SSブログ

タイでの出家のはなし(3)ペルーの魔女、そしてガイア・アシュラムへ [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]

タイトルはタイなのに、いきなりペルーからのスタート[黒ハート]

(タイでの出家につながるはなしの前振りがながすぎだってはなし)

20161005_164151.jpg

二千十ウン年の10月、アヤワスカの精霊女神にであってしまってから、私の摩訶不思議体験は不思議なくさらに深まりまりました。

ペルーを去る前、聖なる谷のシャーマンと私と旦那は、バスとタクシーのりかえてクスコから数時間離れた名もなき村にいました。そこは、きっとそう遠くない昔にネイティブの人たちが暮らしていたような雰囲気でした。ほぼ廃墟となっていた姿が、なにか大きなことが起こったことを示唆していました。訪れる人などいないのでしょう。タクシーを降りた後、シャーマンは運転手にしばらく待つように伝え、数人の子どもと数匹の子ネコが通りを横切っていくのをみながら、ひとつの店(よろずや)を見つけました。シャーマンは、お菓子や、ろうそくや、ちいさなものを両手に収まるほど買い、家の主のような人は大きな紙に包んで渡してくれました。

そこからしばらく歩くと、コンクリートの廃墟の下に階段があって、そこを下りていくと小さなドアが。

ノックをし重いドアをあけると、そこ座っていたのは、「魔女」でした。
ほんものの魔女に会ったのは初めてのこと。

シャーマンは、アヤワスカの儀式で受け取ったお告げにしたがってやってきたといいました。魔女は年齢不詳で、そこにいて、いないような、いるけれどすぐ姿を消えてしまいそうで、それは身を隠すためなのか、きっといつも異なる場所にいるような雰囲気でした。私たちは挨拶し、テーブルを囲んで座り、シャーマンが買った紙袋を差し出すと、魔女は包み紙を大きくひろげ、その上に神なる(コカの)葉とコーンの種、そしてテーブルの下からあらゆる「神器」を加えて、ぼそぼそと作業をはじめました。通訳はシャーマンです。私も旦那もスペイン語がわかるのですが、それはスペイン語と何か他のことばのミックスに聞こえました。

20161021_110404.jpg
【聖なる葉はマーケットにいけば手に入るけど、クランデーロが選ぶこれは上モノ・・・】


彼女は、世の摩訶不思議を読みはじめました。
そして、私にはお役目があると告げたのです。


元旦那も私も、シャーマン自身も、それぞれが驚くべきタイムラインの可能性を示唆され(それは、7年後の今三人ともにあてはまっています)帰路はほぼ無言。廃墟を去ってタクシーにもどり、そしてバスに乗りかえ、クスコにもどりました。そこで、シャーマンは、私がリマに飛ぶ前にもういちど聖なる谷(Sacred Vally)の彼の家、パチャママ・ワシ(母なる地球の家)に行かなければならないから、早朝に出発するからと言い、クスコの家に帰っていきました。

私とシャーマンは、翌早朝、アヤワスカ神殿のある聖なる谷(彼の家)に向かう車に乗っていました。

20161019_072419.jpg
【パチャママ・ワシの神殿-シャーマンのお父様(同じくシャーマンが)建てられた家族の家であり、使用人たちの家もある、壮大なテンプル】

数週間ともに過ごして親しくなった、畑で働くお手伝いさん一家と、家で働く女性二人が、私がもどってきたことを喜んで迎えてくれました。もう会うことはないだろうと思って、出発前にスペイン語の手紙とともに、私が持っていた冬物の暖かい小物をサプライズで残しておいたので、そのことをとても喜んでくれているようでした。

間もなく私は聖なる水場にいくように促されました。それはアヤワスカやパワープラントの儀式ではなく、山からおりてくる聖水をつかっての儀式。そこはとても静かで女性的でやわらかく、たくさんの花びらやキャンドルが供えられていました。儀式の準備は終わっており、私は瞑想をしたあとにそこに一人で入るように促され、シャーマンは、「これは聖なる女性性にまつわる儀式で、何が何かは導かれるから」と言って私を残して去っていきました。

20161021_135025.jpg
【アプ(目のある山)から流れてくる聖水が、パチャママワシに流れ込みます】

そこで私と一緒に過ごしたのは、石でした。この石は、文字通りただの石ではなく*パワーストーンと呼ばれる石。私とともに儀式を行った石は、『聖なる(目覚めた)女性性』を象徴する石で、その石の片われである『聖なる(目覚めた)男性性』を象徴する石は聖なる谷に残り、この片方をオーストラリアのとある場所に配置し、パワーストーンのスピリットを通して大いなる意志のなすべきことがなされるようにアシストする、というミッションを与えられていたようなのです。パワーストーンのツインレイ。私の存在を清め、聖なる女性性を思い出す儀式もそのためだったのです。

シャーマンは、あの魔女はホワイトシャーマンが信頼する魔女なのだと言っていました。メディスンによって開かれる領域で受け取られる量子的メッセージが、数珠繋ぎになって三次元で姿をつくりだそうとしていることに、私もうすうすと気づき始めていました。シャーマニズムでいう三っつの世界の領域が同時に開くとき、そしてドリームタイムへのトンネルが確立されるとき、私たちは個を超越して、スピリット界と共働できるのだと。これは、この文明がはじまった初期に暮らしたていた部族が、当たり前のように使っていた上層界とつながるツールであり、地球次元の大調和を保って自然界(多次元領域界)と共存して生きる方法でもあり、そして、今も脈々と続いている…

お役目をいただいたことを在り難いとだけ感じていました。私はただチューンインすることだけに徹するだけでいい。その方法は、私オリジナルの方法を見つけて日々磨いていくしかない。だけど、「心をひらいて明け渡す(Surrender)ことに集中してさえすれば導かれるだろう」という安心感は遥かに大きくありました。

   ⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ⋰⋱♱⋰⋱✮⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰⋱ღ⋰ ⋱✮⋰⋱♱⋰ ⋱ღ

ウルルの大地に戻ってからの日常生活では、不思議体験がふつうに続きました。たとえばものすごい火事場のくそ(言葉ごめんなさい)が出てきて物を破壊したり、壊れた電化製品 に触ったとたん故障が直ったり、ありえないところから突然火を発火させてしまうというようなものでした。メッセージをより深く聴くためにパワーストーンとの会話をつづけ、そのパワーストーンが配置されるべき場所が水の要素の強い場所だということを受け取りました。

そして、とある(南半球)真夏の、とある地点で、私はパワーストーンを片手にひとりで儀式を行いました。後でわかったことは、その場所はレイラインでいうところの富士山、バリのアグン山、フィリピンのボホール、*ウルルとつながっている場所でした。


12月頃から、ドリームタイムがまた開きだしました。
夜の夢で、お告げが来るアレです、
   「タイへ」
と。

学生時代からタイは大好きな国のひとつですが、また突拍子もないお告げがきちゃったと思いました。それから間もなく、どういう経緯か詳しく覚えていないのですが、タイにあるガイア・アシュラムで世界から4名のインターンの募集しているという情報が耳に届きました。へー、です。(点)と(点)の接点がまだ見えなく、そのときは流しました。

年が明けて1月。以前住んでいた東海岸にあるオフグリッドの森に飛びました。当時の旦那はその後、キャンパーバンで到着しました。フットワーク軽いように見えますが、すべて神、いや夢のお告げです[ダッシュ(走り出すさま)]

ある日、森のなかの村を散歩していたら、知り合いの画家のヴィレジャー(村民さん)とばったり遭遇。彼は、その日だけ村にもどってきただけで、またすぐ出て行くところだと言うのです。そして唐突に、タイのノンカーイにあるバックパッカー兼コミュニティのはなしをしはじめたのです。そこはヨガコミュニティと合体したバックパッカーであり、メコン川沿いにあると。。。そのはなしだけをして、彼は去っていきました。。。


翌月2月。またタイのガイアアシュラムでのティーチャー・インターンシップ話が届きました。今回は、募集要項など一式が書かれた情報サイトでした。これはシンクロニシティというしかない。私たちの「自宅」(キャンパーバン)はその時ツイード・シャイアーにあるコミュニティに移動していましたが、そう遠くはない所に図書館があるし、やろうと思えばできないことはない。大いなる流れに沿って、インターンに応募することにしました。

campervan1.jpg
【「自宅」[どんっ(衝撃)]


世界中から選抜4人っていうのもありえなく面白い(宇宙のゲーム)設定ですが、どいうやら何もないところから、自分でインターンシップの骨組みと内容を決め、セルフエデュケートできるプランをデザインして提出し、そこにミッションステイトメントのようなものを加えることが最初の選考だったように記憶しています。こういうときにものすごいがんばっちゃうもともとスポ根なので(汗)、やってみました。覚えておられるかわかりませんが、2013年から2018年まで、意図的にケータイもパソコンも(クレジットカードも)所有していなく、車の免許もなかったので、旦那さんに車で図書館に連れて行ってもらって、図書館パソコン使って缶詰で書類を作成し、

一通り書類一式を完成させて送ったら、

一時選考通ってしまいました。

二次の面接も、最終面接も、通ってしまいました。

晴れて選ばれたのは、フィリピン、ベトナム、ペルーそして日本人の四人の女性。そこにボランティアできていた愛しき中国出身の-今では心友の五人で、その際はアシュラムというよりはタイのジャングルに乗り込んだのでした(笑)

こういうのって、「私がした」のではなく、もう「運命に描かれている」といった方がよさそうですよ。




ということで、私は、旦那さんに(何度目かの別れを告げ←ほんとに自由人でゴメンナサイ)、ガイア・アシュラムを目指して、バンコクからノンカーイへの心の旅路は(いったりもどったりで)こちらから。



《予告編》

19467818_10154693129620814_7090472195936066304_o.jpg

【ガイアアシュラムで数ヶ月過ごしたコアメンバーと、タイ反対側北部でパーマカルチャー神的存在のベンと。おかしくサバイバルなジャングル開拓日記は、次の記事にて】





参照)
*パワーストーン

ファーストネイションの部族たちからこのパワーストーンの威力については聞いていて、この数年後にとても重要なメッセージをもつ多くの石たちが同席する場で火の儀式をしたのですが。。。同じスペースに存在したときの経験をここで短く説明するなれば、それはエメラルドタブレットのようなイメージで(私が知っていることは何もなく、ただなにかとても重要で且つシンプルな宇宙のアルケミーがこめられている、という程度の理解)、宇宙太古の叡智を地球次元への浸透させるような、ある意味ポータルのようであり、ひとつひとつの石にスピリットが生きているエンティティであり、チャネリング可能なコミュニケーションストーンであるように感じました。私が、(天から)依頼を受けてパワーストーンを与えられない限り、触ったりコミュニケーションすることは「危険」だと直感で感じ、それらの目の前で自然と畏敬の念を感じました。その感覚はウルルを巡礼したとき、それが日暮れ後に発した波動とほぼ同じくしたものと感じられました。

ファーストネイション
こちらでも縄文ルネサンスのような動きがここ数年非常に強くあります。アボリジニという言葉自体の語源に疑問があり、私たちは土着の部族の方たちのことを、総称してファーストネイションと呼んでいます。


*ウルル
こちらも同じく、過去記事でも一度ご紹介しましたが、ファーストネイションを尊敬する人たちの間では、エアーズロックはほとんど(絶対というほど)使われず、ウルルと呼ばれています。
めっちゃ極端な例ですが、たとえば富士山が「はじめて」発見されたのが最近で、発見者はマイクさんなので、それにちなんで「マイク山」と命名しますといわれても、ずっと日本に住んでる日本人にとっては、富士山はフジサンで、「マイクサン」ではない。やがて、日本にやってきた人と移住したが多数を占め、みんなこれはマイク山だといって、教科書もツアーパンフレットや看板、そこらじゅうにマイク山と書いてある。マイク山5合目?マイク山後来光?富士山の精霊、浅間さま、木花咲弥姫命が泣く...。ありがたいことに富士山にはそれは起こりません。ファーストネイションにとって富士山的存在のウルルが、他の名前で呼ばれていることは、土着の精神が土足で踏みにじられることを象徴しているようです。



nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。