本気で毎日繰り返すことで、治癒がはじまります。諸症状が出なくなるころには、考え方や生き方、みずからの生きる哲学のようなものも確立しています。
そうなると、以前と同じような暮らし方や食べ方をすることはありません。たとえ、同じ場所で同じ仕事をしていても、意識の置く場所が違うので、思考や対処の仕方が変わってきます。治療への経験を経ることで、新しい意識が生まれるため、無意識で悪い選択肢を選ぶ(カルマをつくる)ことは、もうありませんし、できません。シンクロニシティとはここで起こるものです。善い思考から発生する善い行動というものは不思議なご縁を次々とひき寄せるパワーが自然的に備わっているため、周りの環境もより善いものへと変わって行くのです。もちろん、自分の内にある恐怖感や不信感がまだ大きい場合は、自分でもよくわからないような屁理屈をぶつくさ言って、天からのギフトをお断りすることも多くあります。
すべての不調や病の源は、人間のマインド(判決を下し、裁き、責め、幸せや〜落胆や〜などと常に考える囚われの心)にあるといわれます。ですから、病院では原因不明の難病と言われるようなものも原因は決して不明ではなく、マインドがクリアになるにつれ明らかになり、病院では治療が難しいと言われたとしても、必ず癒せるものです。
もう一度言います、すべての不調や病の源は、人間のマインド (判決を下し、裁き、責め、幸せや〜落胆や〜などと常に考える囚われの心)にあるといわれます。私は治癒の途中で、たくさんの心と体の専門家、ヒーラーやシャーマンに出逢いましたが、みんな「治せない病なんて存在しない」と言っています。
《ネイティブ・シャーマン、マヌ=サイ(ペルーのシャーマン家系、サチャ・サイ・ババの弟子)》
元気になっては不調が戻り〜の、一歩一歩の繰り返し〜の、実体験を振り返ります。
子ども時代
皮膚と粘膜系のアレルギー持ちで、各種の胃腸薬に精通。定期的にものもらい(目ばちこ)のプチ手術。
中学・高校時代
15歳の左膝手術によって左右の身体バランスを崩す。両親の離婚から精神不安定になり、顔面帯状湿疹を発疹し、危うく左目失明。入院、点滴と抗生物質服用を繰り返すうち、各種臓器が悪化。手指の骨を相次いで折る。過食と拒食を繰り返す。原因不明の目のしこりで、年一度は両目共手術が必要。
20代
胃潰瘍と十二指腸潰瘍、急性腸炎。喉の痛み、扁桃腺の腫れとアレルギー悪化を抑えるために、抗生物質と痛み止めが常備薬。頸椎から仙骨にかけての痛みが激しくなる。
傷ついた過去の記憶が、自らを追い込ませ、人生を牽引する。私を傷つけ(てくれ)る男性(彼氏や上司)や経験や環境を無意識でわざわざ引き寄せる。家庭内暴力を警察に訴えるも、証拠なく却下。その後入院して手術、再手術。仕事とプライベートで常に途上国支援。南米に里子2人を持つ。
2007年(30歳)(約10年前)
夢の到着地点であった経済支援をする国際機関の仕事をしながら、同時に落胆し幻滅。これまで教育を受けて信じきってきた信念体系がガタガタと崩れはじめる。
「すべてが、根本的に、すごくすごく、おかしい?」(←意識のめざめ)
働きながら、有機的な暮しを積極的に取り入れる。胎内に入れるものは無農薬に、身につけるものはオーガニック製品(生理用ナプキン含め)に変える。タイの和尚さんからヴィッパーサナ瞑想を学ぶ。
2009年(32歳)
国際的な組織が世界を変える場ではないと気づいて退職。通学と通信で英語講師の学位を続けて取得し、晴れて転職後に腰痛で倒れ、歩けなくなる。心が傷つき、怒り狂ってる犠牲者な自分がいることをはじめて知る。痛み止めと常備薬をすべて捨て、投薬も入院も手術も二度としないと決心。和道のポールにであい、一日2度の和道瞑想、呼吸法、気功を習慣化。
2011年(34歳)
フルタイムの仕事に復帰するが、胃腸障害と疲労が蓄積。東北地方太平洋沖大震災の精神的ショックで十円ハゲに。自分を激しく責め判決を下そうとするより先に、気づきが訪れるようになる。主人と瞑想で出会い、実際に出逢って、婚約。
2012年(35歳)
PMS(月経前症候群)、パニック発作の悪化。外食や外出が難しくなる。入籍後、フルタイム職から契約仕事に切り替える。
2013年(37歳)
オーストラリアのエコビレッジに移住。南北半極の極移動と、文化と言語と食の大変化で、胃腸障害が急激に悪化。上を向いて口を開けると、空気がずっと出続ける怪奇現象が続く。背骨の痛みで、車に乗ることは難しく、外出不可。夜寝ることができずに、座って眠るようになる。痛みを超越する瞑想をするようになり、二度の禅定体験。
家の両隣が、ナチュロパス、ホメオパス、フラワーレメディ専門家だったので、体調を診てもらうが、誰にも原因がわからない。痛みの対処を自分でするしかなくなる。自然治癒で胆石を流す。胆嚢の機能は生まれつき弱かったことが判明する。人生を構成するすべての総見直しスタート。
2014年(38歳)
ここまで、私の病状に完全無関心(無視)だった旦那さん。理由は、私の病の根源である怖れが、彼が内包する怖れと同調することを、怖れ嫌ったから。当然のことながら私のことも嫌いはじめていました。(「嫌う」という感情の発生源をキャッチ!)これではよくなるものも善くならない、と2人で恐れに対峙しようと宣戦布告(?)する。
毎朝の和道気功の前に、サチャナンダ・ヨガとヨガナンダの呼吸法を追加し、私の症状にあう我流エクササイズがほぼ確立。
日本に帰国した時に、京都上賀茂神社の霊媒師とシンクロ二シティな出逢いをし、その場の流れからお祓いしてもらう。それから、毎日ご先祖供養とホ・オポノポノを習慣化。
豪州に戻り、痛みが出ない食材と食べ方をようやく見つけはじめた途端、固形食を受け付けなくなり、断食。その後しばらくは純粋な水と菜園の野菜でつくるスムージーが主食。
肉類、乳製品類、油物、瓶詰めや缶詰、加工食品を拒否。食べ物に触れるだけで、作り手のエネルギーがわかるようになり、完全菜食、ビーガンに。
瞑想が深くなるにつれ、慈愛から無償の愛がどんどん強く深くなり、ご先祖様やあらゆるスピリットの存在に支えられ今この一瞬を生かされていることに気づいていく。永遠に続くような痛みに、食べることも、食べ物も、もう要らないと思うようになる。「死ぬ前に 一度は健康になりたい」という文が何の意味もなさないことに気づいて、無知だった頃は幸せだったなと感じる。
2015年(39歳)
不調が改善しない深い原因があることを直感で得て、突如、ネイティブのシャーマンに出会うため、東海岸へ旅に出る。旅行中の2015年末、瞑想中に「ペルー」との啓示を受ける。
この間の濃すぎるお話は、オーストラリア大陸9000キロの旅をご参考ください。
2016年(40歳まであと一週間)
40歳までには完治させたいと治癒してきた胃腸障害が、ほとんどなくなりました。原因不明の目のしこりはこの4年は再出しておらず、毎朝の寝起きにいつもあった喉の痛みはありません。以前より寒さに耐えられるようになり、移住後に一度は悪化した花粉症もきわめて軽くなりました。ここ数年は一度も風邪をひいていません。
7年前のある日、薬も、手術も、入院ももう要らない。心の痛みも二度と経験したくないと思って、よく考えもせず直感で根源治療をはじめました。その間、たくさんの人から「あなたのそれが間違っている、これをすべきだ、それはすべきではない、考え方を治すべきだ」などのアドバイスを頂けたことは、食べることも眠ることもままならず、眠っても悪夢に襲われる人の気持ちわかるわけないんだと、静かに観察することを鍛えられました。
今辿り着いた地点から振り返ってみると、長く深かった道のりは、今の私に不要となった数多くのものを手放すための勇気と強さを与え、真実や愛を知る大切な経験を与えてくれたと感じます。今となっては完治することよりも、経験すること自体に意味があったんだと、強く確かに感じます。
人生の今の地点で、私の内部の奥深くにある不調を生み出したエネルギーを、まず思考レベルで手放し、その経験から叡智を受けたいま、瞑想を始めたころから確実に感じてきた「胎内にある太くはびこった根のようなもの」が出て行く準備が完了しました。どのような有機的な流れで、これが自然と身体から出て行くのかは、今は見えていません。
白い生地に染み付いたシミを浮かすかのように、まずは経験を通して心にこびりつき蓄積された記憶を手放す決意と行動(瞑想、祈り)をし、そして過去をリプレイしようとする思考(マインド)と身体の状態を観察しはじめることこそが、より健やかな暮らしの再確認地点です。
もしもあなたが長年の不調に悩まされているひとりであるならば、不調が運んでくる大切なメッセージを心を開いて受け取り、より生きやすい方向への流れを直感でキャッチできる真実の力を取り戻せますようお祈りいたします。
痛みの癒し方、痛みの解放についてはここまで。最後の記事は、スピリチュアルな成長から『機能性胃腸障害』をみています。ご興味のある方はこちらからどうぞ...
〜開いた扉の向こうが暗がりだとしても、怖れない
その向こうに見える光がまぶしくても、怖れない
たんたんと、ただわれを知る道のり、それが人生〜
機能性胃腸障害の癒し方(2) [健康]
悩ましいのは慢性の胃腸障害...
小さい頃のお腹痛い記憶は非常にたくさんあって、10歳すぎくらいから祖父母の胃腸薬や整腸剤をもらって飲み始め、30歳過ぎまで西洋医薬に依存していました。
治癒までの最後6年間は、自然治癒法のみで、おもに生活をすべて見直しました。おかげで、仕事が変わり、独身から結婚し、住む国が変わり、使う言葉が変わり、すべてのものが有機に、生き方も有機に、ほんとうに人生の風景がすっかりと変わりました。
治癒への一番効果的なメディスンは、心を込めた本気の決意です。私のようにもしも西洋処方医薬を一切断つ決心をしたのなら、自分の人生で起こるすべてのことに自己責任を持つことが必須です。(病気だろうが健康だろうが、自分の人生で起こるすべてのことに自己責任を持つことは当然です。責めることからも解放されよう)
波音が聞こえ、水平線が見えるベランダから、本日も、胃腸性障害が治癒を祝う記事を書いておるところです。前記事に引き続き(《機能性胃腸障害とは?》)、本日は(2)。
自然治癒のみで改善を目指したい方に向けて、簡単に取り入れられる知恵をご紹介します。少し意識をするだけで、日々の痛みの減少に役立つかもしれませんが、本格的に実践されるなら、もちろん担当の自然治療専門家にご相談されるのがよいでしょう。
目指す先は、
★あらゆる化学的な薬剤の胎内流入を止め、これ以上もう蓄積させないこと★
食べ物編
−地元(または自宅)で採れる、新鮮な旬の無農薬野菜に切り替える
農薬や除草剤の身体への影響を知る。
収穫後できるだけはやく採る方法をみつけ出し、休日だけでも良いから実践してみる
(↑ここで「無理っ」て言わない)
−生きている水を飲む
できる限り、天然水を選ぶ。水道水フッ化物添加の入った水は、波動の高い水に転換。
言霊だけで波動は変わる(ペットボトルの水は、例え「聖水」と書かれていても生キテナイ)
−日本古来、地元の発酵食品を採る
味噌や自家製の糠漬けなど、酵母菌を積極的に採り入れ、腸内善玉菌を増やす
※症状が最悪の場合※
一度煮沸して冷ましたぬるま湯を飲む
薄い有機緑茶(鎮静剤)か番茶(私の場合は、庭のハーブを直感で採る)
落ち着いてきたら、生きている野菜のぬるいスムージー、白米のおも湯からお粥と、梅干しを
(↓下記に挙げるものは、症状が落ち着くまで控えるべきもの。
採りたい場合は、症状が落ち着いてから、緑字のものを努めて採る↓)
−魚貝類
基本は、甲殻類と養殖場育ちものを避ける。
どうしても採りたい場合は、食物連鎖の下層にいる小さめの魚(イワシなど)を選ぶ。
−乳製品類
基本は採らない、胃腸が弱っているときのラクトースは避けて安全。
どうしても採りたい場合は、有機やバイオダイナミック製法のもの
−穀類や種、ナッツ類
かみ砕いてもナッツの破片は胃壁を刺激する。
どうしても採りたい場合は、浸水させ、活性させたもの
浸水、発芽させる「活性化」には善い効果ばかり フィチン酸とは?
−肉類
基本は、できるだけ可能な限りとにかく避ける。
どうしても採りたい場合はホルモン注射されず、自由に育った家畜類
食肉プロテイン神話やタンパク質神話について調べてみる
−ドライフルーツ
基本は、新鮮なフルーツを採る。
どうしても採りたい場合は、旬に採れって作られた無農薬・無添加のドライフルーツまたは自宅のベランダでフルーツを夏場に日干ししてみる
−添加物
基本は、化学調味料、添加物、色素、甘味料などを避ける。
添加物が入っている出来あいのお惣菜やパッケージされたものも避ける。
−刺激の強い野菜
胃腸不調時のキムチ、カレーや揚げ物類は、胃腸をさらに荒らす
−これまでに食あたりを起こしたことのある食品
−前日調理された残り物
※どうして緑文字のものがベターなのかは、どうぞグーグルしてご自身で見つけてください。健康を維持するために有効な多くの知識を得られるはずです。
+++++++
治療中は避けるべきもの
(治療を終えても、健康維持のために控えるべきもの)
白砂糖
精製粉
アルコール
カフェイン
ソフトドリンク
チョコレート
アイスクリームなどの冷たいもの
熱した油(炒め物、油もの)
農薬や除草剤が添付された食品全般
大量製品、パッケージされた食品
(=何年も前に、地球の反対側にある工場で生産されたものは避けたい)
+++++++
−食事は一日に複数回に分け、少量をこまめに採る
お腹は八分目などと言わず、三分目でも善い。消化にかかえるエネルギー負担を抑える
−ゆっくり噛んで食べる
参考:フレッチャーの粗食主義
−食事の姿勢を整える
お腹をまっすぐにし、猫背に気をつける
−なにを、どれだけ、いつ食べたいかを、心に聴く(少なくとも癖をつける)_
朝、正午、夜と、三食きっちり食べなくちゃと、プレッシャーをかけない
−一日最後の食事は、できるだけ太陽が沈む前に済ませる
−食べる環境
好みのうつわ、好みの場所で、愛する人=基本は私自身と心をこめていただく
※治療に掛かる時間も含め、すべてが個人個人で変わります。治癒のしかたは自分で見つけるしかありません。食事をクリアなものに変えていくだけで、適量で満足できるようになり、身体が軽くなり心が澄むににつれて、自分の身体が、何をどう欲しているかは、次第にわかるようになります。
日常生活編
−空気清浄材、消臭剤、香水、香料
自然由来に変える。使わないのが最善 または自分でつくる。
→食べるものが変わることで(=胎内の環境汚染が浄化されるにつれ)体臭が減る
それよりも、自然の身体の香りが心地よくなり、清浄材が不要になる
−石油系のシャンプー パーマ液 まつ毛パーマ液 毛染め 化粧品類
以前にも、使い方などを書きましたが、作るのは意外に簡単です。
市販のものを使う場合は、できるだけ自然由来の製品にする。
私のまつ毛が短く、上にカールしていないの不思議らしくて、見つめてくる人が多いです。少しとがったほお骨、小さくて低い鼻は、私が今生日本人として生きる両親と神様からの贈り物。
−石油系生理パッドは、オーガニックコットン等の自然由来のものに変える
−洋服、ベッド、壁紙、あらゆる製品に使われている石油化学系物質を避ける
−化学的な洗浄剤、清浄剤、ドライクリーニングの使用を控え、自然由来のものに変える。
上記の赤字をご自身でグーグルしてみると、新しく健康な自分に貢献する情報を見つけられることでしょう。
これまでの生活を今すぐ変えることはありません。今使っているものの原料を調べてみたり、生産地や生産過程を知ってみたり、製品が手元にやってくるまでの経路や関わってきた人に関心を寄せることだけでも、生活が変わってきます。これ以外にも、健康の為にできることはいろいろあるでしょう。
どこでも・いつでも編
−静寂の時間を持つ モバイルを手放して、己の心と一緒に座る時間をつくる 静寂に慣れる。
−深く意識的な呼吸 たくさんの呼吸法があります。まずは深呼吸から。
−効率の善い体操 ヨガ、体操、エクササイズ、気功、太極拳等、試して合うものにであう
−空あくび 寝る前と起床後はとくに努めてからあくびする
−笑う 理由なくただ笑う副作用は大爆笑
−お腹を暖める 自然温湿布、お風呂、湯たんぽ
−アーシング(グラウンディング) はだしになって大地に立ち、身体にたまった電磁波を放出します。
−サン・ゲージング 日の出や日の入りの太陽を数秒見つめるものです。
ヒラ・ラタン・マネク氏が提唱する太陽凝視法など、正しい方法をグーグルしてから行ってください。
−森林浴 欧米では、日本からやってきた Forest Bathing の健康への効果が発見されています。
−ガーデニング、ないし庭や畑に立つ 健やかな庭に立つことだけでも健康への一歩。
お庭のお花畑(フローラ)と、腸内細菌環境(フローラ)は同調しているといわれ、ガーデニングや畑の土壌に触れるだけでも、鬱や精神疾患の改善に役立つ研究結果(英語)も発表されています。
−痛いツボは押す
中村天風哲学より
−潜在意識からのアプローチ
☆慈悲の瞑想でカルマを昇華させる
☆ホ・オポノポノで、潜在意識をクリーニングする
☆和道で人生棚卸しから意義ある人生へ
‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
不調になった原因を、責めたいと感じていますか?あの企業や、政府や、誰ぞや、私が悪かった??
健康状態を知り、改善や開放(解放)に向かう道のりは、自分の内に「責める」という根深い意識が存在するということに、気づくチャンスでもありです。責め、恨み、嫌い、コントロールする姿勢は、他の誰でもなく自分をいちばん苦しめ、これが病や不調を発生させるエネルギーとなります。
あらゆる症状と感情は、あなただけの先生となって、たくさんのことを教えてくれますが、教えてくださいというまでは、病や不調は、まるで自分を苛めるためだけにやってきた悪者かのように感じるものです。
身体に現れている症状を見つめ、善き方向へと舵をとることは、これらのネガティブな感情を手放すことと、直につながっています。許せないことを、いつまでも怒って悲しみ続ける効果的な理由は見当たりますか?ゆるし、愛し、慈しむポジティブな感情を育ててくれるのも、不調の役目でもあるのです。
善い悪い、重い軽い、苦しみ喜びなど、自分の内側に存在する両極の概念を見直してみると、生きる上で不可欠な両極は、ただ補完し合ってひとつとして存在しているものだということに気づくでしょう。光があれば影がある(物質の因果関係)、そして低いものがあれば高いものもある(相対)。ただそれだけのこと。人生の大切な要素です。
身体、心、存在、、、どれからのアプローチも重要で、そしてすべては果てしなく深く繋がっています。どこからはじめても、どれくらい続けても、つながっているものなので、離したり切ったりすることはもうできません。
ひとつの身体で起こる小さな不調は、ぜんたいの不調とつながっています。
それぞれの「今の私という存在」から、大切なことは学べるようになっているのです。
今の現代人が持つそれぞれの健康状態は、食や生活習慣だけから構成されたのではなく、家族や同僚や仕事とのつきあい方だでけもなく、政府や社会全体の在り方だけでもなく、六世代前のご先祖さまの生き様だけでもなく、地球全体の在り方へとつながっているものです。あなたも、私も、この地球存在を構成する不可欠なパーツであることを、実はあなたのその痛みが教えてくれているとしたら...
最後になりますがご紹介します、
今は圧倒される必要はなく、目の前にあることを少しずつ、できることだけをやっていくことが、治癒への確実な一歩です。健康へ一歩ずつ歩みを進めることで、生活風景が少しずつ変わってくるでしょう。考え方、話し方、聞き方、人生の選択をする際の心の基準、人間力、そういったものが変わってくるのは、大切なものに気づいたときです。無理に人生の方向転換する必要はありませんし、できません。人生は、自然な流れで次第に方向を見せてくれるようになります。
この記事を読みながら、「私の今の生活で、実行するのは無理やわ〜」とお感じになったら、そう、わかります!私も無理でした。私が生活を変えなくちゃと、心が動きだしたのは、国際機関で勤務していた時です。持参する植物は枯れ、私の心も枯れ、毎日腹痛と疲労を携帯して満員の通勤電車で世田谷から日比谷公園のオフィスまで通っていました。上記に挙げたようなことを、自分なりに工夫し、タイミングが合うときに実践してきました。変化が実際に目に見えるようになってきたのは、それからだいぶ経ってのことでした。
この記事を書いている今日は、あれから9年ほど経過しています。今ではカラダがより軽くクリアになるにつれ、マインドがその声をより明確にキャッチし、安心してカラダの声に頼ることができます。より健やかに、そしてすべてを統合して嘘のないよりクリアな人生をめざしていきましょう!
‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
長くなりましたが、おつきあいありがとうございます。
あなたの健康に少しでもお役に立てる内容があれば幸いです。
次の記事にて、治癒までの道、私の場合 をご紹介します。
小さい頃のお腹痛い記憶は非常にたくさんあって、10歳すぎくらいから祖父母の胃腸薬や整腸剤をもらって飲み始め、30歳過ぎまで西洋医薬に依存していました。
治癒までの最後6年間は、自然治癒法のみで、おもに生活をすべて見直しました。おかげで、仕事が変わり、独身から結婚し、住む国が変わり、使う言葉が変わり、すべてのものが有機に、生き方も有機に、ほんとうに人生の風景がすっかりと変わりました。
治癒への一番効果的なメディスンは、心を込めた本気の決意です。私のようにもしも西洋処方医薬を一切断つ決心をしたのなら、自分の人生で起こるすべてのことに自己責任を持つことが必須です。(病気だろうが健康だろうが、自分の人生で起こるすべてのことに自己責任を持つことは当然です。責めることからも解放されよう)
波音が聞こえ、水平線が見えるベランダから、本日も、胃腸性障害が治癒を祝う記事を書いておるところです。前記事に引き続き(《機能性胃腸障害とは?》)、本日は(2)。
自然治癒のみで改善を目指したい方に向けて、簡単に取り入れられる知恵をご紹介します。少し意識をするだけで、日々の痛みの減少に役立つかもしれませんが、本格的に実践されるなら、もちろん担当の自然治療専門家にご相談されるのがよいでしょう。
目指す先は、
★あらゆる化学的な薬剤の胎内流入を止め、これ以上もう蓄積させないこと★
食べ物編
−地元(または自宅)で採れる、新鮮な旬の無農薬野菜に切り替える
農薬や除草剤の身体への影響を知る。
収穫後できるだけはやく採る方法をみつけ出し、休日だけでも良いから実践してみる
(↑ここで「無理っ」て言わない)
−生きている水を飲む
できる限り、天然水を選ぶ。水道水フッ化物添加の入った水は、波動の高い水に転換。
言霊だけで波動は変わる(ペットボトルの水は、例え「聖水」と書かれていても生キテナイ)
−日本古来、地元の発酵食品を採る
味噌や自家製の糠漬けなど、酵母菌を積極的に採り入れ、腸内善玉菌を増やす
※症状が最悪の場合※
一度煮沸して冷ましたぬるま湯を飲む
薄い有機緑茶(鎮静剤)か番茶(私の場合は、庭のハーブを直感で採る)
落ち着いてきたら、生きている野菜のぬるいスムージー、白米のおも湯からお粥と、梅干しを
(↓下記に挙げるものは、症状が落ち着くまで控えるべきもの。
採りたい場合は、症状が落ち着いてから、緑字のものを努めて採る↓)
−魚貝類
基本は、甲殻類と養殖場育ちものを避ける。
どうしても採りたい場合は、食物連鎖の下層にいる小さめの魚(イワシなど)を選ぶ。
−乳製品類
基本は採らない、胃腸が弱っているときのラクトースは避けて安全。
どうしても採りたい場合は、有機やバイオダイナミック製法のもの
−穀類や種、ナッツ類
かみ砕いてもナッツの破片は胃壁を刺激する。
どうしても採りたい場合は、浸水させ、活性させたもの
浸水、発芽させる「活性化」には善い効果ばかり フィチン酸とは?
−肉類
基本は、できるだけ可能な限りとにかく避ける。
どうしても採りたい場合はホルモン注射されず、自由に育った家畜類
食肉プロテイン神話やタンパク質神話について調べてみる
−ドライフルーツ
基本は、新鮮なフルーツを採る。
どうしても採りたい場合は、旬に採れって作られた無農薬・無添加のドライフルーツまたは自宅のベランダでフルーツを夏場に日干ししてみる
−添加物
基本は、化学調味料、添加物、色素、甘味料などを避ける。
添加物が入っている出来あいのお惣菜やパッケージされたものも避ける。
−刺激の強い野菜
胃腸不調時のキムチ、カレーや揚げ物類は、胃腸をさらに荒らす
−これまでに食あたりを起こしたことのある食品
−前日調理された残り物
※どうして緑文字のものがベターなのかは、どうぞグーグルしてご自身で見つけてください。健康を維持するために有効な多くの知識を得られるはずです。
+++++++
治療中は避けるべきもの
(治療を終えても、健康維持のために控えるべきもの)
白砂糖
精製粉
アルコール
カフェイン
ソフトドリンク
チョコレート
アイスクリームなどの冷たいもの
熱した油(炒め物、油もの)
農薬や除草剤が添付された食品全般
大量製品、パッケージされた食品
(=何年も前に、地球の反対側にある工場で生産されたものは避けたい)
+++++++
−食事は一日に複数回に分け、少量をこまめに採る
お腹は八分目などと言わず、三分目でも善い。消化にかかえるエネルギー負担を抑える
−ゆっくり噛んで食べる
参考:フレッチャーの粗食主義
−食事の姿勢を整える
お腹をまっすぐにし、猫背に気をつける
−なにを、どれだけ、いつ食べたいかを、心に聴く(少なくとも癖をつける)_
朝、正午、夜と、三食きっちり食べなくちゃと、プレッシャーをかけない
−一日最後の食事は、できるだけ太陽が沈む前に済ませる
−食べる環境
好みのうつわ、好みの場所で、愛する人=基本は私自身と心をこめていただく
※治療に掛かる時間も含め、すべてが個人個人で変わります。治癒のしかたは自分で見つけるしかありません。食事をクリアなものに変えていくだけで、適量で満足できるようになり、身体が軽くなり心が澄むににつれて、自分の身体が、何をどう欲しているかは、次第にわかるようになります。
日常生活編
−空気清浄材、消臭剤、香水、香料
自然由来に変える。使わないのが最善 または自分でつくる。
→食べるものが変わることで(=胎内の環境汚染が浄化されるにつれ)体臭が減る
それよりも、自然の身体の香りが心地よくなり、清浄材が不要になる
−石油系のシャンプー パーマ液 まつ毛パーマ液 毛染め 化粧品類
以前にも、使い方などを書きましたが、作るのは意外に簡単です。
市販のものを使う場合は、できるだけ自然由来の製品にする。
私のまつ毛が短く、上にカールしていないの不思議らしくて、見つめてくる人が多いです。少しとがったほお骨、小さくて低い鼻は、私が今生日本人として生きる両親と神様からの贈り物。
−石油系生理パッドは、オーガニックコットン等の自然由来のものに変える
−洋服、ベッド、壁紙、あらゆる製品に使われている石油化学系物質を避ける
−化学的な洗浄剤、清浄剤、ドライクリーニングの使用を控え、自然由来のものに変える。
上記の赤字をご自身でグーグルしてみると、新しく健康な自分に貢献する情報を見つけられることでしょう。
これまでの生活を今すぐ変えることはありません。今使っているものの原料を調べてみたり、生産地や生産過程を知ってみたり、製品が手元にやってくるまでの経路や関わってきた人に関心を寄せることだけでも、生活が変わってきます。これ以外にも、健康の為にできることはいろいろあるでしょう。
どこでも・いつでも編
−静寂の時間を持つ モバイルを手放して、己の心と一緒に座る時間をつくる 静寂に慣れる。
−深く意識的な呼吸 たくさんの呼吸法があります。まずは深呼吸から。
−効率の善い体操 ヨガ、体操、エクササイズ、気功、太極拳等、試して合うものにであう
−空あくび 寝る前と起床後はとくに努めてからあくびする
−笑う 理由なくただ笑う副作用は大爆笑
−お腹を暖める 自然温湿布、お風呂、湯たんぽ
−アーシング(グラウンディング) はだしになって大地に立ち、身体にたまった電磁波を放出します。
−サン・ゲージング 日の出や日の入りの太陽を数秒見つめるものです。
ヒラ・ラタン・マネク氏が提唱する太陽凝視法など、正しい方法をグーグルしてから行ってください。
−森林浴 欧米では、日本からやってきた Forest Bathing の健康への効果が発見されています。
−ガーデニング、ないし庭や畑に立つ 健やかな庭に立つことだけでも健康への一歩。
お庭のお花畑(フローラ)と、腸内細菌環境(フローラ)は同調しているといわれ、ガーデニングや畑の土壌に触れるだけでも、鬱や精神疾患の改善に役立つ研究結果(英語)も発表されています。
−痛いツボは押す
中村天風哲学より
−潜在意識からのアプローチ
☆慈悲の瞑想でカルマを昇華させる
☆ホ・オポノポノで、潜在意識をクリーニングする
☆和道で人生棚卸しから意義ある人生へ
‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
不調になった原因を、責めたいと感じていますか?あの企業や、政府や、誰ぞや、私が悪かった??
健康状態を知り、改善や開放(解放)に向かう道のりは、自分の内に「責める」という根深い意識が存在するということに、気づくチャンスでもありです。責め、恨み、嫌い、コントロールする姿勢は、他の誰でもなく自分をいちばん苦しめ、これが病や不調を発生させるエネルギーとなります。
あらゆる症状と感情は、あなただけの先生となって、たくさんのことを教えてくれますが、教えてくださいというまでは、病や不調は、まるで自分を苛めるためだけにやってきた悪者かのように感じるものです。
身体に現れている症状を見つめ、善き方向へと舵をとることは、これらのネガティブな感情を手放すことと、直につながっています。許せないことを、いつまでも怒って悲しみ続ける効果的な理由は見当たりますか?ゆるし、愛し、慈しむポジティブな感情を育ててくれるのも、不調の役目でもあるのです。
善い悪い、重い軽い、苦しみ喜びなど、自分の内側に存在する両極の概念を見直してみると、生きる上で不可欠な両極は、ただ補完し合ってひとつとして存在しているものだということに気づくでしょう。光があれば影がある(物質の因果関係)、そして低いものがあれば高いものもある(相対)。ただそれだけのこと。人生の大切な要素です。
身体、心、存在、、、どれからのアプローチも重要で、そしてすべては果てしなく深く繋がっています。どこからはじめても、どれくらい続けても、つながっているものなので、離したり切ったりすることはもうできません。
ひとつの身体で起こる小さな不調は、ぜんたいの不調とつながっています。
それぞれの「今の私という存在」から、大切なことは学べるようになっているのです。
今の現代人が持つそれぞれの健康状態は、食や生活習慣だけから構成されたのではなく、家族や同僚や仕事とのつきあい方だでけもなく、政府や社会全体の在り方だけでもなく、六世代前のご先祖さまの生き様だけでもなく、地球全体の在り方へとつながっているものです。あなたも、私も、この地球存在を構成する不可欠なパーツであることを、実はあなたのその痛みが教えてくれているとしたら...
最後になりますがご紹介します、
『自然界にいて誰も拒否することができない、6つの癒す者』
太陽光
純粋な水
栄養のある食
十分な休息
新鮮な空気
エクササイズ
今は圧倒される必要はなく、目の前にあることを少しずつ、できることだけをやっていくことが、治癒への確実な一歩です。健康へ一歩ずつ歩みを進めることで、生活風景が少しずつ変わってくるでしょう。考え方、話し方、聞き方、人生の選択をする際の心の基準、人間力、そういったものが変わってくるのは、大切なものに気づいたときです。無理に人生の方向転換する必要はありませんし、できません。人生は、自然な流れで次第に方向を見せてくれるようになります。
この記事を読みながら、「私の今の生活で、実行するのは無理やわ〜」とお感じになったら、そう、わかります!私も無理でした。私が生活を変えなくちゃと、心が動きだしたのは、国際機関で勤務していた時です。持参する植物は枯れ、私の心も枯れ、毎日腹痛と疲労を携帯して満員の通勤電車で世田谷から日比谷公園のオフィスまで通っていました。上記に挙げたようなことを、自分なりに工夫し、タイミングが合うときに実践してきました。変化が実際に目に見えるようになってきたのは、それからだいぶ経ってのことでした。
この記事を書いている今日は、あれから9年ほど経過しています。今ではカラダがより軽くクリアになるにつれ、マインドがその声をより明確にキャッチし、安心してカラダの声に頼ることができます。より健やかに、そしてすべてを統合して嘘のないよりクリアな人生をめざしていきましょう!
‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
長くなりましたが、おつきあいありがとうございます。
あなたの健康に少しでもお役に立てる内容があれば幸いです。
次の記事にて、治癒までの道、私の場合 をご紹介します。
機能性胃腸障害とは(1) [健康]
『内視鏡検査(胃カメラ等)や血液検査をしても、胃や大腸などに炎症や潰瘍、がんなどの異常が認められないにも関わらず、胃の痛み・もたれなどの症状がある病気を「機能性胃腸障害:(FGID:Functional gastrointestinal disorder)」といいます。』
「現代病」のひとつである機能性胃腸障害は、本日も気分障害とアレルギーと共に全国各地で流行っています。日本人の4人1人はこの症状を持つといわれ、慢性胃炎や神経性胃炎、胃腸炎、さらには十二指腸潰瘍という特定の症状が見られない(または、それらの症状を一度は改善した)にも関わらず、吐き気、ムカムカ、胸焼け、食欲不振、ガス感などの症状が続きます。胃自体にではなく心理的な原因が大きいともいわれ、薬が効きにくく、慢性化しやすいのが特徴です。
日本ではまだ知名度は低いのですが、カンジダ症からLGSリーキーガット症候群や、IBS(過敏性腸症候群)を併発するなど、胃腸機能の低下で他の様々な不調を引き起こしやすい。24時間不調ですか状態は不眠に直結。また、胃調性機能障害を持つ多くの方は、同時に食物アレルギーを持っている結果が出ているそうでう。女性の場合、PMS(月経前症候群)や生理痛と重なると、身体的苦痛に加えて、精神的不安定状態が続きます。イライラ、怒りっぽい、自責などの習慣的思考から、自閉症や不安神経症(うつなど)、不眠症と、精神にも影響します。
2007年に安倍晋三が内閣総理大臣を辞任した理由も、機能性胃腸障害です。
胎内において、大震災と洪水と火事と台風とが同時多発的に起きる大惨事。原因は、現代人の暮しにある。すなわち、現代食、現代生活、自然汚染、ストレス。、、、って、生きてる現場じゃないか(涙)ほとんどの方が、治癒できるものではないと考えているようで、完治する人も多くはないようです。癒しを目指す本人にとっては辛い日常問題です。
オフィスで下腹部をさすりながら、取引先とのミーティングで胃痛を感じながら、イライラが爆発しそうになりながら、金曜終電で疲労困憊しながら気がつくと月曜の朝。とにかく病院にいって医者に診てもらい、処方薬をまた飲みはじめる。イライラ発散のため、暴飲暴食や、仕事・嗜好品・買い物・ギャンブルなどの中毒になり、自ら病の関係性をこんがらがらせてしまう人も少なくありません。
こんなに情報が出回り、新しい新薬が開発され、また新しい病院が建ったのに、治癒までの道は長くなるばかり。治癒することと、情報量と新薬と病院の数との関係性って、なんだろう?←よ〜く考えよう。不調の治癒のためには、情報の洪水に鵜呑みにされるのではなく、自らの思考をもう一度使うことは必須です。忙しさにかまけていると、自動操縦ラインに逆戻りです。当たり前になりすぎた現代病は、いづれ、癌、脳卒中、心臓病と、研究結果通りに現代人の常連死因トップ3へとつながっていきます。この結果を見て、本気で憂う製薬会社の重役やドクターなどいるのでしょうか。
現代社会に普及している製薬は、近代で急激にひろまったものです。よく考えると、私たちの祖父母世代以前には、いわゆる食の智慧や生薬としての植物の智慧をたくさんありました。日本だけではなく、諸外国のお友達のおじいちゃんや、ひいおばあちゃんの暮しについて訊いてみると、きっと何かしらの魔法使い的智慧が蘇るはずです。今も手に入れたい意思があれば手に入れられるので、なくなってはいないのですけれどね。
人をわざと病にしたり呪うような薬や人をのぞいては、製薬や病院は悪者ではありません。忙しい生活を理由にして、製薬にはつきものの副作用のこと、そして人間には本来自然治癒力というものが備わっていることを忘れてはいけません。私たちがひとつずつ与えられた身体、人生、いのちのことを、今目の前に座っている自分じゃない誰かが知っているわけありませんん。まず、私たちが自分のことをよく知らなくては、良くなるものも善くなれません。不調は、私たちという存在をもう一度愛す方法を教えてくれる、タフな先生です。そしてアドバイスは自然治癒やホリスティックな治療家に、尋ねるべきです。今しばらく対症療法を希望したい場合は、処方医薬をたくさん買わせてくれるお医者さまがいる病院を訪ねましょう。
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アメリカでは、機能性胃腸障害がポピュラーと聞いたことがありますが、さて、私の住むここオーストラリアの南部での現状をお話します。
比較でわかりやすくなるか不明ですが、単純に日本の都市部とここを比べると、まずオーストラリア人は身体的に健康な人が多い印象です。自然と共存する職業(農林水産業、土木建築業)に就いている人が多いので、身体を動かせないオフィスで働くことは不健康だと感じる風潮があります。身体的な病気は病院へ行かずに気合いで治すような、元気な働き者世代がほとんどです。慢性的な不調を抱えていて、病院と薬局の薬漬けな人もいますが、食や生活習慣を見直し、意識を変えてみるなど、人生全体の見直しを行いながら、根源治癒にあたっている人を多く見かけます。
(日本の国民健康保険制度との違いもありますが、)多くの人が、お金がもったいないから、または製薬を飲みたくないから、のどちらかの理由で病院へ行くのを避けています。どちらかというと、病の原因となった不調の根源を見直そうと、心理的や精神的な治癒・ヒーリングを受ける人が多い印象を受けます。ヒーリング方法はかなり豊富で、ヒーラーやセラピストは必要とされています。いわゆる、お祓いやご祈祷もこちらには数多くあります。アボリジニの長老が、時々私たちの近くにもやってきてくれて、セッションをすることもあります。
個人や家庭レベルでの家庭無農薬菜園、ナチュラルライフやスローライフの実践は、オーストラリアだけでなく、これまでも世界各地でずっと続いています。家の庭に、無農薬で、新鮮で、旬の野菜や果物を育て、食べたいときに食べたいだけ採る。栄養価は最高値で、過剰は分け合うか、コンポスト。パッケージなどのゴミ量はゼロです。日本の福岡正信氏のパーマカルチャーは、オーストラリア国民に幅広く広がっています。また、オーガニック食物の市場へのさらなる普及は、オーガニック食品店が増えたり、(オーストラリアではまだ真新しい)Co-opのお店ができたり、スーパーにオーガニックセクションが出来たりと、目に見える形で広がっています。(記憶にも新しいかと思いますが、オランダでは2016年7月、食品安全法により土壌への化学肥料の使用が禁止されました)
エネルギー消費の少ない暮らし方の実践に関しては、オーストラリア人はかなり上級者です。南オーストラリア州最後の火力発電所が今年閉鎖され、原子力発電所も存在しないことは以前にも(facebookで)触れましたが、健やかな暮しのために空気を汚したくない/環境を汚したくない → 原発を作りたくない ← だから原発が必要ない暮しをする...すなわちエネルギー消費の少ない暮らし方や、新しいものや使い捨てのものを買わないでリサイクルしたり、産業ゴミから家庭ゴミまでできるだけ出さないで生きようという意識が、かなり高いと感じます。土地が非常に広いので、各家に雨水貯水タンク、ソーラーパネルを設置している家が多いのも特徴です。スチュアート(夫)の両親も家に貯水タンクとソーラーパネルを設置するのが当然と考えていますが、だからと言ってサステイナブルな暮らし方に興味があるのではありません。
水。私たちを創る要素である水に関しては、私も含めて、友達の多くは南極がもたらす天然の雨水を飲みます。ボトルに入った水(リサイクルできてもボトル自体がゴミ)や、水道局から流れてくる水は(水道水フッ化物添加の害を考慮し)可能な限り飲みません。
南オーストラリア州の私が住む地域では、健康は自分から、そして家庭からつくるもの、そして不調は未然に防ぐもの、という意識が根底にあるように感じます。
。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*
日本での機能性胃腸障害の原因は、消費大国における過労、疲労、現代食、考え過ぎや、日常生活で発生する多くのストレスですが、それ以上に、「常識」と呼ばれるものや伝統や文化的な表面的なものなど、あらゆるものが長年のあいだにほどけぬほど混線してから、ググッと重力を伴ってどーんと胃腸にきているようです。(もちろん背骨との関係性ー頸椎から仙骨まで痛みーは無視できません。私の背骨の不調が完治した暁には、ブログでお祝いいたしましょう。)
大丈夫、記事は病気の紹介だけで終わりません。続きの記事にて、【機能性胃腸障害の癒し方】をご紹介いたします。
「現代病」のひとつである機能性胃腸障害は、本日も気分障害とアレルギーと共に全国各地で流行っています。日本人の4人1人はこの症状を持つといわれ、慢性胃炎や神経性胃炎、胃腸炎、さらには十二指腸潰瘍という特定の症状が見られない(または、それらの症状を一度は改善した)にも関わらず、吐き気、ムカムカ、胸焼け、食欲不振、ガス感などの症状が続きます。胃自体にではなく心理的な原因が大きいともいわれ、薬が効きにくく、慢性化しやすいのが特徴です。
日本ではまだ知名度は低いのですが、カンジダ症からLGSリーキーガット症候群や、IBS(過敏性腸症候群)を併発するなど、胃腸機能の低下で他の様々な不調を引き起こしやすい。24時間不調ですか状態は不眠に直結。また、胃調性機能障害を持つ多くの方は、同時に食物アレルギーを持っている結果が出ているそうでう。女性の場合、PMS(月経前症候群)や生理痛と重なると、身体的苦痛に加えて、精神的不安定状態が続きます。イライラ、怒りっぽい、自責などの習慣的思考から、自閉症や不安神経症(うつなど)、不眠症と、精神にも影響します。
2007年に安倍晋三が内閣総理大臣を辞任した理由も、機能性胃腸障害です。
胎内において、大震災と洪水と火事と台風とが同時多発的に起きる大惨事。原因は、現代人の暮しにある。すなわち、現代食、現代生活、自然汚染、ストレス。、、、って、生きてる現場じゃないか(涙)ほとんどの方が、治癒できるものではないと考えているようで、完治する人も多くはないようです。癒しを目指す本人にとっては辛い日常問題です。
オフィスで下腹部をさすりながら、取引先とのミーティングで胃痛を感じながら、イライラが爆発しそうになりながら、金曜終電で疲労困憊しながら気がつくと月曜の朝。とにかく病院にいって医者に診てもらい、処方薬をまた飲みはじめる。イライラ発散のため、暴飲暴食や、仕事・嗜好品・買い物・ギャンブルなどの中毒になり、自ら病の関係性をこんがらがらせてしまう人も少なくありません。
こんなに情報が出回り、新しい新薬が開発され、また新しい病院が建ったのに、治癒までの道は長くなるばかり。治癒することと、情報量と新薬と病院の数との関係性って、なんだろう?←よ〜く考えよう。不調の治癒のためには、情報の洪水に鵜呑みにされるのではなく、自らの思考をもう一度使うことは必須です。忙しさにかまけていると、自動操縦ラインに逆戻りです。当たり前になりすぎた現代病は、いづれ、癌、脳卒中、心臓病と、研究結果通りに現代人の常連死因トップ3へとつながっていきます。この結果を見て、本気で憂う製薬会社の重役やドクターなどいるのでしょうか。
現代社会に普及している製薬は、近代で急激にひろまったものです。よく考えると、私たちの祖父母世代以前には、いわゆる食の智慧や生薬としての植物の智慧をたくさんありました。日本だけではなく、諸外国のお友達のおじいちゃんや、ひいおばあちゃんの暮しについて訊いてみると、きっと何かしらの魔法使い的智慧が蘇るはずです。今も手に入れたい意思があれば手に入れられるので、なくなってはいないのですけれどね。
人をわざと病にしたり呪うような薬や人をのぞいては、製薬や病院は悪者ではありません。忙しい生活を理由にして、製薬にはつきものの副作用のこと、そして人間には本来自然治癒力というものが備わっていることを忘れてはいけません。私たちがひとつずつ与えられた身体、人生、いのちのことを、今目の前に座っている自分じゃない誰かが知っているわけありませんん。まず、私たちが自分のことをよく知らなくては、良くなるものも善くなれません。不調は、私たちという存在をもう一度愛す方法を教えてくれる、タフな先生です。そしてアドバイスは自然治癒やホリスティックな治療家に、尋ねるべきです。今しばらく対症療法を希望したい場合は、処方医薬をたくさん買わせてくれるお医者さまがいる病院を訪ねましょう。
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アメリカでは、機能性胃腸障害がポピュラーと聞いたことがありますが、さて、私の住むここオーストラリアの南部での現状をお話します。
比較でわかりやすくなるか不明ですが、単純に日本の都市部とここを比べると、まずオーストラリア人は身体的に健康な人が多い印象です。自然と共存する職業(農林水産業、土木建築業)に就いている人が多いので、身体を動かせないオフィスで働くことは不健康だと感じる風潮があります。身体的な病気は病院へ行かずに気合いで治すような、元気な働き者世代がほとんどです。慢性的な不調を抱えていて、病院と薬局の薬漬けな人もいますが、食や生活習慣を見直し、意識を変えてみるなど、人生全体の見直しを行いながら、根源治癒にあたっている人を多く見かけます。
(日本の国民健康保険制度との違いもありますが、)多くの人が、お金がもったいないから、または製薬を飲みたくないから、のどちらかの理由で病院へ行くのを避けています。どちらかというと、病の原因となった不調の根源を見直そうと、心理的や精神的な治癒・ヒーリングを受ける人が多い印象を受けます。ヒーリング方法はかなり豊富で、ヒーラーやセラピストは必要とされています。いわゆる、お祓いやご祈祷もこちらには数多くあります。アボリジニの長老が、時々私たちの近くにもやってきてくれて、セッションをすることもあります。
個人や家庭レベルでの家庭無農薬菜園、ナチュラルライフやスローライフの実践は、オーストラリアだけでなく、これまでも世界各地でずっと続いています。家の庭に、無農薬で、新鮮で、旬の野菜や果物を育て、食べたいときに食べたいだけ採る。栄養価は最高値で、過剰は分け合うか、コンポスト。パッケージなどのゴミ量はゼロです。日本の福岡正信氏のパーマカルチャーは、オーストラリア国民に幅広く広がっています。また、オーガニック食物の市場へのさらなる普及は、オーガニック食品店が増えたり、(オーストラリアではまだ真新しい)Co-opのお店ができたり、スーパーにオーガニックセクションが出来たりと、目に見える形で広がっています。(記憶にも新しいかと思いますが、オランダでは2016年7月、食品安全法により土壌への化学肥料の使用が禁止されました)
エネルギー消費の少ない暮らし方の実践に関しては、オーストラリア人はかなり上級者です。南オーストラリア州最後の火力発電所が今年閉鎖され、原子力発電所も存在しないことは以前にも(facebookで)触れましたが、健やかな暮しのために空気を汚したくない/環境を汚したくない → 原発を作りたくない ← だから原発が必要ない暮しをする...すなわちエネルギー消費の少ない暮らし方や、新しいものや使い捨てのものを買わないでリサイクルしたり、産業ゴミから家庭ゴミまでできるだけ出さないで生きようという意識が、かなり高いと感じます。土地が非常に広いので、各家に雨水貯水タンク、ソーラーパネルを設置している家が多いのも特徴です。スチュアート(夫)の両親も家に貯水タンクとソーラーパネルを設置するのが当然と考えていますが、だからと言ってサステイナブルな暮らし方に興味があるのではありません。
水。私たちを創る要素である水に関しては、私も含めて、友達の多くは南極がもたらす天然の雨水を飲みます。ボトルに入った水(リサイクルできてもボトル自体がゴミ)や、水道局から流れてくる水は(水道水フッ化物添加の害を考慮し)可能な限り飲みません。
南オーストラリア州の私が住む地域では、健康は自分から、そして家庭からつくるもの、そして不調は未然に防ぐもの、という意識が根底にあるように感じます。
。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*:・゜。*
日本での機能性胃腸障害の原因は、消費大国における過労、疲労、現代食、考え過ぎや、日常生活で発生する多くのストレスですが、それ以上に、「常識」と呼ばれるものや伝統や文化的な表面的なものなど、あらゆるものが長年のあいだにほどけぬほど混線してから、ググッと重力を伴ってどーんと胃腸にきているようです。(もちろん背骨との関係性ー頸椎から仙骨まで痛みーは無視できません。私の背骨の不調が完治した暁には、ブログでお祝いいたしましょう。)
大丈夫、記事は病気の紹介だけで終わりません。続きの記事にて、【機能性胃腸障害の癒し方】をご紹介いたします。
世界を変えるのは、誰!? [健康]
日本の選挙権がないけれど、海外から三宅洋平さんの幸せを祈りつつ、選挙を見守っている一人です。
私は、良い方へと暮らしを変えられることができるのは、個人の意識と行動だと信じていて、そういう意識の人たちが集ったら幸せな環境になると思うから、政治や選挙に期待感はゼロ。でも、日本に住んでいた4年前までは、より良い社会を整備してくれる人を毎回なんとか探して必ず投票しました。今回東京にいたら、選挙が楽しみだったろうと感じます。
そもそも、日本を変えるってどういうことかなと、三宅洋平さんの街頭演説を聴きながら物思いに耽りました...
日本に住む多くの友人は、特に震災後から、家族で脱消費社会しています。有機野菜を作る方法や、地元や既にある物資で家を建てる方法や、布を織る方法を自分たちで学んで、より健やかで幸せな暮らしにチェンジしています。簡単ではないからこそ、勇気をもって強い意志で変化していることを日々の姿から感じます。
私は日本ではなくオーストラリアに住むことになったので、ここで土壌を耕し、コンポストを作り、資源を循環させ、美しい水と空気を大切に愛でる暮らしを実践しています。こちらの友人の多くはエコビレッジなどのコミュニティに住み、各地元の風土に沿う自然農法で野菜をつくり、水耕、太陽光、自家発電をし、そして雨水を大切に使う暮らしをしています。私と旦那さんも、過去4年は主にエコビレッジで過ごし、最近6ヶ月はオフグリッド生活をしていました。
みんながオフグリッドの生活になる必要は全然ないです。ただ、オフグリッドを経験すると、地球に住むことはなんぞやというはじめの一歩まで(意識が)戻ることができます。そして、「私」だけでなく人間が共有している機能や資源や意識に気づくことができる。また、土壌に立ち野菜を育てる行為を通して、全体で健やかで持続可能な衣・食・住の選び方から、生きる意味に至るまで、自然に、自然と、わかってくるのです。こういう暮らしをすることで、自分と相手の間にある壁がまず落ち、動植物や、自然との距離が近づくにつれて、国や国民という概念を超えて、地球人として生きている事実に心から感謝することができる。
《有機野菜ファーム》
日本にいた頃の私の夢は、国際機関で働いて「世界のシステムを変え、貧困をなくす」ことでしたが、そこに夢はなく、単に顔の描かれた紙が利権とともに動いている現実がありました。それは単に、私の心の中で、無意識で信じていた様々なシステム(こうでなくてはならない、というような思考習慣や信念体系)と愛そのものへの疑惑感から自分がつくりあげた経験(結果)でした。システムは何も変わらない、なぜなら、システムを作っている人たちは、私と同じような人間だから!だからこそ、私も生活を変えることを決意して、衣食住生活に、思考回路や生活習慣等、あらゆるすべてと意識的に向き合って、今ここまで自然の流れに乗ってやってきました。ひとつの(自分の)人生をより良いものに変える創造力やパワーがない人が、どうして世界を変えられるんだろうと思ってましたが、私が住む(観る)世界は大変化しました。
現在は、地元にあるマーケット、グリーンライト・エコ・マーケットを運営し、地球と人間の暮らしに健全で持続可能な情報、サービスやグッズを提供する出店者さんを集め、コミュニティとして発信をしています。友人の運営者が現在海外にて半年間(下記に述べる各国を巡り)、同じ意識を持つ人たちと横のつながりを深めているため、その間に運営をまかされているのですが、国際機関という「ビッグネーム」な機関でいち秘書をしていたときよりも遥かに健やかで、この心の満足感と豊かさといったらありません。
私たちがそれぞれが導かれた場所で、一所懸命に根を伸ばして、人間力を養い、それぞれの私たち地球人が、それぞれに異なる木の幹となり、美しい花を咲かせるとき、私たちが人間として生まれてきた意味や、生きる上で真に大切なものに、ひとつずつ大切に気づかされます。これらの行為は、私たち自身と次世代に希望の光を与えます。今私たちが全体で経験しているあらゆる痛み、閉塞感や、各種の社会問題解決とは、無関連のように見えてしかし最も関係しているのは、人間と土壌の関係だと感じます。
木を植え、地球に還す想いを根にたくす。生まれてくる一枚の小さな葉(命)に、新しい想いを乗せる。木を植えることは、次世代に資源を残すことでもあり、自らの命を癒すことでもある。
オーストラリアで頻繁に見かけるのは、健全な方法で発展できるような暮らしとはどのようなものかを、グループで話し合い、実践して、共に成長していく議論の場です。このグループでは、ファシリテーターの元で、全員がリーダーシップをとることができ、非暴力的な横のつながりでこの場をまとめていきます。その中には、場(意識)がつながるような儀式的な静寂空間をまとめることができる人が、必ずいます。オーストラリアでは、段階的な組織構造から脱した場所でのリーダーシップ育成や、非暴力コミュニケーションの育成が盛んです。
そして、これはオーストラリアだけではなく、ニュージーランドで、ポルトガルで、エストニアで、ロシアで、フランスで、スペインで、イタリアで、イギリスで、ウルグアイで、スコットランドで、ボリビアで、アイスランドで、あげればキリがないくらい、各地で水面下または大々的にこの動きが見られます。
この動きは、もう一度愛に戻る動き。愛を感じられる、つながりや絆を感じられる暮らしを目指す動き。不器用でもブサイクでも結構、私たちは愛がなくては生きられない存在です。本当は愛されたい、愛したい。
だったら「私」から愛しはじめましょうよ!!
傷ついてもいい、また最初から愛することからはじめるのです。
ゆがんだ愛の姿から、自然資源やマイノリティを搾取してエゴが暴走し、物欲支配の元で起こった争いの時代は終わり、その経験から学んだ一段階浮上した意識で世界をみるべき時代へと入っています。私たち自身の心の声、より意味のある人生を過ごしたい、一切の痛みから解放され、消費社会の経済奴隷として生きるのでもなく、人間として地球で豊かに生きたい、というような、もう抑えられないひとつひとつの声の延長線上にふつふつと沸き上がってきた変化。未知なる新しいみんなの世界を、地球人みんなで創造しようと、未だかつて歴史上で起こったことのない、嘘のない大実験が地球上で起こっているように私には感じられるのです。
今どこにいるからではなく、今いる場所でできること。愛を取り戻す生活は、私たちの心から始まる。薬に過剰に頼ることや、前世代の過ちをもう一度繰り返すことや、ブランドを持つことで自己愛を満たさなくても、私たちは愛される存在であることを気づかせてくれるのは、私たちの静かな心の内と、緑の中に存在する時。
《高知県四万十川》
日本は、あふれる水と美しい緑に恵まれた風土で、自然とつながり、四季を愛で、政をし、恵みを分かち合う国です。その要素は今も美しい田舎にあります。そこに住む自然と共存する人たちが、日本人と言われる民族。自然愛、慈しむ心、親切心、助け合いの精神が強い人々。そういった美しい地域は世界中にたくさんあります。
その一方で、世界は、人間としての基本欲求(もっと欲しい、もっと作ろう、もっと便利に)をふくらませ、資源をどんどんと消費して造り、捨てる流れの中で、様々なバランスが均衡を失っている状態。人間の健康状態や精神と物質のバランスが崩れ、さまざまな要素が一極に集まっています...経済発展という大きな船に、エゴがぎゅう詰めに乗船し、バランスを崩して進んでいく、浅い呼吸になりながら。北側のさらに北側意識の人間がずっと前に決めたルートから降りられず、舵をにぎる者にも先が見えずに、過去のストーリーをちょっとだけ変えて繰り返すしかなく進んでいく。
この二極を眺めながら、私たち賢い人間はもうわかっている。特に女性は、毎月月の神秘体験から、現代の暮らしの不調和から発生する痛みや不調を明らかに感じているし、私たち生命が地球生命体と切り離せない存在であることもなんとなく感じれている。多くの人の心の中で、今の暮らしをどうしていきたいか、どう変えたいかを薄々と感じつつも、全体がどうなっていくのかがよく見えない。
過去のストーリしか繰り返せない人に政を任せてしまうと、未来はまたその繰り返し。これからの私たちの新しいストーリーは、「私たち一人ひとりが全体の一部で在ること」を認識している人たちと共に作っていく。そう、すなわち、私たち意識ある生き方を実践していくことで、社会は波及効果で変わっていく。そしてこれからは一段階浮上した意識で観れる人が、ますます必要とされていきます。
政治は、私たちが全体でより善く健やかに成長していこうとする意識を実現しやすくする制度を作る場で、これからの政治家もそんなことがわかる賢い人たちでしょう。
ここまでこんだけ話して、結局政治にも政治家にも興味はない。国や宗教という概念があるうちは、国同志の利権争いや宗教戦争はなくならないし、そもそも「地球世界の二極」は人間に与えられた最も難しい学習教材なのでしょう。みんな平等に与えられたこの奇跡的な生命と、緑と水の惑星地球を大切にできないんだったら、地球が生まれた時のように、一瞬で爆発してなくなってしまうかもね。(なんちゃって〜)だけどそれをしないで見守ってくれる生命の根源存在は、本当に偉大です。
さあさあ、今日も土壌に触って、苗植えと収穫!
私は、良い方へと暮らしを変えられることができるのは、個人の意識と行動だと信じていて、そういう意識の人たちが集ったら幸せな環境になると思うから、政治や選挙に期待感はゼロ。でも、日本に住んでいた4年前までは、より良い社会を整備してくれる人を毎回なんとか探して必ず投票しました。今回東京にいたら、選挙が楽しみだったろうと感じます。
そもそも、日本を変えるってどういうことかなと、三宅洋平さんの街頭演説を聴きながら物思いに耽りました...
日本に住む多くの友人は、特に震災後から、家族で脱消費社会しています。有機野菜を作る方法や、地元や既にある物資で家を建てる方法や、布を織る方法を自分たちで学んで、より健やかで幸せな暮らしにチェンジしています。簡単ではないからこそ、勇気をもって強い意志で変化していることを日々の姿から感じます。
私は日本ではなくオーストラリアに住むことになったので、ここで土壌を耕し、コンポストを作り、資源を循環させ、美しい水と空気を大切に愛でる暮らしを実践しています。こちらの友人の多くはエコビレッジなどのコミュニティに住み、各地元の風土に沿う自然農法で野菜をつくり、水耕、太陽光、自家発電をし、そして雨水を大切に使う暮らしをしています。私と旦那さんも、過去4年は主にエコビレッジで過ごし、最近6ヶ月はオフグリッド生活をしていました。
みんながオフグリッドの生活になる必要は全然ないです。ただ、オフグリッドを経験すると、地球に住むことはなんぞやというはじめの一歩まで(意識が)戻ることができます。そして、「私」だけでなく人間が共有している機能や資源や意識に気づくことができる。また、土壌に立ち野菜を育てる行為を通して、全体で健やかで持続可能な衣・食・住の選び方から、生きる意味に至るまで、自然に、自然と、わかってくるのです。こういう暮らしをすることで、自分と相手の間にある壁がまず落ち、動植物や、自然との距離が近づくにつれて、国や国民という概念を超えて、地球人として生きている事実に心から感謝することができる。
《有機野菜ファーム》
日本にいた頃の私の夢は、国際機関で働いて「世界のシステムを変え、貧困をなくす」ことでしたが、そこに夢はなく、単に顔の描かれた紙が利権とともに動いている現実がありました。それは単に、私の心の中で、無意識で信じていた様々なシステム(こうでなくてはならない、というような思考習慣や信念体系)と愛そのものへの疑惑感から自分がつくりあげた経験(結果)でした。システムは何も変わらない、なぜなら、システムを作っている人たちは、私と同じような人間だから!だからこそ、私も生活を変えることを決意して、衣食住生活に、思考回路や生活習慣等、あらゆるすべてと意識的に向き合って、今ここまで自然の流れに乗ってやってきました。ひとつの(自分の)人生をより良いものに変える創造力やパワーがない人が、どうして世界を変えられるんだろうと思ってましたが、私が住む(観る)世界は大変化しました。
現在は、地元にあるマーケット、グリーンライト・エコ・マーケットを運営し、地球と人間の暮らしに健全で持続可能な情報、サービスやグッズを提供する出店者さんを集め、コミュニティとして発信をしています。友人の運営者が現在海外にて半年間(下記に述べる各国を巡り)、同じ意識を持つ人たちと横のつながりを深めているため、その間に運営をまかされているのですが、国際機関という「ビッグネーム」な機関でいち秘書をしていたときよりも遥かに健やかで、この心の満足感と豊かさといったらありません。
私たちがそれぞれが導かれた場所で、一所懸命に根を伸ばして、人間力を養い、それぞれの私たち地球人が、それぞれに異なる木の幹となり、美しい花を咲かせるとき、私たちが人間として生まれてきた意味や、生きる上で真に大切なものに、ひとつずつ大切に気づかされます。これらの行為は、私たち自身と次世代に希望の光を与えます。今私たちが全体で経験しているあらゆる痛み、閉塞感や、各種の社会問題解決とは、無関連のように見えてしかし最も関係しているのは、人間と土壌の関係だと感じます。
木を植え、地球に還す想いを根にたくす。生まれてくる一枚の小さな葉(命)に、新しい想いを乗せる。木を植えることは、次世代に資源を残すことでもあり、自らの命を癒すことでもある。
オーストラリアで頻繁に見かけるのは、健全な方法で発展できるような暮らしとはどのようなものかを、グループで話し合い、実践して、共に成長していく議論の場です。このグループでは、ファシリテーターの元で、全員がリーダーシップをとることができ、非暴力的な横のつながりでこの場をまとめていきます。その中には、場(意識)がつながるような儀式的な静寂空間をまとめることができる人が、必ずいます。オーストラリアでは、段階的な組織構造から脱した場所でのリーダーシップ育成や、非暴力コミュニケーションの育成が盛んです。
そして、これはオーストラリアだけではなく、ニュージーランドで、ポルトガルで、エストニアで、ロシアで、フランスで、スペインで、イタリアで、イギリスで、ウルグアイで、スコットランドで、ボリビアで、アイスランドで、あげればキリがないくらい、各地で水面下または大々的にこの動きが見られます。
この動きは、もう一度愛に戻る動き。愛を感じられる、つながりや絆を感じられる暮らしを目指す動き。不器用でもブサイクでも結構、私たちは愛がなくては生きられない存在です。本当は愛されたい、愛したい。
だったら「私」から愛しはじめましょうよ!!
傷ついてもいい、また最初から愛することからはじめるのです。
ゆがんだ愛の姿から、自然資源やマイノリティを搾取してエゴが暴走し、物欲支配の元で起こった争いの時代は終わり、その経験から学んだ一段階浮上した意識で世界をみるべき時代へと入っています。私たち自身の心の声、より意味のある人生を過ごしたい、一切の痛みから解放され、消費社会の経済奴隷として生きるのでもなく、人間として地球で豊かに生きたい、というような、もう抑えられないひとつひとつの声の延長線上にふつふつと沸き上がってきた変化。未知なる新しいみんなの世界を、地球人みんなで創造しようと、未だかつて歴史上で起こったことのない、嘘のない大実験が地球上で起こっているように私には感じられるのです。
今どこにいるからではなく、今いる場所でできること。愛を取り戻す生活は、私たちの心から始まる。薬に過剰に頼ることや、前世代の過ちをもう一度繰り返すことや、ブランドを持つことで自己愛を満たさなくても、私たちは愛される存在であることを気づかせてくれるのは、私たちの静かな心の内と、緑の中に存在する時。
《高知県四万十川》
日本は、あふれる水と美しい緑に恵まれた風土で、自然とつながり、四季を愛で、政をし、恵みを分かち合う国です。その要素は今も美しい田舎にあります。そこに住む自然と共存する人たちが、日本人と言われる民族。自然愛、慈しむ心、親切心、助け合いの精神が強い人々。そういった美しい地域は世界中にたくさんあります。
その一方で、世界は、人間としての基本欲求(もっと欲しい、もっと作ろう、もっと便利に)をふくらませ、資源をどんどんと消費して造り、捨てる流れの中で、様々なバランスが均衡を失っている状態。人間の健康状態や精神と物質のバランスが崩れ、さまざまな要素が一極に集まっています...経済発展という大きな船に、エゴがぎゅう詰めに乗船し、バランスを崩して進んでいく、浅い呼吸になりながら。北側のさらに北側意識の人間がずっと前に決めたルートから降りられず、舵をにぎる者にも先が見えずに、過去のストーリーをちょっとだけ変えて繰り返すしかなく進んでいく。
この二極を眺めながら、私たち賢い人間はもうわかっている。特に女性は、毎月月の神秘体験から、現代の暮らしの不調和から発生する痛みや不調を明らかに感じているし、私たち生命が地球生命体と切り離せない存在であることもなんとなく感じれている。多くの人の心の中で、今の暮らしをどうしていきたいか、どう変えたいかを薄々と感じつつも、全体がどうなっていくのかがよく見えない。
過去のストーリしか繰り返せない人に政を任せてしまうと、未来はまたその繰り返し。これからの私たちの新しいストーリーは、「私たち一人ひとりが全体の一部で在ること」を認識している人たちと共に作っていく。そう、すなわち、私たち意識ある生き方を実践していくことで、社会は波及効果で変わっていく。そしてこれからは一段階浮上した意識で観れる人が、ますます必要とされていきます。
政治は、私たちが全体でより善く健やかに成長していこうとする意識を実現しやすくする制度を作る場で、これからの政治家もそんなことがわかる賢い人たちでしょう。
ここまでこんだけ話して、結局政治にも政治家にも興味はない。国や宗教という概念があるうちは、国同志の利権争いや宗教戦争はなくならないし、そもそも「地球世界の二極」は人間に与えられた最も難しい学習教材なのでしょう。みんな平等に与えられたこの奇跡的な生命と、緑と水の惑星地球を大切にできないんだったら、地球が生まれた時のように、一瞬で爆発してなくなってしまうかもね。(なんちゃって〜)だけどそれをしないで見守ってくれる生命の根源存在は、本当に偉大です。
さあさあ、今日も土壌に触って、苗植えと収穫!