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ペルーに飛ぶ?【オーストラリア9000キロの旅シリーズ】5 [旅・キャンプ]

この記事は、【オーストラリア9000キロの旅シリーズ】4の続きです。



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「ペルーが呼んでる。ペルーに行かなあかん。」


そう言いはじめたのは、ニューサウスウェールズ州に入ってしばらく。ビクトリア州の森を北上したあと、北東に進路を変え、ブルーマウンテンズの森でキャンプをしていた頃でした。私たちは、この広大な峠を越えて、シドニーの友人(ブログに前出の、サモア出身のTuiと家族)を訪ねるルートをとっていました。


スチュアート:「えー。じゃあ、シドニーの Tui の家にバン停めて、シドニーからペルーに飛ぶ?」

私:「う〜ん、それとはちょっと違うねんな。でも確かにペルーが呼んでる...」



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直感というのは不思議なものです。降りてきた直感は、頭内で一瞬で思考となり、こうして言葉になって出てくるのです。一体、誰がこの直感を与えてくれるのでしょうね?私はこの直感を、"IMPULSE" =インパルス(←日本にこんな名前のお笑いコンビいた?)と呼び、常々から"Say YES to the impulse." と言って、それを小さくても行動に起こすとても大切にしています。

旅の目的はヒーリング。遠くても、国外からわざわざ飛行機に乗ってまで訪ねに来る人もいるというアボリジニのシャーマンがいる、オーストラリア北部のデイントゥリー原生森までだろうなと思っていました。インパルスはいつも理屈じゃ説明できないない感覚、だけどペルーっていうのもね...


※この記事には、ハリウッド映画の動画が含まれています。闇と光の対峙の末、光は世界を照らします。記事内で「怖い」という感情の裏側に触れますが、「怖い」感情が「怖い」と感じる方はご注意くださいゥィーンゥィーンゥィーンゥィーン(サイレン)


さて、ブルーマウンテンズは国立公園と自然保護区からなり、総面積は103万ヘクタール(東京都が4個半分)。ここだけに棲む稀少固有種は軽く数百種を超え、一億年前から生きている植物もいるそうです。名前の由来は、遥かに連なる山々(マウンテンズ)を覆うユーカリの木から揮発する油分が、太陽の光に反射して美しいブルー色を漂わせることから、そう呼ばれています。神秘的な森や洞窟がいくつもあり、トレッキングや洞窟ツアーなどもたくさんあります。今回、私たちが滞在した3日間はずっと真冬に戻ったような天気で、インフォメーションセンターのスタッフさんからは、どのツアーも雨天決行だけどお勧めしないとのことで、窓に映る絶景などを眺めていました。



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外は真冬のように寒く雨が降っていました。たくさんのヨーロッパ観光客が、半袖短パンで歩いている姿を車中から偵察しながら、同じ人間でもこんなにも違うものか、とババシャツにジャンパーを着込んで布団にくるまっていました。

...そういえば、旅に出てからまだ「癒し」をテーマにビジュアライズ・ワークしてなかったな、この冬の日にちょうどよい。ビジョンノートと色鉛筆を用意して、私の求める癒しの旅をビジュアライズすることにしました。まだ漠然としている癒しの旅の情景。霧がかかっているのかすこしぼやけた姿はみえる。霧を晴らせば心はきっとその姿を現すはず。ノートを目の前に、まずは瞑想です。さあて、何がでてくるか...


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私たちの旅は、最初から私の健康に留意した超スローペースで動いていました。シルバーノマド(定年退職世代)が数日で移動する距離を、私たちはふつうに1週間かけて旅していました。「若くて旅してるのはいいわね。年をとると身体がね〜」と(半分冗談で)言われると、こちらも「座骨神経痛にヘルニア。身体年齢はりっぱに高齢」などと返して、お互いを笑っていました。同様に、86年産まれの中年トヨタハイエースは、時速80キロのぼちぼち運転で1時間に一度は休憩が必要で、3時間も走れば心臓(エンジン)発作しそうな具合。私も同じく1時間も座ると背骨が痛み始めるので、お互いさまな良いコンビでした。

ロードトリップは食が適当になるとよく言われますが、いえいえ、私たちのバンはいつも健康食材を搭載していました。次の町に到着すると、まず初めに地元新鮮野菜が売られている市場とオーガニックショップを訪ねます。家でも旅でも、野菜とお米、味噌、梅干しに発酵食品が常備品。スチュアートは何でも食べられ(フィッシュ&チップス等の油ものや、スーパーマーケットのお惣菜など)簡単に済ませられる一方、私は特定の食材が必要だったため、健康食材を得ることはすでに旅の目的のひとつになっていました。オーストラリアの小さな町には、健康食品店や新鮮野菜すらなかったりするので、少し困難が続くこともありました。旅ですからね[手(パー)]

ヨガ、呼吸法と食餌療法にヒーリングを受けた旅の出発前。胎内のバクテリア環境と、住む場所のそれが同調していることも鑑み、自然生態系がもっとも完成しているパーマカルチャーの家に住むアプローチもとりました。常識以上に勉強して工夫して、それでも癒せない不調の原因はわかりました。それは、


怒り。


やっぱり...。「怒り」が大きなテーマとなっている女性の人生も、密かに多いのではないでしょうか。女性の怒りは、世界が一瞬で破壊するほどのパワーがある。これは神話や言い伝えだけでなく、実際にそうであることは女性本人が最もよく知っているでしょう。生理(特にPMS*)がくると同時に、あらゆる記憶や持病が一揆結集し、何がなんだかわからない嵐がやってくると共に、時限爆弾がチッチッチッチと秒読みするのが聞こえてくる。お迎えもしないのに、もう「怒り」は私という存在の入り口に立っています。いつからいたのでしょうね。いつもいたのでしょうか。

それは、何かあがなえない空というか魔的のパワーで、破滅的な部分へと暴走していきます。衝動的発作が訪れる前には、こないで欲しいと願い、去った後も、もう二度とこないで欲しいと願い、と同時に(パラドックスですが)執着を落とすようにしながら、調和と穏やさを保っている間にどうすれば次の発作を通り超せるか工夫する。本人も、誰も、この爆弾スイッチを押したくないのに、それを防ぐことや、爆弾のまわりにシェルターを築くことも不可能。自然に爆発するならさせるしかなく、ただその向こう側へ行きたいと願う。こらえきれない怒り、むかしからある怒り。

私も、この爆発を手放したいがために毎日瞑想をして、習慣を変え、ニューメキシコで野生狼と過ごし、和道リトリートやヒーリングを受けました。その結果、怒りには、原因というものがあり、ただ漠然と恐ろしく怖いものではない存在だとわかりました。怒りの終着点は見えないけれど、怒りは自ら生み出す愛という名の「光」で照らせるものだということ、あとはドえらい存在であることに気づけたことで、あらゆる「恐怖心」は消えてきえていきました。

誰でも怒りは持っているものですが、もしも過激な怒りにふりまわされる程であれば、それにまとわりつく記憶や感覚や習慣を落とす訓練をすることで、「怒り」というもの自体が客観視できるようになります。それが教えてくれるものを叡智として人生に吸収しつつ、怒りが破壊したものを手放し、また意識的に創りはじめる。この永遠のサイクルの中で、また気づく、、、

もしや、怒りという存在は、自分だけの経験だけでなく、世代を超えて受け継がれているだけでもなく、個人の記憶の領域を超えて、どこか大きな場所へとつながっているようなものかもしれない...目に見えないし触れないが、暗がりで感じる永久的な闇のようでもある。個人の怒りを癒したとき、個人的な「怖い」感覚を手放すと同時に、その大きくて永久的な暗闇そのものも癒されるような気がする。個は、実は大きな何かの一部を担っているような...?


ちなみに、私は16歳から最近まで悪夢を見続け、その結果自分の歯を削り割っていましたが、この画像は去年、夢の中で何度もエンティティ(闇の存在)と戦った時のものを再現しています。1.12あたり。観られた方もいらっしゃるでしょう、この美しいケイト・ブランシェットがカメハメハをぶちまけるところ。「闇」と「光」のモチーフだらけの、映画 『ホビット 決戦のゆくえ(第3部)』のこの一場面を貼付けちゃいます。



長年、夜な夜なエンティティ(闇)に負け戦だったのですが、30歳を過ぎてからはじめた太極拳と、和道実践哲学で体得した「和道気功」で、氣のパワーを高め、それからイーブン(引き分け)を経て、勝利するようになり、去年ついに悪夢が終わった(はぁーっ長かった)というわけです。こんなリアルすぎる闘いから目覚めると、一日を終えて眠るときよりも当然疲れています。ちなみに、なんでこんな悪夢を何十年もみることになったのかと、その悪夢の意味は、この後に出会うこととなるアボリジニのエルダー(長老)とサイキックヒーラーが教えてくれました


この人生に意味あって与えられた痛みだけれど、未だ理解できないその意味と存在が、まるで地球の歴史と同調している気もしていました。それが、大地震、洪水、火山の噴火、台風などの自然災害と同調する痛みなのか、地球が包有する太古の女性性としての本質と同調しているのか、わかりません。どうしてひとつの生命、この身体が、それらのものと同調しないといけないのか、するとしてもその理由や目的なんて私にはわかりません。でも、こう感じるようになったのは、瞑想を続けた結果と、より健康的な暮らし、健全な生き方をしようと毎日前進しているから、ということだけはわかります。

「ヒーラー」とは、自らの愛の力を取り戻し、己に光を照らしながら、まわりも強く照らす人。先に進み続ける力強いヒーラーたちのアドバイスや経験を聞き、今人類全体が経験している同様の痛みは、「私(あなた)だけの痛み」というように、全体から切り離せないものではないかとも感じはじめていました。

私という繊細で正直な存在が、与えられた個の痛みを通して、全体へつながっていこうとしている。でも私一人の力ではどうにもできないし、UNKNOWN(知られていないこと、まだ知っていないこと)に対してどう立ち向かえばよいのかわからず、日々の祈りに、どうぞ私に救いの手を与えてくださいと、神様仏様お天道様に訴えていました。そしてまたポンときた。東海岸のエネルギーにどんどんと惹かれ、今ブルーマウンテンズを超えれば東海岸というところで、「ペルー」って!




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お待たせしました、*ビジョンリストです[ぴかぴか(新しい)]
(英語で書いたものを翻訳します。ちょっと日本語が変だね)



1.シャーマニック・ヒーリング

2.乗馬

3.健康的で美味しい食材を得て、調理し、食べる。

4.善い意味で、平和で喜びある方法で、人生観が変わる、ぶったまげる経験をする。

5.精神的、肉体的、感情的な痛みを癒し終える。

6.ハッピーを感じる。 腰が据わった、安らかな心の状態。不動明王*
        (↑ハッピーの私的定義が漠然なので、明らかにしてみました↑)

7.善い方向へと意識を向け、インスピレーションのある、熱狂的な旅をする。

8.愛についての叡智を深め、自己愛を知る(追記→)、骨折りしないで喜びある方法で。

9.音楽の隠れた才能と技術を発見する。



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いや〜、今日も盛りだくさんの記事になりましたね。それで、私はペルーへ飛んだのでしょうか?
私的にエキサイティングな【オーストラリア9000キロの旅シリーズ】、次の6もどうぞお楽しみに[ぴかぴか(新しい)]



〜注釈〜

*怒(怒る・おこる)
漢字の成り立ちは、奴(手で労働する女性の奴隷のこと)と心のコンビネーション。本義は、「心をこめて粘り強く労働すること」。それが、「心を強く緊張させる事」や「じわじわと来る心のストレス」になるので、「怒る」と発展したそうです。



*不動明王
日本では、お不動さんの名でよく親しまれる明王(如来のアヴァター)の一尊。密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内心の決意が具現化したものであると言われています。また、不動明王の起源は、ヒンドゥー教最高神であるシヴァ神にあるとの説が有力なのだそうです。(Wikipediaより) 生まれ育った京都の日蓮宗満願寺は、もともと真言宗の示現山でご本尊は大日如来。東京に住んだ12年を、自宅から最も近い都内唯一の渓谷にある、奇遇にも同じ名前の満願寺庭園の等々力不動尊でお参りし続け、いつの間にかお不動さんに自然と手を掌わせる私がいます。また、ご縁があり最近ある方からいただいたマントラはオムナマシヴァヤ。信仰とは、場所や対象物とは関係がなく、生命を信じて祈る心。大気内に存在する神様、スピリットに護られていることに合掌です。



*PMS(月経前症候群)
PMDD(月経前不快気分障害)と共に、多くの女性がもつ現代病

予防としては、
1.イブニング・プリムローズ・オイル(オーガニックで要冷蔵のもの)を採る
 (漢方薬にも善いものがたくさんあります)
2.カフェインをとらない(市販チョコにも注意)
3.毎日20分程のカーディオ系エクササイズを心がける(私はトランポリンや散歩や小走りする程度)
4.就寝前にカルシウムとマグネシウムを摂取する
等で、症状が軽減されると言われていますね。
外側(内臓も「外側」の一部)からのアプローチで症状が改善されない場合は、ぜひ瞑想や呼吸法なども取り入れてください。




*ビジョンリスト
結婚相手を引き寄せた時もそうでしたが、ビジュアライゼーションをする際は、私自身の経験から、内容を細かくするのが良い時と、大雑把にするのが良い時があります。また、しばらく現実を観察してから、微調整することもしばしばです。このリストに関しては、横線を引いて、追記訂正した箇所がそうです。ここでは説明しませんが、いつか夢の叶え方を記事にしたいとおもいます。[晴れ]





写真でみるビクトリア州の大自然【オーストラリア大陸9000キロの旅】4 [旅・キャンプ]

このの記事は、【オーストラリア9000キロの旅シリーズ】3 ヘップバーン温泉の続きです。


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ここで、旅に出て最初の一ヶ月が経とうとしていました。これまではワークショップの参加がメインだったため、旅とは呼べません。さあ、これから先は、何もない空、真っ白なキャンバス。癒しの旅とはいえ、地図上に目的地はありません。どのルートで、何をして、どう過ごすか、、、。

キャンパーバンでのキャンプ生活に慣れながら旅をしようと、ビクトリア州では国立公園のユーカリの森を、川に沿ってゆっくりと北上するルートをとりました。さ、今回は写真とともに、ビクトリア州の森へとご案内いたします。


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その日泊まるキャンプ地につくと、まずはスピリットレベルで水平な場所を探し、他のキャンパーとよい距離を保って停車します。でも、だいたい私たちだけのことが多いです。


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ガス栓を開け、ルーフを上げ、今夜の寝床を整えた後、私たちを迎えてくれる自然に挨拶と感謝を伝え、散策に出かけます。

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高木が水平に倒れていたのですが、朽ちることなく、枝が垂直に天へと伸びています。森の生命力を感じます。

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こちらも、朽ちたものの腐らず立ち続ける幹。中は空洞になっています。

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火をおこすために薪を集めながら、木の上で寝ているコアラ、やめずらしく歩行するコアラに出会います。

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コアラは、一日の16時間を眠って過ごし、移動することは非常に稀です。また、いびきかコーリングかわかりませんが、非常にけだるい鳴き声を出します。カンガルーやワラビーが顔を出すこともしばしば。

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まだ明るいうちに火を起こして、晩ご飯の準備。シンプルで簡単なものですが、自然の中の、本物の火で調理する野菜の味は格別です。スチュアートは大好きなじゃがいも(←中でも「ダッチクリーム」品種のファン)でご機嫌です。

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美しい夕陽を愛でながら、カンガルーが飛び跳ねて行く姿や、笑うように鳴くククバラや美しい歌声のマグパイに耳を傾けます。今日もいろいろあったけれど、まるでククバラが人間の小さな悩みや争いごとを「ちっぽけだな」と嘲笑しているかのように聞こえ、私たちもいつも真似します。まるで、ラフィング・ヨーガ(布袋さんの笑うヨガ)です。



↓この子達は、バンに腰掛けていた私たちの前で、舞いをはじめました。

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夕暮れ時が近づきます。

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はじめて滞在したキャラバンパークの横、ユランガ湖のサンセット

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まだ11月の春先。夜8時には外は真っ暗で、いつしか満点の星空になった後は、ただただその美しさに見とれて時間が止まります。静かな夜は、風の音、葉の音、動物のかすかな鳴き声以外は何も聞こえません、またや雷雨と嵐の夜は、天体ショー。カーテンをすべて開けて、雷鳴と轟、雨の激しい音に全身で耳を傾けます。

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朝のはじめの光が見えるかその直前に自然と目が覚め、静かに澄んだ空気を深く呼吸。毎朝がまったく違う朝で、当たり前のことは何もありません。毎瞬、毎時、私たちの住む自然環境がどれほど美しいかにため息をつく毎日です。


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地球の自然な流れを感じながら、感覚を研ぎすませて、内成る自然の音を聞いて旅をすると、身体の奥のほうから深くふかく癒されていることを感じます。毎日をそのように過ごすと、「家に住む」のではなく、まずこの「地球上に住んでいる」ことを細胞で感じます。人がつくったものを超越する感覚。壁も屋根もなく、お隣との境界線もなく、社会時間も存在しない。私たちという存在の本質を感覚で教えてくれるのが自然なのでしょう。


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そうそう、この旅に出る前に、旅のエキスパートやシルバーノマド(白髪の放浪者=退職してからキャラバン=トレイラー=モバイルホームで旅する高齢の夫婦)から「できるなら、若い間に旅した方がいい。自然の中で生きる経験をしておいで。」と口を揃えて言われました。仕事が一段落するまで、仕事を退職してから旅するのもいいが、若い頃と比べると気力と体力がついてこない。実際、お金をつくるのを待ってキャラバンを購入し、中にテレビや電子レンジやトイレを完備してペットと旅をすると、家にいるのと一緒だというノマドにたくさん出会いました。キャラバンの中にも入りましたが、確かに快適な家でした。また、夫婦一緒には旅しているけれど、妻が旦那の夢に付き添っているという夫婦にも、それはそれはたくさん出会いました。私たちの小さなキャンパーバンをみて、「うん、うん」と静かに笑顔でうなずくオヤジさんたちの顔が忘れられません。

限られた小さなスペースに、最小限のものだけを載せ、工夫しながら暮らさなければ、ロードトリップは難しい。狭いだけに2人の関係も工夫しなければ、四六時中過ごせません。シルバーノマドたちは知っているのでしょう。その密なスペースがつくり出す濃い空気間は、相手という存在を通して自己と向き合う絶好のチャンスであることを。知っていてる、けれども向き合わずに旅を続けているのかどうかは、私にはわかりません。

美しくワイルドな自然の中で生きる経験は、私たちの(ら)(るべき)そしてカオスな本質の存在に触れる機会も与えてくれました。旅の内容を評価する以前に、毎日ふたりで一所懸命旅をしていました。生きることを一所懸命にする、なんと有難い経験でしょう。


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さあ、また真新しい一日がはじまります。360度、空と大地とハエとアリしかいないような場所をひたすら走って、次はニューサウスウェールズ州へと向かいます。

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ビクトリア州 ヘップバーン温泉【オーストラリア9000キロの旅3】 [旅・キャンプ]

このブログは、【オーストラリア9000キロの旅シリーズ2】スーパー・アドビ様式で瞑想堂を建てるの続きです。

(シリーズ3「仮のワタシから真の私へと」は、アクシデント発生で記事が消えました。内容濃すぎて復活できません

改めてのシリーズ3「ビクトリア州 ヘップバーン温泉」と軽めの記事で御楽しみください)



オーストラリアにも温泉があるのをご存知でしょうか?私もこの旅に出るまで知らなかったのですが、ビクトリア州にある*デイルスフォードというこじゃれた町の南にある温泉地です。

《ヘップバーン・スプリング》 ←名前がおシャレで[カバン]
州の観光情報センターのリンクはこちら↓
http://www.visitmelbourne.com/Regions/Daylesford-and-the-Macedon-Ranges/Destinations/Hepburn-Springs

地下の温泉源からひきあげられた天然の温泉水が堪能できる温泉地です。中心地には、バス・ハウスという、いわゆる日帰り温泉施設がいくつも集まっています。宿泊できる場所もあり、サービスや料金もピンキリ。かつてアボリジニが住んでいた深い森を散策しながら、地下から湧き出る美味しすぎる炭酸水と濃い空気が味わえます。ヘップバーン・スプリングには食事処は少ないため、多くは車で10分程のデイルスフォードへ移動します。

さあ、どの温泉施設に行こう!?スチュアートはどこでもよく、選択権が私にあったので、間違いなく一番大きなお風呂がある施設を選びました。何しろ大きなお風呂に浸かりたい(笑)。

この3週間が私にとってオーストラリアではじめてのキャンプ(といっても、未だテントで寝たことはなく、キャンパーバンの中)で、筋肉も内臓もくたくたでした。心を通わしたメンバーと、魂の本質に触れるすばらしい経験をしたというのに、最大の思い出は、ワークショップ最終日にアクアセンターで浴びた温水シャワーというくらい。だからこそ、待ちに待った温泉でした。

が、、、、

着いたとたん、「そりゃそうやわなぁ〜」と自分ツッコミ。実際、オーストラリアに有馬温泉や草津温泉みたいな巨大な湯治場があったら驚きです。なのに私はそれに近いものを想像してしまっていました。車内からみる限りは、普通の郊外で、匂いもとくにありません。施設に一歩はいるとそれは、日本の地方にあるようなスイミングセンター。温水プールに、ジャグジーと、寝転がれる場所。外が一面に見えるようガラス張りになっており、子どもや若者が泳いでいる横で、赤ちゃんや高齢の方がぷっかりと浮遊し、女性グループがおしゃべりをしています。お風呂の温度はかなりぬるめ、居ようと思えば何時間でもいれるようですが、私は塩素匂に絶えられずしばらく経って出ました。それでも、このオーストラリアで温泉水をあたためた大きな温水プールにつかれたこと、温水シャワーが浴びれたことは至福でした。


*デイルスフォード自体も、メルボルンの人に大人気。週末の町はメルボルンっ子であふれかえっていました。旧い建築様式の建造物が残る中心地に、カフェやレストラン、パティスリにオーガニックショップなどがひしめきあっています。中心を抜けると、大きな湖と湖畔にあるリトリート(保養所)と、おだやかな田園風景が広がっています。散策中に出会った男性は本を執筆しているとのことで、ここに来るとよく書けるんと話してくれました。忙しい都会から抜け出し、五感も満たして、ホっと一息つけるそんな場所でしょう。京都に住んでいたころに祖父母や姉と何度も行った「有馬」、東京では妹や母とよく行った「箱根」に近い感じがました。


私たちは、ワークショップで大親友になったフランス人のジュール(ジュリアンのニックネーム)と一緒に出かけたのですが、おしゃれなカフェでお茶をするカップルや、大きな袋を両肩に抱える多くのビジターのようには、この町に魅力を感じていないことにも気づきました。

いつの間にか野生人になってしまったようで、生態圏が異なるようです。私たちは、野菜が豊富に育つファームに裸足で立つとき、最高に幸せを感じます。(私とジュールは外食しても実際食べられるものがほぼないということもありますが)おめかしをして、ちょっと背伸びをして食事をする経験は、もう要らなくなってしまいました。小さい頃から十分すぎるほど外食したので、外食欲求が飽和地点に達してしまったのかなとも思いますが、できあがったお料理をいただくよりは、土のついた野菜を実際に収穫することの方が、比べられない程の喜びです。

中古やリサイクル品を嫌い、新しいものや高級なものを買い続けた消費生活も、かなり前に飽和地点に達したようです。ここ数年は、消費する行為よりも、新しいものをアイデアで生み出すほうが楽しくなりました。

必要なものがあれば、まず知り合いや近所に声をかけて、使われていないものがないかを確かめます。その際に発生するコミュニケーションを通して、ものだけでなく出逢いやアイデアももたらされます。購入する際は、出来るかぎりエシカル(倫理的な)なローカル店で求めます。フランチャイズや大型店舗に行かないのは、私たちが最も求めているものが、単に人とのつながりだからです。人とつながるチャンスが少ない「回転する店」や「便利なお店(コンビニエンスストア)」では、私たちの心はもう満たされないのです。

家のような大物から小さなものまで、さまざまなものを創造力で創ってみようようとする人の間に居ると、新しく買わなくとも、善いものが生産された時代の国産リサイクル品を使ったり、技術(サービス)と物をスワップ(交換)することで、多くの場合、必要なものが整うことがわかります。お金という便利なツールを使って、ちゃちゃっと買い物することは簡単ですが、愛する人たちと集い、全体で善いものを一緒に作る経験を通して心が満たされる重みはお金では買えません。

かつてパリで暮らしていたジュールと、東京で働いていた私は、働いて稼いだそばから消費し続ける(消費が当然の)生活に疑問をもち、無駄な消費をしない暮らしを目指して、ライフスタイルをシフトしてきました。今回のデイルスフォードで、違和感を持っている自分たちに気づいたことで、私たちが在りたい生活へとより近づいていることを確実に認識したのです。


ジュールと撮った写真が一枚もないので、この写真でいきます。
お笑い担当ジュール(左)と寡黙真面目担当シルバン(右)。
働き者トップ2で心あたたかなフレンチコンビ(建築現場から)

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続きは、【オーストラリア9000キロの旅】4ビクトリア州の国立公園、ユーカリの森を写真でご案内します[カメラ]



スーパー・アドビ様式で瞑想堂を建てる【オーストラリア9000キロの旅2】 [旅・キャンプ]

どうして旅にでることになったかは、前回のブログ「ヒーリングの旅に出る」でお伝えした通り。9月から旅へ向けてガレージセールで家財を整理し、最初の目的地はビクトリア州のスーパーアドビ・ワークショップへと向かいます。

スチュアートはかねてからナチュラルビルドの家、すなわち自然と同調して建てる家にとても興味があり、今回のワークショップを心待ちにしていました。ナチュラルビルドの家には、以前住んでいたオーディンガ・アート・エコビレッジ紹介のブログ(←記事へリンク)でも触れましたが、アメリカ大陸でみられるようなアドビやストローベイル、南アメリカで見られるコブ、マッドブリック建築、イギリスなどではすでに幅広く使われ始めたヘンプクリーク素材(麻の繊維と消石灰で造られたコンクリート)、斜面に地面を掘りタイヤやボトルなどで断熱材でつくり、どちらかというと半地下状態のアースシップ建築法など、様々な様式があります。


西洋文化の歴史が比較的若いと言われるオーストラリアで、ナチュラルビルドの話しを耳にすると、ついつい日本や欧州を思い出します。古い建築の歴史がある国で、自然に調和するような建造物といえば神聖な祈りの場所。その当時に建造されたものは、ダウンジングで見つけ出すレイライン上や、風水でいう龍脈上に建築されており、建材には地元で採れる石、土や木が使われました。有力な権力者の勅令で建てられることが多いため、建造物だけでなく内部は彫刻や絵画など贅沢な仕様なのはあの頃の遺産とも呼べましょう。



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ワークショップ初日。私たちは広大な敷地に自宅とフード・フォレストとヨガ、瞑想のリトリートセンターを創っているオーナーで、同じく広大で深い心の持ち主アチンチャと共に、敷地内の(上記写真左にある)大きな木の下で集いました。



これから3週間を共にするメンバーは、総勢17名。ワークショップを率いるカリスマのヘイ殿(ヘイデン)は、ニューメキシコ州タオスでスーパーアドビ建築法の修行をみっちり受け、現在は国内でその分野を力強く牽引する一人です。彼のチームは、揃いも揃った強烈な個性の集まりで、オーガニックキッチン担当のイケメンなオリエンタル美女エルキー、音楽・IT専門家で、気功・発酵飲料の講師でもあるジェティ(今日現在、千葉県でツリーハウスを建築中)、香港のビル暮らしから今やティピに暮らす写真・撮影家でやたら網代笠が似合うクリス。そして青空シャワー、コンポストトイレ、暖炉、家、音楽から美術まで幅広く何でも造っちゃうロビ衛門はニックネームです。


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《↑はしごからロビ衛門を指示するヘイ殿》

...ロビ衛門はこのワークショップの前にヘイ殿と出逢い、意気投合して弟子入り。現代の日本の感覚からは理解しにくいけれど、彼は自国(出身国ではなく“ロビ衛門独立国”)の主権を主張し旅するアーティスト。南アフリカ生まれでイギリス人だけどパスポートを持たずにオーストラリアに住んでいる者も。移民があふれた時代にシステムから「漏れた」のだそうです。



集まった参加者も個性的な面子ばかり。地元から参加したのはツール・グルーの(いわゆる何でも作っちゃう)ダズだけで、クィーンズランド州から参加したのはヒッピーのアメリカ人クリステンと愛犬ヅィギー。メルボルンから車を飛ばしてきたのは、サーカスのように木や足場をほいほい登るスザーナ。海外からは、最高齢イギリス出身の辛口批評家キャロル。2人のフランス人はパブリックスピーチが得意でピエロ役なジュールと、IT会社に勤める無口で働き者のシルヴァン。自己紹介の途中で、真緑のキャンパーバンから"Kia Ora!!(マオリ語でキアオラ、「こんにちは!」)"と叫んで登場したのは、ニュージーランドから駆けつけた福祉ケア・マネージャーぶっ飛びアッシュとラグビー選手でNZラッパーのディクランでした。


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《↑初日 アーチ建築法を学ぶ》


全員が同じ敷地上でキャンプし、毎日8時間以上の肉体労働を行います。野外キッチンで料理し、同じ釜のオーガニック飯を食べ、ソーラーシャワーで泥を落とし、溜めては空けのコンポストトイレで用を足し...。飲み水の補給や台所食器洗いなどは交代または連番製で行います。夜は満天の星空の下で火をおこし、ギターの優しい音と共に、誰もが自由に歌や詩を披露しました。ある晩は、非暴力コミュニケーションについて学んだり、またある晩はお互いに推薦するドキュメンタリーを観たりと、家族のように濃い時間の連続でした。


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《↑現場はキャンプ地から徒歩20歩》





さあ、どんどん長くなりつつあるので、一旦ここで区切ります。次のブログ、【仮のワタシから『真の私』へと】に続きました...ましたが、記事自体が消えてしまいました。不要だったということ?濃すぎるがゆえ改めて書けないので、読んだ人はラッキー(なのか不幸なのか?)

ということで、次の記事はちょっと軽めに観光案内系【ビクトリア州 ヘップバーン温泉】へと続きます。



最後に、建築現場を早送りで撮影したこの動画、貼っておきます↓







↓注釈↓
※オーストラリア大陸の人間社会の歴史はまったく若くはありません。

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オーストラリア先住民族アボリジニの歴史は地球上でも最古の歴史を持ち、一説に、その先祖は15万年前に南インドから到着したと言われています。オーストラリアには700以上の部族が遊牧民として厳しい自然と共生していました。欧州やアジアに見られるような人口的建造物はありません。自然崇拝した岩や木や川、各地にある壁画やウルル(エアーズロック)は広く知られるところです。また「所有する」という概念がなかったため、家や土地を所有することはなく、「共有するこ」とが一般的でした。白人入植後には疫病や殺戮、アボリジニの新生児を奪い白人家庭に里子に出す制度が施行され、その悲しみと怒りはアボリジニの人たちの心に今も残っています。アボリジニの歴史は、アメリカ南北大陸先住民族含め、世界各地の自然と調和して暮らしていた先住民族の暮らしが、経済発展の名の元に剥奪されている数多い例のひとつにありません。



※フードフォレスト

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哲学者の福岡正信氏が広く広めた概念=【自然農法】の子というべきか。その自然農法のオーストラリア版とも呼べる【パーマカルチャー】の概念に沿ってつくられる、肥沃で自律した「食べられる森」のこと。環境を損なうのではなく、もともとある自然の生態系をつくり(戻し)、そこから豊富な野菜やフルーツを生産します。パーマカルチャーは砂漠を緑化しフードフォレストへと変える力があります。実際にパーマカルチャー(自然農法)で地球に緑を増やせば、もう飢えはなくなるでしょう。 また、去年パーマカルチャー第一人者の親友の家に住んだ際は、完成されたフードフォレストで次から次へとフルーツ、野菜、ハーブが生産されるさまは、まさに驚異的で歓喜でした。彼は、最近パーマカルチャーの第一人者が集う国際ワークショップに参加したとのことで、オーストラリアはその分野において国際的先進国ということが改めて認識されたそうです。アメリカ合衆国からの参加したパーマカルチャーの専門家は、今アメリカは90年代のオーストラリアを追っているところ、とコメントしたそうです。(ロシアの家庭菜園保有率にはとうていかないませんが)オーストラリア国民の4割以上が家庭菜園を持っており、もちろんそれは有機または農薬不使用の菜園です。もはやパーマカルチャーは、日本の「漢字検定」(?)のように誰でもどこからでも知識を得られ、そして実践しやすい存在です。エコライフを実践するものや、エコビレッジ住人の間ではきわめてポピュラーな存在となっています。

オーストラリア・パートナービザ取得への道4【4ヶ月でパーマネントビザ取得?】 [国際結婚・永住]

このブログは、第一章で書いたブログ【オーストラリア・パートナービザ取得への道3 タイから帰国、ビザ取得!】の続きです。


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本編前に、簡単なおさらいからはじめます。(括弧内は起こった場所)

[足]2013年6月 
日本国内から、在韓国オーストラリア大使館を通して、テンポラリー・パートナービザを申請しました。(東京、日本)

 


[足]2013年8月 
テンポラリービザがおりる時期が謎なので、観光ビザサブクラス600を申請しました。(京都、日本)

[足]2013年9月 
とりあえず、片道航空券でオーストラリアへ飛びました。(アデレード、オーストラリア)




[足]2014年6月 
テンポラリー・パートナービザがおりました。(プーケット、タイ)




[足]2015年6月 
オーストラリアのビザ管理局から、パーマネントビザに関するメールがきました。(アデレード、オーストラリア)

「〜(※)の場合、パーマネント・パートナービザの申請ができます。」



「〜※」部はもう記憶があやふやなのですが、その内容は、オーストラリア入国後またはテンポラリービザ取得後から、2年間をオーストラリア国内で過ごした場合、パーマネント・パートナービザが取得できるとかいうことでした。


※を私の場合にあてはめると、2015年の2ヶ月間を日本で過ごしたから、申請できるまたは取得できる時期が最短よりは2ヶ月伸びるわけです。上記の仮説でいうと、2013年9月に入国してから2年後である2015年11月以降にパーマネントビザ申請ができるということか、もしくは2014年6月にテンポラリービザがおりたから、2016年8月以降にパーマネントビザが取得できるということだ、、ろうか?

日本にいたころより情報が取りにくいのは完全に気のせいで、日本にいた頃から、オーストラリア永住ビザ関連の情報は散漫でとりとめなく得にくかったです。今目の前にあるメールが「申請準備に入ってください」というなら、申請準備に入っちゃえ、ということで憶測で←憶測?
申請準備開始。


[足]2015年9月 
オーストラリア9000キロのヒーリング旅へ向けての出発準備に追われるなか、書類を揃えました。

今回は、すべてオンライン申請ができ、完成まで計1ヶ月掛かりました。確か40ページ近いウェブ申請書の細かい内容を埋めていったように記憶しています。パスポートや銀行口座を含むいくつかの法的無犯罪証明書も必要でした。
私は銀行口座もタックスナンバーも免許書も持っておらず、提出できるものがない。とりあえずは銀行口座を開いてタックスナンバーは得ました。また、私たちはローンやモーゲージフリーな暮らしを実践しており、車もキャッシュで買い、電気代も水道代の支払いも発生しない暮らしなので、共同名義な証明書や法的な証明書はほとんどありませんでした。
なので、コミュニティで関わった際に撮影された写真や感謝状、またエコビレッジの友達から、多くの心こもったまことの言葉で書かれた証明書をJustice of Peaceに証明してもらい、提出しました(日本にて、行政書士などに証明してもらう際は、その度に数千円掛かっていましたが、オーストラリアで証明を受けるのは無料)。エコビレッジの友人達は、ビザが取得できるよう全面でバックアップしてくれると言ってくれ、言葉だけでもほんとうに力強い存在でした。

あとはエッセイ。私たちがどういう暮らしを実践しているか、どのようなビジョンがあるか、どんな関係を築いているのか、どんな人生を歩いていきたいのか、など。お決まりですね。

今後数ヶ月住所不定に成るということは口がすべっても言えないので、美しく素晴らしい国オーストラリアを愛でる旅に出る予定です、とだけ書き、すべての書類を提出し終えました。


> > > > > = = = > > > > >

そして、オーストラリア大陸9000キロのヒーリング旅へ出発したわけです。

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全身全霊で旅にどっぷり浸かっているあいだ、ビザのことなど全く忘れていました。
それは、オフグリッド(完全自給生活)のビレッジで、パーマカルチャーのお庭で働き、野生の動物や草花とたわむれ、同じ志をもつ仲間と踊り、歌い、ビーチで焚き火をして、キャビンに帰ってきた夜でした。


「重要なお知らせです」とイミグレーションからのメール。申請をしてからたった4ヶ月後。申請後受理しましたもふもへもなく、いつもとつぜんやってくる入国管理局からのメール。内容はもうわかっていました。


[足]2016年1月
パーマネント・パートナービザがおりました



ということで、上記のの内容は未確認。今回私が申請した時期は、オーストラリアに入国してから1年10ヶ月しか経っておらず(←2年経っていない)、結局ビザがおりたのは予定より7ヶ月前倒しの2016年1月(←2年経ってない)...よくわかりませんが(笑)この疑問を解くつもりはなく、次の、(たぶん)5年後にやってくる、市民権の取得まで、ビザ&書類フリーな生活を楽しみます。



そうそう、その頃住んでいたのは、ニューサウスウェールズ州のイーストコーストで、
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セビャーナス(ジプシーのフラメンコ)の練習をした夜に、ビザがおりたメールを確認しました。
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日々、心配ゴトはあって当然。でもそれを超えて「今」ある環境で、心を開いて、「今の私」を楽しむのがベストです。


ヒーリングの旅に出る【オーストラリア大陸9000キロの旅1】 [旅・キャンプ]

しばらくご無沙汰していました。
昨年、2015年9月に出会ったトヨタのハイエースバンに一目惚れし、生まれて初めて車両を購入。翌月10月から6ヶ月間、オーストラリア大陸を旅してきました。


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絶対旅に出ようと決めてから、旅している姿と様子を心に描いて、実際に絵を描きまくり。1週間もせず、描いた通りのキャンパーバンに出逢いました。

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ポップトップという、ルーフが上がるタイプのバン。


車内はこんな感じ。キッチンは写真右奥側で、冷蔵庫、シンク、ガスレンジ、グリルそして台所棚が設置されています。

↓こちらはダイニングの状態
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↓ベッドをメイキングした状態(ダブルベッド)
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シンプルライフ実践者には十分すぎるインストレーションで、発電バッテリー、ソーラーシャワー、扇風機、クローゼット、ヨガマットにダイニングセットが収納されています。旦那さんのスチュアートのマッサージベッドとマッサージタオルも搭載。窓はなんと全部で8つ。(おまけに尺八、ジャグリング、縄跳びも!)

なかなか、コージー(ゆるリラックスしていい感じ)です。



私にとって、この旅が生まれた震源地は、続く不調。そして旅の目的は『ヒーリング(癒し)』でした。
長く続く身体のあらゆる不調を癒すため、エコビレッジに住みながらあらゆることを実践しました。日本に住んでいた時から病院通いが激しかったのですが、対処療法ではもう対処できないことがわかって、オーストラリアに移住してからは、瞑想や生活習慣の改善と食餌療法を主に、根本療法に集中していました。

とても、気をつけて注意深く生きている私にも気づいていました。毎日欠かさずヨガと瞑想を行っていました。健康に生きる、というよりは、眠っている痛みが二度と暴れださないように、とても慎重に暮らしていました。

毎食で試行錯誤をしながら消化できる食材を探り、雨水と庭の有機野菜だけ食べてしばらく、自然に食べなくなり10日間断食。その後には、すっかりと食生活が変わりました。食生活と共に、人間の身体、意識、生活、人生に対する意識が今まで以上に深まりました。(ちなみに、本人の体調が悪い時でも、周りからは「元気そう〜」って言われたりしませんか?健康と心の平安に気を使っている結果が、顔と身体とオーラに出ているということですね[かわいい]

エネルギーに敏感になり、ある時間と然るべき地点にいるとチャネリングするようになり、身体がエネルギー体になっていくのが避けられなくなりました。幅広い食材の消化・吸収・排泄がうまくいかず、身体が食べ物を受け付けなくなれば、そうなって当然です。次々と「私」という人間に起こっている変革(トランスフォーメーション)とスピードの速さに、とてもuncomfortable...居心地が悪くなっていきました。

【私という者は一体、何?】

胎内のさらに奥深い意識に棲む、身体の不調を牽引しているものに近づいていきました。十分健康的な食生活だと思っていても、いのち(生命)・人間とは真に奥深く無限な存在です。さらに健康と栄養について深い層に入っていくこととなりました。実際に複数の臓器が機能しておらず、消化酵素が欠損しているところまではわかり、しかし欠損している機能が戻らない理由がわからないとコメントされ、もう一度の西洋医療の検査後に原因不明と言われた後ですよ。それが胎内の深い「原因不明」部分に、静かにシュッと火をつけました。それが、「行きたい、行かねば!」という内なる衝動につながったのです。そして、車など買ったことも運転することもない私が、いきなりコラムシフト(運転ハンドルの横についているギア)のキャンパーバンを購入したということに繋がったわけです。


※ちなみに、最上部の写真はあれやこれやのヒーリングが起こってからイースト・コースト(コフス・ハーバー)で古澤桃子さんに撮ってもらった写真。出発してから2ヶ月間の私の写真は門外不出!(笑)



旦那さんのスチュアートはというと、マニュアルの車を運転したのはいつの日のことか、、、そしてバンの運転も初めてのこと。購入してから彼は毎日運転席に座り、瞑想をして、ある知人のインストラクションを1時間得てから、すぐ運転できるようになりました。私の旅の目的が、ヒーリングであった一方で、彼を旅に駆り立てたのは、アースバッグという建築技法を使って、自然と調和したドームを造るワークショップでした。彼はルンルン気分で出発、そして、心の中では二週間のワークショップ後に南オーストラリア州に戻ろうと目論んでいたようです。私はと言うと、まだ寒い冬のヴィクトリア州で、キャンプするというだけで身震いしていましたが、その先にある東海岸の夏に、一刻も早く追いつくことを心待ちにしていました。


2015年10月5日。私たちの誕生日を愛すべきコミュニティの友人たちと過ごした後、次から次へとシンクロニシティが折り重なっていく、忘れることのない癒しの旅へと出発しました。

実のところ、イースト・コーストに移住する予定だったのですが、熱烈なラブコールと自然な流れに後押しされ、1週間前に南オーストラリア州に戻ってきたところです。



長くなりそうな旅のお話は、ヴィクトリア州で参加したスーパーアドビ(アースバック)建築ワークショップの記事【オーストラリア9000キロの旅2】に続きます。

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ストレスは人生を見直すきっかけ【ストレスの正体シリーズ3】 [ストレスの正体]

こんにちは。このブログは、【ストレスの正体】シリーズ第2部「人間社会の今むかし」の続編です。


地球上では、昔からたくさんの人生ゲームが繰り広げられているのはみなさんご存知でしょう。狩猟ゲーム、夜ばいゲーム、戦国ゲーム、宗教ゲーム、スポーツゲーム、経済ゲーム、金融ゲーム、ギャンブルゲーム、洗脳ゲーム、政治ゲーム、下心裏ゴコロ探り合いゲーム、、、これらのゲームは、全身全霊で没頭しなくてはならないものではないのです。ゲームが楽しいうちは楽しめばよいのですが、没頭するうちに、ゲームから降りれた(上がれた)ことを忘れます。このゲームに真剣に没頭してしまうのは、昔の私も含めて、変なとこクソ真面目すぎるのはあなたも過去の私も同じです。真面目な人こそソンをする、、、なんて言葉も存在します。人生ゲームをまるでゲームのようにやってのける人を横目でみて、いいな〜と思います。でも真面目なあなただからこそ、この道を歩いているのです。


突然ですが人生ゲーム実況中継:

ただいまゲーム上で、あるチームが命がけで戦ってます!このチームは、昔から使えるものは全部総動員して、しばらくゲームを先導してきました。特に、一度とある負けを経験してからというもの、猛烈な巻き返しをはかりましたね。そのマスエネルギーが強烈すぎて、ゴールに着いたことが見えてないようです。ゲームをやめないぞという執念、もっと異質なゴールが欲しい、もっともっと達成したい。ゲーム時以外も24時間戦えますか!あらゆる効率性や機能性をあげていったのはこのチームだけでしたね。他のチームにはない行動です。現在は、ゲーム自体の性能向上にも力をいれているようで、もはやこのゲーム上で対戦しているのは数チームとなりました。意外とこのチーム達は仲が良いようですよ、ゲームに足りない資源を一緒にさがし、掘ろう、伐採しよう、造ろうと共同してがんばっています。おっと戦争がはじまりましたね。小さなものから大きなものまでゴミ出てますね。とにかくエネルギー量がすごいです!あ、駒がおちました!世界ではカミカゼやカローシと認知される現象です。すぐにリプレイスです。

(いつの間にか、このチームは巨大オバケになりました。チームメンバーの誰もオバケになりたくはないのに、なにが起こっているのかわからないまま、重要なパーツに自動的に組み込まれています。)

おっと、あちらでは、性質の異なるゲームが開発され、*GNH値を設定して遊び始めました。そこに小さなグループが名乗りをいれ、豊富な資源を使ってゲームを展開してますね。いや、なんかメンバーが楽しげです。先ほどのチームは、“マイノリティ”のゲームにはまったく興味のない様子です。



*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*



心の中で、社会で、地球で、どんなことが起こってたとしても、起こったことはすべて過去。どんなことでも起こるのが、これまた『地球学校』(参照:それは「地球学校だからPart.1」過去記事より)の器の広さです。そして起こったことはもう置いておきましょう。もう変えることのできない過去を「あーだこーだ」というより、今できる生産的な話をする方がベターです。このゲームをコメンテータ的観点からお話した理由は、ちょっと高い視点から現在の居場所を俯瞰するためです。日々追い込んでくる見えない意識、休もうとしても休めない身体、ずっと考えっぱなしの思考、深夜不安で目覚めたり。それはあなたがこの人生ゲームを背景として、作り上げた幻想なのです。あなたが真に大切なことを知るために必要な経験でしたが、あなた=痛みそのものではないですよ。あなたは、その経験から自由になれます。心で思い描いたこと(幸せであれ恐れであれ)を現実化させる力が我々には備わっていることを、中庸から経験できるようになります。

↑そして、これは私の「意識ゲーム」↑
おりることも可!



*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*:.,.:*



時代がどうであれ、すべての魂が、どこで、だれの間に産まれて、どのように育っても、私たちの表面的感覚や想像を超えた深い意味(高次の意思)があります。時代は関係ありません。振り返れば、いつの世も「激変の時代」で、様々な人生ゲームが行われていました。シャカ族の王子様もそれで国と家族を離れて出家したし、かの有名な『祇園精舎の鐘の声』が響いたのも戦国の世です。人間が立つこの地球というステージで、ストレスは当然のもの。己の内から湧き出る疑問をそのままにして、王子様を演じ続けることも可!戦で人を斬り続けることも可!どんなに激変する時代でも、選ぶことはできるのが、人間平等に与えられた自由の権利です。


現代社会の特徴といえば、道ばたで突然首を斬られることはなくとも、情報・テクノロジーが超発展している(テクノクラシーの)時代。知識と経験を洗練させること、最高品質世界最小最軽量を持つこと、常にゴールを設定すること&達成することに気をとられがち。時代を楽しんでそれも可。しかしストレスで苦しんでいるなら、他の選択をすることも可。そう、そういうことなのですよ。だからこそ、あなたは今生で、この時代のこの場所を選んで産まれてきたのです。私の中にいる「私」は選べることをまだ知りませんが、「本当の私=魂」はすべてを選んできたし、自由に選べることを知っています。そして魂はストレスに苦しまない存在です。さぁ、どうしましょう?


どの時代においても、過程を楽しみ、喜びを持ち生きる選択をした人は存在します。彼らは、外側の敵(物質や相手)を倒すことではなく、己の内側にいる「私」(己の弱さでもあり、財産でもあるもの)と対峙し、克服して自身を統合し、「真の私=愛そのもの=魂」を心に取り戻しました。その姿は、歩く哲学者のようであり、虹色の戦士(←過去記事『虹の戦士』より)です。時代がいつでも、闇がどうでも、生きることをあきらめないで七転び八起きする精神を持ちなおせば、過重なストレスに苦しめられたり、己の人生そのものの被害者となったり、自ら生命を奪うことにつながりません。多くの心静かなる人は、決してストレスがないのではなく、過重なストレスを人生を見直す大きな機会とし、俯瞰する眼を養った人なのです。


そうそう、いつの時代も「今の時代は、生きにくいわ。」とつぶやくのが人の常ですよ。



*GNH
Gross National Happiness/国民総幸福量

沙羅双樹の花は、白い椿ですが、こちらは家の庭に咲いている日本椿、洋名ジャポニカ。今朝撮りました。
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人間社会の今むかし【ストレスの正体シリーズ2】 [ストレスの正体]

このブログは、【ストレスの正体】シリーズ1「もう限界!背負うものが多すぎます!」 の続きです。

ストレスは、悲しいこと嬉しいこと苦しいこと許せないこと、どんな事柄がおこっても発生するもので、自我が芽生えた頃から経験しています。心からしたいと思って自然に行動に出たことが、禁止制限されることはしばしば。遠足の日に雨が降って大喜びしたり、泣いて悲しがったりなどは、あなたも私も、子どものときにたくさん経験しました。ストレスは人間が生きる上で必ず存在するものです。成長になくてはならないものと言えるでしょう。それがモチベーションになることもあるし、新しい気づきを与えることもある。今ある人間環境で、自然に発生したものは止めようがありませんし、逆にストレスをなくそうとするならば、それこそがストレスの原因となります。

ストレスとは何なのか、ストレスが発展するとどうなるのか、それを掘り下げまくるシリーズ今日は第二部です。まずは人間社会をタイムマシンでさかのぼってみたいと思います。最初にお伝えしますね、この記事長いです。


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数世代前の暮らしへジャンプ:


今から数世代時代をさかのぼると、人はここまで厳しい社会で生きる存在ではなく、もっとストレスフリーな存在でした。私より上の世代の方々が、「あの頃は貧しかったけど良かったね」と呼ぶ時代でしょう。

道はコンクリート舗装ではなくあぜ道で、子どもたちはじゃれあって歩いたし、車にひかれない代わりに肥だめに落ち、野山を駆け回ってどろんこになり、笑顔で村に帰ってきました。じいちゃんばあちゃんや友達の家族が近くにいて、村全体が大家族のようでした。生んでくれたお母さんと同じように子どもを大事にしてくれるお母さん的存在は一人ではありませんでした。親世代、ジジババ世代、子ども世代、それぞれが横つながりで孤立せず、なおかつタテに繋がる世代が共存し、泣き声の背後に大笑いが聞こえるような大家族でした。学校は大自然の中。刀のさばき方や草花摘みをお手伝いしながら、長老やばあばが知恵を教えてくれました。伝統行事は四季や自然界と私たちの食に密接に関係し、行事を行う毎にそこから大切なことを教えられました。仕事は指示待ちで配分されるものではなく、人間の基本欲求を満たすために自主的に手足頭を動かすことで仲間とともに喜びを共有し、暮らしそのものが仕事でした。戦も、天変地異もありました、愛する者は天へ還り、新しい生命へと巡りました。人と人、人と自然、人と文化の間に在ったのは、文字通り間(ま)。空間そして時間。簡素でオープンだからこそ、つながりのある暮らしでした。

今の日本にもこの暮らが残っていますし、この暮らしをルネッサンスしようという大小の動きは、日本のみならず世界全体でいつも起こっています。お休みごとに、家族や子どもが日本の原風景と言われる「田舎」や里山に浸かれるなんて、なんと貴重なことでしょう!その経験が出来る間は、その時間を大切にしたいですね[ぴかぴか(新しい)]

それでは、この暮らしを知らずに育った私たちは、その時代の子どもと違うのでしょうか...。そうなんです。今の子たちは、加工食品、ストレス、薬剤、長時間学習と労働に堪えうる人間へと進化しました...そんなわけないです。

人間という存在の核は、戦前も今もずっと同じです。産業革命以前、縄文時代から、変わりません。根本的に、私たち人間は、目の前で「今」発生している空間で、それぞれの魂に見合う経験を通して、人を、自然を、そして自分を愛する方法を知りどちらかというと思い出し)、成長する存在です。




近代の都市化をみる:


近代社会は急変しました。衣食住の変化、医療、学校教育、企業や新しい社会の在り方、目に見えるものから見えないものまで、急速に。多数の人は経済を求めて都会に移り住み、おのずと生活環境は狭くなり、食事にかける時間が減り、総菜や菓子などの加工食品を買い、一人で短時間で済ませることが増えました。医食同源がポピュラーになるほど、もはや食と医は切り離され、老いも若きも薬の服用と病院通いが一般的になりました。子どもを身籠れば、20歳までの養育費をざっくり計算。家庭内では核家族、鍵っ子。常に忙しい親のもと、タブレットで早い時代から情報時代っ子。学生と塾生で大忙しでいたら、部活もはじまり、大学受験生を終えたら休む間もなく就活。学校では企業戦士へとスムーズに移行できるようカリキュラムが組まれていたが、疲労募って病と診断されれば、その部分だけ早めに治して元の即戦力に戻らなければ大変なことに。そのうち親となって子世代へ同じ生活を繰り返す、そうでなければ、パラサイトか引きこもり。人と企業とエネルギーが集中する都会の空気はどんどん薄くなるなか、つながりが見えず孤立する心たち。心で思い描いたこと(恐怖であれ幸福であれ)を現実化させる力が我々には備わっていることを、負の側から経験中だから「社会問題」も多く存在します。都市化で起こることです。


たった百年超で激変した環境に、人は息をつく暇もありません。都市部では、肩こり腰痛、頭痛に眼精疲労が穏やかな状態に戻るどころか蓄積されます。浅い呼吸に運動不足と、呼吸器系、心臓への不調が一般的にみられます。急スピードについていけず消化不良の上、保存流通にあう加工食品や嗜好品は、アレルギー含む消化器官系、肝機能の不調をもたらし、複雑化する対外関係、恋愛関係や男女の関係で脳神経や、男女共に生殖器系不調。自ら心を閉ざしてしまう症状は、子ども大人に関らず、社会と心の中から居場所を奪います。たった数世代でこれほどまでに社会のあらゆる部分が急変したのなら、人間全体で悲鳴をあげるのはワケもありません。戦後に日本が急速な復興と発展を遂げ、超人的な目的達成があったことは確かです、が、例のごとくそれは墓場へ持ってゆけません。

この社会発展の裏側にある負は、解消されることなく痛みを伴って次世代へと繰り越されています。この痛みの巨大集合意識的存在は、十分に事足りる豊かさを得たはずの経済先進国の中でも、独特な現象です。人間はお金を得るために働くために生まれてきた、という理解が、一部の社会では呼吸することよりも重要になっている。


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ここで人生ゲームのお話に転換します。が長くなったので、続編『ストレスは人生を見直すきっかけ?【ストレスの正体シリーズ3】』に続きます。


「もう限界!背負うものが多すぎます!」【ストレスの正体シリーズ1】 [ストレスの正体]

あなたが今、どれだけのストレスを抱えているか、数値化できるこんな表があります。
米国ワシントン大学で、社会学者と内科医が1967年に発表した“社会的再適応評価尺度”を基礎として、日本用に改訂されたものです。

ストレッサー.jpg

クリックすると、アルバムページへ飛、、、ぶはずなのに飛ばないので検証中です。
参考までに、興味のある方は2014年の類似記事もどうぞ。http://www.gruri.jp/article/2014/01131100/

順位1から20項目までに2個以上あてはまる場合と、10項目までに1個でもあてはまる場合、すぐにでも休息をとったほうが良いとされています。

どれも当てはまらない方、おつかれさまでした。
この記事はここで終了です。(笑)


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結果どうでしたか?時々いる「オレ300点超えてる」と自慢する人、300点以上は危険信号です。それ以上自分を虐めたいなら引き続きどうぞ。

ストレスはどのような場合でも起こりますし、人間の暮らしからストレスを取り除くことはできません。待望の赤ちゃんの誕生、看病を終えて旅たった親との別れ、どれも心身に大きな負荷がかかります。悲しいことだけがストレスではありません。

いつでもどこでも起こるストレスを、まるでないかのように過ごしがちなのが現代社会の現代人。新婚旅行休暇や産休、育休、看休、これらは「さらに増えた人生イベントや、さらに増えた責任をこなすために、時間を与えてあげましょうね」と企業が提示する義務にすぎないのではなく(だから休暇はしっかり取りましょう!)、あなたがきちんと己と向き合い、心落ち着ける時間を持つために、なくてはならないもの。今背負っているものがどれほどかを知り、おろせるものはおろし、持ち直すものは持ち直す作業をすることは、健全な人生と心の健康に必至です。「仕事仕事!仕事が一番!」と豪語し、なんのために働くのと訊かれると「理由なんてあるか」と投げやりに即答するようになってしまった人にこそ、休みが必要です。

では、ストレスが増えた場合、どのように過ごしますか?
さらなる仕事への没頭、買い物、タバコやお酒、賭け事や趣味、異性との付き合いでストレスを健全に発散することもできますが、すでに負荷が膨大にかかっている場合に、これらの行動は「逃げ(エスケープ)」となりがちで、中毒へと発展していることが見受けられます。隠れ中毒になりながらも、何よりも仕事を優先させてしまう人が多いのも、日本社会みよく見られる特徴と言えます。個々が背負える限界を超え、背負いすぎシンドローム。これが、日本が世界一の消費大国と成りえた影の支えのような気もしなくないような。お上の方で、「悲しい事実でも我が国に有利なら使おう、使えないならナカッタことにしよう、痛みを全体で共有すれば大丈夫!」と、かすかに聴こえてこないような...数字を追いかける経済発展が、人の暮らしをどこまで健全にするのかは、ご存知の通りミステリー劇場です。

そして何を隠そう、このストレスは、その発展版の中毒も含めて、自分を破壊へと追い込んで行く自分への暴力、すなわち自己虐待に他なりません。


そうそう、忘れないでくださいね、破壊は再生への途中経由地

「良く」も「悪く」もなく、ジャッジすることのできないものですよ。



引き続きストレスをなかったように過ごした場合、その先に大きな病、その向こう側には肉体の死があるだけ。身体に尊厳を与えずに虐めつづけると(暴力)、肉体の最期を迎えるだけです。身体に尊厳を与えること、これは多くの現代人に欠けている、人間として生きる上での大切な要素です。誰もが肉体の死の迎えます。死に際に、その愛する外車、そのブランドバック、褒章、プラチナカード、美貌、トロフィー、深い悲しみ、身体の傷、トラウマ、子どもや親、、、何も、誰も、一緒に連れて行くことはできません。死に際に唯一心を満たせる品は一点だけ、人間としての尊厳です。

あなたの身体に尊厳を与えていますか?あなたの人生には尊厳がありますか?愛する者、、子どもやパートナーの尊厳を侵していませんか?
あなたが生きたいように生きれるよう、あなたが率先してあなたの人生をサポートしていれば、一番近くにいる家族と共に、必ずストレスは減少していきます。


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今日は、この辺にしておきます。長いブログを期待して、読むのを週末まで待ってくださったみなさま、期待はずしました。


続きは、ストレスの正体シリーズ2、人間社会の今むかし です。


【写真でみる】オーストラリアのエコビレッジ生活事情 と 日本の環境持続型コミュニティ [オーストラリア☆エコ・ビレッジ通信]

お久しぶりの、【オーストラリア☆エコビレッジ通信】記事でございますっ。

今日は総括してオーディンガ・アーツ・エコビレッジについて、写真つきでご案内させていただきます[晴れ]

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オーストラリア最大のエコビレッジは、オーストラリア第5の都市、アデレード市から南へ1時間ほど車で走った場所に位置します。総面積35ヘクタールの土地は、約半分ずつの面積で、住宅エリアファームエリアからなります。

住宅エリアには商業エリアと、住居エリアからなります。商業エリアはお店(カヤックのお店)が一軒できたところで、これから発展して行く商業道路に面した場所。ヒーリングサロンやカフェ、木工工房などが建設される予定です。

住居エリアには、さらに三つの異なる住居エリア(四つ目は開発中)があり、すべてあわせて150軒ほどの家が建っています(2015年現在)。また、すべての住宅は、北側の屋根に(太陽の軌道に沿い)ソーラーパネルが装着され、ウォータータンク(雨水貯水タンク)と家庭菜園をつくることが基準です。

こちらは、手作りの集合ポスト。ビレッジ内にあと2つ集合ポストが設置されています。
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三つの異なる住居エリアは、
1.エネルギー効率を重視して建てられたコテージタイプ、

2. 隣同志がつながっている(日本の旧い長屋に似たつくり)一階建てと二階建てが共存するタウンハウスタイプ、

3. 住民が自由にデザインして(自ら)建てるエリアに分けられています。

3.のエリアには、ストローヴェイル(土壁)、マッドブリック(泥レンガ)、シンプルハウス(=タイニーハウス)、 ※版築(はんちく)※1の家が建ち、2015年3月現在、南オーストラリア初のヘンプクリート※2に建築許可がおり、建設準備が始まっています。

4.(未完成)昨年末には、コテージタイプとタウンハウスタイプが混同した家屋(約20軒の集合住宅)の基礎作りがはじまりました。

では、ここで村人の家の中をちょっと拝見・・・

☆4人家族のお家
角のない丸みを帯びたストローベイルの家
外には、アクアポニック(水耕栽培)と自家菜園が広がります。
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ビレッジの多くの子どもはスタイナースクールへ通っているので、ジェンダーや国籍、ブランドやテレビのネタ、マスコットなどとは一切無縁です(多くの場合、テレビを観ない家族の子達なので、流行などは学校の上空を通り抜けるだけ)。社会、国家、企業、伝統などから発生する、既成概念からの反射的な「条件づけ」(コンディショニング)を敢えて取り入れない教育方法で、校内には、クラスの横(年齢)割り、ジェンダー(性差)、企業など(ましてや電力会社、銀行など!)は一切出てきません。例えば日本でいう「ディ○ニー」の「ピンク」の「お姫様」が「女の子だから」無意識に与えられるようなことは一切ありません。学校と両親が責任転嫁することなく、子ども達は既存の世界に存在するもの以上のものを創造し、遊びを通してすばらしい時間を健やかに送っています。

☆フランス人夫婦のお家
2階がロフトタイプの、ユニークなストローヴェイル。
外には華やかなフレンチガーデンが広がります。
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☆あるお家のサンルーム
北側にあるサンルームには手動で開閉可能な透明カーテンがかけられ、冬は締めっぱなしで室温を上げ、夏は開け放って風を通します。
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住居エリアを縫って、いたるところに緑の芝生やフルーツ果樹園があります。
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果樹園の間に平飼い鶏が飼われ、アーティスと達が作ったモニュメント、野外で使える(古代の)音楽楽器、たき火エリア(許可制)があり、ラビリンス(地面に描かれた迷宮)の向こうには地平線と水平線を望む草原が広がります。


仲良し鶏姉妹のお家。夕暮れになると(ニワトリは暗がりで目が見えないため)、ちゃんとおうちに戻ってきます。キツネやタカが徘徊していることが多いので、夜に檻に自主的に戻ってくるのを待ち、扉を閉めてあげます。
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ビレッジのハート部分と言える場所には、住民が自由に使えるシェアリングシェッド(ミーティングや作業場に使えるハコ)、アウトドアのピザ釜、野外フィルム上映場、芸術家が創作する大きな工房(木を使ったウッドワーク、陶器を使うクレイワーク、銀を使うシルバーワーク、モザイクワーク)、ラウンドハウス(旧馬小屋がアートホールに変身)、森の図書館などがあります。

シェアリングシェッド(コミュニティホール的役割をもつ場所)
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みんなで作ったピザ釜
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住民は、赤ちゃんからお年寄りまで250人ほど。もう国籍や人種などは関係のないひとつのコミュニティ。アーティストやミュージシャンを中心に、あらゆる職種・業界の方が住まいます。
子ども達が、自由に外遊びができるよう、エコビレッジ内での車の制限速度は自足25キロですが、住民は時速10キロほどで運転しています。交通サインも手作りです。


ファームエリアは、数百本のフルーツの果樹園が植えられ、その間に平飼いニワトリが20羽ほど放し飼いされています。人口の貯水池の周りには小さな森があり、稀少種鳥のサンクチュアリとなっています。森の間にはミツバチの巣箱が所々に置かれ、エコビレッジの住人は主にこのハチさんから恩恵を受けています。

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ビレッジ内で収集された枯れ木や枝、野菜や葉っぱなどは、ファーム内の巨大コンポスト場へ届けられ、またビレッジ内の土地に戻っていきます。
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ビレッジ内で使われた下水はこの下水処理場へ戻り、浄化され、再利用されます。
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ファームでは、2020年までにエコビレッジ全体と周辺地域に有機野菜が提供できるよう、大プロジェクトが順調に進んでおり、去年から今年にかけて野菜を厳しい気候から護るグリーンハウスができ、さらに多くの苗と木々が植えられ、コミュニティ倉庫(道具や収穫物用)が完成しました。もちろん、エコビレッジ産野菜を扱う、ファーマーズマーケットの開催も視野に入っています。

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ファームはもちろん、個人の自宅でもパーマカルチャー(日本の「自然農法」がオーストラリアで再発展したもの)、バイオダイナミック農法(シュタイナー農法)に習って野菜を育てています。なにを、どのように、いつ、なにと植えるのか、皆で月齢カレンダー(農業歴)を囲んで、学びながら、日々の畑仕事を楽しんでいます。

夏場に収穫できるものはこんな感じ(パイナップルとマンゴは、他州から入ります)。
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コミュニティでの毎月のイベントとして、ピザ・ナイト、シェアードミール(各自持ち寄りで
みんな一緒に食べるディナー)、編み物サークル、モザイククラス、ヨガ、ダンス、ピラティス、サーカス(ジャグリングやアクロバティックの練習)などがあります。

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年間イベントとして、サステイナブル・ハウスデイ(ビレッジの暮らしを一般公開する大イベント)、遠泳、フリンジ(南オーストラリア州最大の芸術美術大イベント)、ガレージセール、ショートフィルム・フェスティバルが開催されます。

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その他、歌手やパーカッショニストなどによるライブパフォーマンス、ゲームナイト、などなど、アイデアを出して自ら企画すれば、どのようなイベントも可能です。ちょうど今日、日曜の午後、村人による村人のための出し物イベントがあり、それぞれがお得意の歌やギター、チェロやフルート、詩やパフォーマンスを披露しました。
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ここで、これは素晴らしいなといつも関心している村内の2つのシステムを紹介させてください。
ひとつは、「ヘルプ・ツリー(手援けの木)」というグループ。
現在は40名程の名前がリストアップされています。リストには、「買い物を行う」「そうじ手伝い」「子どもの面倒を観る」から、「ソーラーパネルを検査する」、「庭の剪定をする」、「聴く耳(カウンセリング)」など、他にもさまざまなカテゴリーがあり、その下に提供者の名前と電話番号が記載されています。提供できる人が、できることだけを、したいだけ、有志で行うのがヘルプ・ツリー。

もうひとつが、「ミール・ロースター(食事お届け)」
例えば、突然入院し手術を受けることになった、子どもを出産することになった、こういう緊急事態に、ミール・ロースターを利用することができます(もちろん本人が依頼をした場合のみ)。例えば、妊婦さんであれば、出産後1ヶ月は、毎晩、その家族全員分のご飯が自宅へ届けられます。いわばお料理が得意な「ビレッジ・シェフ・チーム」が、毎晩替わりがわりに(各国の)ご飯を作り、家まで届けるというもの。アレルギーや何らかの食事制限も、すべて聞き届けられます。

ビレッジに住む者同志、なにかあったときは助け合いの精神で動きます。最近、3人目の男の子を出産したばかりのシングルマザーが村の外へ引っ越すことになりましたが、彼女は出産後に「ミール・ロースター」を、引越しのため「ヘルプ・ツリー」を、続けて利用しました。頼ることが得意ではなかった彼女は、このビレッジで頼ることを学び、またビレッジ全体も負荷を細かく分散し、すべての人が恩恵を受けるように動きました。


このエコビレッジが、考え方と価値観の異なるさまざまな背景の人々と発展していけるのは、各種の委員会が存在するからです。コミュニティ構築委員会、ファーム委員会、アート(芸術美術)委員会、その他にも、水面下でたくさんのグループ、ネイバーフッドグループ(ご近所さん)が存在しています。全体で持続可能に発展して行くためには、意思と想いに加えてある程度の組織をつくり、ものごとを円滑に効率的に進めて行く必要があります。


10年程前、エコビレッジができる前は、この地域は馬小屋だけしかなかったそうです。エコビレッジができたことで環境意識の高い人たちが世界中から集まり、エコビレッジの外にはオーガニックカフェ、お魚屋さん兼フィッシュ&チップス店(←ラッセル・クロウお気に入り)、天然酵母パン屋さん(日本とは異なる酵母使用)、ビーガンカフェ、レトロブティック、レゲエカフェができました。さらに、アデレードや都市に住む「可能性を探るオーナー」さんが相次いでこの町でビジネスを拡げています。もちろん、環境持続型ではないお店はすぐにサヨウナラ...。「意識の高い」町が、ビレッジを中心に拡大しています。これに伴い、数年以内には電車の路線も通るようになるそうです。

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さらにさらに、この地域は世界に名を馳せるマクラーレン・ベールのワイナリーがありますが、数百あるワイナリーの65%以上は、オーガニックで作っているそうです。「うちはオーガニック、自然農法だよ」、がもうウリにならない、オーガニックが当たり前の地域となりました。ま、隣のぶどう園が自然農法をしていれば、自然とお隣も、そのお隣も、となりますよね。健やかな連鎖です。

ていうか、今、エコビレッジに住んでなくない??

えへ、住んでいません。
だから、エコビレッジがどういう存在なのかを俯瞰してみれるようになり、外世界とのネットワークがひろがりました。そして今も、週に数回は必ずビレッジに行くことが自然な流れとなっており、エコビレッジで進行中のことや新しく越してきた人とも仲良くしている具合です。なぜここまでつながりが深いかは、次のブログでお知らせします。 引っ越しです。←え、また引っ越し!?
これ以上ブログが長くなれないので、この話しはまた次回[手(パー)]


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さてさて、世界にはエコビレッジがすでにたくさん存在しています。新しくできた所も多くありますが、もともと森や里に住んでいた人々が、「国や政府」が「統治」するようになってお金・物質がもたらす「豊かさ」に流れた経験から ー ここに厳しく愛に満ちた各々の経験と学びがあり ー 自然界が自然にもたらす「豊かさと美」や「大切さ」に気づき、本来ヒトがいるべき場所へ自然と還りはじめている、という方が近いかもしれません。ヨーロッパの田舎、ロシア、中南米ではその動きがずっと水面下で起こっています。
または知人(パーマカルチャリスト)が訪問した、キューバ(ハバナから西にある)エコビレッジと、ニュージーランド北島にある → オアテマテア・エコビレッジがとても素晴らしかったと話していました。


日本にもいろいろあるようですね。日本の友人から紹介されたものも含め、ここにいくつか紹介させていただきます。

[かわいい]リンク→熊本県のサイハテ
最近、友人から紹介されました。とても面白そうです。私の住んだエコビレッジとは異なるスタイルのサステイナブル・コミュニティです。

[かわいい]リンク→北海道のエコビレッジ推進プロジェクト
現在、インターン生募集中です。気になる方は、ぜひ。

[かわいい]リンク→タイニーハウス ムーブメント
今の暮らし、なんかいろいろとものが多い?無駄ではないが...なんか違和感があるな、と感じるなら、こういう暮らしもありますよ。リンク先には動画が2つ掲載されていますので、どうぞ楽しみながらご覧ください。
【ロードムービー「シンプライフ・小さな家と大きな暮らし」の製作・公開を応援してください!】

[かわいい]リンク→静岡県の木の花ファミリー
100人近い住人で成るコミュニティの木の花ファミリー​。宿泊、レストラン、農業体験や生活ヘルパーなど、たくさんのサービスを提供されています。また、精神的に不調を持ってらっしゃる方の「高次の視点(宇宙視点)」でのカウンセリングもされているようです。場所も都心から近く、宿泊施設やレストランもあるようです。詳しくは、リンク先からブログなどをご覧ください。

精神的な不調を↑こちらで対応していただけるなら、「現代の食の在り方」を学べる場所は、裸足で立ち汗水流す大地、のあとに玄米・発酵食品・・・ではありますが、それがどういうことなのかをわかりやすく教えて頂けるのが、
[かわいい]大分県は赤峰勝人さんのなずなの会
以前、講演に伺った際はアレルギー疾患のお子さまがなずなの畑をお手伝いすることにより、アレルギーというものは何かを学び、克服されたお話を伺いました。


他にも、大小のさまざまなコミュニティが存在していることは確かです!
エコビレッジ、サステイナブルコミュニティ、インテンショナル・コミュニティの情報をお待ちしております♡


※1 版築、土壁や建築の基礎部分を堅固に構築する ために古代から用いられてきた工法

※2 ヘンプクリートは、農薬を使わず環境にダメージを与えることなく、育てやすい強靭な植物。洋服・素材、美容・健康食品、建築素材、オイルなどと幅広く使われています。参考までNAVERまとめのリンクは→こちら

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