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人生のやさしい変革術(後編)〜今ここから〜

:-+:-+:-+このブログは、人生のやさしい変革術(前編)〜変革ってなに?〜の続きです:-+:-+:-+


[5]『模索期』のはじまり
模索期は、いわゆる魂の旅。願望次第でいくらでも長くなり、いつまでも続けられます。仕事を変え、パートナーを変え、クリニックやセラピストを渡り歩き、内面の旅(スピリチュアル)に傾倒してインドから宇宙へ。心が求めているのなら、どれもが必要な道のりです。誰にもある闇の部分が肥大化する可能性もあるのも、この時期。経験し、学び、得て、手放すフローがうまくいかず、どこかに執着することで、高次の目的に沿わない部分を自ら肥やしてしまうことも。それが生活習慣病として顕在化することも...
模索期は不要であれば模索しなくてもよく、もちろん思う存分楽しむもよし、もう飽きたと言うまで模索するもよし。この人生の生涯を模索期にあて、次回の人生で繰り越すことだってできます。いつまで模索し続けるかや模索を辞める決定力が、もうついています。辞めたいときに、辞めると宣言して辞めることもできます。

模索期が長くなれば長くなるほど、習慣にも惰性にもなりがちです。が、あるタイミングで気づきます...


あなたの人生で 探し求めているものを 見つけられるのは 

誰でもなくあなただけ あなたのこの人生を通してだけ 


出会ったすべての人、経験したすべてのことが、必要なことをすべて与えてくれた

憎しみ、悲しみ、孤独、怒り、痛み

あなたが無償の愛を知るために


あなたの心の中にある神聖な存在

抱きしめ慈しむことができるのは あなただけ

もう一度チャンスを与え 闇に光を与えることができるのも あなただけ


人生とは あなたの人生を通して 今 ここで あなたが生きること



[6]旅も道もなかったと気づく、『今ここ期』
ここへ一度到達すると、『今ここじゃない』場所へ戻ることはもうできません。双六の上がりみたいなものでしょう。でも、上がりのあとの世界には程度らしきものがあります。瞑想を通して養うことができる、本質を見極めることのできる穏やかな心の状態(=マインドフルネスや無我と呼ばれる状態)を、日々の作業(仕事、家事、お茶など)をしながら持続できるようになります。それが超一瞬であることもあれば、よく起こることもあれば、残りの人生ずっとその状態が続くこともあります。その心の状態から人(類)や風景(社会)を観れる時空の中に、長くいればいるほど、まわりに普く存在する「生命」の存在に気づきます... 万物を生かすいのち、それは『愛』というエネルギーで成り立っていた。個人的な愛を完全超越した愛。母なる地球、宇宙、一人ひとりの愛、これら総体でひとつで無限の愛。私たちにはこの見えない愛を、温める(養う)力も、冷やす(止める)力もある。

[7]...
それから先は、あなたの遺伝子に描かれた青写真が自然と展開しはじめ(私たちの遺伝子の95%は眠っていますからね)、想像もしなかった聖なる美しく愛に満ちた人生が待っている、、、ので、そこへ向けて前進することができます、それを選択したいならば。選択しなくてもいいのです。ようは、私たちには選択し創造する力が備わっている、ということです。その創造力を磨いて使うか、磨かないで使わないか、何であれ選んだ人生を自由に創造できるのが私たちという存在。

そして夢の創造は、このブログの始まりに描いたように、高次の愛に沿うにしたがって、容易に実現していきます。

そうそう、今の家は以前の4倍ほど。菜園スペースが広がり、セラピールームも整いました。雨水タンクがないため、自然水生活はできないかと思っていましたが、自然水の恵みを理解している知人が、十分すぎるほどの雨水を提供してくれます。
水道水を与えた植物と、雨水を与えたそれを比べた実験、ネットでも見かけますね。結果は歴然。


前出の写真を描いてから3年後の今年1月。心に描いたビジョンです。
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私たちの家と庭ではなく、数ヘクタールほどのファームに小規模コミュニティを展開

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夢は遠くにあろうとも、心にいつも描いて、そして行動していれば、いつか叶います。自らを強く強く信じ続けて、自然とつながることを心がけ、毎日を感謝して大切に生きるのです。人は、すぐ言い訳をしたがり、慣れ親しんだことへ戻るのが好きです。私は○○だからできないとか、私の今いる環境は○○だから動けないとか、それは慣れ親しんだ逃げの常套句です。今の人生がどのような状況であっても、誰でも、人生の見方を変えることはできます、もしも見方を変えたいのならば。そして、今のあなたの人生を通して、あなたの求める解決法が得られます。

日常生活で、ふと「何か違うな」とか、「このままのやり方ではもう立ち行かない」と感じたり、「限界が超えている」と直感がささやくなら、その感覚は本物です。とても大切な心の声です。社会の流れ、世界経済の流れ、教育や文化の在り方や、自然界が、私たちを目覚めさせている時代です。私たちの慣れ親しんだ暮らし、その暮らしには文化や伝統や風習や信念など数えきれない「信念体系」で成り立っています。あなたが本当にしたいことが、そのワクを飛び越えているなら、今こそ勇気を持って信念体系の枠組みを抜けてみてください。すると社会や世界の見方が今までよりもクリアに見え、そしてきっと生きやすくなります。私たちは、私たちの力で苦しみから救われる道を見いだし、愛の中にいることを選択できます。だからと言って、今あるシステムを破壊して原始時代に戻るというのではありません。新しい生き方を、選択できる時代がきているということです。その人生を創造する力が、私たちに与えられているということです。

生活の中で、どんなに小さくても「これはちょっと違うと感じる」なら、きっと他のアプローチがあります。疑問をもち、心が納得する正統な行動をとってみることから始めましょう。

あなたがふと感じる疑問(心の声)は、まるでちょっとした個人的な感覚で、大したことがないように感じることがあると思います。いいえ。とても、とても、大切な心の声です。どうぞ信じて、勇気を持って、行動に起こしてください。誰よりもあなたがまず最初に幸せの心を取り戻すことができます。その次には「一番大切な人」...愛する子どもと家族、愛する人があなたの愛をで感じることでしょう。私なんて、ではないんです。あなたの人生では、あなたが誰よりも大切な存在です。

行動と言っても、何を、どう行動すればいいのかわからないというのなら、ひとつお勧めがあります。それは、毎日ちゃんと静かな時間を持ち、坐り、自分という存在を慈しむという『今ここ』活動です。

今、あなたをくすぐる何かが心にあるとすれば、それは行動する選択肢が出現したサインです。よかった。それはとても前向きなサイン。自分にも人にも地球にも優しく、より大きなと人間へと成長できるまたとないチャンスです。


穏やかで喜びに満ちた人生を歩めますように...合掌。
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人生のやさしい変革術(前編)〜変革ってなに?〜

2015年の今日、皆さまいかがおすごしでしょうか。
新年はいつもとほとんど変わらぬ普通の日。どころか、スチュアートも私もお正月前からずっとバタバタしていました。実は、このお正月に私たちはエコ・ビレッジを「卒業」しました。

ビレッジを出て、(村人が呼ぶところの)普通の郊外に引っ越しました。

普通の郊外は、ビーチへ徒歩5分(近〜い!)
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今回の「卒業」は、「大家が家に戻ってくるから、退去!」という、ビレッジ中が驚くニュースで幕開けしましたが、実はうすうす予期はしていました。家の菜園に立つたび、「もう野菜を植えるスペースがない」とか、「エコ・ビレッジではなくとも、エネルギー的にサステイナブル(持続可能なエネルギーを使う)暮らしはできるのではないかな」、などと心でつぶやいていたからです。内なる心と外界が同調しはじめると、何を考えるかに責任をもたなくてはならないというのはこのこと。つぶやいたことがすぐ現実化します。

それに加え、この数ヶ月で(ビレッジ)外のコミュニティと積極的につながることが多くなり、ビレッジの外ではある意味「ビレッジの○○さん」というようなレッテルがなく、自由に無限に何かが広がり繋がっている感じを得ていたこともあります。そして、東京で描いた「未来の家のビジョン」が、もうとっても小さく感じ始めていました・・・。

東京にいた際、こんなビジョンを描いたり(もう過去なのでボヤけぎみ)
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私たちの家のビジョンは強く、庭は弱め。

何よりもオーストラリアに移住してからの15ヶ月間、ご近所の底力を存分に活かし、自然農法やパーマカルチャーを学んだ経験と、つないだ人脈はまさに宝です。そしてまずは旦那さんのスチュアートに感謝、感謝です。

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さてさて今日は、人生が変わる時、人はいったいどんな流れを踏んでいくのか、突然ですが追ってみました。超物質派だった人が、精神的に満たされた人生を歩むようになるのに、数年かかることもあれば一日で変わることもあります。だけど、実は今日それをすることもできるのです。ん!?

方法はやさしいけれど、ブログが長いので、途中を飛ばしたい方は、この続編のブログ〜今ここから〜【イマここ活動!】へジャンプしてください[グッド(上向き矢印)]

ちなみにですが、人生が(詳しくは、人生の見方が)変わりはじめることを、ある人は「意識が目覚めはじめる」と呼びます。人生が変わった(人生を変えた)人は、「意識が目覚めている人」と呼ばれることも。「目覚めた人」のことをサンスクリット語では『ブッダ』と言いますね。ありがたいありがたいつまり、積極的に人生を変えた人は、意識というものが目覚め、その意識をコントロールして、人生を高次に創造できるようになるわけです。

では、人生変革劇場をご覧いただきましょう↓↓

[1]身体を動かし、せっせと活動して生きる時期『主に身体を通しての人生期』

→物質面
遊びだったり、仕事だったり、美容だったり、スポーツだったり、今楽しいことを楽しんでできる時期。社会や会社の「決まり」が絶対的で、受け入れ、従える。ニュースやメディア情報がとても大切。毎朝のラッシュ電車に小走りながらも乗れる。イヤフォンから音漏れして嫌がられる側である場合も。深夜仕事で帰宅しても、数時間の睡眠で出勤できるよう社会時間がセットされている。無駄な時間はあるとわかるが、どれも削れなく、結果的に時間がない。「私の」「私が」や、アイデンティティが強い。傷つくことに恐れを感じない。ある意味とても自由。人生をこの期だけで終わることもあれば、最初から興味のない人も。

→心の面
今ある範囲で満たされている。忙しい人は緑や自然が恋しい。単なる観光旅行は飽き、好奇心をくすぐることをしたい、誰もいったことがない所に行きたいなどの願望がある。身体は強く、疑問が少ない。内なる静けさを得る時間があれば、身体を動かすことや社交を好む。もっと欲しいちょうだい、そして得られる。


[2]心が存在することに気づきはじめる『心そわそわ期』
−繰り返される不調や「クセ(ドラマ)」を通して、自分では意識してない「何か」が、人生を動かしているかもと感じる時期

→物質面
ある程度の仕事がこなせ、生活がまあ安定し、人間関係も悪くない。自分の思うように人を動かすことができ、ステイタスや安定があるが、これが想い描いた生活であるかは少し怪しい。欲しい物はある程度なんでも手に入る。遊び、仕事、趣味、彼氏/彼女、洋服、腕時計、車。手に入っては飽き、次を探したい願望やサイクルが早くなる。スローダウンできない。人生を過呼吸で全速力気味。疲労、腰痛、肩こり、眼精疲労。

→心の面
目の前に姿を現したり、消えたりするものの多く(実はすべて)は、自分の内側の「何か」が原因で発生しては消滅しているのかもしれない。でも「これ」という原因は特に思いあたらない。手に入れて納得したはずなのに、手にしたとたんに「あー、またこれじゃない」と感じる。イライラしたり、辛抱が足りない。怒りっぽい。心からの欲求を満たしてくれる物があまりない。癒しや神的なものに触れたい気がする。もしかして、もしかして、自分を見つめ直す頃と言うこと?交換したり、修繕したりできるものがあまり残っていなく、あと残ったのは自分だけ。瞑想がいいと伝え聞く、いつか始めるだろうな...


[3]打つか打たないかの決定権付き『決定打期』
見逃せないサイン、立ち行かなくなるサインが出る時期。まだ見ぬ「意識の扉」を開く頃、、、開きたいならば。

→物質面
お金、人間関係、仕事、結婚、家族、子育て、親子関係、中毒、事故、健康、愛する人との別離、これらのどれか、または自分の「弱点」(実は人生における先生)がきっかけで、ちょっと闇、どん底、ボロボロになるか、なる直前。または、ガタガタになって修復できないのを知った上で、布でもかぶせて見ないふりをしている自分がいるのを十分知っている状態。
習慣的にしてきたことができなくなる。今まで通りかしたいように暮らそうとするため、何かのやりくりが必要。生きる上で根本的且つ本質的なことに疑問が出てくる。隠し事がある。なんで働いてるんだ、なんでここにいるんだ、なんでこの人と過ごしているの。モノゴトの意味を問いたくなる。

→心の面
神様仏様何様でもいい、誰でもいいから助けて欲しい。でも誰にも言わない。躁鬱、慢性疲労、不眠、過食、消化器系不良。


↓↓
どうしても解決策が欲しい、と祈り、行動し続けることで、自動的に意識が目覚めはじめます。


[4]気づいたら次は行動『人生リアル変革期』
→物質面
心に芽生えた人生の本質的な疑問は、もはや無視できません。短期的な解決法は不要、便利で手軽な答えはいりません。長期的もしくは半永久的に、今ある悩みから解放される方法を求める。天職を得るためや、不調の改善または治癒のため、「楽しかった子どもの頃ような無垢な時を過ごしたい」ため、生涯のパートナーをみつけるため、本当にしたいことをするため、「将来の社会や自分を恐れないで生きる」ため、なりたい自分になるための方法を求める。これだけ溢れている情報に、自分の求める答えはないことに気づく。情報のソース、とり方、出会う人が変わりはじめる。ここで、すでに同じ道を歩み、導くことができるアドバイザーやメンター的な人がいると、無駄に苦しんだり、逆方向に暴走するような事態を避けられます。

→心の面
物質ではなく、眼には見えない、手に入りにくいものを手に入れたいことに気づく。新しいような、でもすでに知っていたような知識を数珠つなぎに吸収し、経験していく。焦りがち。一方で恐れや不安がクリアになっていく。「愛」が何だか知りたい、人生最大の謎が誕生。「答え」や「人生」探し。


いかようにも長くなり得る[5]『模索期』からは、人生のやさしい変革術(後編)〜今ここから〜へ続きます。





響きわたるシベリア杉シリーズ [お勧め本]

オーストラリアに来てから英語力上達のために、大量の洋書を読むようになりました。読んでいる本をすべてお勧めしたいところですが、日本では和訳が出ていないためブログに取り上げていません。これまでに読んだ洋書は、フェイスブックの本(『読んだ本』)のカテゴリーに入れていますので、洋書でトライしたい方はぜひご参照ください。

ということで、今日は久しぶりに和訳が出ているお勧め本をひとつ。この本との出会いは、数ヶ月前に私が近所で撮ったこの写真↓↓にインスピレーションを得て、心友でヨーガ療法士のSanaさんからご紹介いただいた本です。

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この木がまるで、アナスタシアのようなのです。アナスタシア...

『響きわたるシベリア杉』 シリーズ全9巻(1巻ー8.2巻まで)アナスタシアは、第一巻目のタイトルです。

日本では1巻から3巻までの和訳が終わっています。また2014年10月20日に、4巻目の翻訳が出版される予定です(参照ウェブサイトとして本分下記からリンク)。英語の翻訳版はすでに全巻完結しています。一巻目が書かれた後、著者本人の手からロシアの路上で直接配られ、そのうちに口コミで世界20カ国に広がりました。

著者はロシア実業家であるウラジーミル・ミグレ氏で、シベリア杉を追っていた2005年に、ロシアのタイガ(奥深い森)で美女アナスタシアと出会うところから始まります。彼のビジネス事業に関する手記のようであり、絵空事のようであり、スピリチュアリティが重んじられるこれからの「目覚めの時代」に、この新分野で成功する実録記のようでもあり、子ども向けファンタジーのようであり、、信じるか信じないかは重要ではなく、、読みたい心にただ触れて広がっていくような本なのでしょう。カテゴライズできない本ほど、すべての人に読まれたい本なのかもしれませんが...全巻にわたって全人類に在る精神性がシンプルに描かれています。

例えば、いつもの日常の、とある瞬間にふと湧き出る「生きることに関する とらえがたく 生きる上では決定的な こたえのない 確かな疑問」が紐解かれていくような本です。私的には、『* パーマカルチャー、* バガヴァッド・ギーター、* 般若心経、エックハルト・トール( * " Power of Now "の著者)、スターウォーズの世界(* ジョーゼフ・キャンベル)、* アニミズム、* シュタイナー教育、などの根源に存るエッセンスが、シンプルに書かれている本』。読みすすめる程に、どんどん優しく、心大きな人間になっていく気がするような、とても不思議でリアルな本です。(*青太字はウィキペディアへリンク)

「あー人生どうしよー(でも行動しない)」、「心の中にあるわだかまり、なんかそれが自分の人生決定してる気がする、これなんだろ」、「どの仕事が自分の天命かわからないけど、これじゃないことは確か...でもそもそも何がしたいかが長らく不明」、「生きる意味?」「愛とか魂ってなに、そもそも育めるたぐいのもの?」、「この社会や教育システムの在り方はこのままでいいのかな、深すぎて広すぎて無理 ... なんかひっかかるけど、明日も忙しいし寝よう」、「もう限界、身体的にも精神的にも日々の暮らしが限界を超えてる」、「周囲や社会から何ソレする年齢でしょとか言われても、したくない、のにして(させて)しまう自分...あー...」、 などと頭を忙しく回転させては結局解決の糸口がなく流しまくってきた昔の私のような人間にお勧めできる本です。


人と自然の関係(宇宙銀河から見た人類の位置)、緑(菜園)を育てることの意味、私(エゴを持つ私)と(私の内に存在する)偉大な存在との関係、人の心にある大いなる魂とは、「愛」を育む方法、父親の役割、母親の役割、子育ての在り方について、いろいろなテーマについて書かれています。知りたい事があれば、著者にお手紙を書かれるとよいと思います。もちろん教科書やテキストやノウハウ本ではありません。個人の中にある大いなる存在が、それぞれの人生を善き方向へと導いてくれるように、道しるべを立ててくれるような本です。


ちなみに、例えアナスタシアが実在するとしても、タイガや彼女を訪ねる旅は必要かどうかはわかりません。それぞれの知りたい「答え」はすでに内に存在しており、その人それぞれの愛から発せられる勇気あるピュアな行動により、それぞれの答えへと導いていきます。またアナスタシアが例え存在しないとしても、宇宙の声、あなたの心の声を代弁してくれる「彼女」に会いたいという強い想いは、静かな座禅の時間に音もなく心に届けられ、行動、すなわち日々生きることで自然と然るべきこと・場所へと導かれることでしょう。アナスタシアも文中で語っています、私に愛してくれてありがとう、会いにきてくれることよりも、世界の在り方を変えていくために今あなたができることは、今その場所からあなたの意識...っと、この先は本でお楽しみください。
そしてまた、ミグレ氏率いる実業家協会が世界中に広がり、ビジネス業界から世界を善き方向へと成長させ、人類の魂を尊重しつつ互いに成長していける健やかな想いが着実に広がることに私も賛同しています。


『響きわたるシベリア杉 シリーズ4巻目』の和訳は、日本で今月出版されるようです。私も4巻目に突入です。

アナスタシア・ジャパンウェブサイト
http://www.anastasiajapan.com/

オーストラリア版ウェブサイト
http://www.ringingcedars.com.au/

北米版
https://www.ringingcedars.com/

改めましての、はじめまして。 [ブログお引越しのご挨拶]

いつもブログにお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。

この度、新しいブログをスタートさせました。このブログは第二章『オーストラリアで無我を生きる』。第一章 『実践哲学和道(わどう)で今を生きる』の続章となります。

2009年10月に開始した第一章は、ネット上(SNSミクシ)を通して、志野・デスーザ氏と出逢い、オハイオにいる志野さんとご主人のポール・デスーザ氏を訪ねたところからスタートしました。最初のタイトルは、『スピリチュアルジャーニー〜ファンキーマスターとゆく〜』でした。今でもこのタイトルはベストヒットだったと自画自賛しています。


[かわいい]第一章のあらすじ:

スピリチュアルと宗教はまったくの別物だと信じきっていた、趣味に仕事にストレスも愚痴もいっぱいだった東京生活からのスタートでした。ポール氏と出会った当初は、彼の言語をまったく理解することができなかったのですが、様々な新しい目線での経験や気づきを通して『魂の言葉(スピリチュアル用語)』を理解していきました。ポール氏のアドバイスには、今まで十分してきた言い訳や躊躇を、一切御免で取り入れていきます。第一章に書いたようなアドバイスを次々と実践していくことで、身動きできなかった身体を回復させ、仕事力や直感力をめ、瞑想の技術をつけ、幸せに生きる力をつけていきました。

修行開始直後には【読書禁止令】が施行されましたが、ポール氏との濃い数ヶ月の修行を過ごした後に、手に取った本には、自分が経験したことばかりが書かれていました。お勧め本も第一章にたくさん掲載しています。

一番の懸念材料であった身体と心の痛みの解放は、まず『気づくこと』から始まりました。最も大きな気づきは、子どもの頃に経験した深い心の傷(トラウマ)が、己を無意識に「檻の中の犠牲者」につくりあげ、それを長年引きずっていたこと。何をしても不満足で今を生きられず、恐ろしいモンスターに追われているような恐怖感があったり、同背景をもつ彼と出会っては別れたり、度重なる身体の痛みなどの繰り返された経験が、魂の目覚めに向けての天からの通知であったことに気づけたのは、本当に大きな一歩でした。
先は見えなくとも信念を持ち、ポール・デスーザ氏の言葉とヒーリング(それこそが『和道』です)を勇気をもって実践したことによって、心の奥底にあった深い痛みの原因を理解して、受け止め、解放させていきました。同時に、究極の寂しさ、嫉妬、怒り、そしてそれら発生する持続可能な競争心や「がむしゃら精神」も、理解し、受け止め、手放していく力がつきました。

この魂の成長期を通して、美しいものを(エゴフィルターにかけずに)美しいものとして捉える技術もつきました。尊敬するブッダの本を再読しては、その伝えようとしたことを理解し、同じくトラウマから逃げさせてくれたマイケル・ジャクソンの歌詞を通しての理解を深めました。ギーダーの世界、有機農園でのお手伝い、ヨガや太極拳など、新しく取り入れ始めたものを趣味レベルを超えて楽しめるようになり、生活における充足感もアップしていきました。

その時々の「今」に出来ることを実践しながらも、トラウマの記憶からの急な発作(パニック)は続きました。「もう手放した」「もうヒーリングは必要ない」と言い聞かせ、もうトラウマはないと信じても、もうすっかり忘れたような頃にパニックが大噴火[どんっ(衝撃)]、が繰り返されます。「然るべきタイミングがきたとき、それを手放すことができる。心の中にずっと存在してきたなにものかは決して悪者ではなく、何か大切なことを教えてくれた尊いもの」そうわかっていながら、それを無理矢理に心からこそぎ落としたかった「欲」がずっとあったのでした...

和道生としてポール氏に執拗にまとわりつき、和道ワークショップやリトリートへ参加し、通訳として運営側にまわってからも、和道インストラクターとして闇を手放せないことにジレンマを感じていました。己を全体で受け入れることができていない者が、どうして人を導くことができようか...。深く悩んでいた頃に、今の主人と出会い、結婚し、そしてオーストラリアへ移住し、そして第二章が幕を開けます。

第一章はまさに、ポールデスーザ氏の和道を実践した魂の成長記。ファンキーマスターに光りを照らしてもらいながらのスピリチュアルジャーニー。決して多くはありませんが、5年間で273記事を書き、50万人の方に訪れていただきました。ありがとうございました!

第二章についても、第一章のテーマから大きく変わりませんが、より深い内容で「今を生きて」いきます。和道で身に付いた力で、己で切り開いていく人生...。無我に生きるということが、光悦や至福が長く続く状態だったり、痛みから完全解放されることではないと感じています。私にとってそれがゴールでもありません。幸せになる力をより確かなものにし、日々をその方向へ微調整させながら、善き選択と行動をしていく日常を書いていきます。


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[かわいい]私の詳しいプロフィール:
どうぞページ左側のプロフィールからご参照ください。


[かわいい]前章へのリンク
こちら→第一章『実践哲学和道で今を生きる』
または画面左側にリンクを貼っておりますので、どうぞご参照ください。


[かわいい]Facebookでフォロー:
ブログに書かない、小さな日々のできごとを、写真とともにFacebook にアップしています。こちらも画面左側、Facebook のアイコンから Follow していただけます。


[かわいい]第二章は、オーストラリア移住前後からスタートしています。(1年間、第一章と第二章に同記事を重複掲載させています)


[ふくろ]ブログ引越の経緯メモ:
この度、お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、過去記事にある多くの写真が消失してしまい、復旧できない状態になっています。これも何かのきっかけ。新しいブログでメモリもリフレッシュさせ、新しい章としてスタートすることにいたしました。今後も長めの文章で、たくさんの写真とともに、心置きなくアップしていきます。

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ご挨拶すら長くなる私のブログですが、人生について深く考えたくなるような折には、どうぞ第一章または第二章までお立ち寄りくださいませ。それでは、今後ともよろしくお願いいたします[晴れ]


四苦八苦と無我にいたる

昨年の今日、母と妹に見送られて成田を出発してから、今日で一年経ちました。

ちょっと回顧録...。
海外に行く際はだいたい一人で旅立つので、今回も疑問なく単独出発をする算段でいたら、出発日に母と妹が半休をとって成田まで見送りにきてくれました。道中をぺちゃくちゃと母子水入らずで話せるのことは貴重すぎる時間。成田エクスプレスに揺られながら、そういえば私が東京に引越して母と10年ぶりに一緒に暮らしはじめて、よく温泉に行ったな、とか、妹の運転は上手だったな、とか、美味しいものたくさん食べにいったな、などたくさんの思い出が蘇りました。
ちょっと寂しすぎるかもと感じはじめたのは、そろそろセキュリティチェックを通らなくてはというころ。出発ゲートで母と妹にしっかりとハグをして、行ってきますと言ったとたん寂しくて泣いてしまいました。母が、私の頭を ぽんぽん と優しく触ってくれたとき、小さい頃からきっといつもこうして ぽんぽん してくれてたんだと感じました。人前に出るのが怖くては泣き、完璧にできないとすぐ泣く私に、「大丈夫だからね」って安心させてくれたオマジナイだったのかもと。私は幸せな娘です。

近くに住んでいるからできることがたくさんある。遠く離れているから気づくこともある。どちらもとても大事。心でいつも感じられることがある。

マレーシア経由でアデレード空港に到着し、到着ゲートを出てから、5ヶ月別居した新郎との感動の再会を夢見ていた私。しかしどこを探してもいません。スチュアート、遅れてるやん[バッド(下向き矢印)]結局、駐車場から優雅に、いつものようにスローモーションで歩いてくる姿を見て、いつも今までもこれからもこれが彼の性質なんだと再認識しました。力むことなく新しい生活のスタート。


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(facebookでご存知の方に)移住してから家庭菜園を楽しんでいるのでしょうと言われたら、はいまったくその通りです。今まで気力なくできなかったお菓子づくりもたくさんしています。始めた頃は慢性疲労との様子をみながら、数時間立ってはやすみ、畑に立っては休みの繰り返しでした。最近はスタミなも創造性も戻り、ちょうど初の販売用ケーキにデコレーションをしたところです。

抹茶ホワイトチョコケーキ


最初の3ヶ月は(前にも書きましたが)「ひきこもり期」。それを過ぎると、1ヶ月間落ち着き、その間に母が来豪しました。私の内にある母の遺伝子が、準備をしてくれたんじゃないかと思うくらい、とても健やかな1週間になりました。次の3ヶ月ほどは身体的な痛みが次から次へと出てきました。市内へ行きたくても行けない、庭にも出れない、日本からは友達が来てくれるのに街に出れるのかななどと、不要に心配していました。結局、日本から友達が着てくれた時には、精神的な安心感と喜びがいりまじり、不安一蹴、楽しいひとときを過ごしました。日本語で話して、日本の空気とお土産をたくさん頂いて、お土産話もたくさん作って、そして居心地よく過ごした後に痛みが再発。ちょっと怖さを感じるような心臓と内臓の痛みが、トントントントンと連続で起こりました。

何度か恐慌症不安発作が起こったことをきっかけに専門家にかかり(病気の兆候がみえ)、すぐに食餌治療とハーブ・レメディともう一度のヨガを始めました。痛みからの解放に集中しようと決めてからは、中国医、ナチュロパス、サイコセラピスト、心理セラピスト、ホメオパスと、次から次へと必要っぽい治療が(時には無料で)やってきて、私は受け止めるだけでした。然るべきことが、然るべきタイミングで訪れていることを感じました。その間も、髪の毛が抜けはじめ、手足のしびれが止まらず、強烈な偏頭痛が続いていました。自分では「エゴ」を手放し、やれることをやり、心を明け渡していると信じているのに、痛みは止まらず、私という存在は何かに向かって一切を落としきるかのようでした。

血液の詳しいことはテキストで学んだくらいしか知りません。だけど、顕微鏡を通して自分の血液が滞ったさまを見た瞬間に、心が決まりました。瞑想や気功/ヨガをしているから「マインドフルネス知ってる♪」と言ってた己を笑えるほど、究極のマインドフルネス生活がはじまりました。食べる、歩く、話す、料理する、パーティ参列、イベント、会議、すべてにおいて「今」と「今の私」を意識する生活。怠ると、今この瞬間に身体が悲鳴をあげるような具合でした。善い修行です。

光がみえてくると、陰の存在に気づく。明かりが強くなると、闇も強いように感じる。夜明けの前の空が一番暗い。そんな言葉が何度もよぎっていきました。いつかクリアに明けるとわかっているけれど、クリアになるまでの闇がきびしく感じられる。

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『空』、『無我』と呼ばれる状態、もしくは『マインドフルネス』の状態を自身で訓練すると(集中を要する連続した作業(職人行)、呼吸、または瞑想)、自分の内面に、人生をみつめなおすきっかけとなる様々な「材料」が映し出されます。心に強烈に焼きついた記憶(最上の喜び、悲しみなどのトラウマ)もそうですし、特に八苦(仏教語)に関わる苦しみ(*「生老病死」という苦(人が思うようにならないこと)に加え、愛する者との別離、怨み憎んでいる者に会うこと、求める物が得られないこと、人間の肉体と精神が思うがままにならないこと、の四苦を足したもの)を経験している最中に、マンドフルネスを実践することで、自分の人生の足かせになっているものを、客観的に(第三の眼または高次の眼)でみつめることができます。


人の苦しみの根源は、生まれてこのかた自分の頭でつくりあげてきた「思考」が原因だとよく言われます。例えば、生まれ育ち、家族、信仰、文化、教育や仕事を通してじっくり着実に育まれた「すべき」ことや、こだわりや固定観念。ゴールをもち達成すべきだという社会の思考体系、暮らしている社会に存在する時間概念(いわゆる胎内時計じゃない時計)など。無意識に培われたものがほとんどでしょう。マインドフルネスを通して、自らの内に存在する自分を苦しめている「材料」を自ら見いだすことができれば、とりあえずそれで十分。次は行動です。でも、心配はいりません。誰人の根底にも、叡智の存在が住んでいて、私たちがマインドフルネスの状態でいると、次の行動が自然と発生していきます(自らもしくは天から)。もちろん、人は「思考」という便利なツールを使って、いくらでも明日を、未来を、人生そのものを創造していくことができるのです。


さてさて頭によって考え抜かれた「思考」が自分の人生を支配しはじめると、「エゴ」とよばれる自分ができあがっていきます。気づかぬうちに、「エゴ」が人生を先導していきます。この世では、「エゴ」を「私」と呼ぶのが普通です。「エゴ」はすばらしい学習ツールです。それぞれの人生の意味は、「エゴ」を通して観え(わかり)、「エゴ」があるからこそ、さらにその根底にある「存在の本質」に気づくようになっているのです。「エゴ」に気づく、または手放す方法は、日々の瞑想または呼吸です。


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上記をふまえて、私の過去1年間も、今まで以上に今に集中し、まったく新しい日常に(正しい表現ではないけれど関西弁で言うところの、形容詞をつけて『高次の)「アホ」』になって溶けこんでいきました。先にあげた幾つかのセラピーが目前に差し出されたあとは、面白いことに、美術や芸術の場が現れはじめました。家の前のピクニックエリアの傍らに小さな池を作ったり、陶芸をはじめたり、ピアノをひいたり、歌ったり。ベンチに座っていたら、散歩をしていたら、天の計らいでその場に連れて行かれて、材料も全部フリーで、さあどうぞ!という流れ。オープンで、心を天に明け渡していると、人生はどんどん次の幕をひらいていくようです。

それはまるで、痛みと過ごす夜長に、強い朝陽がさしこんできたようでした。決して痛みが消えたのではなく、自分が痛みと同調し、自分が痛みの中に「ある」ことで、痛みが溶けていったのです。

暗い雲が薄くなり、光りが射して、また陰り、そして今、移住してちょうど一年経った今、身体が以前より強くなり、スタミナとガッツがついたことを実感しています。先週行った血液検査の結果、「理想の血液状態のサンプルに使えるレベル」に至ったので、、、ここにご報告申し上げます。いつも事後報告になります。

いつも支えてくれる母、家族、遠くから見守ってくれる心友たちに心から感謝します。私や家族や親友だけでなく、あらゆるすべてのものが内なる穏やかさを見いだし、愛を感じ、その愛が日々の暮らしを、地球をいつも温かく照らしていますように。


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四苦八苦とは、
「生老病死」という苦(人が思うようにならないこと)に加え、
愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
Wikipediaより引用



期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

オーストラリアへ引越して10ヶ月が経ちました。パートナービザがおりた今も、『己を知る』旅は続いています。

引越し後、こちらで時間ができたので念願のズンバとテニスを始めました。しかし、直後に身体が悲鳴をあげすぐに止めました。それから数ヶ月は半日の外出も難しく、菜園で働くのは30分が限界、1時間動くと翌日寝込みます。肩から指まで常に痺れ、胃腸は不調、眠れない夜が続きました。鍼灸治療を始めました。

身体の痛みは、精神の状態が顕在化したものです。ここで、この状態からどうすれば穏やかな幸せを感じることができるか、またもや自らの人生で人体実験してみることにしました。


++―――++―――++―――++―――++―――○o。 ○o。


東京から大自然エコビレッジへの移住で、考えられる何もかもが一転し、移住直後は「(自分にとっての)普通な生活」ができませんでした。いちばん馴れないのは南半球生活。四季が逆転し、太陽と月の軌道が変化したことで、胎内時計が今も狂っています。
例えば昨日、寒い夜にジャズを聴き、ロウソクの光でローストチキンを食べながら、あれ今日はいつだっけ?7月です。カレンダーをじっくり見ても、今日の日付がしっくりきません。

慣れ親しんだ時間の流れ方、ライフスタイル、文化、精神性、便利さは、日常にもうありません。期待するような返答が相手から帰ってくることは皆無。「空気読めへんのかっ」とひとり暖簾に腕押しすぎて疲労。言葉の壁で知りたいことはわからない、伝えたいことは伝わらない。日本ならすぐ手に入るものが手に入らない。日本の都市部の世界観と、オートラリアの田舎のそれとの間で宙ぶらり。便利さをお金で得る暮らしから、便利さは自然から借りてくる生活。太陽や月の軌道でさえ、慣れ親しんだ線を描かない。東京では週末ようやく神経がほぐれるかどうかのビリビリした精神状態が、今はひたすら雲や木の音を聴いて過ごす生活。静寂を獲得するために常に戦い続けた「バトル」も消滅。「働く」という概念が今まで生きてきた国とまったく違う。ホリデーではない、これが日常。これら一切が疲労につながり、移住後はいつも眠く、そして持病から痛みまですべてどっと吹き出てきました。

これはずばり、期待をしすぎていることが原因で、不調になっています。過去の私をオーストラリアに一緒につれてきて、期待している心地のよい道を行けると決めていたのです。

ぐるぐるまわる「期待」を自らまわし続けて、イライラしていました。イライラするから身体が痛いのか、身体が痛むから落胆するのか、負のスパイラル。...に突入する前に、意識のリセットです[手(パー)]


まず、期待を手放しました。どうやって手放すかのアイデアをいくつか書いてみました。

1.ジャッジ(善悪の判断を自ら)しない

以前慣れ親しんだ生活のことを本気で恋しがったり、悔やんだりしない。ここにないものはない、なら良い意味であきらめる。新しい習慣、新しい生活、やりなおし(別居後の)新婚生活、あるがままをあるがままに受け入れる。ひとつひとつの物事に対して、好きも嫌いもありません。ただ、それをそれとして受け入れるだけです。物事はそこにあり(起こり)、そこに今「私」はここに居るだけだということです。人付き合いもそう、日々のできごとに対してもそう。好きも嫌いもなく、ものごとが起こっていくだけ。判断をしないで、心地よいと感じるものを自然に選んでいく。


2.過去の自分を話さない

ある日、ご近所さんと話していた時、私は自分が過去に存在していることに気づきました。過去の自分や昔の仕事のことばかり話していたのです。そして感情も(もれなく)セットでくっついていました。新しい場所では、誰もあなたが何者であるかを知りません。自分が何者かを伝えるために、履歴書に書いてあることや、過去の自分を話しがちです。すると、「今の自分」は消えていきます。今の自分は、過去には存在せず、過去の自分は、未来にも存在しないのに、です。
過去は過去でいいのです。今は「今を生きる」ことに集中したいからこそ、過去に執着しないということです。また心を「過去」に戻さないのと同時に、今の状況から逃げるための「未来」についても話しません。今をせいいっぱい生きるだけです。


3.今を受け入れ、どっぷりと浸かる

今の環境をそのままで受け入れる。例えば、あれがないこれがないと言わない。食にしても、食材を求めて探す事をやめました。今あるものや旬のものを使う、というよりもはや究極で菜園にあるものを使っています。頭でひねり出した英語が通じなくても、もういいやと思うようになりました。言語で失敗しても、ハグしたり目から伝えられることには失敗がありません。今にどっぷりと居ることで、自然と楽しさを感じれるようになるのは素敵な効能です。


4.感情をコントロールする

イライラすると、一人になる。外へ出て、新鮮な空気を吸う。コントロールできないレベルの感情の淵に落ちてしまうと知っているならば、その前に周りに相談して、自分で感情をコントロールできるような環境作りを事前に整備する。この項目は今は少し易しくなりましたが、長くとても辛い「修行」でした。

以前は、思うように行かない毎日、思うように生きていない自分に対して心の奥底で怒り続けていました。だから小さなイライラが起こると、心の奥底の怒りが連鎖して、自分の内から大噴火していました。数年前から「今」を受け入れる努力を続けたことで、人生から要らない(過去の)ものがそぎ落とされ、(今の人生に)必要な物がどんどん流れ込んできて、人生の基盤を築きなおしたことで、心の奥底にあった怒りの層はどんどん消えつつあります。感情がアップダウンすることがあるならば、これは心の奥底に積み上げられた何らかの感情に原因があるかもしれません。


4.感謝する

ありがとう、ありがとうと、言うことです。目の前にいる人、私がここまでやってくるために出会った人、家族。自然、植物、生き物、なにもかも。みんなに感謝し、生命に祈る時間をきちんと持つことです。

今いる場所がどこであっても、今、自分が存在する場面に登場するものすべて、感情もふくめてすべてをただ見つめてそこに居る(在る)だけです。感情はなくなったのではありません、感情を感じている自分もしっかりと見つめるのです。この連続が、不思議と感じるかもしれませんが、とても穏やかで幸せな状態へと導いていきます。これは心の訓練次第で、誰にでもできることです。


++―――++―――++―――++―――++―――○o。 ○o。


さて、不思議な事に、過去の傷を癒すことやヒーリングと呼ばれるものは、日々に専心することで起こるように思います。いつもよりさらに意識的に「今を生きる」を実践して二ヶ月も経たない頃、通っている中国医療の先生で鍼灸治療をした際、ハートチャクラの胸側と背中側から大きく出血しました。体内の血の巡りが悪いことは現代人によくありがちな症状ですが、先生曰く「出血は稀だけれど、若い頃にうけた衝撃の記憶が、血とともにハートに澱んでいるケース」と。その治療はリチュアル(儀式)のようになり、たくさん泣いた後には、身体の痛みからどんどん解放されていきました。私の内にある一枚の「記憶の画」とそこに癒着する「感情」が、今を生きることに集中することで薄まりました。


移住した国で母国のように暮らすまで、かなりの時間がかかることは承知しています。穏やかに今の環境へ適応できる理由の一つに、日常に瞑想があるとも言えます。瞑想をしたからといって、魔法のように人生から困難が消えることは決してありません。エゴにより動く自分ではなく、心の奥底から声を発する「本当の自分(高次のセルフ)」とつながることで、苦しみや痛み、そして光悦や仮の喜びを、その高次の眼でみることができます。

また瞑想は、生きるために与えられた最も尊く基本な行為...呼吸に集中することを、自分に知らしめる訓練でもあります。瞑想の効果は、ゆったりと始める呼吸が徐々に教えてくれます。もしも今知りたい答えがあるならば、その答えを静かな時間がきっと教えてくれるでしょう。。。


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期待を手放す@東京【喧噪の中で無執着を知る】もどうぞ)
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オーストラリア・パートナービザ取得への道4【タイから帰国、ビザ取得!】 [国際結婚・永住]

今月(2014年6月)、オーストラリアのパートナービザを取得しました[ぴかぴか(新しい)]

在韓国オーストラリア大使館に、私の申請書類が受理されたのは昨年(2013年7月)。私は日本にて、スチュアートはオーストラリアにて、2人で国際郵便とスカイプを通して書類作りをし、大使館へ書類を提出しました。(これまでのプロセスは、オーストラリア・パートナービザ取得への道1〜3をご覧ください♡)


ところで、なぜ韓国のオーストラリアの大使館に申請したのか疑問に思われます。
[ー(長音記号2)]理由1. 在日オーストラリア大使館の、パートナービザを扱う部署が撤退した(予算不足と思われる)

[ー(長音記号2)]理由2. 夫婦が別々の国から申請した方が、ビザがおりる時期が早い
(別居を考慮してなのか、スチュアートと共に私もオーストラリアに行き、同国で申請する方が長くなる)

一方、このような難儀も発生いたします。
[ー(長音記号1)]難儀1.パートナービザを大使館に申請中、夫がいるオーストラリアに行くために、オーストラリア国内の移民局で、別で旅行者【家族引き寄せ】ビザを取得しなければならない

[ー(長音記号1)]難儀2.パートナービザがおりる直前に、海外に出国しなければならない


昨年、申請書類を作っていた頃、穏やかに考える暇もなくひたすら申請書類を作成しました。ちょうど東京から京都へ引越し、京都での仕事がはじまろうかという頃で、本当は移民局関連の弁護士や行政書士に依頼する方が簡単なのですが、性格上自分でやりたくてやりました。
...いつの間に書類作成好きに?



ということで、今回、5月初旬に大使館からメールを受け取り、1週間以上を国外で過ごす必要があることを知り、タイへの航空券を手配しました。6月初旬にはオーストラリアを出国。20代からご無沙汰していた「バックパッカーな旅」で、ホテルも当日決めながらプーケットをぐるっと周りつつ、最後に姉と一緒にした離島へのクルージングもしてきました。初日にタクシーでボラレ(違う場所でおろされ、振り向くとタクシーいないし)、市場では「楽しい」をよゆうで通り越して疲労困憊の価格交渉、注文した物が待てど待てどこず困った顔して再確認すると「カー、カー(OK~OK~)」と笑顔で笑い続けるタイ人。あー、タイはいつもこうだった。「Welcome to Thailand」とスチュが皮肉って私に言うと、近くにいたレディーボーイに「まるでタイ人が全員そうだっていう風にいわないでよね!」ってたしなめられるそんなタイ、でもやっぱり好きなタイ。。。

さてタイから帰国した際、再入国カードの裏面に何をどうチェックしていいかわらかず、チェック欄を空欄にして提出した際、職員に「なぜ空欄にしたんですか」と問われ、「ここを通過するタイミングで、私はどのビザを持っているか知りません」と答え、その後質問もなく「OK, Thank you.」で入国審査を完了。すべてが電子上で行われるため、スタンプも書類控えもなく、たぶん、、、パートナービザを取得したはずです(爆)。

下記のようにご報告申し上げます。

 期間:申請してからパートナービザがおりるまでの期間、11ヶ月
 費用:トータルで約¥400,000-(ビザ取得直前の出国費用含む)


ちなみに、タイを選んだのは、近くてお得だから。アデレード空港からの航路が開いたばかりのAir Asia 航空を利用しました。一人で行くという選択肢は私たちの間にはなく([揺れるハート])スチュアートも一緒に旅しましたが、彼の旅費分は上記のトータルに含んでいません。


*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*.....*

プーケットを選んだ理由の一つに、実はスチュアートの旧友ピートが暮らしてることもありました。彼らは若かりし頃にヨーロッパ大陸をフォルクスワーゲンで放浪した仲間で、現在彼はプーケットにてクルーズ船で働いています。

スチュアートとピートは、この度の突然の再会を心から楽しみにしていました。ちょうど雨季(モンスーン)に入ったタイは観光客激減のオフシーズンですが、天候には恵まれたので、ほぼ毎日を一緒に過ごすことができました。私も、彼のおかげで、今回の旅はとても刺激的なものとなりました。

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【ナイハーンビーチで遊ぶオトコたち】

生みの親を知らないピートは、海を愛する里親に育てられ、海で育ちました。自然と海に魅了され、船舶国際免許を取得し、船を所有しキャプテンとして世界の海で働いてきました。若い頃からタイに惹かれ、いつしかタイに辿り着き、現在は小学生の可愛い息子と2人暮らし。「外国人(特に男性)」に生活上規制が多いタイにて、息子と2人で身動きができない現実だそうです。彼がわざわざ自由の少ない国に移り住み、シングルファーザーになったのも、彼の人生にとって偶然ではなく必然なのでしょう。彼が目の前にある尊くて確かな愛を、時に悲しみや怒りにとわられながらも、必至でつかんでいる姿を垣間みました...。オーストラリアとタイで距離はありますが、これからはもっとこまめに連絡を取り合うことを約束し、タイを後にしました。

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クリスと3人での濃い毎日を過ごし、2回目の入籍記念日を経て、ビザを取得し、オーストラリアの家に帰宅してから、自然とスチュアートとの関係がまた一段と深まっていました。お互いに、人生を深くみつめる目(第三の眼)がパっと大きく開いた感覚です。今を生きることを新たに決心し、2人が一緒になった現実をもっと深く、自然と抱きしめられるようになったように感じます。

結婚3年目。これからも、成長していく魂と一緒に、私たちも共に成長していきます。

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今後ともスチュアートとヒロコをよろしくおねがいします[晴れ]
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オーストラリアパートナービザ取得への道3【即時退国命令のメール】 [国際結婚・永住]

2014年5月初旬の朝、お日柄もよくメールボックスを開けると韓国にあるオーストラリア大使館から一本のメールが。タイトルは、

[mail to]「ただちに出国しなさい」

ちょっとドキっ。


去年(2013年)、私たちは4月〜9月までの期間をオーストラリア(アデレード)と京都で別居し、その間に「夫と妻が別国にいる条件下」でパートナービザを申請しました(過去記事は→こちら)。ビザ取得までに掛かる期間は、最低1年ないし1年半以上と言われ、韓国にあるオーストラリア大使館に申請して大使館から「受け取りました」のメールがきてからは、何の音沙汰もありませんでした。
ちなみに現在、私が持っているビザは、オーストラリア国内にある移民局で取得した「旅行者ビザ【家族引き寄せカテゴリー】」。パートナービザを申請した大使館と、旅行者ビザを取得した移民局は全く別機関なため、大使館のことは去年書類を出した時点で軽く忘れていました。

[mail to]「あなたはこの時点でオーストラリアに居るべきではありません」


「コノ時点」??と思って読み続けると、「パートナービザ取得の最終手続きに入るので、国外に滞在して、処理完了を待ちなさい」ということ。

そう、早い話しがこのメールはパートナービザがおりますよというメールなのでした。

もうちょっと親切な書き方ないの...



続いて、
[mail to]「1ヶ月以内に出国しなさい、また海外での滞在期間は最低5日、以上。」


ちなみに、旅行者ビザのステイタスで滞在している間は、仕事はもちろん不可。出国する際も、その分の予算があって当然という大使館のスタンス。ビザ申請費用は約30万円、ビザがおりる直前には出国費用と滞在費用が必要。費用不足だとビザ取得をお見送りですよ〜[手(パー)]ってあり得ないけど豪強気

ということで、私のパートナービザは、去年の申請から12ヶ月でおりる予定です。旅行先は、暖かくて近場でビーチ近く、、、今もビーチ近くだけどさらに赤道近くで予定をしています。そして帰国日(イミグレーションを通り過ぎる時)がビザが降りる日、そして帰国日が私たちの結婚3年目の初日になります[演劇]


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さて、この有り難いメールを受けたのは、日本から親友ヨーコが訪れていた間。彼女に持ってきてもらった日本からのお土産が私たちの心とお腹をいっぱいにしてくれた後、このドライなタイトルのビザ取得のお知らせがありました。親友と一緒にお祝いできたこともよい思い出です。

彼女は日本では福の助、あ、足袋メーカーだ、じゃなくて『福の神』と呼ばれるくらいの福を呼び寄せる天使で、私と旦那さんにとっては、ヨーコがうちに来るとだいたい何か大きな課題を乗り越えて善いことが起こるので、【ガーディアンエンジェル(守護天使)】や【キューピッド】と呼んでいます[黒ハート]

ヨーコがエコ・ビレッジに数日滞在した後、私たちは一緒にシドニーに住んでいる親友のもとへ飛びました。17年前にNZは首都ウェリントンにかつてあったポリテクに通った親友。同じ寮のフロアに住んで、寝食をともにして濃い時間を過ごした仲間です。


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(左)サモア出身クォーターチャイニーズでNZ国籍、シドニー在住のTui
(右)【福の神】ヨーコ

学生時代はTuiを尋ねてサモアに行ったり、彼女と旦那さんの出身国であるフィジーでの結婚式に参列したり(学生時代からのおつきあいで結婚♡)、また彼女はその間2年間を日本で過ごしたりと、、きっと私たちはソウルメイト。国境をまたいで今生も出会ったのだと思います。

また、携帯を3つ持って働きまくる超ビジネスマンな華僑の旦那さんは、抗がん剤治療により2年前にガンを克服し、その後2年間は中国漢方と食事(医食同源の国!)、そしてグルテンフリーでガン細胞の再発可能性をぬぐい去りました。現在は、携帯2つ持ち、お金の為ではなく「世の善のため」にお仕事に励んでいます。

グルテンフリーな中国、モロッコ、日本の料理を、Tuiの旦那Lesterが披露してくれました
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出会った17年前は人生に意気揚々とし、健康など無頓着だった私たち。大学を卒業し、仕事に励み、行くべきステージへ到達し、そこで心身を崩し、健康の意味を知った今、ライフスタイルやワークスタイルを方向調整しているところです。久しぶりの再会でしたが、あの時と同じくらいの熱い情熱を持って人生について語る姿勢はまったく変わっていません。

与えられた人生の要素は違うけれど、心の底では強く繋がっていることを感じ、共に健やかで豊かに生きていこうと強く再確認した、ビザ取得と親友との再会の巻でした[ぴかぴか(新しい)]


オーストラリアでとんじんち(貪瞋痴) [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

環境が大きく変わる時、身体的・精神的に想像以上の負担がかかるのは自然な流れです。新しい職場、新婚生活、子どもが生まれたり、別離を経験するとき、、、人生そのものがこういった挑戦の連続でしょう。

精神性を意識することがなかった人に、魂の成長に関わる大きな変化が突然やってくると(「意識の目覚め」)、身体と精神が大きく崩れることがあります。身体の不調に蓋をすることに慣れている人は非常に多いのですが、精神はとても繊細で、崩れてしまえば隠すことはできません。無理をしすぎることで、もう一歩も前に進めなくなることもあるでしょう。それは、(意識することはなかったかもしれませんが)自らの行為により、自分自身に与えている経験です。

生きる本質に関わる学びは、いつもそのような大きな「事件」を通して私たちを変化させ、気づきを与えます。私やあなただけの、特別なタイミングで。そういう時は、探しまわってあれもこれも掴むのではなく、やみくもに走るでもなく、心のそわそわを無視するでもなく。この時にこそ、最も静かな行動=瞑想から始めることが鍵となるはずです。

わかります。過去を見れば容易にできたし、自分はできる。そして自分はできることをちゃんと見せたい。自分に対しても、社会に対しても、できると証明したい。でも、できない。今それができないことで、自分だけではなく、誰か大切な人を落胆させ、傷つけることを怖いと思う。でも、できない。できなければできなくて当然なのです、過去の私やあなたはもうどこにも存在しないのだから。

もし今こだわり続けることがあるのなら、それは何でしょう。

「私はどうして、**にひどくこだわるのだろう?
 **を無くすのが怖い?
 どうして、そんなに怖いのだろう。
 それは、人生をかけて守りたいこと?」


このまま現状放置しておけないことを、実はうすうす知っているかもしれません。心の中のひそやかな声は、聴こえないほどの声だからと言って価値の低いものでは決してありません。その声は、あなたの人生を左右する声、人生に関わる叫びであることを、聞き続けている本人が一番わかっているはずです。

しかし、瞑想すると決めても、最初は頭のフル回転が止まりません。目を閉じるとあれやこれやと、明日や昨日の心配ごとがどんどん出てくるはずです。時間が作れないと自分に言い訳を始めるかもしれません。突然座る時間を与えたことで、涙が止まらなかったり、怒りが沸き上がるかもしれません。だからこそ、瞑想を始めることになったのです。もう外部には存在しない、生きるためのヒントを見つけに、静かに向き合うと決めたのです。初めたばかりの心はうるさいのが常です。私もここに書いた通りの状態でした。静けさに居る習慣をつけることで、身体はちゃんと呼吸をすることを思い出し、身体と心の音を聞き、自然の流れに一切を委ね、今まで感じなかったことを経験するようになります。

私たちは「苦しみ」を経験できるよう、肉体ある人間として生まれてきました。なぜ?なぜ「苦しみ」を経験しないといけないのでしょう。生きる幸せや、真の喜びを知るためです。苦しみを経験することで、その真逆とも思える「幸せ」を感じられるようになっています。どの人生も、大いなる意思により「苦しみの経験」がインプットされています。「幸せ」の単独存在はなく、生老病死などの苦しみとセットで存在します。これらは頭では理解できないかもしれませんが、あなたを突き動かす遺伝子はその設計図を知っています。ここで言う遺伝子は、DNA解析とは別の次元の話しです。遺伝子の青写真は、瞑想をすることによって心眼を通して見えるようになるのです。

人生の苦しみにどう向き合うかが、幸せに生きる鍵です。みんな、過去や未来などの実体のないものに執着し、強欲ともいえる私欲を抱き、そして腹を立てたり怒るよう、そのような感情を持つ人間として生まれています。お釈迦さまの説く煩悩、「貪瞋痴(とんじんち)」を乗り越えるために、いまその「大きな出来事」が与えられたとしたらどうでしょう。今、目の前に与えられた課題は、あなたが考える以上に、人生を左右する尊い課題であり、人生をより善く生きる為のまたとないチャンスかもしれません。いのち(生命)の重さを知り、自分と家族や子どもたちを愛し護るような、真の力を養う時があらためて訪れたのかもしれません。


...「その時」はいつも私たちに訪れています。そしてもちろん私たちには選択の自由があります。見えている未来を選びたくないとするならば、未来が見えない新しい道を選ぶのもありです。私も、見えない道に向かって、勇気を持って歩き続ける一人です。歩き続ける先に、必ず光りは見えてきます。
一人にひとつずつの人生。新しい一歩を踏み出したとき、すぐ隣で、勇気とユーモアを持ち、力強く歩みを続ける仲間に出会うでしょう。

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追記:
海外に移住して、家に一人こもりがちで孤独を感じる主婦が多いと聞きました。今、ビザのステイタスにより仕事も通学もできない私が孤独を感じないのは、コミュニティに住んでいることの他に、瞑想をしているからです。
周りに人がどれほど多くいようとも、心を閉ざしてしまえばすぐに孤独は襲ってきます。反対に、周りにどれほどの人がいようとも、その場に意識的に存在することで、静けさを感じます。仮面を脱いで素の自由な自分でいられる鍵は「瞑想」です[かわいい]
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期待を手放す@東京【喧騒の中で無執着を知る】 [ポール・デスーザのWha-Dho (わどう)哲学]

多くの人が「幸せな人生」、言うまでもなく「苦しみのない人生」を歩きたいのだと思います。天職を得て、社会で評価され、うまく人付き合いをして、豊かで幸せに、笑顔に囲まれて。

そして、今生で大多数とは異なるもの(恩恵)を与えられていたり、自ら設定する期待値がとても高いという理由などで、期待する人生を歩めなくて苦しんでいる人もいます。

特に「平均的」か平均値に近い姿で生きることが求められる社会では、さらに苦しみがちです。その社会にうまく適応したいと、自らに期待しているのです。でもできない人はできない。たとえ何かを犠牲にしてがんばって「期待する姿」に到達しても、さらに次の「期待する姿」を目指して苦しんでしまう。

今日のタイトル『期待を手放す』は、自分のことがよくわからずに、どこかまだ見えない地点に到達することで、幸せになれると期待し苦しんだ人が、やがて苦しみを手放せるようになったというお話です。


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数千坪の寺院で平穏豪華な子ども時代から一転、父親と義母との再婚後に出家(?)、数坪のマンションで都会暮らしをすることになったH。東京が経済と消費のメッカということもよく知らずに、読経と祈りが響き渡る古都から、東の都にポンとやってきました。今思うと、両極を同じ程度で経験した【陰・陽】のようにも見えます。

目の前にある東京での生活で、自分をそこに適応させることで幸せになれると期待したH。東京で生きていくために使える資格は何かと考えたとき、それは企業にて英語を使う仕事でした。できれば好きなことを仕事にしたいとHも思います。小さい頃から、絵や外遊びや庭いじりが好きでしたが、それを仕事にするという考えは存在しません。「純粋に好きなことを仕事にできたらな〜」。きっとそう感じて生きている人も多いと思います。天職といえる仕事に巡りあえるはずと期待して探すと、これがないんですよね。信じて笑顔の努力を続けることと、期待することで苦しんでしまうのは大きく違います。

8年後。
東京という大都市を選んで、仕事も遊びも謳歌している同僚や、目的を持っているからこそ繰り返される毎日を楽しく過ごす友達を見て、どうすれば都会生活に適応できるだろうと、期待しては落胆をまだ続けていました。故郷への未練を断ち切れずに落胆。彼氏と別れるたびに落胆、仕事で思うように自己実現できなくて落胆。長すぎる停滞期にいました。中には東京を出ていく友達もたくさんいました。Hも脱出方法を考えましたが、それすらも糸口が見つかりません。趣味のヨガやダンスはリラックスや創造性以前に、うっぷんを晴らすためで、結局身体を痛めたことが仕事にも影響するようになります。自分のことがわからないから、周りのことも理解不能なことばかりになりました。

仕事のやり方を変え、プライベートや人間関係を自分なりに工夫しては、「失敗」の繰り返し。「失敗」の側面に、何か「パターン」のようなものがあることにも気づきました。何かの理由があってここに住むことになった気がするけれど、それもわからないし、住んでいることが腑にも落ちない。今、なんで大都会に住んでいるんだろう。どうしてここを選んでいるんだろう?

ここ に いる 目的 は なに!?

これが鍵となるひとつの祈りの言葉となりました。日々、この疑問を心底から聴こえない声で叫び続け、そして瞑想を続けたことで、少しずつ自分のことがわかるようになり、すると期待すること自体も減りました。そもそも「失敗」という概念も存在しない。失敗もしていなければ、落胆することもない。単に「経験すること」が、真の理解をもたらすのです。
そして、深く深く『己を知』れば知るほど、本来の自分にとって居心地のいい環境がどんどんと整備されていきます。あとはそれを受け入れられる「自分」を維持するのみ。


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世界中に存在する大都市と同じく、東京は物質的にも、精神的にも、人類の発展に重要な役割を担っている土地であるはずです。今、この場に住んでいるのなら、何かの大いなる意思の元で『地球学校』の「東京クラス」にクラス分けされたのでしょう。「東京クラス」は大人数の生徒を一気に抱え、その一人一人にあった課題が課され、それぞれの魂の成長がしっかりと見守られながら、次へと続く道へと導かれていくように感じます。そして、「東京クラス」での尊い学びが、どこでどう次の地点にシフトしていくのかは計り知れません。

私にとって、「東京クラス」での学びの一つは、高い次元から人生を見つめる方法を知ったことで、《「期待」は、自らの経験によって創りあげた「幻想」でしかない》と気づいたことでした。無意識で他と比較し、社会の中の自分に期待し、仕事や家族や、人生そのものに期待する。自分で期待を膨らませ、それを空まわりさせ、自分を苦しめる。
また、英語を使っての仕事が私の天職とは思いませんが、私に努力や壁を乗り越える力を与えてくれ、まっすぐに導いてくれる「英語」は、創造主から与えられたギフトだと感じ、大事にしています。『好きなことをしなさい。好きなことがわからなければ、今やっていることを好きになりなさい』の意味も、今は経験により理解できます。

与えられた環境がどうであれ、今できることは、執着することなく日々を意識的に生きていくことです。目の前に投影される世界が、自分の心次第でいかようにも変化しているようなことに気づきながら・・・


期待を手放し、あるがままの自分を受け入れる
生きることは、今に存在すること
己を知る。

−−−意識的に生きることで、人生は自然と導かれるのだと思います。


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『期待を手放す@オーストラリア【環境が変わっても穏やかな幸せを】』の記事もどうぞ)
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