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《ガイアアシュラム》イサーンの国で、インターン? [タイでの出家のはなし(上座部仏教 雨安居修行)]

タイの東北部、ラオスとの国境をはさんですぐ南側。
この地域は、イサーン(またはイーサーン)地方と呼ばれています。タイ国内でも大きな都市といえる、ウドンタニ(ウドーンターニー)があり、ラオス国境最寄り、メコン川のほとりにあるちいさな町がノンカーイ(ノンカイ)。

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私にとって、タイは何度も訪れたこともある最愛の国(日本にいた頃はね!)
だけど、まさかタイの東北部を訪れることになるとは(思ってなかったね!)

ペルーでジャングルのメディスンと繋がる神聖体験一ヶ月このシリーズをへて、南オーストラリアにもどってきた。不思議そうで不思議そうでないマジックがこの手から出てきたあと(こんな感じで)、また東海岸へ行くという夢。いつもはキャンパーバンで行っていたけど、今回はお急ぎな感じで飛行機でコフスハーバーまでひとっとび。。。

長い話が、そこで、ノンカーイにあるマットミーというゲストハウス兼ヨガコミュニティを唐突に紹介され、インターンに受け入れが決まったことを受け、六月にタイへ[ぴかぴか(新しい)]


《ゴールドコーストから、バンコクまで。バンコクから、深夜特急でノンカーイまでのお話はこの記事をご覧ください》


早朝に到着したノンカーイの第一印象は、とてものどかな田園。ここに半年以上もいるなんとはツユともしらず、トゥクトゥクのおじさんにジェスチャー説明してたどりついたのが、マットミーゲストハウス。

タイの美しい原色のお花にあふれた大きなガーデンカフェは、メコン川沿いにある。大きなダイニングテーブルや、ハンモックや、木の下のちいさなカップルシートなど、環境となじんだ素敵なカフェで、何人かの人たちが朝食をしたり、おしゃべりをしたり、ジャーナルをつけていたりしているのをみて、ここがガイアアシュラムへの「扉」なんだと思うと嬉しくなった。

カフェのキッチンと併設されたレセプションに行くと、赤毛の白人男性がいた。
「こんにちは。」と英語で言う。彼の返事は、オーストラリア英語だった。
彼の雰囲気がとても気になった。レセプションにはいるけれど、「あなたは何をしている人?」と訊くと、「出家していた山寺から数週間前に俗世にもどってきたところ」。そして、「君はもうすぐ阿羅漢のいるあの山寺にいくだろう」と言った...


私を乗せた乗り合い車は、20分くらい走ってガイアアシュラムに着いた。


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(後日確認:オムのお父さん)

そこは緑がうっそうとしたジャングルにしか見えなかった。当時タイ北部のパーマカルチャープロジェクト(2017年現在)で有名な、三つのうちのひとつであるはずなのに、「?」。サラ(シャラ)と呼ばれる間がある(勉強やヨガができるところ)一階があって、その二階は、蚊帳つきでごろ寝できる壁のない建てもので、25以上の布団は敷ける。その少し先には、アウトドアキッチン。建て物はそれだけしか見えない。周りはタイ特有の原色に彩られた緑濃いジャングル。(後に、オムとトムの二階建ての家、泳げるため池、建ちかけのルキナの家を次々と発見。広大な敷地!)


そこに、中国人の女性がいた。

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その向こうに見えたのは、水牛。

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インターンの四名は、顔を見合わせる・・・


ベトナムからはMinh(ミン)。母親。大量消費型社会から共有型ギフト社会へ移行するひとたちの社会ネットワーク作りをしている。インターンの中では最年少。笑顔でみんなをつなげる存在。使用言語は英語、ベトナム語。

フィリピンからはLuz(ルース)。旅人。体力も知力もあってなんでもできる姐さん。とにかくまっすぐに情熱的。ほんとになんでもできて、何ができないかが見つけられないくらい。最年長。英語、フィリピン語、スペイン語。

ペルーからはMonica(モニカ)。ヨギー。主に子どもたちの精神面でのサポートにヨガと遊びを取り入れている。リーダー的存在。フランス語、スペイン語、英語。

オーストラリアからは日本人の私。気功と瞑想とカウンセリング担当で参加。日本語、英語と、中国語とスペイン語ちょっとずつ。


みんな、自分の得意とすることを提示し、持ち寄って、個のインターンのメニューを企画、実施して、ガイアアシュラムと成長していくという三ヶ月の共同生活であった。のだが?


すでにガイアアシュラムにいたもう一人の住人(学ぶ人)は、最年少のYang(ヤンヤン)。
中国福建省のお茶の会社で働いていたが、いろんなことに目覚めて自然農法を学ぶために、一人でガイアアシュラムに住んでいた。英語を学びたてで、ジャングルに住むのもはじめてで、なんでも挑戦する、いとおしい存在。


みんなが面接した、ガイアアシュラムのオーナー夫婦の、オランダ人トムとタイ人オムスニサ(オム)はいなかった。


今度は5人で顔を見合わせる(笑)


だれか英語で説明して?(爆)




事情を知っていたのはヤンヤン。彼らはトムの故郷であるオランダへ帰省中だが、もうすぐ帰ってくると。彼女の説明によると、タイが雨季に入ると彼らはオランダに帰るらしく、ガイアは数ヶ月間留守にするだけでジャングルになってしまうという。うなずけますが。

毎日37度超え、湿度100パーセント。
雨が降ってなければ、汗がふってくる。


確か一週間くらいで二人が帰ってきたと思う。
何が始まるかと思えば、インターンではなかった(ご想像通り)。

ジャングルの開墾、コンポストベイつくり、フードフォレスト作り、キッチンの改造、シャラの大掃除、青空シャワー作りに、コンポストトイレ作り、、、その仕事が大胆に与えられたのでした。二ヵ月後に開催される、『ディープエコロジー』と『パーマカルチャーコース』のために、世界各国から訪れる約30名の受け入れを整える必要があり、その態勢を万全にするという。

で、私たち四人の「インターンの目的」は、このワークグループのリーダー(ファシリテーター)として1ヶ月の大所帯を切り盛りするのが彼らが考えていたこと。らしい。


最初の二週間。
私たち4人は何が起こっているのかをわかるために、とにかく目の前に対応していくと、あれよという間にジャングルワーカーのできあがり。必要経費を払った上で困惑しながら労働提供をせざるを得ない状況は、まさに政府の言葉を信じて突然船で海外へ渡った第一世代移民のような状況。私たちは毎日このことについてどうすべきか正直に、オープンに話した。私たちの誰もが学生や新卒でなく、いろんな仕事をしてきて、こういう経験(いやもっとブラックな経験だってあるさ)はあるが無責任では投げることはできない。しかし常識的に何かが合致していないことは一目瞭然で。。。

与えられた経験を生かしたいという気持ちがありつつ、それでも倫理的に筋が通っていないということで、結局、私たちは最初の「休日」に、ガイアアシュラムを出てマットミーゲストハウスにもどって息抜き。みんな、ほんとにぜーぜーしてた(笑)。シャワーでメルトダウン、マンゴラッシーで昇天(笑)。

マットミーゲストハウスのガーデンカフェで、すごくいい経験をもらっていることをみんなで確認した。赤毛のジェームズも、マットミーのオーナーのジュリアンも参加して、みんなで話した。隠し事なんてひとつもなかった。大きなプロジェクトがタイの東北部でキックオフしようとしていた。ガイアアシュラムのことはみんな知ってた。誰も敷かれたレールを歩きにきたわけじゃない。ジャングルを覆っていたルキナの木々は伐られたが、これは雨季に育つネイティブで、すべてが木材となるために育ちオムの父親の手によって家となっていった。私たちは土地を耕し、コンポストをいれ、果樹と野菜を植えてまくった。いくつものパーマカルチャーガーデンと、フードフォレストを整えた。トイレも建てはじめた。みんなでご飯をつくって、食べて、シャワーは池で、その後ゴロ寝した。


私たちが到着した前もあとも、ドイツ、ロシア、イギリス、トルコなどからガイアアシュラムのプロジェクトを聞いた人たちが個人で訪れていたけ。だけど、あまりの原生ぶりに、誰も長期で留まることなく去っていった。その彼らの一人ひとりの持ってきた力が、青空シャワーを完成させ、コンポストトイレエリアを整え、キッチンがキッチンとして機能していく様子を見て、有機的としか言いようのないコミュニティの成り立ちかたをみせてもらえたような気がした。濃すぎる三週間でいろんなことを学んだことは間違いない。


でも、もう一日たりともあの環境では働きたくないと感じていた。
「搾取」という共有感情が芽生えそうな直前にいたことも確かで。


ガイアアシュラムにもどってすぐミーティングを開いた。
オムは、私たちの想いを聴き、こちらの意識と姿勢と提供する労働力に対しての、受け入れ態勢と対応のなさにその場で即謝罪し、インターンを解散させた。早かった。インターンとして私たちが払った必要経費は返金することを約束。私たちの労働に対して慰謝料的なものを支払う話も出たけれど、私たち全員合意で拒否。あまりの対応の早さをみて、誰でも同じかな、ガイア側もいろいろあっていろいろと認識していたけれど、行動になっていなかったのかな、と察した。どの立場が善い悪いなく、正直な環境を整えて話すことが最善策だということを確かめられた。オムとトムの家の二階のバルコニーで、そよぐ熱波を頬に受けながら、ここでも、四人四風の(リーダー、バランス役、ムードメーカー、論理的思考)役割エネルギーがばっちりだったのを今も覚えてる・・・。

ここで、インターンはあっという間に解消!で、
もう、ガイアアシュラムを離れて結構です、と。

ちゃんちゃん!


じゃねーよーで(笑)



人生の喜びある経験は、どこにあるかわかりません[黒ハート]
モニカ、ルース、ミン、ヤンヤンと私の五人は、ここからオムとガイアアシュラムと真新しい関係性を築くことになるのです。

なにせ、ひと月後に30名超が都市部からこのジャングルへやってくる事実は変わらない。
もう秒読み状態なのに、コンポストトイレも青空シャワーも滞在場所も確保できていない。

一方で私たちは、すでにタイでの滞在時間を確保してあり(インターンのため)、帰国や出国の必要がないところにいたので、オムとガイアアシュラムをバックアップするために残ることにした。いや、アドベンチャーに参加するというか?

オムのお父さんはルキナの木でどんどん住居をつくっていき、キッチンヘルプとして地元の女性が二人雇われ、そして私たちはできることをやろうと、できる範囲でしたいことを有機的に行っていった。私は、離れのルキナの家をモニカとレンタルし、そこでリトリートをしながら瞑想と精神的サポートとカウンセリングをすることを提案した。みんな、個人的に新しいアイデアを提案して、残ることにした。確か、オムがガイアアシュラムの受け入れをオープンにしたので、男性が何人も到着し、とんとんとんとシャワーも家も完成していった。そこに、トルコ人のぺテックが登場。タイではたくさんのプロジェクトを行ってきた科学者。ワークショップの裏方はこれでそろった!

これは、まるで意識した意識がマグネットのように寄りあつまり、技術や知識や経験などが組み合わさってチームとなり、それが(全体として)あるがままに調和し、つまりそのままで完成されている、ということに気づかされる経験だった。

ご縁とは、創造主の采配

創造主は意識の主。手放しで、サレンダー[手(パー)]



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オムは、私たちの意見を前向きに取り入れ、ワークショップという大きな目的実践のために備えた。オランダ帰りのオムとトム二人だけでは、しかも第一子を妊娠していたオムには、大きすぎる仕事だったようなのは明らかで…。いろんな立場と意識の人間が、暮らしをつくっていくこと(人間育成、食物確保、ハコ作り、調理、トイレ、コンポスト、リサイクル、掃除…、そして朝ヨガから日々の勉強会と非暴力コミュニケーション練習会から夜の瞑想まで)を、みんなで実行企画して経験をさせてもらい、これこそが人間がつくるロー(Raw)な「プロジェクト」なのかと感じました。目的があったからこそできた。

もぅ、お掃除時間でさえもこんな感じ(楽しすぎてエクスタティック)。
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そんなかんな、ガイアアシュラムは一ヶ月の滞在型ワークショップを迎え、一人の女性が途中で去ることを決断したことも含め、トラブルなく成功に収まりました。

参加者の中には、私たち4名が長くチームで働いているか、ガイアから雇われているスタッフだろうと思っていた人がいたようで、最終日にただのボランティアだったことを告げると驚いている人が多かったことがなんだか新鮮だった-特にヤンヤンはすべての勉強会に参加しながら企画側(裏方)も勉強していたので、一体何者なのって感じで!

都市部から暮らしのシフトをしようと決めた人たちが、そうと決めたものの、オフグリッドで住むとはどういうことか、買い物したりケータイで過ごす時間がないところで、どのように新しい生き方を、手と足と体と心をつかって、模索していくのか、こういうことを大人数の舞台でサポートできた経験に、心から本当にあり難く感じます。

私はタイに行く前、オーストラリアのオフグリッドの森でキャンパーバンに住み、ケータイもパソコンもなく、有機野菜を育てて、主に物々交換で生きていましたが、それは己の生き方、生き方をつくる価値観、価値観を形成する信念体系を見つめる作業、心を癒す作業、ご先祖様とのつながりを思い出す作業、自然の一部であることを感じなおす作業、旧い自分を脱ぎ去る作業などと、自分ひとり(のことだと信じていたこと)に集中(せざるを得ず)して、個レベルで行ってい(るだけと思ってい)ました。しかしこのガイアアシュラムでの経験は、私という個人の健全さにもう一度目覚めて生きなおすことは、ガイアを含めて自分の人生の目的にも沿い、コミュニティや地球や人類全体の健全な成長とも沿うものであり、私にも存在位置があったということを実感で教えてくれたようです。オムとトムも含めて、インターンのみんなそれぞれが貴重な個人の体験を持ちよって、この全体の経験ができたのだなと思うと、人生の奇跡的で有機的なご縁にさらに深い神秘を感じます。


ワークショップが開催されている間に、こうしてつかの間の休息…

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さて、このワークショップが終わったとき、後から参加した裏方ぺテックと、ヨーロッパからの4名(2カップル)とタイ人女性はガイアアシュラムに残り、さらにガイアアシュラムの基盤づくりをすすめました。このうちドイツ人の友人とは今も繋がっています。手作り商品のマーケットへの出品やブランディングがはじまり、マッドブリックの建物(『マリアのフェアリーハウス』)が建ち、定期的なパーマカルチャーワークショップが開催されたりと、今のガイアアシュラムの礎を固めていった様子を、ニュースレターが教えてくれています。


こうして、人生に一度だけの貴重な経験をさせてもらった私たちは、みんな笑顔でガイアアシュラムを去りました。


今では、ヤンヤンが看板をつくっているとき、いつもいろんな話をしていたことが思い出です。

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その後・・・
ミンは、ベトナムに帰って、ホーチミン近くでプロジェクトを開始。
モニカは、タイ国内の次のプロジェクトで子どもたちのサポートに。
ルースは、タイ国内を旅行しつづけ、後に私の瞑想の滞在先に合流。
ヤンヤンは、数年後に私の住むオーストラリアに3ヶ月の間滞在し、
パーマカルチャープロジェクトへ滞在して学び、私が住んでいた南オーストラリアのエコビレッジでウーフィンをした後、中国の田舎へ移住し、森で自給自足をしているとのこと。
私は、マットミーゲストハウスに一旦もどり、不思議なご縁でそれからもタイに滞在しました。


私の人生のマーカーポイントとなった忘れられないガイアアシュラム。オムやみんなとの出会い。
これからも、ガイアアシュラムが滞在者とともにすばらしい発展と成長を遂げていきますように!


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本日も、語尾に統一性のない私のベストな日本語にお付き合いいただき、まことにありがとう御座いますた!



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